辺境伯家の下屋敷、七人の騎士が杯を片手に集まる中で。
辺りは沈黙に包まれている。
第二戦は確かにヴォルフガング卿の敗北であった。
しかし、イザベラ嬢の名誉を守るという目的においては勝利したも同然である。
あの情けない姿を、無残に首を晒したエドガーによるイザベラ嬢への誹謗中傷の訴えなどを信じる輩もおるまい。
それだけでなく、決闘裁判の今後におけるイザベラ嬢の名誉も、コロッセウムでの出来事を目撃した市民・貴族の中では守られたも同然である。
あとは決闘裁判の過半数を――7戦中4勝でも出来れば、これ以上は望むべきこともないだろう。
間違いなく決闘裁判においても勝利と断言できる。
それはまず良かった。
まず、それについてはよかったと、杯を片手に喜ぶことしきりであったが。
紋章官が次の対戦相手が決まったと報告して、その喜びもピタリと止まった。
その紋章官の様子が、とても笑える雰囲気ではなかったからだ。
「――対戦相手は死刑囚である「鉄の手」ベルリヒンゲン卿です」
紋章官が苦しそうに、決闘相手となる騎士の名を告げた。
苦渋の表情。
幾人かが困惑の表情を浮かべて。
やはり幾人かが苦渋の表情を浮かべた。
その様子を見てとって、ヨルダンが疑問を呈した。
「はて、「鉄の手」ベルリヒンゲン卿とは? 死刑囚? すまないが、貴族ですらなかった私にはとんと見当が――」
ヨルダンは誰の事だか全く知らぬ。
この三年以上を、アッカーマン辺境伯に雇われて、傭兵として戦場の最前線にいたからだ。
その当時、貴族ならぬ身である『黒騎士ヨルダン』であった彼が知らぬのは無理もない。
ベルリヒンゲン卿が囚人として捕らえられたのはここ一年。
反乱を、義挙を起こしたのは二年前だ。
世間の噂でさえ知る機会はなかったであろう。
「一度だけ、戦場を共にしたことがあるが――何故、アーデルベルト方に与した? ましてや何故、死刑囚などに落ちぶれた? 私の頭では、立派な騎士殿であったと記憶しているが」
ドミニクが口を挟んだ。
一代騎士とはいえ、王家直臣である彼には防衛戦争のために戦場を共にした経験があった。
ベルリヒンゲン卿はやがて戦傷を負って片腕を失い、後方に下がっていった。
その後は良く知らない。
ドミニクは戦場における味方の顔は覚えていたが、その後の人生までは知り得なかった。
常に戦場の最前線にいるから、そこまでの気配りはできないのだ。
「若い頃、お会いしたことはあります。田舎者の私にはわかりかねますが――確かに彼はよくフェーデを起こしたり多少は『ヤンチャ』ではあったものの、死刑囚になるほどの罪とは? ドミニク卿と同じく、やはり立派な騎士殿であったと記憶しておりますが」
領主騎士が答えた。
いわゆる東方植民地の開拓騎士、若き代官であった頃に直接の面識はあるものの、やはりここ最近のベルリヒンゲン卿の動向は耳に入っていない。
彼自身のこれまでの人生後半は、東方において開拓に明け暮れていたからだ。
領主騎士もベルリヒンゲン卿も、お互いに大分歳を食っていた。
「……」
ヴォルフガング卿は眉を顰めた。
王家に仕える騎士ではないため直接の面識こそないが、彼が辺境領に駆け付ける前の王都滞在中の事である。
ちょうど二年前の事であった。
ベルリヒンゲン卿が、苦しむ公爵領の農民のために「義挙」を起こしたと噂を聞いたのは。
多数の貴族や豪商をスポンサーに持つ彼は、色々な噂が耳に入るのだ。
ゆえに、彼が決闘裁判において何を理由に引きずり出されたのかも想像できた。
間違いなく、自分の命惜しさなどではなかろう。
人質同然に囚われている農民、今は農奴になっている者たちのためだ。
ヴォルフガング卿の口からは、歯が軋む音がした。
「……」
陪臣騎士もまた、眉を顰めた。
彼は辺境伯の騎士の中でも、『特別な地位』についている。
それこそ、領主騎士殿が不在の間は領地の代官を手配することが容易なくらいに。
だから、王都の情報もそれなりに入ってきていた。
当然、ベルリヒンゲン卿がどうして死刑囚になったのかも理解している。
彼はただひたすら公爵家の、アーデルベルトのやり口に反吐が出そうになった。
ここが辺境伯家の下屋敷でなければ、唾を地面に吐き捨てていただろう。
「――理由については知らぬ方も多いでしょう。ベルリヒンゲン卿が死刑囚になった理由。今回、決闘相手として選出されることになった経緯。全てを今からご説明しますが、その前に決闘相手として私が名乗り出ることを許していただきたい。今回は私がこの腕前を、皆様にお見せしましょう」
紋章官は彼が『罪なき死刑囚』とさえ言われていることを十二分に理解している。
決闘裁判を共にする戦友には、説明の義務があった。
全てを詳らかに説明せねばなるまい。
だが、その前に決闘相手に名乗り出ることにした。
そして、やりたくもない仕事であるならば、自らが「ロバの耳」という暗部。
王家のウェットワーカー(濡れ仕事担当)としてその責を背負おうとして。
「いや、私に任せてもらいたい。紋章官殿が出るのは最後も最後の方だというのが、最初からの約束であったはずだ」
処刑執行人サムソン。
ある意味で「ロバの耳」以上の暗部で、死罪となった罪人の首を斧で刎ねる役目を持つ者。
彼が、紋章官の言葉を否定した。
ヴォルフガング卿や陪臣騎士と同じく、彼は全てを理解している。
彼が辺境領の戦に参陣したのはヴォルフガング卿と同じく、王家側の援軍として一年前からである。
二年前に何が起きて、どうしてベルリヒンゲン卿が死刑囚になったかは、処刑執行人である彼は良く知っていた。
それ以上に。
「同じ直臣騎士として、彼とは何度も面識がある。お互いに。私は罪人を取り締まる仕事も担当しているから、『フェーデ沙汰』を起こした彼を捕縛したことさえある。彼に由縁ある者が担当すべきであろう」
以前から面識があった。
サムソンは生真面目で不器用な男である。
その面識より踏み込んだことは説明しようとさえしない。
「サムソン殿」
紋章官は「はい、そうですか、わかりました」とは頷かない。
面識があるならば、猶更だ。
いくらなんでも、サムソン殿にそのような責を背負わせるわけにはいかぬ。
こればかりは譲れぬ。
そう反論しようとして。
「少なくとも、何らかの慈悲を」
サムソンは小さな、祈りのような言葉を呟いた。
二戦目において、あのどうしようもないエドガーにも与えた慈悲である。
罪人に見せる慈悲であった。
「慣れている。このようなことには慣れているのだよ、紋章官殿。この処刑執行人サムソンは騎士の務める仕事ではない「人殺し」にも慣れているのだ。貴殿では――」
「私では決闘に手を抜くと」
「絶対にしないと断言できるかね」
口ごもる。
少なくとも、何らかの慈悲を。
紋章官自身、それを望まないとは言い切れなかった。
その慈悲が、剣の迷いに出ないとは断言できない。
「私の慈悲とは、少なくとも、何らかの慈悲をとは、せめて死の苦痛を和らげるだけのことだ。手抜きをするつもりはない。私が今回の決闘裁判に名乗りを上げるべきだ。私以上にふさわしい決闘相手はおらぬ」
胸は張れない。
名誉でもない。
ただただ、仕事を全うするだけだ。
そういいたげに、処刑執行人サムソンは口にした。
そこまで言われては、紋章官に何が言えるわけもない。
「ドミニク卿」
紋章官は耐えきれず、取りまとめ役であるドミニク卿の名を呼んだ。
ここで、ドミニクはまず説明を聞いてから――と口にしようとして。
やめた。
騎士の覚悟に口を挟むほど無粋な事は、この世の何処にも存在しない。
「わかった。決闘裁判の第三戦はサムソン殿を選出する」
「有り難く」
サムソンは礼を口にした。
相変わらず笑い顔一つ浮かべぬ、生真面目な顔であった。
ドミニクはまた説明を聞く前に、一つ質問をした。
「貴卿はベルリヒンゲン卿に勝てるか?」
「確実に勝てるとは言えぬ。彼は歳こそ召しているが、若い頃はヤンチャで沢山のフェーデ経験者だ」
片腕はない。
ましてや一年も牢屋に囚われていた身であると。
そういったことをサムソンは口にしなかった。
侮りであるからだ。
そのような事を考えれば、「鉄の手」ベルリヒンゲン卿には勝てぬ。
彼は並みの騎士ではないことを、サムソンはよくよく理解していた。
「だが、説明を聞けばわかるが。私以外では剣に迷いをみせよう。私以外の適任者はおらぬ」
「……わかった」
ドミニクは頷いた。
そして、頭を下げて礼を言った。
「ではお任せしたい」
「任せてくれ」
騎士として、この二つの応諾の言葉以上を交わす必要はなかった。
「……さて、紋章官殿。全てを詳らかにして頂きたい。ヴォルフガング卿と陪臣騎士などは、全てを承知しているようだがね。この戦場に明け暮れるだけの愚か者の頭では、どうにも事情が掴めぬ」
ドミニクはそう自分を卑下しながら、紋章官に問いかけた。
ベルリヒンゲン卿が死刑囚である理由は?
今回の決闘裁判に出てくることになった経緯とは?
少なくとも、彼は記憶している限りでは立派な騎士殿であったはずだが?
そんな当然の疑問だ。
「……」
紋章官がやったのは、まず杯の中身を確認することであった。
中身が無い。
呷るべき酒が足りない。
「……その話をするには酒が足りませぬ。皆も用意を」
ヴォルフガング卿と陪臣騎士殿がまず同意して、杯に酒を入れた。
他の皆もきょとんとしながらも、自分の杯に酒を注ぐ。
唯一、サムソン殿だけが酒を飲むのも嫌だと、自分の杯には注がれるのを拒んだ。
「全ては、公爵家の愚かなアカデミーという施策が始まりでありました……」
紋章官殿が明かした話を聞いて。
やがて皆は、次のワインを求めて、何度も杯に注いだ。
こんな不味い酒は飲んだこともないが、飲まずにはいられないとばかりに。
唯一、サムソンだけが素面のような顔で、承知済みの説明を聞いていた。
いつもの生真面目で。
それでいて、何処かあまりにも寂し気な表情で。