第14話 Don't make me laugh, female pig
ザクセン王国宮殿。
登城権を持つ騎士でさえ容易に踏み込めない場所に、一人の騎士が招かれている。
招いたのは王妃テレージア。
招かれたのは、第一王太子親衛隊の隊長ディートリヒ。
雑兵283名、騎士142名。
戦場にてそれだけの首級を挙げた個人戦功を誇る、間違いなくザクセン王国で一番の大英傑である。
王都のトーナメントにおいても、ジョスト(一騎打ち)、トゥルネイ(団体戦)問わず、何度も優勝している。
誰もが彼を、王国で一番強い騎士であると認めていた
「紅茶と菓子はいかがかしら?」
「あいにくと甘いものは苦手でして。お気遣いなく」
王妃からの、アフタヌーンティーの誘い。
それをディートリヒは受けた。
但し、受けたくて受けたのではない。
アレクサンダー王の王命でなければ、誰が受けるものか。
出された茶菓子など口にしたいわけがない。
ディートリヒは紅茶に唾でも吐き捨てたい嫌悪を抑えながら、にこやかな笑みを浮かべた。
表面上だけは。
「そう。ならば無理にとはいわないけれど。今日招いたのは他でもない、アーデルベルトのことで相談があって」
「はい」
あの愚図がどうかしたのか?
ようやく自分の愚かさを悟って、自害でもしてくれるのか?
そんな期待を寄せたいところだが、望むだけ無駄である。
「知っての通り、アーデルベルトが決闘裁判を挑まれているわ」
「はあ」
もちろん知っている。
戦場の匂いを知り尽くした、素晴らしく誇るべき七人の騎士たちが集まって。
あの無知蒙昧な第二王子に対し、イザベラ嬢の名誉を守るために決闘裁判を挑んだのだ。
本当に素晴らしいことである。
高貴な女性の危機を救うために神に使わされた騎士が白鳥に曳かれて登場し、高貴なる女性を救う。
これこそ騎士の本懐である。
騎士としてはまさに誇るべきことであり、もし自分がその場にいれば、同様に手を上げたであろう。
アッカーマン辺境伯とは私も戦友である。
参加条件たる妻女がいないことにも合致しているのだから、共に戦う権利があった。
自分がパーティーに参加していなかったことが、これほど口惜しいと思ったことはない。
可能であれば、今からでもドミニク卿に合力したいぐらいであったが――
名乗りを上げた7人の騎士の名誉を穢すわけにはいかん。
代役を求められればもちろん喜んで参加するが、その目はないだろうと思えた。
「アーデルベルトの婚約者となった、何の罪もないローゼマリー嬢を貶めた。そんな下品なイザベラ嬢の名誉を守るための裁判よ。笑わせるわ」
こちらこそ、あまり笑わせるなよ。
イザベラ嬢の貞淑さ、尊さ、毅然さは誰もが知っている。
自分も何度かお会いしたことがあるのだ。
可憐な少女であった。
可能なれば、自分が妻に迎えたいぐらいであった。
決闘裁判に参加さえしていれば、本当に結婚できるかはさておいて、プロポーズを申し込む権利ぐらいは貰えたかもしれない。
それを考えれば、あまりにも惜しいことをした。
こちらにはアカデミーに入学している妹がいる。
我が妹は随分と「マトモ」なので、アカデミーの現状批判をよく口にしている。
ローゼマリー嬢がアカデミー内で、男をとっかえひっかえしている淫売であることは承知済みだ。
知らないのはアーデルベルトぐらいであろう。
「そろそろ本題に入りましょうか。今日呼んだのは他でもない、ザクセン王国の大英傑たる貴方の力を借り受けたい。決闘裁判に、アーデルベルト側で参加して欲しいのよ」
嫌に決まっているだろう。
何が悲しくて、あの愚図の下になど仕えねばならんのだ。
一時的にすら御免である。
主君には配下を選ぶ権利があるが、騎士にもまた主君を選ぶ権利があるのだ。
「貴方にはザクセン王国の騎士として、アーデルベルトを支える義務があるわ」
そんな義務あるわけないだろ。
私の主君はアレクサンダー王であり、そして職務はアルミン王太子の親衛隊である。
王妃如きの命令を受ける謂れはない。
そう口にしそうになったが、黙っている。
ただニコニコと笑っていることにした。
アレクサンダー王に王命を受けているのだ。
王妃の勧誘において、無駄な時間を使わせろと。
出来る限り期待させるだけ期待させておいて、時間を引き延ばして。
決闘裁判直前で断れと言われている。
遅延工作の命令である。
非常に難しい命令であった。
これならば、アーデルベルトの暗殺を密かに命じられた方がマシである。
あの愚図を殺すことは、王国の利益に繋がるからだ。
尤も、暗殺は騎士として恥ずべきことであるから――やはりアレクサンダー王は命じないであろうが。
アルミン王太子の命令なら別であった。
いつでも自分の英雄の立場や、騎士としての誇りも平然とかなぐり捨てられた。
アルミン様はもうすぐ儚くなってしまわれる。
三ヵ月も持たないだろう。
その頼みとあらば、実行に移すことが出来た。
月が欲しいと言われれば月を探して。
太陽が欲しいと言われれば太陽を求める、不可能なことに対しての努力をすることが出来た。
アーデルベルトの首ぐらい、用意して差し支えないのだ。
「ねえ、ディートリヒ卿。貴方にとっても悪くない話ではなくてよ」
明確に悪い話である。
アーデルベルトの下に付くぐらいなら、死んだ方がマシであった。
「はあ、具体的にはどのように?」
だが、これは王命である。
仕方なくも話を続ける。
「貴方にアーデルベルトの、将来の親衛隊長の地位を用意してあげられるわ。悪い話ではないでしょう」
非常に悪い話である。
何のメリットもない話であった。
確かに、アルミン王太子の死後は第一王太子親衛隊の解体が予定されている。
第三王子、あるいは第四王子が新たな王太子となるからだ。
この場合、そのまま環境を移行するわけにはいかない。
第三王子にも、第四王子にも、以前からの側近がいる。
糟糠の妻という表現は些か不似合いかもしれないが、王太子の目などない頃から仕えている側近たちである。
当然の事であるが、彼らにも王太子の側近として相応しい待遇を与えてしかるべきである。
側近が親衛隊の隊長に選ばれ、ディートリヒの役職が奪われる可能性も当然にあった。
だが、別に良い。
もう良いのだ。
「誠に有り難いお話ですね」
虚偽を吐く。
何も有り難い話ではない。
ディートリヒは、別に次の王太子の親衛隊隊長に選ばれずとも納得するつもりであった。
その理由は――
「ですが、私は未だにアルミン王太子の親衛隊隊長。立場という物もありますので、難しいところがありますな」
私の肩を剣で叩いたのは、アルミン王太子であるからだ。
次の王太子が誰であれ、今以上の忠誠をと望まれても。
そうできる自信はなかった。
アルミン王太子は本当に王となるにふさわしい御方であった。
私にとっては月や太陽にも匹敵する御方であったのだ。
そんな私が、アルミン王太子の弟とはいえ、今更それに誠心誠意仕えろと?
そんなことを言われても、正直困る。
それが本音であった。
もし引き続き親衛隊隊長を求められても、辞退することを考えている。
親衛隊などではなく、王城の騎士たちに対する教導師範でも務めることにしようか。
アルミン王太子亡き後は、そんな生活も悪くない。
新時代が訪れようとしているのだ。
第三王子ベルノルト、あるいは第四王子ブルーノの新時代だ。
これからは一歩引いた立場にて、ザクセン王国を見守ろう。
そう考えたが。
「あのような『足無し』にいつまで義理を果たそうとするのですか。もはや何の価値もないでしょうに。所詮は戦馬鹿の女伯爵の小娘、その息子でしかなかったわ」
王妃テレージアの言葉に、主たるアルミンを侮辱する言葉に。
ディートリヒの頭は一瞬で沸騰した。
王命など、遅延工作など、自分の役目などあっさりと頭から吹き飛んだ。
「笑わせるなよ、このメスブタが」
煮えたぎる頭にて。
すぐさま口にしたのは、王妃テレージアに対する強烈な侮蔑である。
「今、なんと――」
テレージアは、一瞬何と言われたかわからずに。
それが侮蔑であると気づき、王妃の立場と権威から咎めようとして。
「アーデルベルト如き愚図など、アルミン様の爪の垢ほどの価値もない存在である。爪の垢ほどの価値もない男に忠誠を誓う阿呆騎士が、この世の何処にいようぞ。ザクセン王国の王座を奪うことができてさえも、割に合わんわ」
ディートリヒは立ち上がり、手を大きく振り払った。
並べられていたティーカップや菓子が散乱し、床に零れ落ちた。
王妃のプライド全てを破壊してやりたい気分であり、これはその行為の一つである。
「あの愚図のアーデルベルトが、王直々に国家追放されようとした14の時の事は、王城の騎士全てが覚えているぞ。王族が戦場に出ることなんて時代遅れだと泣き叫びながら、騎士としての誇りも貴種としての務めも投げ捨てて、貴様のような権威だけの女に庇われた情けない姿をな」
「な、な……」
ワナワナと王妃が震えている。
怒ればいい。
貴様の怒りなど怖くない。
「王城の騎士において、アーデルベルトに味方する者など何処を探してもいるものか!」
「衛兵! この無礼者を捕らえよ」
衛兵二名が、すかさず近寄ってきた。
そう、王妃テレージアご自慢の王立学園(アカデミー)卒業生から選ばれた衛兵だ。
戦場経験も持たない、ただのモヤシ騎士である。
王妃の親衛隊とはつまり、ただの面が良いだけの役立たずの集団であった。
存在自体が虚無である。
「やるかね? ハンデとして、こちらは素手で応じてやるが――まさか、貴様ら如きが私に勝てるとは思ってはいないよな?」
そう睨みをくれてやる。
王妃の親衛隊がモヤシと呼ばれる所以は、その戦場経験のない実力だけではない。
「い、いえ。まさかディートリヒ様に立ち向かうつもりは!」
「落ち着いてください、王妃! アルミン王太子への言葉は、王妃の失言でしたぞ!」
自分の仕える主を貶されても、怒り狂うどころか。
それどころか争いごとを拒み、自分より強き者に立ち向かうことを恐れる。
全く愚かしき存在であるからだ。
こいつらは騎士などではない。
衛兵を名乗れど、実のところは自分の務めすら全うできぬ、兵士ですらない存在であった。
王妃と同じ侮辱をアルミン王太子が受けたならば、命令を受ける前に私は相手をぶちのめしている。
「だそうで。ともかく、アーデルベルト側に付くなどお断りですな」
尻を向ける。
王妃に尻を向けて、立ち去ろうとする。
「き、貴様! ディートリヒ、アーデルベルトが王座に就いた際には覚えておれ。英雄としての地位も名誉も剥奪して、ザクセン王国から追放してやるわ!!」
生憎、その可能性はゼロだ。
もしそういった事態になれば、私がアーデルベルトを殺すからだ。
親衛隊全員を率いて城内に討ち入り、必ずやその首を刎ね、王城の門に晒して「腐れ首」にしてやる。
「それはそれは、楽しみにしております」
その後は流浪の騎士になるのもよかろう。
どうせ妻女もおらぬわけだし。
それも人生、これも人生だ。
それはさておき――
「はて、王の怒りが怖いな」
王命など、遅延工作など、自分の役目などあっさりと頭から吹き飛んでしまった。
私は役目を果たせていない。
だが、アレクサンダー王よ。
貴方とて、アルミン王太子が「足無し」や「戦馬鹿の息子」と侮辱を受けては、王妃の首を絞めていたであろう。
人には触れてはならん沸点があるのだ。
そこに触れたら、もはや殺し合いしかないのだ。
そうだ、そうだ。
そのように言い訳をしよう。
そう考えながらも、ザクセン王国最強騎士ディートリヒは宮殿を後にした。