ベルリヒンゲンは解放された。
ラインホルト公爵が突然死んだ次の日には恩赦を受け、突然に釈放されたのだ。
牢番どころか、一緒に囚われていた――一生牢から出られるかさえも怪しい牢名主すら我が事のように喜んでくれた。
アルバンと騎士の約定を交わした翌日の事である。
「……あの青年にそこまでの度胸があったとはな」
世間では、アルバン卿がラインホルトを殺したものと噂が立っている。
なにせ、あのコロッセウムで、アルバンが大観衆の目の前で騎士の約定を叫んだその日に。
ラインホルト公爵は「酒に酔っての突然死」をした。
さすがに、これをそのまま受け止めて信じる人間はいなかった。
義挙である。
おそらくはラインホルト公爵がベルリヒンゲンと農奴の恩赦を否定したため、殺害したのであろうと。
命懸けで父に訴えて、それでも叶わなかったため、父に反旗を翻したのだと。
コロッセウムで叫んだそのままを実行したのだと。
民衆の誰もがそう思うのも、無理はなかった。
事実、あの時の観客は「アルバンとやら、本当にやるものだ。自分の言葉をすぐさまその日の内に実践したのだ。騎士として、ここまで誇り高い者もそうはいない」とその行為を褒め称えている。
そこかしこでアルバンを真の騎士として、称賛する言葉が聞こえていた。
本来ならば「父殺し」の汚名であるが、今回についてはラインホルトに非があると看做されているのだ。
だが、ベルリヒンゲンだけは、おおよそ真実に近い見込みを立てている。
「いや……ラインホルトも自裁する程度の羞恥心はあったか」
おそらくはラインホルトは最初から、いざとなれば、こうするつもりだったのだ。
嫡男クラウスに当主の座を譲るべき時が来れば、もうどうしようもなくなれば、自裁する覚悟があった。
そうして、クラウスの功績として領民を慰撫するつもりだったのだろう。
だが、それは口にしない。
口にしたところで、良いことは何もないからだ。
次男アルバンが民を想うがゆえに父ラインホルトを討ち、嫡男クラウスはその優しさを民に見せた。
そんな公爵家兄弟が領地経営を受け継ぐのだから。
今後は公爵領の統治も明るいものになるであろう。
事実そうなるだろうから、そういうことにしておいた方が良い。
真実が明らかになっても、誰も幸せにならぬ。
「ベルリヒンゲン様、どうしたんです」
「いや……」
横には小間使いがいる。
鼻ぺちゃで、あまり美人でないが、よく気の回る私の小間使いだ。
おそらく私の縁者であろうと、アルバン殿が声をかけて保護してくれていたのだ。
釈放先では彼女が嬉しそうに待ち構えていた。
本当に、あのアルバンという青年は信じられないほどに色々と気の回る男である。
騎士としての覚悟もあれば、立ち回りも目を見張るものがあった。
将来は立派な官僚になるのではなかろうか?
国家を支える柱石になることは間違いないと、このベルリヒンゲンは見込んでいる。
「ねえねえ、市場を回りましょうよ。私が王都に来れるなんて、人生でこれっ限りだと思うんです。私、こんな大きな街初めて来ました」
「あのなあ」
そんな金などない。
そう言おうと思ったが、アルバンから公爵領に帰郷するための旅費はたっぷりと受け取っている。
本当にアルバンは気の回る男だった。
やろうと思えば、農奴とともに一緒に馬車に乗って帰ることも可能であったのだから。
別に、髪留めを買うぐらいの金ならば余裕があった。
「……王都に滞在するのは一日だけだぞ。市場で髪留め一つぐらいなら買ってやる」
「え、本当ですか!?」
小間使いが自分の両手を合わせてはしゃいだ。
まるで小娘のように。
――いや、まあ、私から見ると小娘なのだが。
実際のところ、私のような老騎士とはやはり釣り合わんな。
あまりにも年齢が違いすぎる。
「ねえねえ、ベルリヒンゲン様」
「なんだ。この老騎士は今、片腕の義手も壊れているのだぞ。あまりはしゃぐな」
小間使いが、私の右腕。
変形した「鉄の手」を握り、振り回そうとする。
「私、いっぱい子供産みますから! ベルリヒンゲン様に似た立派な子供を!!」
「は?」
私はあっけにとられた。
何を言っているのだ、この小間使いは。
「だから結婚しましょう。ベルリヒンゲン様、このままだと私に告白もしてくれないんですもの」
「あのなあ。年齢差というものを……」
ため息をつく。
だが、しかしだ。
断れば、彼女は泣くだろう。
ここまで言われて引き下がる様では、やはり騎士ではないのだ。
「私はあまり長く生きられんぞ。お前と歩調を合わせては生きられん。しかも隻腕。その上、年金頼りの老騎士だ。それでもよいのか?」
「今更、ベルリヒンゲン様より良い男を故郷で探せったって無理ですよう。今回農奴から解放された村長や父だって、手を叩いて歓迎してくれます。なんなら畑の一つくらいくれますよ」
「……連中も生き残っていたか。それは何より」
はあ。
やはり溜め息をつく。
気が重い。
このベルリヒンゲン、喧嘩とヤンチャには明け暮れたが、婦女子に対する縁というものは薄かった。
だからだ。
こんな時、どう述べるべきかはわからんが。
「髪留め一つだ。それでプロポーズの品は許せ」
「なんでもいいですよ。花でも玩具の指輪でも。ベルリヒンゲン様が下さるものであれば、なんでも」
小間使いが、やはり玩具のように私の壊れた義手を振り回す。
私は嘆息して――いや、嘆くことなどなにもない。
子供のような小間使いの彼女を抱きしめて、囁いた。
「よろしい、この老騎士。生まれて初めて婦人への愛を囁こう」
愛を。
騎士として生まれて初めて、女性に愛を囁こう。
そうして、この者と一緒に残りの一生を共にしよう。
その覚悟を決めて、真剣な顔で髪留めを探すことにした。
それまでにプロポーズの言葉を考えなければならぬのが、やや億劫だが。
ともあれ、これがベルリヒンゲンという老騎士の人生の納めどころである。
小娘にも等しい小間使いを嫁に貰う。
まこと、「鉄の手」ベルリヒンゲンのヤンチャな人生の締めくくりであった。
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玉座の間。
不機嫌そうなアレクサンダー王が玉座に座っている。
だが、その不機嫌は殺意を周囲にふりまくものではない。
いっそ、冷徹に――冷静になった。
殺そう。
王妃テレージアを殺そう。
そのためならば、どんなことでもしようと。
怒りを通り越して、かえって冷静になったのだ。
冷静にならなければ、少しでもミスをすれば、今回のベルリヒンゲンのように被害者が出るのだ。
実際、アルバンはもう今までのようにスパイとしては使えないだろう。
アーデルベルトの行動を誘導することはできぬ。
アルバンという良心のタガは外れた。
あの愚図がどんなふざけた行動をするかはわからなかった。
だからこそ冷静でなければ。
氷のように、冷えた鉄のように。
降り積もった雪のように、冷たい心を保たねばならぬ。
そんなアレクサンダー王に――
「さて、サムソン。たっての願いがあるとの事であったな」
「はい」
謁見を願う者。
サムソンという処刑執行人がいた。
何を言うかは、アレクサンダーにはなんとなくわかっている。
「処刑執行人を辞めたいのか?」
「あのような無様な仕儀を見せたのです。これ以上は続けられませぬ」
泣いた。
植物のような心を持つサムソンが、ベルリヒンゲンの首を落とそうとした際に滂沱した。
それは観客の全てが知っているのだ。
無様な姿を見せたと、サムソンにはその自覚があった。
「私は無様とは思っておらん」
アレクサンダー王だけではない。
むしろ、観客とてサムソンには同情している。
彼を処刑執行人として無様だと罵るような声は聞こえてこない。
「他者の評価が問題だとは考えておりませぬ。私は処刑執行人の一族として相応しくない有様を見せました。もう――」
「人を殺すのは嫌か」
「はい。サムソンは、もうここまでであります」
引き留めようと思った。
アレクサンダー王はこう口にして、引き留めようと思った。
「お前までも私の下から離れてしまうのか。アッカーマン辺境伯や愛息アルミンのように」と。
だが、それは王として卑劣な言葉に思えた。
だから実際に口にはしなかった。
「騎士を辞めるか」
「はい」
騎士を辞める。
騎士を辞めて、後は市井に埋没しようとサムソンは考えていた。
「その後はどうする? 愛妻と――子供の墓を守って過ごすか」
「それも一つの手ですが、やりたいことがありまして」
「なんでも言え。私が協力してやろう。貴様には――アルミンも、アッカーマンも、大分気にかけていた」
愛息と盟友と、この処刑執行人がやらかした悪戯。
それを今でもアレクサンダーは覚えている。
助かった、と。
アレクサンダーが五歳の子供の首を刎ねぬ、理由をよくぞ作ってくれたと考えていた。
実のところ、あの悪戯で誰よりも救われたのはアレクサンダー王の心である自覚があったのだ。
だから、王はサムソンに優しかった。
「なんでも叶えてやろう。この王に出来ることがあればな」
「では、遠慮なく。王は王立学園(アカデミー)を潰した後、市井に対して無料の青空学校を開くことをお考えと聞いています」
「うむ、アカデミーにかけていた歳費を削って、そちらに振り向けることを宰相や財務官僚は嘆願しておる」
元々は王妃の歳費であるのだが。
まあ、王妃はもう「いなくなる」予定なのだから、構いはしない。
すでにその計画を進めつつある。
公爵家の後ろ盾がなくなった以上、もうアカデミーが潰れることは決定していた。
「では、私をその教師に雇って頂けますでしょうか?」
「教師にか。そうか、市井の子供に教育を与えることを愉しみとするか」
「願わくば、ですが」
アレクサンダー王は優しく、理解を示した。
少しだけ、間をおいて。
そして王は答えた。
「それがお前の人生の救いになるのであれば、私は喜んでそれを応援しよう」
王はサムソンに優しかった。
同時に少し寂しくもある。
誰も彼もが彼の下を離れていく。
盟友も、愛息も、愛妻も。
アレクサンダー王はいよいよ孤独になる気がしていた。
「……願わくば、市井の様子を時々報告させて頂く名誉を承れれば」
「私に気を遣っているのか?」
アレクサンダー王は笑いそうになった。
この孤独をサムソンのような、植物が如き心の人間にまで見抜かれている。
いや――意外と優しい男だとは知っていた。
どこか、こそばゆい感じがする。
だが悪くない気分であった。
「よかろう。月に一度くらいは会いに来るがよい。騎士身分は取り上げるが、登城権はそのままにしておく。謁見の機会も与えよう」
「有難うございます」
まあ、色々と語ったところで。
それは将来の話である。
まだ何も終わっていないのだ。
「だが、それは決闘裁判が終わってからの話だ。まずはイザベラ嬢と戦友に寄り添うことを考えよ」
「もちろん。それまでは両刃斧を携えることを忘れておりません」
サムソンが笑おうとして、やはり笑えなかった。
彼は生真面目である。
きっと、青空教室の教師になってからも生真面目であろう。
アレクサンダーは苦笑いした。
「貴卿が、サムソンが良い教師になれることを願っておる。このアレクサンダーが見届けよう」
アレクサンダー王は全てを失いつつある。
盟友も、愛息も、愛妻も。
そこから先にあるのは王としての孤独だ。
だが、このサムソンが些か、それを慰めてくれる気がした。
「有り難く」
神妙に応える。
そんなサムソンは相も変わらずに生真面目であった。
サムソンの騎士身分返上による処刑執行人としての死。
本日この場にて、この決闘裁判における三人目の騎士が死んだ。
7 Knights to die(三章「At least some mercy」) 完
四章「The Ghost Of You」ですが
変わらずこのまま週一ペースとなります。ご了承ください
現在、書き溜めは65話五章完まで進んでおります。
年内に書き終える予定です。