コロッセウム。
剣闘士の戦いや、騎士の訓練に用いられる円形闘技場に観客が詰めかけている。
半分はアカデミーの生徒。
そして、もう半分はアレクサンダー王が呼び集めた戦場経験者の騎士達であった。
「どちらが勝つと思う?」
「シュテファン様に決まっているじゃない」
アカデミーの女子生徒がそう囁きあっている。
まだコロッセウム中央の壇上には誰も立っておらず、特別席にはアレクサンダー王がいる。
アカデミーの愚民教育を受けた、如何にも軽薄で阿呆そうな女子の声が不快であったために、眉を顰める。
その横には警護の一人としてクラウスが帯剣をし、周囲を見張っている。
「どちらが勝つと思う?」
王は問うた。
クラウスは答えた。
「アルバンは、黒騎士殿が勝つと断言しておりましたが――単純な剣技だけであればシュテファンであろうかと」
「そうあって欲しくはないが、最悪の場合を考えて行動しなければならぬ。希望的観測は許されぬ」
王は呻いた。
いくつか、策は講じている。
別に、初戦で黒騎士ヨルダンが負けたところで、リカバリーはできる。
たった一つの敗北が、決闘裁判における決定的な敗北には至らぬ。
だが、当然のことだが勝ってくれた方が都合が良い。
黒騎士ヨルダンの勝利こそが、王の心を満たしてくれる。
「私の決闘裁判における開催演説は――必要ないか?」
「出張らないほうがよろしいでしょう。もし存在を主張すれば、勝利者にお褒めの言葉などをやらなければなりません」
「それがもしシュテファンであれば、気に食わぬな。考えるだけでも虫唾が走る」
死ぬべきである。
シュテファンは特に惨たらしく死ぬべきであった。
第二王子の歳費を都合よく用いて、蓄財している拝金主義者。
それはアルバンから「ロバの耳」を通して、よくよく聞いている。
ちなみに、アルバンは第二王子の歳費を用いて「ロバの耳」の活動資金の一部を補填していた。
愚かなるアーデルベルトは、その使途不明金に気づいてなどいないが。
「では、仕切りは私ではなく司教に? 今からでも、コロッセウムの壇上に上がってもらうか?」
「その必要もないでしょう。教会の仕切りが必要なのは前宣誓と、最後の裁定だけ。勝敗を判断するジャッジさえもいりません。この試合はファーストブラッドではなく、デッド・オア・アライブです。敗北を察したなれば、それを本人自ら、あるいは代表者が訴えねばなりません」
「つまり、この試合であれば決闘者本人であるシュテファンかヨルダン。あるいは代表者である愚図のアーデルベルトか、誇り高きドミニクか」
その通りです、と。
クラウスが指を指す必要もなく、やがてコロッセウムの入場口から互いの代表者が出てきた。
東側、ドミニクと補佐役の紋章官。
西側、アーデルベルトと補佐役のアルバンである。
それ以外の人間は入場口にて待機しているようであった。
「それでは決闘裁判を始める。準備の方はよろしいか?」
アルバンが声を張り上げて、ドミニクに尋ねた。
ドミニクも答えた。
「問題ない。ルールの再確認の必要もないな?」
さっさと始めようと言いたげにドミニクは話を終わらせようとするが――アルバンがそれを止める。
「こちらにもない。だが、コロッセウムの観客には知ってもらう必要があるだろう。誰もが裁判経験者というわけではあるまい。こちらが観客に宣言してもよかろうか? 許可を得たい」
アルバンが、丁寧に尋ねた。
ドミニクはその丁寧さのあまりに「何故これほどの男がアーデルベルトの側近などを?」と不思議に思ったが、仮にも第二王子の側近である以上は、これぐらいの男はいるだろうと考えた。
特に異存もない。
「こちらも構わぬ。大いに宣言してくれ」
「礼を言う」
アルバンが許可を得て、コロッセウムの壇上にて観客に向かって叫んだ。
コロッセウム中に響き渡る声であった。
「今から観客にルールを説明する!」
アカデミーの女子生徒は、美形にしてアカデミー最優等生であるアルバンに黄色い声を上げるだけの阿呆であったが。
アルバンのそれはよく通る声であり、これが戦場であれば指揮官としての素養があると看做されたであろう。
ほう、と観客の内、戦場経験者の騎士達はアルバンの声質に興味を持ったようだった。
「ルールはデッド・オア・アライブ(生死問わず)! 審判はいない! 決闘者である本人が自ら敗北を認めるか、互いの代表者であるアーデルベルト様か、ドミニク卿が敗北を認めて決闘中止を訴えるまで、試合は継続される。禁じ手もなければ、武器の指定もない。この決闘において、あれが卑怯だった、足を使うのは反則であったなどと、後々のふざけた言い訳も認めぬ! この決闘裁判は剣術大会などではない。戦場と同様であると言っておく!」
事実上のルール無しだ。
だから、黒騎士にも当然勝ち目がある。
ファーストブラッドがルールでは、シュテファンに対する勝ち目など皆無であったろうが。
アレクサンダーはそう判断している。
「但し、騎士としての正々堂々とした振る舞いに沿う限りと言っておく。当たり前だが、刃に毒を塗るようなことだけは許されておらぬ! 神判に恥じぬ、純然たる実力勝負こそが決闘裁判における大前提である!!」
何故、そんな当然の事を口にする?
騎士としての決闘である以上は、当然ではないか。
暗殺者ではあるまいし。
アレクサンダーはそう思ったが、アーデルベルトは馬鹿だから、刃に毒を塗る可能性もあった。
アルバンが公衆の面前にて、大きな声で事前に警告しておく必要が確かに存在した。
舌打ちをする。
どこまで愚図なのだアイツは。
「ドミニク卿! 以上、私の発言に抜けがあれば申し出を受ける! 如何に!!」
「遺漏無し!」
アルバンは威勢よく叫び、観客の全てにルールを周知させて。
ドミニクは問題なしと答えた。
全ての内容を、誰もが理解したところで。
「それでは、先鋒試合を始めさせていただく! 当方は剣士シュテファンを選出する!!」
「始めよう。当方は黒騎士ヨルダンを選出する!!」
お互いが叫びあい、先鋒の名を叫んだ。
ドミニクと紋章官。
そしてアルバンとアーデルベルトも壇上から降り、入場口から互いの決闘者が現れるのを待つ。
まず、西側の入場口から剣士シュテファンが現れた。
「さっさとドブネズミ狩りを終わらせるか」
そう呟きながら、姿を見せる。
板金鎧(プレートアーマー)の姿であった。
贅を凝らして――厳密にはアーデルベルトの歳費から出させた甲冑にて、総身を包んでいる。
手にしている剣、ロングソードも見事なものである。
確かな剣匠が作ったのであろうと一目でわかる剣である。
粗末な鎧ならば、切り裂けるほどの剣であった。
例えば――貧しい黒騎士が着用しているような粗末な鉄鎧だ。
「シュテファン様ーー!」
「こちらに手を振ってくださいーー!」
シュテファンが、観客席に向かって手を振る。
まるで何かのショーを演じる前の吟遊詩人であるかのように。
アレクサンダーは、如何にも不快であると、可能ならばあの餓鬼どもを縊り殺してやりたい、そう言いたげに見ている。
軽薄である。
貴族でありながら、あのように軽薄な言葉を命懸けの決闘者に投げかけることのできる女。
それに応えるシュテファンの人間性も知れたもの。
両方をアレクサンダーは憎んでいた。
クラウスも、如何にも馬鹿馬鹿しそうにアカデミーの女子生徒を見ている。
だが、しかし――
「シュテファン側に、ぬかりはないか。多少は舐めてくれた方が有り難かったが」
「はい、剣才だけは本物です。決闘に当たっての必要な準備も」
シュテファンの剣才は本物。
そして、アーデルベルトの歳費から吐き出させた金銭により出来た武装も、誠に見事なものであった。
公爵家嫡男であるクラウスが装備しているものと、品質はそう変わらぬ。
王は舌打ちした。
「黒騎士に予算をくれてやるべきであった。勝負に不利が無いようにと」
「それをすれば、黒騎士殿の誇りを傷つけることになりますが。よろしかったので?」
「よろしいわけあるか。だから、やらなかったんだろうが」
王とクラウスが、どうにもならぬ愚痴を吐いている間に。
ゆっくりと、東側の入場口から黒騎士ヨルダンが現れた。
彼にとっては、いつもの戦場姿である。
その楯の、かつては仕えていた主君の紋章は使用できず、黒く塗りつぶされている。
木製のラウンドシールドであった。
補強として縁に金属の輪をはめるのが普通のラウンドシールドであるが、黒騎士のそれは安物。
完全にただの木製であった。
甲冑だが、これも酷い。
甲冑の手入れにも事欠く有様で、錆止めをかねて甲冑を黒く塗っているそのまま。
年季の入っている、と言えば聞こえは良いが、一世代どころか二世代は型落ちの安物鎧である。
鍛冶屋に持ち込んだところで、鋳潰す手間を考えれば鉄屑の値段になるのかさえ怪しかった。
武器も、剣ですらない。
柄の長いモーニングスター(棘付きメイス)である。
「なあに、あれ」
「シュテファン様の装備と違って見苦しいわ」
アカデミーの女子生徒は嘲笑した。
下品な笑い声さえも聞こえている。
対して――観客の半分を占める、戦場経験者の騎士は笑わない。
むしろ、なんとなく「黒騎士」の狙っていることは理解できた。
「悪い装備ではないな」
「はい」
アレクサンダーと、クラウスもまた笑わなかった。
黒騎士ヨルダンの味方だからではない。
彼の意図を理解したからだ。
黒騎士は元々、ロングソードを使っているはずである。
だが、七騎士の誰かから借りた――おそらく「処刑人」から借り受けたモーニングスターを手に携えている。
ならば、盾だってもう少しマシな物を借り受けることが出来たであろう。
あの完全に木製のラウンドシールドは意図的な物だ。
黒騎士は黒騎士で、彼に思いつく出来る限りの万全な態勢を整えたのだ。
「一撃必殺狙いか」
「おそらくは」
シュテファンの着用している板金鎧に、黒騎士の数打ちのロングソードでは刃が通らぬ。
なれば殴打用の武器である。
武器の先に重量のある、本気で振り回して頭部に当てれば昏倒を狙える武器を選択すべきであった。
そして、ラウンドシールドが縁に補強の無い木製なのも――
「意図は判る。そう上手くいくものか?」
アレクサンダーは心配した。
黒騎士のやりたいことを完全に理解した上での心配であった。
「黒騎士殿は経験豊富です。何度も戦場にて実行したことがあるのでは?」
「だが、そうそう通じる技でもあるまい。シュテファンとて、黒騎士の狙いぐらいわかろう」
「王様、シュテファンは――戦場未経験者ですよ。何も知りません」
クラウスはそう馬鹿にするように吐き捨てて、王に直言した。
「木剣の約束組手ぐらいしか経験がないのです」
「ならば、可能性はあるか」
黒騎士ヨルダンが勝利する可能性。
それは未だに低かった。
但し、ゼロではない。
そう信じて、アレクサンダーは神に祈ることにした。
清き者の腕に勇士の力を与え、偽れる者の強力を萎えさせよ。
黒騎士ヨルダンに勝利を与えよと。