セヴェリアンさんを出せる日は来るのか
先日の「ヴィジョンによる爆破事件」の裁判は、予定通りには進まなかった。
カンバス通りの訴訟代理人となったニコ達と被告人であるヴィジョンの代表パールマンを移送する飛行船が、何者かにハイジャックされる事件が起こったのだ。
事件自体は居合わせた邪兎屋が解決したらしいが、その混乱に乗じてパールマンが飛行船を奪って逃亡してしまったという。
治安局は逃げたパールマンを全力で捜索中と声明を出し、かくして裁判は延期を余儀なくされた。
あの時心配してくれたにも関わらず、俺が逃げるように置き去りにしてしまったセスには、後日謝罪を兼ねて食事を奢る形となった。
何があったのか再三訊ねられたが、個人的にショックな事があったけれど今は大丈夫、という嘘にはならない範囲で事実を伝えると渋々納得してくれたようだった。
「はあ……」
喫茶店「Coff Cafe」のテラス席で、対面でスマホをいじっていた「明けの明星」さんが小さく溜息を吐いた。
最近は新しい依頼を紹介してもらうだけでなく、ついでに一緒の時間を過ごす機会も少しずつ増えてきた。
俺に邪兎屋を紹介してくれたのは彼女であり、昨今の騒動に巻き込まれてしまった彼らに何か思うところがあるのだろうか。
「どうしたんですか?」
「実は最近、新しいプロキシを目に掛けているんだけど、それがすごい子でね……」
全然関係無かった。
「その新人さんがトラブルメーカーか何かなんですか?」
「いいや、その逆。どんな依頼でも完璧……いや、完璧以上にこなしちゃうんだよね」
聞くだけでは良い事に聞こえるが、そう単純な話ではないということは明らかだったため、あえて疑問は口にせず軽く相槌を打つことに留める。
「……私の依頼って、結構難しいでしょ?」
突如、わた……俺に問いかけてきた。
確かに「明けの明星」さんが持ってきてくれる依頼は、いつも俺の成長に合わせてくれているが、荷が重いと感じる事が多い。
依頼を途中で断念し、彼女にその損失を補填して貰った事も一度や二度では無い。
そう思って肯定すると、彼女は得意げに頷いた。
「私はお姉ちゃんとして、君たちが成長出来るような歯ごたえのある依頼を厳選しているの」
誤解はされないだろうが、「明けの明星」さんと俺は血縁などでは無い。
彼女は目をかけている新人プロキシ全てに無条件で手を貸し、身銭を切ってまで姉であろうとしているのだ。
……別に彼女の趣味というわけではなく、単に責任感の強い人なんだろう、多分。きっと。Maybe。
前に1度だけネタ的に「お姉ちゃん」と呼んだとき目を輝かせていたような気がするのも気のせいだろう。
「それで、あの子に紹介してあげるのに丁度いい難易度の依頼を探すのに苦労してるんだ」
プロキシにとって難しい依頼というのは、それだけ危険なものということだ。
内部構造が不安定なホロウの探索や緊急性の高いもの、依頼主そのものが危険人物な可能性すらある。
そんな中から「丁度いい」依頼を斡旋するというのは、その凄腕な新人だけではなく「明けの明星」さんにもリスクが生まれかねない事だろう。
「あんまり、無理はしないでくださいね?」
俺は彼女の身を案じてそう声をかける。
変わった人ではあるが、俺にとってはこの世界で出会った命の恩人の1人だ。
「それは出来ない相談かな。私はお姉ちゃんとして妥協する気は無いの」
そう答えた「明けの明星」さんの目は、いつも通りのおっとりとしたものではあったものの、確かな決意を秘めているように見えた。
「……というわけで雑談はこれまでにして、君の依頼の話をしよっか。"ツール・ド・インフェルノ"って聞いたことある?」
◆◇◆
──”郊外”
本来は都市の外縁部を指す言葉だが、「新エリー都の外側」という意味なら、この世界の大半が”郊外”と言えるだろう。
「あんたが都会から来たプロキシ? ふん、そんな弱っちいナリで役に立つのかい?」
そんな郊外で俺は今、目の前のネコのシリオンに問い詰められていた。
「えっと、私はエーテル適性が低いので一緒にホロウの中には入れないんですけど……ホロウデータは事前に頂いていたので、キャロットは作ってきました」
そう言って取り出したデータチップを、彼女は手早く俺の手から掠め取り、自身の端末に挿して確認を始める。
「ふーん、及第点ってとこだね。まあ、工場にパーツを買いに行くだけだし、多少粗悪でも問題無い」
マスクを付けたシリオンにバッサリと切り捨てられ、内心ガックリとする。
郊外のホロウデータなんて初めて解析したので、かなり苦労して作ったキャロットだったのだが……
「あの……プルクラさんもツール・ド・インフェルノに出るんですか?」
いたたまれなくなった俺が今回の依頼主──プルクラにそう訊ねると、彼女は目を細めて俺に視線を移した。
「なんでそんな事が気になるんだい?」
その声色には明らかに警戒が滲んでおり、慌てて弁明する。
「わ、私、郊外に来るの初めてで……丁度、ツール・ド・インフェルノ開催の話を聞いたので、今回の依頼のついでに観戦していこうかな〜と思ってまして!」
ツール・ド・インフェルノというのは郊外で数年に1度開かれる、一大レースの事らしい。
新エリー都と郊外の間には物流が存在しており、「走り屋」と呼ばれる運送業者がその任を担っているという。
その走り屋たちを束ねる連盟のトップ──”覇者”を決めるためのレースがツール・ド・インフェルノとのことだ。
「なるほど。期待してるところ悪いけど、私は出ないよ」
「そうなんですか、てっきり──」
そう言いながら俺は彼女が乗って来たバイクに目を向ける。
レースの目的地は、ホロウの中にある「シンダーグローレイク」と呼ばれる燃え上がる油田だ。
エーテルに侵食されて石油が結晶化してしまわないよう、「火打石」と呼ばれる着火剤を定期的に投げ込む事で”炎の湖”を維持しており、これもツール・ド・インフェルノを開催するもう1つの意義なのだという。
シリオンは、基本的にヒトよりもエーテル適性が高い。
故に、ホロウを突っ切るレースにプルクラは適役だと思ったのだが、彼女は首を横に振った。
「それはただの移動用。それ以外の何物でもないさ」
プルクラはこちらに顔を見せずに言う。
俺には彼女が覇者になれない事を悔しがっている……というよりも、レースそのものに興味が無いように見えた。
「そういえば……プルクラさんってどこの所属でしたっけ? せっかく観戦するなら、応援する走り屋を決めておきたいと思っていたんです」
俺が問いかけるとプルクラは、「ふっ」と鼻で笑った後に言った。
「……”カリュドーンの子”だよ」
それだけ答えると彼女は颯爽とバイクに跨り、砂煙と共にホロウへと向かっていった。
◆◇◆
ツール・ド・インフェルノ当日。
シンダーグローレイクの存在するホロウからほど近い、旧油田エリア。
レースのスタート地点であるその場所に建てられた観戦スタンドに、俺はやってきていた。
先日の依頼は無事に完了し、プルクラから報酬も支払われている。
ホロウから帰ってきた彼女の尻尾はわずかに焦げていたが、それについて尋ねても「なんでもない」の一点張りだった。
スタンドの入り口を見張っていると、見慣れた耳の生えた白髪が目に入った。
「あ、セス! こっちこっち!」
私がそう呼びかけると彼もこちらに気づき、階段を登って近づいてきた。
「悪い、遅くなった。任務を含めても郊外に来る機会なんて滅多になかったから、慣れてなくってな」
セスは私に頭を下げつつ隣に座る。
いつでも出動できるようにと、平日や休日関係なく制服を着ている事が多い彼だが、今日は珍しく私服だ。
数日前、ノックノックでツール・ド・インフェルノを観戦するという話をしたところ、丁度当日は丸一日非番とのことだったので、せっかくなら一緒に観戦しないかと私から誘ったのだった。
「私は前日から
「……あぁ、ありがとな」
セスは私の顔を見ながら答えるが、何か別のことに気を取られている様子だった。
「どうかした? 私の顔に何か付いてる?」
「いや、その……今日はせっかく休みなんだし、気を張らなくていいんだぞ?」
セスにそう言われるが、気を張ってなどいなかった
「あ、あー……そうだった。
その視線はほとんどが前方のコースに向けられているものの、確かに俺達の周囲には多くの観客がいたため、この小さな嘘にセスが気づくことは無かった。
『テレビの前にラジオの前、それに会場にいる熱き燃料バカたち~!』
スタンド内に響き渡る大きな声。
電光掲示板を見れば、マイクを持った女性の姿が大写しになっていた。
『みんな大好きジョリー・ジョニーだよー!』
女性──ジョリー・ジョニーが名乗ると、観客達から歓声が上がる。
新エリー都ではテレビなどで見た記憶は無いが、郊外では有名な人だったりするんだろうか。
『30年前か40年前、はたまた50年前……』
「ねえセス、あの人知ってる?」
ツール・ド・インフェルノの来歴を話すジョリーを横目に、俺は隣のセスに問いかける。
「いや、オレはああいうのに詳しく無いからな……知ってるのなんてアストラとかモニカぐらいだ」
「それはわた……俺でも知ってる」
俺は笑いながら返す。
セスが彼女の事を知らなくて安心……じゃなくて、親近感を覚えた。
『──しかもなんと今年の中継、ホロウにはつきものの宿命……内外の通信遅延がわずか10分!ストレスフリーでさらば鬱憤!』
再び会場の音に耳を傾けると、プロキシとしては気になる話をしていた。
俺がホロウ内の相手と連絡を取るには30分以上ラグが生まれる上に、映像どころか数行のメッセージを送るので精一杯だ。
「へぇーすごい。HIAが協賛でもしてるのかな」
HIA──ホロウ調査協会はホロウ災害の対策を目的とする公的機関で、ホロウ研究の最前線の二大巨頭のうちの1つでもある。
もう1つの最前線はTOPSと呼ばれる民間の巨大企業の集団だが、エーテル燃料の普及を広める大企業にとって、石油という時代遅れな
違う世界で生きていた経験のある俺としては、ホロウから産出されるエーテル燃料にほぼ依存している現状もヤバいと思うのだが……
「キミは、ホロウに興味があるのか?」
何気なく出た呟きに、セスが問いかけてきた。
……まずい、気が緩みすぎていたかもしれない。
「え、えーと……その、前にHIAセンターでVR体験をしたことがあって」
「あの、エーテリアスと戦うやつか!?」
咄嗟の言い訳だが、嘘では無い。エーテル適性を測るためにルミナスクエアに行った際に、VRのテストを体験させてもらった事があったのだ。
……エーテル適性もVRテストも、結果は散々なものではあったが。
「身体が思うように動かなくて全然ダメだったけどな。普段からもうちょい鍛えとけば違ったかなーなんて……」
言いながらセスの方を見ると、意地を張る子供を見守るような目をしていた。
俺を傷つけないよう気づいていないフリをしているのがバレバレで、逆に恥ずかしくなってくる。
「あーもう! 本当は怖くて足が竦んで全然動けなかっただけだよ! 普段本物と戦う事もあるセスからしたら、なんてことないかもしれないけどな!」
「いや、あのVRはオレも体験したことあるが、かなりリアルだと思ったぞ? ……それに、キミはオレが守るべき市民だ。戦いはオレに任せて、キミはキミができる事をすればいい」
恥ずかしさを紛らわすためとはいえ、自分でもひどい八つ当たりをしたと思っていたのに、セスに満点の返しをされ、かえって頬が熱くなる。
『──挑戦者「カリュドーンの子」:シーザー、ルーシー、ライト!』
その時会場に流れる音声から、聞き覚えのある単語が聞こえた。
つい先日プルクラさんから聞いたチームの名前だが、やはり彼女はレースに出場していない。
とはいえ、無事にカリュドーンの子は「火打石」を手に入れ、現"覇者"に挑む権利を掴んだようだ。
『ルールはシンプル。ホロウへダイブ! 火の湖にダッシュ! 火打石で忌々しいエーテル結晶をクラッシュ! 先に儀式をやり遂げた猛者が、すなわち次の覇者だ!』
ジョリー・ジョニーがレースの流れを簡潔に説明する。
「シーザー、やっちゃってー!」
セスとは反対側、俺の隣に座っていた女性が立ち上がって手すりから身を乗り出し、ボンプを抱えたカリュドーンの子のメンバーに声援を贈っていた。
丈の短いレザージャケットに、これまた短いスカート。後ろ姿に金髪のツーサイドアップが揺れている。
「もしかして『カリュドーンの子』の人ですか?」
「んー? キミはー?」
思わず声をかけると女性は振り返り、かけていたオーバーサイズなサングラスを額まで押し上げると、目をパチパチさせながら俺を見た。
「あ、その……プルクラさんから聞いてないですか?」
「プルにゃんの友達?」
プルにゃん……と聞いてプルクラさんの事を指しているのだと気付くのに、僅かに時間がかかった。確かにネコのシリオンではあるが、あの強気な印象とは瞬時に結びつかなかったのだ。
とはいえ、こんな親密
しかし、俺のことは彼女から聞いてない様子。彼女が俺を雇ったのは個人的なものだったという事だろうか。
「ええっと、友達……というか……」
一緒に仕事した仲と言いたかったが、不思議そうに俺を見るセスを背後に言い淀む。
「……はい、友達です」
今度会ったらプルクラさんに謝ろう。
「そうだったんだー! プルにゃんの友達なら、私の友達だよね!」
「え? いや……そう、かも?」
ハイテンションな女性の飛躍した発想に戸惑っていると、両脇に手を差し込まれ、ひょいと持ち上げられる。
「かわいー! 私、バーニス! キミの名前は?」
「えっと、私は……」
『さあ、両者位置について──』
俺が名乗ろうとした時、いつの間にかレース開始直前のアナウンスが始まっている事に気づく。
「あっ! 始まりますよ!」
『ツール・ド・インフェルノ、レーススタート!』
鎖を解かれたように、合図と同時に6台のバイクが轟音と共に一斉に走り始める。
「おぉ〜……」
奇しくもバーニスに持ち上げられていた俺は、スタートの様子を特等席で見ることが出来たのだった。
当のバーニスはコースに背を向けた体勢であり、その瞬間を見事に見逃した。
「あぁー! ルーシーとライトも頑張ってねー!」
俺を降ろして慌ててカリュドーンの子の残りのメンバーの背中に声をかけるバーニス。
砂煙を上げながらスタンドから離れていき、2つのチームが分かれ道でそれぞれ別の方向へと進んでいく。
『両チーム一歩も譲らず分岐点をマッハで突っ切る! 次はホロウの中が舞台!火花散らす展開に乞うご期待!』
ジョリーのリポート共に走り屋達は肉眼では見えなくなり、設置された大型モニターにドローンからの映像が映し出される。
そこにはバイクに跨った参加者が、次々とホロウに突っ込んでいく様子が中継されていた。
バーニスから解放されてセスの隣に戻ってくると、彼はそわそわと落ち着かない様子だった。
「セス、どうしたの?」
「彼等は新エリー都市民ではないから、ホロウの出入りに関する法が適用されないというのは理解してるんだが……一般人がホロウに入るのを見るのを眺めているだけなのは、なんだかムズムズしてな」
そう言われて、俺は彼等がホロウに入る事に何の違和感も持っていなかった事に気付かされた。
普段からプロキシとしてエージェントがホロウに入るのを見送って来たが、彼等は市民IDを持った新エリー都市民だ。
「……優しいね、セスは」
そんな彼等をホロウへ入る手助けをするプロキシをやっている事、結果はどうあれ邪兎屋を一度見捨てようとした事、2つの意味で後ろめたさを感じた俺はそう返すことしか出来なかった。
気まずさから用意していたドリンクをストローで飲みながら、会場の大型モニターを眺める。
しかしホロウ内にはエーテリアスもおらず、チームごとに分かれたコースでは走り屋同士のデッドヒートなどが起こる様子もなく、思ったよりもレースは単調に見えた。
そんな時、隣にいたバーニスから携帯のコール音が鳴る。
「あっ、プロキシちゃん! どうしたの? 急に電話してきて」
自分の事ではないというのは瞬時に分かったのだが、応答したバーニスからいきなり聞こえて来た単語に思わずむせてしまった。
しかしながらスタンドの喧騒とむせた俺に気を取られたのか、幸運な事にバーニスの言葉にセスは反応を示さなかった。
「だ、大丈夫か?」
「ごめん、ジュースが変な所に入っちゃって……」
「今日のホロウは順調そうだねぇ! パッと見、戦わなきゃいけない感じでもなさそうだし」
バーニスの会話を聞いていた俺は耳を疑う。バーニスはホロウの中に居る選手と通話している?
だが、そんな事はあり得ない。ホロウ内にいる相手とリアルタイムで会話する技術など、HIAやTOPSにも無い。唯一可能なのは……
『別に隠してるワケじゃないけど……あたしは今急いでるんだ。詳しい話は「パエトーン」に聞いてくれ!』
その時唐突に、俺の脳内に猫又の言葉がフラッシュバックした。
あの時は色々な感情で混乱しており気にする余裕が無かったが、確かに彼女は「パエトーン」と言っていた。
そしてあの時彼女が抱えていたスカーフを巻いたボンプは、先程レース前にバーニスが声を掛けていたシーザーという女性が抱えていたものと酷似していた……ような気がする。
「ねぇねぇ待ってよー! そっちでなんの話してるの? なんか大変なことがあったって感じだけど、さっぱり分かんなかったよ!」
バーニスの困惑した声が、何かを閃きかけていた俺の思考を中断させた。
ホロウの中で何かが起こったのだろうか。
しかしモニターに映し出される中継の映像では、何の問題も……
「ん? この映像、さっきも見たような……」
隣に居たセスも、同じタイミングで違和感に気づいた様子だった。
実況を務めていたジョリー・ジョニーも、見覚えのあるコースを再び走る選手の姿に戸惑いを見せ始める。
会場の様子が、歓声から困惑のざわめきへと変わっていく。
「……すまん、ちょっと席を外す」
そう詫びを入れて立ち上がろうとするセスに、
「私も行く」
「いや、その……これは、お手洗いに行くとかじゃなくてだな」
「分かってる。
セスは自身の意図を言い当てられ、目を見開く。
私も人のことを言えないけど、隠し事が苦手だというのがよく分かる。
「さっきこの会場のマップを見たから、案内できるよ。地図を読み解くのは得意なの」
──プロキシだから。
この隠し事だけは、知られるわけにはいかないけれど。
「私にできる事を、やらせて」
自分でもずるい言い方だと思うけれど、自身の言葉を引用された彼は渋々頷くしかないといった様子だった。
「……分かった。オレの傍を離れるなよ」
スタッフオンリーな範囲に足を踏み入れている事を加味しても、操作室に近づくにつれて妙に人気が無くなっていく。
「確か、あそこのはず」
そう言って操作室の扉を指差すと、それまで先行していた私を背後に隠すようにセスが前に出る。
「ここで待っていてくれ」
振り返って私に告げたあと、セスは音を立てずに扉へと近づいていく。
セスが強い事は知っている。しかし今日は普段持っている盾や特殊警棒はおろか、プロテクターも着けていない。
万が一の事が無いか心配になるが、今の私にできる事は祈ることだけだった。
そっと扉を開け、セスが操作室へと入っていく。
「な、何だお前──ぐぁっ!」
「いつの間に──うっ!」
「野郎、許さね──あっ」
罵声と断末魔、それに殴打音が響いた後、静寂が訪れた。
半開きの扉を穴が空くほど見つめていると、その隙間からセスが顔を出した。
「もう大丈夫だ」
セスの合図に従い、
中に入ると、セスが拘束されていたスタッフを解放しているところだった。
「オレは治安局の者です。ここで何があったか教えてもらえますか」
「ありがとう……! レースが始まってすぐに、アイツ等が侵入してきたんだ」
スタッフはそう言って部屋の端で伸びている男達を指す。
その服装は白いタンクトップに作業着のようなズボン、加えてヘルメットや機械仕掛けの籠手で武装しており、顔に堅気とは思えない古傷のある者もいた。
セスは彼等を武装解除していき、スタッフを縛っていた何かしらの電源ケーブルで逆にぐるぐる巻きにしてしまった。
「俺を脅して、レース中継の映像をループさせろとだけ指示されたが、アイツ等も誰かの指示で動いているみたいだった」
「今、実際の中継はどうなっているんですか?」
私が訊ねると、スタッフはハッとしたように操作端末へと駆け寄る。
「待っててくれ、今──」
室内にある確認用のモニターが幾度も繰り返されていた映像から切り替わる。
そこに映し出されたのは、中継用のドローンが破壊された事を示すホワイトノイズ。
「いったい、何が……」
現"覇者"ポンペイが、彼のチーム「トライアンフ」のナンバーツー、ルシウスによって殺害されたという情報が入ってきたのは、それからしばらく経っての事だった。
◆◇◆
──3日後。
「セス、忘れ物は無い?」
「ああ。……ってセリフ逆じゃないか?」
運転席に座ったセスがツッコミを入れる。
あの後、会場へと戻ってきた「カリュドーンの子」の選手と彼等が所有するボンプの視界映像によって、真相が明らかとなった。
ルシウスは都市の企業と結託し「トライアンフ」、そして郊外そのものを裏切った。
ポンペイの持つ「火打石」に細工をし、着火剤という本来の役割とは真逆のエーテル活性を高める代物とすり替えられていたのである。
ルシウスの部下モルスによる妨害を受け、遅れてシンダーグローレイクに辿り着いた「カリュドーンの子」の目の前で、ルシウスに致命傷を負わされたポンペイはエーテリアスへと変異してしまった。
変異した彼を退けた後、カリュドーンの子の首領、シーザーがその身を犠牲に「火打石」をエーテル結晶の僅かな隙間から投げ込み、”炎の湖”の消失を阻止した。
ホロウ内ということもあり、空間構造の乱れによって奇跡的に生還したシーザーは、現状は「覇者代理」として事態の収拾にあたっているという。
セスが捕らえた侵入者も、ルシウスに金で雇われただけの傭兵で、彼が何処へ逃亡したか、背後に誰が居たかなどについては何も知らなかった。
ともかくセスが呼んだ応援の治安官から事情聴取を受けたり、捕らえた傭兵の押送を見届け、ようやく都市へと帰る日がやってきた。
私だけ先に帰っても良かったのだが、行きはヒッチハイクで来たとセスに話すと帰りは送らせてほしいと提案され、私もそれを了承した。
「はぁ……」
「どうしたんだ?」
車窓から景色を眺めていた私が溜息を吐くと、セスが心配そうに声を掛けてきた。
「あぁいや、これは悩み事があるとかじゃなくて、良い溜息」
振り向いて慌てて誤解を解きつつも「まぁ疲れは、ちょっとあるかもだけど」と補足して続ける。
「なんというか、感慨深い感じがして」
「感慨深い?」
相槌を打つセスが進行方向から視線を逸らすことは無かったが、その耳は可能な限りこちらの方に向けられていた。
「別に大したことはしてないけど、セスの役に立てたのは初めてだったから」
これまでセスには物理的にも精神的にも助けられて来た。
しかし、私が支払った対価は自然体でいるという事だけであり、それもセスが提案してくれたものである。
「セスは周りに自然体で居てほしいって言うけど、セス自身はいつも自分を犠牲にしてる」
「オレは別に、そんなつもり無いんだが……」
言いながらセスは一瞬片手をハンドルから離し、頭を搔く。
それを見た私はあの日スタンドでそわそわしていた彼を思い出し、静かに笑う。
「そうかも。セスにとっては自分の正義感に従うのが自然体なんだよね」
彼は私に貸しを作ったつもりなんて無い。私がプロキシという負い目を感じているからこそ、何か埋め合わせをしなければという気になっているのかもしれない。
「じゃあ……私が勝手に色々貰った気になってたから、少しでも返せた気がして嬉しかった。それだけってことで」
そこまで言ってなんだか照れ臭くなり、再び窓の外を見る。
「キミはオレと──」
「……ん?」
セスが何か言いかけた瞬間、窓の外を一瞬黒い影が横切った。
「ねえセス、今何かが追い越して行かなかった? なんか耳が大きいシリオン……みたいなやつ」
「スマン、対向車が来ていてそっちを見ていた。……だが、今走ってるのはハイウェイだぞ?」
よくよく考えてみれば確かに見間違いかもしれない。
いかに身体能力の高いシリオンといえども、時速100km近い車を追い越すなど不可能だろう。
──それこそ、「虚狩り」でもない限り。
◇◆◇
──新エリー都に比較的近い郊外のガソリンスタンド。
ガソリンスタンドという名称はもはや旧文明の名残り。今は都市の車も燃料を補給できるよう、充電設備も備わっている。
しかしながらそんなスタンドでガソリンを補給している猫のシリオンが居た。
傭兵プルクラは「トライアンフ」に雇われツール・ド・インフェルノの数日前から「カリュドーンの子」に対し妨害工作を仕掛けていたが、バーニス達に敗北し手を引く事を約束していた。
結果的に早めに退いた彼女は、当日のいざこざに巻き込まれることなく難を逃れたのであった。
そこへ1台の車がやってくる。
運転席にはプルクラとはやや異なるネコのシリオンの青年。
助手席にはプルクラの記憶に新しい、プロキシの少女の姿があった。
少女はプルクラと目が合うと一瞬気まずそうな表情を浮かべたが、運転手の青年が車を充電する準備を始めると、その間に彼女はプルクラの方へと近づいて来た。
「あの、お久しぶり……ってほどでもないですね」
「なんだい?」
彼女にプルクラは自身が「カリュドーンの子」だと嘘を吐いていた。
後々それは嘘から出た真になるのだが、それはまた別の話。
「あの、実は謝りたい事があって……」
しかしこの場で嘘を吐いていたのは、プルクラだけではなかった。
「あの、バーニスさんに私が貴女の友達だと言ってしまって……」
「……ハァ?」
──疑問符だらけのプルクラに、少女は事情を説明した。
「つまりアンタは、あそこにいる治安官の"お友達"にプロキシだとバレないためにそんな嘘を吐いたワケかい」
「すみません。でも、し、静かにお願いします……」
少女はチラチラと遠くの背後に居る青年に視線を向ける。
「……フン、まあいいさ。そろそろ行くんだろ?」
プルクラはどうでもいいといった様子で言う。
「あ、ありがとうございます! このお詫びは、またどこかちゃんとした形で……」
そう言って少女は充電を終えた青年の車に乗り、新エリー都ヘと帰っていった。
「友達……ねぇ」
プルクラは少女が青年について話す時の表情を思い出し、猜疑の表情を浮かべた。