7 knights to die   作:道造

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第37話 under the too blue sky(青すぎる空の下で)

 

 試合開始を告げたのはどちらでもない。

 敢えて始まりを問うならば、もう試合は始まってさえいたのだから。

 まず、動いたのはベルリヒンゲン。

 構えていたロングソードを晴天に掲げた。

 屋根の構え。

 

「――」

 

 ベルリヒンゲンに余裕はない。

 牢獄生活ですっかり騎士としての体力は衰えている。

 隻腕の状態で、サムソンの両刃斧の一撃を凌ぎ切る自信はなかった。

 ならば、先に動く。

 そこにしか勝機は見いだせない。

 それでも。

 ベルリヒンゲンは傷痍軍人といえど、喧嘩百段、武芸百般の歴戦の騎士である。

 そして、何より背後で泣き叫ぶような声を張り上げる小間使いの声援があった。

 

「私の血は燃えているぞ、サムソン」

 

 走った。

 サムソンとベルリヒンゲンとの距離はそう遠くない。

 わずか十歩の間である。

 ベルリヒンゲンの得意技は急襲である。

 フェーデ(喧嘩)に明け暮れた時でも、隻腕となってからも変わらぬ。

 真正面から、相手が準備を調える前に殴りつける!

 サムソンが斧を冷静に構えた。

 攻撃するためではない。

 斧を振りかざしている余裕はなかった。

 ベルリヒンゲンの、屋根の構えからの怒りの一撃。

 

「――」

 

 先ほどまで和やかに会話をしていた老騎士が――その会話相手に繰り出したとは思えぬほどの、強烈な一撃であった。

 剣は、隻腕に確かに固定されている。

 両腕から渾身の力が伝わり、床石を踏み込む鉄靴の音ともに、その一撃がサムソンに刺さる。

 

「凌がれる、か」

 

 サムソンは、両刃斧の頭でそれを受け止める。

 これが隻腕の老騎士による一撃か?

 そう思いながらも、たたらを踏んだ。

 ベルリヒンゲンにとっての好機である。

 

「――」

 

 体当たり。

 すかさず、ベルリヒンゲンの頭にはそれが思い浮かんだ。

 体当たりから、すかさず鎧間に剣を差し込んでの刺殺である。

 

「オオオオオッ!!」

 

 ベルリヒンゲンの鉄靴に力が籠る。

 サムソンは体勢を崩している。

 発条が跳ねるように、ベルリヒンゲンは飛び掛かった。

 鎧の重量を含めた全身による体当たりである。

 サムソンは――それを避けられない。

 互いの鎧が強烈な重低音を上げて衝突し、地面に崩れ落ちた。

 

「死んでくれ」

 

 願い。

 死ねという命令でもない。

 それはまるで、嘆願の言葉であるかのようにさえ、観客には聞こえた。

 お前を殺したいわけではない。

 だが、死んでくれと。

 全てはベルリヒンゲンが背負うものの為、その犠牲になってくれと。

 どこか人間の心臓さえ抉り出して主に捧げる、宗教的儀式のような尊い言葉にさえ響いた。

 しかし。

 

「心臓を――お前にやるわけにはいかん」

 

 サムソンの心臓はすでに捧げられているのだ。

 アルミン王太子に。

 アッカーマン辺境伯に。

 あのサムソンの人生で唯一の悪戯に、サムソン決死の嘆願に応じてくれた二人の騎士のために、とうの昔に捧げられているのだ。

 ベルリヒンゲンにくれてやるわけにはいかなかった。

 それが、彼の背負う農奴たちの解放のためであっても。

 

「――」

 

 両者が倒れ込んでからの。

 ベルリヒンゲンによる、鎧に覆われていない箇所を狙っての刺突。

 確かにそれは刺さった。

 サムソンの腿後ろに突き刺さった。

 だが、浅い。

 大腿部からの出血死を期待できるほどの傷ではない。

 その刺された足で、ベルリヒンゲンの顔が蹴とばされた。

 

「――ッ」

 

 ベルリヒンゲンは痛みにのけぞる。

 その間に、サムソンが立ち上がった。

 ここで、ベルリヒンゲンが。

 もし喧嘩慣れや戦場慣れしていない人物であれば、この時点で終わりだったであろう。

 

「死んでくれ」

 

 サムソンもまた、ベルリヒンゲンと同じ言葉を述べた。

 言葉には悲哀が籠っている。

 植物のように生きてきた――サムソンが、処刑執行人としての役目を超えて。

 祈りのように言葉を口にした。

 お前を殺したいわけではないのだ。

 だが、死んでもらわねばならぬ。

 サムソンが譲れないもののために。

 

「――」

 

 直感。

 ベルリヒンゲンは床を転がった。

 素早い判断であり、正解である。

 すぐその場所で、サムソンが振り下ろした両刃斧が床石を叩いたのだから。

 処刑執行人に容赦はない。

 

「――」

 

 ベルリヒンゲンが、跳ね起きるように立ち上がった。

 その時間、サムソンは力を溜めていた。

 大振りの、横合いからの強烈な両刃斧の一撃。

 とても凌ぎ切れない。

 楯があったところで無意味であっただろう。

 サムソンはアッカーマン辺境伯領の防衛戦にて、23人を殺している。

 斧を振り回すだけの、単調な攻撃。

 だが、サムソンはあまりにも殺しに慣れていた。

 もう、その強烈無比な一撃を受け止められるとはとても。

 

「――」

 

 この時点でベルリヒンゲンは諦めた。

 諦めたのは勝利でも、自分の命でもない。

 そればかりは諦めるわけにはいかなかった。

 諦めたのは、自分の義手である。

 超近距離。

 ベルリヒンゲンは、再び体当たりを試みた。

 自分からぶつかるのだ。

 そこにだけ、勝機がある。

 幸か不幸か、ベルリヒンゲンは隻腕である。

 その右腕は鋼鉄で出来ていた。

 鉄の手。

 強靭な体幹と筋肉から繰り出された両刃斧の一撃を、全身による体当たりの衝力と、鉄の手で凌ぐ。

 凄まじい衝撃音が立った。

 

「――」

 

 結果は、その衝撃による「鉄の手」の変形である。

 如何に頑丈な義手であろうとも、サムソンの膂力による攻撃には耐えられなかった。

 だが、しかし。

 ベルリヒンゲンは、確かに渾身の一撃を凌ぎ切った。

 

「死んでくれ」

 

 再びの、嘆願。

 もはや義手は使えぬ。

 愛用の「鉄の手」はベルリヒンゲンのいうことを聞いてくれなくなった。

 だから、左手だ。

 左手による斬撃を試みる。

 首だ。

 ベルリヒンゲンほどの優れた騎士であれば、左手でも十分強烈な斬撃となり得る。

 狙うはサムソンの首鎧の上。

 彼は全身鎧に身を包んでいるわけではない。

 この一撃さえ成功すれば、勝機が。

 祈りを込めて。

 嘆願するように、斬撃を放つ。

 だが、しかし――

 サムソンもまた戦場に慣れた技巧者。

 

「――」

 

 籠手で防がれる。

 左側柄面からの強烈な斬撃を、サムソンは右腕の籠手で防いだ。

 単純な膂力差がそこにはあった。

 ベルリヒンゲンが劣っていたわけではない。

 サムソンの膂力が特別に優れていた。

 せめて。

 せめて、ベルリヒンゲンが牢獄に囚われておらず、万全の態勢であったならば話は違ったであろうが。

 サムソンは、ここで両刃斧を使わずに。

 前蹴りを放った。

 鉄靴による強烈な蹴りである。

 斬撃を放つために体勢を崩したベルリヒンゲンへの、無慈悲な一撃であった。

 

「―ー」

 

 ベルリヒンゲンは吹き飛び、頭を強烈に床石にしたたかに打ちつけた。

 眩暈。

 昏倒する。

 ベルリヒンゲンは、前後不覚に陥った。

 身動きがとれないでいる。

 観客席から悲鳴があがった。

 女の声、ベルリヒンゲンの小間使いの声であった。

 すかさず、正気を取り戻し、目を醒ます。

 

「帰らねばならぬのだ」

 

 騎士である。

 ベルリヒンゲンは騎士であるのだ。

 騎士は泣かぬ。

 そして、決して婦女子を泣かせるわけにもいかぬのだ。

 そうなれば、もはやそれは騎士とは呼べぬ、ただの愚物ぞ。

 

「オオオオッ!」

 

 ベルリヒンゲンは立ち上がる。

 左手に剣を持ち、もはや使い物にならないほど変形した「鉄の手」を右手にぶら下げて。

 だが、無慈悲である。

 サムソンはあまりにも冷静であった。

 

「――すまない」

 

 強烈な一撃。

 両刃斧による、ベルリヒンゲンの胴体への一撃であった。

 如何に鎧に身を包まれていようが、衝撃には耐えられぬ。

 身をよじる。

 ベルリヒンゲンはたまらず身をよじり、再び倒れた。

 

「――」

 

 歩み寄る。

 処刑執行人サムソンは歩み寄った。

 いつものように。

 罪人の首を刎ねる前の、処刑執行人としての歩みである。

 終わった。

 ベルリヒンゲンは、倒れた際に左手から剣を取り落としている。

 義手は変形し、もはや使い物にならない。

 身じろぎできぬほどのダメージを胴体に帯びている。

 だから、もう終わりであった。

 

「やめてくれ」

 

 誰かが口にした。

 サムソンに対してであるのか――それとも、何かに耐えられなくなったのか。

 観客の誰かが口にした。

 

「もう勝負は終わっただろう! やめろ!」

 

 誰かがその呟きを耳にしたのか、また別な人間もたまらなくなって叫び出した。

 観客達である。

 もう誰が見ても勝負は見えていた。

 ベルリヒンゲンの負けである。

 このまま――せめてもの慈悲として、苦痛なく一撃で葬られる。

 その結果が見えていた。

 

「やめろ! もう、やめてくれ」

 

 観客たちが悲鳴のように叫び出した。

 ベルリヒンゲン卿はそれを、人ごとのように聞いている。

 ――負けたか。

 負けたならば、仕方ないな。

 殺そうとしたのだ、殺されてもしかたない。

 

「ベルリヒンゲン様!!」

 

 女の声がした。

 小間使いの女である。

 ふと、ベルリヒンゲン卿は、辺境領の農村で話した冗談を思い出していた。

 「おぬしは嫁に行かぬのか?」と彼女に問うた。

 もう年頃であったからだ。

 まだ幼い弟がいるから、それを食わせるためにもベルリヒンゲンのところに稼ぎに出ているとは知っている。

 だが、この年頃の少女だ。

 それも農村の女だ。

 そろそろ結婚せねば拙かろうに。

 嫁の貰い手がなくなるぞと、脅すように問うた。

 そう問うたが、彼女は答えた。

 

 「誰も彼もピンとくる男の人がいません。こんな田舎じゃ男の質も知れてますよ」

 

 そう冗談っぽく。

 ああ、確か、彼女はそれに続けてこんなことを口走ったな。

 

 「どうせなら、ベルリヒンゲン様が貰ってくださいよ」

 

 そんな冗談。

 冗談だったのだろう。

 あんな少女を、この老騎士が嫁に貰うわけにもいかぬ。

 だが――貰ってやればよかったかなあ。

 いやいや、まさかな。

 だが、こうなるぐらいであれば、花の一つや。

 髪留めの一つでも贈ってやればよかったと、そんなことを考える。

 泣き声が聞こえる。

 女の泣き声だった。

 自分の小間使いの――農民の、鼻ぺちゃの、それほど美人ではないが気のよく回る女の。

 ああ、泣かないでおくれ。

 騎士は婦女子を泣かせてはいかんのだ。

 このベルリヒンゲンを、どうか最期まで騎士でいさせておくれ。

 そう祈る。

 

「首を穫れ、サムソン」

 

 口にした。

 もうあの娘に、花も髪留めも贈ってやれないが。

 サムソンに死を請う事なら、まだ出来た。

 出来るだけ早い方がいいな。

 

「――」

 

 ごろりと寝転がり、首を刎ねやすくする。

 空は晴天である。

 良い陽だまりであった。

 青すぎるくらいに青い空である。

 

「どうした、早く穫れ」

 

 語り掛ける。

 サムソンは動かない。

 動けないでいる。

 どこか困惑しているかのようにさえ見えた。

 期待しているかのように見えた。

 誰かが、この決闘を止めてくれるのではないか。

 そんな淡い期待を――そんなこと有り得ないのに。

 

「――」

 

 サムソンが、斧を振り上げた。

 観客たちの反応は異なる。

 顔を手で覆う者。

 泣きじゃくる女。

 叫びこそすればこの祈りは通じるのではないかと、最後まで諦めずに試合を直ちに中止しろと、叫びつつづける者。

 色々だ。

 

「――」

 

 サムソンは動かない。

 動けないでいる。

 

「どうした、ただ疾く疾く首を取れ」

 

 ベルリヒンゲンは優しく語り掛けた。

 何か、ポツリとした音が、ベルリヒンゲンの耳に聞こえた。

 雨か?

 だが、晴天であるぞ。

 青すぎるほどに、空はやはり青かった。

 

「おい、まさか」

 

 ベルリヒンゲンは驚いた。

 ありえぬからだ。

 あのサムソンに、そのような事は有り得ぬからだ。

 だが、有り得た。

 ベルリヒンゲンは死を目前にして、笑った。

 

「愚か者め、騎士は泣いてはいかぬのだ」

 

 そうして、優しく語り掛けた。

 サムソンは泣いていた。

 滂沱していた。

 サムソンも、自分が何故泣いているのかわからなかった。

 慣れていたはずだ。

 殺しになど、処刑になど慣れているはずだった。

 だが、涙が止まらなかった。

 

「さあ」

 

 ベルリヒンゲンは促した。

 サムソンが斧を大きく振り上げた。

 とどめの一撃を与えるために。

 だが――それを止めるために。

 一つだけ、泣き叫ぶ観客全員の耳にさえ響き渡るほどの透き通った声が上がった。

 よく通る声であった。

 

「お待ちいただきたい! その勝負、お待ちいただきたい!!」

 

 絶叫が聞こえた。

 入場口の東口からであった。

 

「このアルバンが、アーデルベルト代理として降伏を願い出る! すぐに決闘を中止して頂きたい!!」

 

 入場口の東口を、サムソンが涙目のまま見る。

 そこでは、気絶して崩れ落ちるアーデルベルトの姿。

 先ほどまで「役立たずが!」と、雑音のような罵倒を張り上げていた男の姿があった。

 アルバンに殴り倒されたのだ。

 

「このアルバンが! 公爵家次男であるアルバンが、必ずや反乱で捕縛された農民の、すぐさまの解放を! ベルリヒンゲン卿の恩赦を約束する!!」

 

 そんな権利はない。

 アルバンに、そんな権利はない。

 スパイとして、アーデルベルトに逆らうことも許されぬ立場であった。

 だが、もうアルバンには耐えられなかった。

 我慢の限界に達したのだ。

 

「ベルリヒンゲン卿、降伏を! このアルバンが騎士として約定する。命懸けで父に訴える、それが叶わなくば、このアルバンが命を引き換えにしてでも父に反旗を翻そう!!」

 

 アルバンは善良でお人好しである。

 だから、もう限界だった。

 それが、今アリーナに立つ騎士二人の覚悟を足蹴にするものだったとしても。

 それでも。

 

「だから、ここまでだ。敗北を認めてくれ、ベルリヒンゲン卿!」

 

 それでもアルバンは叫んだ。

 この時点で、観客の目の前で絶叫した時点で、アルバンは必ずや約束を履行せねばならぬ。

 それが騎士の約定である。

 だからこそ。

 そのアルバンの覚悟を、ベルリヒンゲンは確かに受け取った。

 

「――サムソン」

 

 ベルリヒンゲンは、少しだけ思案した後。

 サムソンに語り掛けた。

 

「ああ」

 

 サムソンが、短い返事をした。

 斧を、ゆっくりと下ろす。

 もちろん、それはベルリヒンゲンの首に対してではなく、ただ下ろしただけ。

 

「私の負けだ。あのアルバンという青年に賭けてみようと思う」

 

 勝負は終わった。

 ベルリヒンゲン卿の敗北であった。

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