カフェ・ズッケロ――――カフェに1人の男性がいた。
その男性は「副店長」と呼ばれており、カフェ・ズッケロでスプリングフィールドと共に接客をし、そしてメニューを提供する。
カフェ・ズッケロの2階にある寝室で寝泊まりをし、既にここで勤めて既に3年が経っている。
バーカウンターで1人、コップを乾いた布巾で拭きながら外を眺める。
カフェ・ズッケロの外は雨が降り、それが窓にぶつかっては雫となって垂れていく。
今日の天気は雨模様、そんなことをラジオで聞いた気がする。
だからだろうか、雨が降っているせいでカフェ・ズッケロの前を歩いている人は少ない。
正確にはいない、と言った方が正しいだろう。
再び視線を店内に戻すとそこには1人、バーカウンターの椅子に座り、特製のキャラメル・マキアートを口につけて飲む女性。
彼女の傍らには茶色のバイオリンケースがバーカウンターに立てかけており、キャラメル・マキアートを飲む表情は柔らかい。
「合格点ね、やっと腕を上げたんじゃない?」
彼女が口からカップを離し、視線を男性へと向ける。
「ここで働いて3年になるからね。いい加減特製メニューも慣れないといけないだろ」
「そうね、でも慣れるまでに時間かかりすぎじゃない?」
「……君のその飲んでいる特製メニューの甘さを見てから言ってほしいかな」
特製キャラメル・マキアート、彼女が頼んだそのメニューは甘い物好きが飲んでも胃もたれしてしまう程の甘さである。
通常のマキアートはエスプレッソにフォームドミルクという、温めて泡立てたミルクを付け足すものだ。
そこに溶かしたキャラメルを足すことでキャラメル・マキアートの出来上がりとなる。
しかし、この特製キャラメル・マキアートは違う。
このキャラメル・マキアートに更に角砂糖を足す。
その角砂糖の数は1つではなく、2つ、3つ…もっと足してこそやっと彼女の満足する甘さになる。
いくらなんでも甘すぎるだろう?
スプリングフィールドに進められて飲んだ時はその甘さに思わず顔を背けたものだ。
「なによ、これくらい構わないじゃない」
「人形でも心配になるレベルだよ?」
彼女の甘党ぶりには少し心配になる。
彼女はまたカップを手にして、飲んでいく。
今日は彼女以外お客さんがおらず、がらんとしている。
閑古鳥が鳴くというのはまさにこのことを指すだろう。
カフェ・ズッケロは普段は客が多いわけではない、その逆もまた然りである。
普段は友達同士で会話をするもの、本を読むもの、奥のダーツ場で遊ぶもの、待ち合わせ場所にするもの、様々である。
今日は雨が振っており、その雨のせいか、それとも偶然が重なったのか彼女だけの貸切である。
彼女のことをお客さん…いや、彼女はここの店員みたいなものだからお客さんという枠に数えて良いのだろうか。
そんな事を考えているとカチャン、とカップが置かれる音が聞こえた。
「おかわりはいるか?マキアート」
「そうね、お願いしようかしら」
彼女が置いたカップに手を伸ばし、回収する。
新しいカップをエスプレッソマシンにセットをし、30秒待てばカップにエスプレッソが注がれる。
「何か模様でも描こうか」
「ふぅん…できるの?」
「任せてくれ、ちょっと練習したんだ」
少しだけ自信ありげに彼女に告げる。
エスプレッソの中に角砂糖を入れ、混ぜて溶かす。
その甘いエスプレッソの上にフォームドミルクを乗せ、その上に液体のキャラメルで白いキャンバスに模様を描いていく。
模様はハート、よくある模様だ。
キャラメルでハートを描いていき、ハートの中はキャラメルで少し色付け。
白と明るい橙色で色つけされたハート模様、それを描き終えるとカップを手に彼女の前に提供すれば完了。
「特製キャラメル・マキアート。ハートを添えて、だな」
「…ハート?口説いてる?」
「違うって…ほら、よくラテアートでハートが多いだろ?」
「ふぅん…そうね、多いわね」
もしかしてお気に召さなかったのだろうか。
彼女はカップに描かれたハートを見つめている。
時間にして10秒程だろうか、カップを手に持ち飲んでいけば
「…合格」
「味の話か?」
「違うわよ。その……」
なんだか歯切れが悪い。
首を傾げて彼女からの答えを待っていると「あぁ、もう!気にしないで!」と言われてしまう。
余計に気になるがいつものことだ。
むしろこういう時は気に入ってくれている、そう思えばいい。
先程彼女が飲んでいたカップを洗っていると奥の部屋から店長ことスプリングフィールドがやって来る。
スプリングフィールド、このカフェ・ズッケロの店長であり、また情報屋のようなこともしている敏腕店長。
スプリングフィールドは副店長とマキアートの2人を見て微笑む。
「あら、二人きり? お邪魔だったかしら?」
「なっ…!そんな事ないわよ!変なこと言わないでっ……!」
マキアートが顔を少し赤らめてスプリングフィールドに反論。
スプリングフィールドはその照れた様子を見ながら口元を手で隠しながら笑っている。
「店長、今日はお客さん来なさそうですね」
「そうですね…こんな雨ですし仕方ないですね…」
スプリングフィールドが眉を下げて、少し困ったように返していく。
お店としては暇なのだが、その暇が良いと言える訳では無い。
現在の時刻は15時。閉店までまだ時間はある。
「今日は早めに閉店にしましょう。18時になったら閉店して貰ってもいい?」
「分かりました、店長」
店長から指示を貰い、頷いて返答をする。
スプリングフィールドは笑顔を浮かべ「ありがとう」と一言告げた後にまた奥の部屋へと帰っていった。
カフェ内に残された2人。副店長とマキアート。
外では雨が降り、まだ雨足は弱まりそうにない。
客も入りそうになく、今日はずっとこのような暇な1日になるのはほぼ確定だろう。
視線を外に移しながら、副店長は考えた。
ふと、視線を正面にいるマキアートに移していく。
マキアートは特製キャラメル・マキアートを飲みながら先程から少し落ち着かなさそうにしているではないか。
視線を左右に動かしたり、カップを置いたかと思えばまた持って中を覗いたり、挙句の果てには息を大きく吐いて何か決心を固めているようにも見える。
「……マキアート?」
「な、なに!?」
心配になって声をかけるとマキアートは大きな声を発しながら此方に視線を向ける。
そんなに驚くことなのだろうか。
いつもは落ち着きがあるも今日は何故か落ち着きがない。
「今日は……なんだかいつもより忙しないね?」
「そ、そんなことないわよ!いつも通りよ、ほら!」
ふん!と鼻を鳴らした後に彼女は顔を逸らして、カフェの外に視線を向ける。
そうやって平静を装うのは変だと思うが、それを彼女に伝えてしまえばきっと怒るだろう。
自分も視線を外に一緒に向ける。
雨足は先ほどよりも強くなっている。
先ほどの雨がしとしと、といったものであれば此方はザーザーと豪雨に近いものである。
店内に響くのはその雨の降りしきる音と店内放送から流れるジャズのBGM。
ふぅ、と副店長は息を吐く。
少し冷えるだろうか、吐く息は妙に生暖かい。
それもそのはず、既に10月であり、夏が終わり秋の訪れも見えるころだ。
まだ昼は少し夏の暑さが残っているも、今日の天気ではより秋の寒さを感じることだろう。
「暖房付けなくて大丈夫か?」
「いらないわよ、あんたこそ寒くないの」
「少し寒いけど…これくらいなら問題ないよ」
彼女と世間話を交えながら外を眺める。
副店長はこれといった季節の好みはない。
強いてあげるなら寒い季節が好きである。
理由は簡単、暑い夏よりまだ過ごしやすく、汗を流すことがないからである。
もっともあまりにも寒く、凍えてしまいそうな場合はまた話は別だ。
「さて…こんな雨じゃ今日はもう客は来ないだろうな。店長には悪いけど、今日はもう閉めちゃおうかな」
「スプリングフィールドに怒られるわよ」
「大丈夫だよ」
特に根拠のない自信ではあるが、そう答えていく。
バーカウンターから出ていき、カフェの出入り口に近づく。
扉にチェーンでぶら下げているオープン・クローズ看板を反対にし、自分の方向に『OPEN』が向くようにすれば窓へ足を運ぶ。
店全体が外から見まわせるほどの大きな窓、近くにある制御パネルの電源をONにする。
そこにある『ロールカーテン』という項目を選択し、『閉店』と押すと、窓の最上部から白く巻かれたカーテンがゆっくりと解かれて落ちていく。
それが落ちていく様子に視線を向け、動作していることを確認し、またバーカウンターへ。
「お客さん、閉店ですよ」
「あんたが早く閉めたんでしょ」
「これは失礼」
そんな冗談を交えながら会話をしていく。
マキアートが飲んでいたカップを回収し、洗い始めていく。
窓にはカーテンがすべてかかっており、外からの様子は見えなくなっている。
店内には誰も視線が通らず、副店長とマキアートの2人の世界。
2人の雰囲気を偶然ピアノがジャズではなく、ゆったりとした神秘的なクラシックになっている。
音楽を耳に入れながら、カップを洗っていく。
「ねぇ」
彼女、マキアートの声が聞こえた。
その声が聞こえると視線はカップのまま尋ね返す。
「どうした?」
「その……今日で…3年ちょうどよね…?」
彼女に言われてはっと気づいた。
そういえばこのカフェ・ズッケロに来て今日で丁度3年目だ。
元々は『グリフィン』という場所で活動をしていたのだが、そのグリフィンから抜け出し、放浪しながら生きていた。
世界は汚染され、自分の傍には人形はおらず、その日暮らしを繰り返していた。
いつ死ぬか分からない地獄の日々。
むしろ死んでしまった方が楽だったのかもしれない。
最後にたどり着いたこの都市の路地裏で倒れ、このまま死んでしまうと思った。
そんな時にマキアートに見つけられた。
実際に幸運だったのだろう。
体のあちこちは傷だらけであり、後遺症が残ってもおかしくなかった。
彼女には泣きつかれたものだ。
元々は『WA2000』という名前だったのだが、今は『マキアート』という名前に変わっている。
自分がいなかった数年間で色々と人形たちにもあったのだろう。
「もう……3年か、早いものだ」
「本当よ、最初見つけた時は死んでるかと思ったわ。」
無事でよかったけど…、というマキアートの小さな呟き。
きっと色んな人に迷惑をかけただろう、他の人形達はどうしているのだろうか、そんなことを反芻することは少なくない。
今はもう大きな戦いに身を投じることはなく、ただこのカフェ・ズッケロで安寧の日々を過ごす。
せいぜいスプリングフィールドからたまに依頼されるもの以外ではもう指揮を執ることは無いだろう。
『指揮官』
それがこの男の昔呼ばれていた称号である。
もっとも本名ではなく、あだ名のように呼ばれていた。
グリフィンで過ごし、くだらない日々が今では懐かしい。
「珍しいな、そんなことを聞いてくるなんて」
「な…なによ、悪い?」
「そんなことない。まさか覚えてくれてるとは思わなくて…」
「覚えてたらいけないわけ!?」
彼女が椅子から立ち上がり、カウンターに前のめりになりながら大きな声を出して頬を赤らめている。
いつもの照れ隠しだろう。
こんなやり取りができる平穏もまた好きである。
マキアートは椅子に座り、少し頬を膨らませて視線を窓へ向ける。
カップを洗い終え、今日の業務は終了である。
時間としては16時。
かなり早い閉店であるが、まぁスプリングフィールドに怒られることはないだろう。
首元と腰に巻いてある紐を解いていき、エプロンを外しながら店の奥へと帰ろうと足を運ぶ。
「ねぇ」
帰ろうとした矢先、背後から彼女の声が聞こえる。
足を止め、其方に体を向けた後に「どうした?」と尋ねる。
しかし、彼女は答えない。
……さすがに珍しい。
マキアートがこうやって引き留めることは殆どない。
しかもまた彼女はしきりに髪を指に巻き付けたりしている。
ちらり、と此方を見ては視線が合う。
彼女の唇は強くきゅっと固く結ばれており、そして最後には「うぅぅ…」と唸っている。
……威嚇されてる?
「何もないなら…あがっちゃうけど」
「ま、待ちなさいよ!」
がたん、と音を立て、椅子から立ち上がって此方に近づいてくる。
マキアートは副店長の前に立つも、彼女の視線は床を映しており、両手は後ろで組んでいる。
10秒ほどだろうか、お互いの沈黙の時間が流れた後に彼女は両手を前に出してくる。
彼女の手の上には茶色の小さな箱。
んっ、と声を出しながら手を少し上にあげていき、まるでその箱を取れ、というようにな仕草。
その箱に手を伸ばし、受け取ると少し重みを感じる。
「開けていいか?」
「ん……」
こくっ、とマキアートは頷く。
箱の蓋に張られているテープをぺりぺり、と乾いた音を立てながら剥がしていく。
剥がしているテープが途中で横に逸れるように剥がれ、千切れてしまう。
早く中を見てみたいと内心、無意識に行動に出てしまったのだろうか。
爪で引っかきながらテープを剥がしていき、なんとか綺麗に剥がし終える。
指を箱の縁に押し込み、蓋を掻き出すようにして開けていく。
中に見えたのは『マグカップ』であった。
「石の上にも三年…ていう言葉があるでしょ。その…3年間こうやって無事に生きて……副店長として……やってきた…だから…」
「…だから?」
諺としてとくに何か耐えたわけでもないため、意味合いとしては違うがそれを突っ込むのは野暮だろう。そっと胸の中に秘めておく。
またマキアートは「……っぅぅ」と唸り、そして視線を1度、下に落としてはすぐに視線が合うように上げて
「……頑張ったご褒美!!それだけ!!深い意図とかそんなのないから!!」
彼女の頬は真っ赤になりながら此方に視線をまっすぐ向け、大きな声で放つ。
すぐに彼女は踵を返し、バーカウンターに立てかけてあるバイオリンケースを手に持ち、紐を肩にかけては早足で帰ろうとしてしまう。
「マキアート!」
彼女が裏の扉を開け、自分の寝室に帰ろうとするのを制止するように声を大きく上げる副店長。
彼女はその扉を開けたままぴたり、と金縛りにでもあったかのように止まる。
「ありがとう、嬉しいよ!…大事にするから、これ」
マキアートに対してお礼を告げる。
心からの本心のお礼。
今、彼女の顔はどうなっているのだろうか。真っ赤に染まっているのだろうか、それとも微笑んでいるのだろうか。
彼女は此方に顔を向けないまま「お礼なんて……いいからっ!」とまた声を張り上げ、そのまま奥の部屋へと向かってしまう。
扉がきぃ、と音を立てながら閉まっていく。
自分だけしかこの店の中はおらず、店内はピアノの演奏が流れている。
ピアノの音以外何も聞こえない。不思議と外で降っている雨の音も聞こえない。
自分が高揚しているのか、それともたまたま雨足が弱まっているのか、それは定かではない。
箱の中からそのマグカップを取り出す。
底が濃い茶色で塗られ、側面全体は白色のシンプルな色でまとまったもの。
男性用で少し大きめだろうか、カフェ・ズッケロで出しているものより大きい。
折角貰ったのだ、これで珈琲を淹れてみようじゃないか。
蛇口を捻り、マグカップの中をきゅっ、と音を立てながら軽く洗っていく。
乾いた布巾で拭いていき、エスプレッソマシンにセットをする。
マシンを操作すると、ぶぅぅぅ、という鈍く独特な音を鳴らしていき、こぽぽぽ、と焦げ茶色の液体がマグカップに注がれていく。
マグカップに注がれた
エスプレッソマシンからマグカップを取り、その中身を眺める。
焦げ茶色の液体が少し波打ちながら揺れており、その液体は鏡のように自分の顔を反射して映している。
このマグカップにふさわしい飲み物はなんだろうか。ただこのままエスプレッソを飲むのも良いがなんだかそれは相応しくない気がする。
理由もなく、ただそう思った。
彼女と同名であるマキアート。
「……なにやってんだか…」
独り言。
誰も聞こえず、ただ店内で1人立ち尽くして呟く男の姿。
プレゼントとして貰ったのがそんなに嬉しいのか、どうやら無意識に自分は舞い上がっているらしい。
――――――――――らしくない
自分を嘲笑うかのように鼻を少しだけ鳴らす。
その特別でもなんでもない普通のマキアートが入ったマグカップに口を近づけてゆっくりと飲んでいく。
口の中に広がるエスプレッソの苦みとフォームドミルクの甘み。
普段よりもその苦みと甘みがより強く感じた