剣が好きだった。
と、思う。
そんな言い方になってしまうのは、本当に幼い頃から剣を振っていたからである。
記憶に乏しい頃から剣を振っていた。
嫌ではなかった。
アッカーマン辺境伯家のとある陪臣騎士の次男坊として生まれ落ちた。
家族仲は良かった方だ。
父も母も私を愛してくれた記憶があり、兄や弟とも親しく過ごしていた。
というのも、将来に不安が無いところが大きかったと思う。
私は、このヴォルフガングは次男坊である。
だから、家は継げぬ。
継げぬが、それでも騎士になる夢が生まれ落ちた瞬間に潰えたわけではない。
世は戦乱に明け暮れていた。
少しでも豊かさを求めて、少しでも領土を求めて。
ザクセン王国という豊かな地を得ようと兵が挙げられ、冬と収穫期を除いては防衛戦争が常に行われていたようなものだ。
だから、何処の貴族家も優秀な騎士や兵士を求めていた。
就職先にだけは困ることなどなかったのだ。
ゆえに剣だ。
もちろん槍も弓も馬術も大事であるが、まあ特に剣術が重要視された。
騎士の基本であり、これ一つで騎士の技量を見抜くには最適であった。
だから、ずっと剣を振っていた。
馬鹿のようになって剣を振っていた。
それさえやっていれば、立派な騎士に成れると信じて。
何処かの騎士家に仕えることが出来ると漠然と信じて。
そして――何年が過ぎたであろうか?
「邪魔するよ」
「アッカーマン辺境伯!?」
辺境伯の突然の来訪に、父が跳ね飛んだように姿勢を正して礼をして。
母は慌てて、菓子はないか菓子はないかと、戸棚を漁っていた。
14歳の成人を迎え、辺境伯に肩を剣で叩かれたばかりの兄もビックリして、寝ぼけ眼のまま部屋から飛び出し。
ネズミ対策に飼っていた猫はにゃあにゃあと鳴いていた。
なんならば家禽の鶏さえも、コケコッコーと叫んでいた気がする。
唯一、のんびり屋で幼年の弟だけが、この立派な外見の人は一体誰なのだろう? というくりくりした目で辺境伯を見ていた。
私はと言えばだ。
「君がヴォルフガング君かね?」
来訪の理由が、おそらく自分であろうことは理解できていた。
だが、突然に家に来られるとは思っていなかったので、私はやはり庭で剣を振っていた。
汗だくのむさくるしい姿を、辺境伯にお見せしたと思っている。
首にかけていた粗末な布で、せめて汗を拭く。
「はい、間違いなく」
「そうか、まずは辺境伯領での幼年剣術大会に優勝したこと。これについての賞金を持ってきた」
辺境伯自らが?
フットワークが軽いと言うか、そういうのはお城における謁見の間で渡して欲しいというか。
もっと威厳をもって表彰して欲しいものだと、当時の私は考えていた。
そう、当時はそう考えたのだが、やはり辺境伯はあれで良かったのだ。
『ああいう御方』で良かったのだ。
と、歳を経た私は考える。
「それと――まあ、視察だな。御夫人、生活に十分な俸禄を私は与えているかね?」
「え、ええ、辺境伯様。もちろん十分な御給金を頂いておりますとも!」
母は慌てたように答えた。
訓練場に使っている庭には、粗末なガーデンテーブルと椅子があり。
辺境伯は座ってもよいかね、と家長たる父に尋ねた。
父は、こんな粗末な椅子よりも私の背にでも座ってくだされば、というぐらいにぺこぺことしていたが、まあともあれ家長として許可をした。
辺境伯は、有り難う、と微笑んで。
粗末な椅子に座りて、こう口にした。
「ふむ、家庭に不自由はさせていないようだね。ヴォルフガング君、父君は優しいかね?」
「はい、とても」
「そうか。それは喜ばしいことだ」
辺境伯は懐を漁り、銀貨の十数枚でも入っているのか。
そんな袋を父に渡した。
「賞金は家長である君に渡すが。子供の小遣い程度ならば、ヴォルフガング君に分けるのも良かろう」
「はい、菓子を買う金ぐらいは与えますが、残金はヴォルフガングが騎士に成る際の支度金にするとします」
「それは重畳」
ぱちぱち、と本当に喜ばしそうに辺境伯が拍手をした。
実に素晴らしい金の使い道だと言いたげに。
「さて、今回は陪臣が生活に不自由をしていないかの確認、そして賞金の支払い。それに――ヴォルフガング君に話があって来た」
「私に?」
「うむ。単刀直入に言おう」
辺境伯は頷いて。
おそらくは生来の癖であるのか、虚飾を交えずに用件を口にした。
「王都のトーナメントに出るつもりはないかね? いいや、それだけではない。王都に留学するつもりはないかね? 自分より強い者に会いに行くつもりはないか?」
私への、このヴォルフガングの王都留学への誘いであった。
酷く悩んだが――別に家計に負担をかけず、留学費用は全て辺境伯が負担してくれるとあって。
私はこの申し出を喜んで受けた。
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辺境伯が王都に出向く際に、私は同行することとなった。
旅という物は厳しいものだ。
隣町に行くのも一苦労である。
ザクセン王国内は平和だが、それでも山賊や盗賊に襲われることも珍しくはない。
賊、と言うにはさすがに失礼だが、各地の領主が街道に関所を設けて通行税を徴収していることもあって。
まあ、中々に王都と辺境伯領の往復は難しい。
今生の別れになる可能性もある。
悔いの無きよう家族に別れを告げておきなさいと。
そうした辺境伯の忠言もあって、私は父や母、兄や弟にしっかりと別れを告げた。
ついでに、飼い猫や家禽の鶏にまで挨拶してやったのを確かに覚えている。
父が、私の優勝で得た賞金全額を、王都での生活費にせよと私にしつこく渡そうとしてきたが。
それは弟が騎士に成る際の支度金にしてやれと、見栄を張って断ったのを覚えている。
「――騎士に成りたいかね」
その旅の中で、辺境伯が私に尋ねた。
「もちろん、成りたいです」
自分は騎士に成りたい。
というよりも、当然のように成るべきものだと考えていた。
そういう教育を受けていたし、それ以外に食べていく術も知らぬ。
騎士の家に産まれながら賊に身を費やし、旅人を襲って食い扶持を凌ぐなどは当然のようにして、倫理観として受け付けぬ。
そうするぐらいなら、『穢れた青い血』になるくらいなら自害すべきであると言う価値観で生きてきた。
「そうか、そうか。全て私に任せておきたまえ。盟友にはそう伝えておこう」
辺境伯は笑顔でそう口にした。
この時、自分を騎士として雇い入れてくれるほどの盟友とは誰の事だと考えたが。
なんのことはない。
「おお、我が盟友アッカーマンよ。よくぞ王都に来てくれた」
「久々だな。私も会いたかったぞ、盟友よ」
礼儀も立場もあったものではない。
幼少の私の目の前で、ザクセン王国の王様と辺境伯が、親友として抱き合っているのを目撃した。
お互いにバンバンと肩や尻まで叩きあい、その身が健在であることを喜んでいる。
「紹介しよう。盟友。我が愛しい田舎のアッカーマン辺境伯領において、一番強い子供だ。その名もヴォルフガングという」
その時点で、辺境伯の盟友とはアレクサンダー王であることをようやく理解した。
その時の私はまだ幼く、作法もお粗末な物であったので。
どうして礼を示してよいかわからずに、王に対してまごついていた記憶がある。
「そうか、王都のトーナメントに参加したいか? 我が息子のアルミンは強いぞ?」
王が尋ねてきた。
王太子様も参加すると聞いて、思わずぎょっとしたが。
ここで怯えれば、私を留学させてくれた辺境伯の名誉が傷つくと考えた。
「王太子と戦えるとは光栄です。ですが、勝つのは私です」
「ほう、これは見事な子だ。本当に強い子だな」
王はその意気込みに対し、失礼とはとらえずに大笑いをしてくれた。
辺境伯も笑った。
そして大いに笑い終えた後、愉快そうに口を開く。
「盟友よ、一つ頼みというか、賭けをしないかね?」
「何かね?」
「トーナメントで優秀な成績を残したならば、ヴォルフガングを騎士に――」
曖昧な、ざらつく記憶ではあるが。
あの時、辺境伯が何を言ったかはだいたい予測できている。
その約束も守られた。
王都には20万人もの人間が住んでいると言われている。
当然のことながら、トーナメントは厳しかった。
だが、私も見事なものだ。
これでもアッカーマン辺境伯家の出身としての誇りがあるのだ。
トントン拍子に準決勝まで進んだ。
「君がヴォルフガングか。今までの試合を拝見したが見事なものだった」
「……アルミン王太子」
今でも使われているコロッセウム会場のアリーナにて。
あろうことか、田舎の陪臣騎士の次男坊であったヴォルフガングが、王太子と戦うために向かい合っている。
どうしようかと思った。
準決勝まで進んだのだ、負けてもアッカーマン辺境伯の恥にはならぬ。
一瞬、ワザと負けた方が、心証が良いではとさえ考えたが。
「手加減無しで頼むよ。お願いだから」
アルミン王太子は本気で嘆願するように、そう口にした。
そこまで言われての手抜きは、騎士として無礼である。
子供であっても騎士の卵だ。
私は騎士になりたいのだ。
そう思って――確かに、あの時はそう思って――。
「参った。君は強いな」
アルミン王太子を倒した。
王太子は怒るどころか私を称賛してくれたし、アレクサンダー王でさえコロッセウムの特別席で大いに拍手をしてくれた。
そうだ、何の問題もない。
私の間違いはそこではない。
その後も問題はなかった。
酷く痛めつけられたが。
「王太子を打倒した試合、誠に見事であった。ディートリヒ、参る」
決勝戦にて、同年代のディートリヒには見事なぐらいにボコボコにされて完敗した。
勝てるか、あんなもん。
後のザクセン王国の最強騎士である。
さすがの私も勝ちを拾うことはできなかった。
だが、準優勝である。
見事な結果である。
アッカーマン辺境伯も喜んでくれるであろうと考えた。
試合の結果が終わり、治療も済み、王都で立派な騎士と成るべく修行と学問を続ける日々を送り――14歳の時を迎えて、成人になった。
そして、アレクサンダー王に呼ばれたのだ。
謁見の間では王と、アルミン王太子と、その親衛隊隊長のディートリヒが待ち受けていた。
「さて、ヴォルフガング。王都留学の日々も過ぎ、貴殿は成人を迎えた。そこで提案がある」
「はい」
「我が王家の騎士として仕えるつもりはあるかね?」
騎士と成る。
騎士に成れる。
だいたい予想はついていたが、ついにこの日が訪れたと。
私は喜ぼうとして――何故だか。
「……ヴォルフガング? どうした?」
アレクサンダー王の不思議そうな顔。
何故喜ばないのだと言いたげに、玉座に座ったままこちらを見た。
私は答えた。
「私は未熟。そのような立場では――」
何を言っているのだ馬鹿。
すぐに訂正しろ。
頭ではそう思うが、何故か口から出る言葉は騎士になることへの拒みである。
アレクサンダー王は訝しんだが、やがて、成る程という顔をした。
「そうか、アルミンだな。お前は私ではなくアルミンに肩を剣で叩かれたいと申すか。よいよい、王家にさえ仕えてくれれば、アルミンにでも構わぬ」
朗らかに王が笑う。
そうなのか?
自問自答をする。
別にアレクサンダー王が嫌と言うわけではないのだ。
主君に相応しい御方である。
だからといって。
アルミン王太子の方が良いというわけでも。
「違いますよ、父上」
アルミン王太子が、何やら察したように口にした。
違う?
何が違う?
自分は騎士に成りたかったはずではないのか?
そうなろうと今まで頑張って来たのではないか。
何故、どうして、自分の努力を否定しようとする。
「ヴォルフガング、君には騎士としての身分を与えよう。なれど、君の肩を剣で叩くようなことは今やめておこう。その代わり、役職も与えねば俸禄も与えぬ。悪いが、王家に仕えぬ者に歳費を割くわけにもいかぬ」
アルミン王太子はそう仰った。
ディートリヒは慌てたように、口走った。
「この者には、王太子親衛隊に入って欲しかったのですが……」
「残念ながら、それをヴォルフガングは望んでおらん」
王太子はそう仰って、続いてこう口にした。
「君が本心から仕えることのできる主君が、いつか見つかると良いなあ」
そうか。
私は、このように素晴らしきアレクサンダー王にも、アルミン王太子にも。
本心から仕えることは出来ぬと考えているのだ。
そこを王太子に見抜かれた。
「……生活の費えは自分で賄うことにします」
私はただ頭を下げ、王城を後にするしかなかった。
だが、成人した以上は、アッカーマン辺境伯から生活費を頂くわけにも行かぬ。
どうしようか、自分に出来ることなど剣の道しかない。
悩んで、悩んで。
私は剣闘士になることにした。
馬鹿げている?
実際、馬鹿げた考えだと思う。
だが、私には何故かその考えしか思いつかなかったのだ。
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剣闘士の生活だが、これが案外悪くなかった。
アレクサンダー王の治世は穏やかな物であり、それほど凄惨な試合を望まれると言うこともなかったのだ。
コロッセウムではそれよりも如何に華々しく戦うかの方が、重要である。
「魅せるため」の興行技術を私は学んだ。
このヴォルフガングの技量をもってすれば、なんということはない。
時間こそかかったが、上級剣闘士の地位にまで上り詰めた。
金。
名誉。
王都の屋敷。
業物の武器。
なんでも手に入った。
望まずともスポンサーが用意してくれたし、そもそも上級剣闘士の稼ぎ自体が莫大なものである。
身分と名誉が与えられているのだ。
騎士としての一応の立場も王家から保証されているのだ。
もはや、誰かに仕える必要さえない。
そう思おうとした。
そして、出来なかった。
本当に?
本当にそうか?
私は何に成りたかったのだろうかと悩んでいた。
そんな時だ。
故郷であるアッカーマン辺境伯領が襲われていて、劣勢であると言う噂が聞こえたのは。
すぐさま飛び出そうとした。
上級剣闘士の身分と名誉も捨てて。
だが出来なかった。
上級剣闘士の試合に穴を空けるわけにはいかない。
王都市民の不満を抑えるための娯楽(サーカス)は、皆が考えているよりも重要なのだ。
すぐさまに故郷に駆け付けるわけにはいかず、一年の時が過ぎた。
そんな時だ。
我が父が戦場にて故郷を護るため、討ち死にしたと聞いたのは。
それを理由にして、ようやく私は興行主から故郷に帰ることが許された。
私はアレクサンダー王が送った援軍の中に混ぜてもらい、辺境伯領に辿り着いた。
家族は歓迎してくれた。
立派になった兄が当主を引き継ぎ、あののんびり屋の弟も立派な陪臣騎士となっていた。
どうも長期の戦で、騎士が不足しているらしい。
そして、アッカーマン辺境伯と再会した。
「よくぞ来てくれた、ヴォルフガング。あの子供だった君がここまで立派な騎士になるとはな」
私はまだ騎士ではない。
『本当の騎士』ではない。
守らねばならぬ主君を持つ『本当の騎士』ではない。
そう口にしようとして、止めた。
「だが、上級剣闘士の君に見合う雇用金は私に払えぬぞ。本当に戦陣に参加してよいのか?」
アッカーマン辺境伯が、困惑したように尋ねて来る。
私も困惑している。
私は何かを言おうとしている。
口にしようとして、詰まっている。
だから、別な答えを口にした。
「アッカーマン辺境伯に王都留学を支援して頂いた御恩を忘れておりません。その恩を返すだけのことです。金などいりません。ましてや我が故郷、戦陣に加わりて守るのは当然の事であります」
嘘ではないし、本心ではある。
だが、言いたいこととは違う。
そんなことを口にした。
「そうか、だが借りは返すぞ。このアッカーマン、痩せても枯れても辺境伯である。私は吝嗇ではないのだよ」
そんなことは知っている。
誰よりも知っているのだ。
貴方が騎士として誰よりも誇り高きことは、この私が知っている。
それで会話は終わった。
私は戦陣に加わり、見事に活躍した。
だが、私一人の貢献では劣勢を覆すには至らぬ。
そして――辺境伯は死んでしまわれた。
劣勢を覆すために、誰よりも先陣を切って、敵首魁を自ら討ち取りたる後に失血死による絶命を。
だから、私は辺境伯と会話する機会を二度と得られなかった。
困惑している。
私は何かを、アッカーマン辺境伯に言おうとしていた。
だがそれが何か、未だにわからなかった。
アッカーマン辺境伯を「失った」今、それは永遠にわからないであろうと思われた。
************************
彼女との出会いは、戦場祝賀会のパーティーにおいてである。
「イザベラ・フォン・アッカーマンと申します。突然の挨拶、失礼を」
優雅で、見事なカーテシー(敬意を表すために膝を曲げてお辞儀をする)である。
私も抜かりないボウ・アンド・スクレープ(空中を掻き取るように手を胸に当てる仕草)で返した。
こういう仕草はスポンサー相手に慣れていた。
「まずは参陣に対する御礼を申し上げます」
イザベラ嬢は毅然として礼を口にした。
その面影には、確かにアッカーマン辺境伯の面影があった。
「失礼ながら、貴卿の名はヴォルフガング卿でしょうか」
「はい。辺境伯からお聞きに?」
静かな会話であった。
近くでは勝利に酔いしれた騎士が、笑い声をあげているが。
私はそんな気分にはなれない。
静かに、手酌で献杯をしていた。
もちろん、それはアッカーマン辺境伯のためにだ。
「父からよくよく聞かされておりました。あの時、王都留学に出した騎士が故郷に帰ってきた。立派な騎士になっていたぞ、やはり王都に出して正解であった、と」
「そんなことを」
なんだか恥ずかしくなった。
子供のように、もぞもぞと何処かが痒くなる。
どうせ褒めてくれるなら、生きている間にしてくれればよかったのに。
しかし、立派な騎士か。
立派な騎士ね。
二度繰り返す。
主君無き騎士が、立派と果たして呼べるものなのだろうかと考えて。
ようやく気付いた。
「――父は生前、不思議がっておりました。何故ヴォルフガングはアルミン王太子に仕えなかったのだろうかと。まあ、上級剣闘士としての活躍を聞くにつれて、もちろん自分がまるで親であるかのようにさえ喜んでおりましたが」
世間話のように、イザベラ嬢が会話を続けている。
私はアレクサンダー王に仕えたかったわけではない。
アルミン王太子に仕えたかったわけではない。
どちらも主君として相応しい人物ではあったが。
「――」
その後もイザベラ嬢は会話を続けていたが、どうやら用事があるようであった。
また別れの優雅な挨拶をしてくれたが、それに対して私も優雅に返せたかどうか怪しいものだ。
私はついに気づいてしまった。
私が本当に仕えたかったのは――この世でただ一人。
アッカーマン辺境伯であったのだ。
あの男が好きであった。
子供心ながらに、あの男を主君として仰ぐべき人だと認めていたのだ。
その後の事は言うまでもないだろう。
イザベラ嬢がパーティー中に、あるかどうかも怪しい――間違いなく根拠皆無の誹謗中傷を受けた。
そのイザベラ嬢を庇う為、名乗りを上げた者がいた。
ドミニク卿であった。
参陣を求められ――私はすぐさま手を上げ、名乗り出た。
そして、見事に決闘裁判に参加することを認められた。
これ以上は。
私の人生について、語るべきことはもうなにひとつないだろう。
「アッカーマン辺境伯、どうか、この愚かなヴォルフガングをお許しください」
主に祈る。
私は愚かであった。
ついに我が主君と「なるはずであった」御方に、叙任式(オマージュ)の嘆願が出来なんだ。
その名も「主君無しのヴォルフガング卿」である。
この先、私が主君を得られる機会はないだろう。
死ぬまで「主君無しのヴォルフガング卿」であろう。
誠にもって騎士としては虚しい人生よ。
それはよい。
それはよいが、その前にやるべきことがある。
主君無しの偽物の騎士風情にも出来ることはあった。
これさえ出来ないようでは、「偽物の騎士」の立場すら投げ捨てるつもりである。
負ければアレクサンダー王に嘆願し、騎士身分を返上するとしよう。
「貴方の、アッカーマン辺境伯のため、その忘れ形見イザベラ嬢の名誉のために、必ずや勝利を」
私のやるべきことは、ただそれだけだ。