第40話 Worst case scenario
第二王子の執務室。
アカデミーの隅にある一室にて、アーデルベルトは叫んだ。
もちろん、それは先日の決闘にて気絶させるほど手酷く殴りつけてきたアルバンに対してである。
だって、それ以外にアーデルベルトの周囲にもはや人間は残っていない。
すでにアルバン以外の全員が逃げ出しているのだから。
おどおどした「振り」をして顔を出したアルバンに、アーデルベルトはとにかくも見苦しく絶叫した。
「よくも、よくも裏切ってくれたな! お前だけは信じていたというのに!!」
「――いつ私が裏切ったと?」
アルバンは素知らぬ顔をした。
まるで心外だと言う顔つきである。
無論、実際には数年も前から裏切っているのだが、そんな事実はどうでもよい。
どのように、この馬鹿に誤魔化したものかをアルバンは思考している。
「私をあの決闘で殴りつけたであろうが!!」
「あれはアーデルベルト様が、ベルリヒンゲン卿の降伏を認めなかったからです!!」
「何故認める必要がある。どうせ負けるのだぞ!?」
どうせ負けるなら認めた方がよいであろうが。
無駄な犠牲を出さなくて済む。
あの試合を続けることに何の意味があった!
そう口にしようとしたが、どうせ負けるなら役立たずのクズなど死んでしまえばいい。
アーデルベルトの思考回路はそのように出来ている。
自分の役に立たぬ者の命などに、価値を見出していなかった。
あの誇り高きベルリヒンゲン卿を、アカデミー卒業生を殺した単なる罪人としか見ていないのだ。
本物の愚図である。
だから、この言い訳は使えぬ。
「公爵家の立場もお考え下さい。あのままベルリヒンゲン卿の死を認めては、彼に同情的な公爵家内部からも突き上げを食らいかねません。父ラインホルトの立場とて危うく――あのような無礼な行為に出ねば、どうにもならなかったのです」
首を振る。
いかにも残念そうに。
どうしようもなかったのだと、そう申し訳なさそうに告げる。
もちろん、アーデルベルトの顔を殴りつけた時は、思い切りスカッとしていたが。
それこそ数年分の鬱憤を晴らせたように。
「ラインホルトを殺したのはお前であろうが! 世間で噂になっておるぞ!!」
「父を殺したのは兄です。世間の身勝手な噂など信じないでください。何故、何年も貴方の御傍に仕えてきた私ではなく、世間の噂などを信じるのですか!!」
実際には、公爵家を守るために父の最後のあがきからの、自裁であったがな。
それを口にしたところで、自裁など考えたこともないアーデルベルトには理解できないだろうが。
アルバンは、もはや眼前の愚図に嘘をつくことなど騎士の罪とは思わなかった。
最後までスパイとして、ウェットワークを全うしよう。
毒を食らわば皿までである。
「兄? クラウスがやったのか」
「はい。兄であるクラウスが父を殺しました。元々、兄は当主の座を欲しがっておりましたから……今回の機を見て毒殺したのです」
「……」
疑っている。
アーデルベルトは私を疑っている。
だが、父を殺したのは私ではなくクラウスだと証言すれば――それを信じるのだ。
自分に立場に身を置き換えることで、それを容易く信じる。
「本当か?」
「事実です。アーデルベルト様とて、王の立場が転がり込んでくるのであれば、喜んでアレクサンダー王を殺すでしょう。兄とてそれは変わりません」
嘘である。
だが、アーデルベルトは本物だ。
王という立場に強制的に付属してくる仕事の負荷、その我慢や義務など考えたこともない。
なんとなく偉くなれる。
人に崇め奉られるから王になりたい。
この男には、その程度の自分にとって都合の良いように動くはずだという誇大妄想狂の知能しかないのだ。
本物の馬鹿だった。
「……それについては信じよう」
ゆえに、信じた。
アーデルベルトは理由さえあれば、可能な状況であれば、間違いなくアレクサンダー王を殺す。
実際には逆に殺される結末が待っていようが。
ともあれ信じてはくれた。
スパイを継続できることにほっとして、如何にも私は許して頂いたことに対して。
「信じて頂き、有難うございます。私はいつでもアーデルベルト様の御傍に。裏切るなどもってのほかでございます」
心にもない言葉を口にした。
満面の笑顔で。
「だが、貴様が私を殴りつけたことを許すつもりはない」
小さい。
あまりにも器が小さかった。
どうすれば、この小便瓶のような形をした、まこと小さい器の男が産まれるのか。
付き合って数年のアルバンにさえ理解できなかった。
私を疑っているのではなく、本当にただ殴られたことだけを恨んでいるのだ。
聞かん坊の5歳の幼児とて、もう少し性格が成熟しているだろうに。
「どうすればお許しいただけますか?」
「決闘に出よ。元々、その予定ではあったが」
まあ、それは考えていた。
ギリギリ許容できる範囲の条件である。
「わかりました。次の試合にでしょうか?」
どうしても、可能な限りはスパイを続ける必要がある。
だからこそ、少なくともアーデルベルトを騙す程度には真剣に決闘にも挑む必要は出てくる。
あの七騎士に殺される可能性とてあるが――まあ、自分から敗北を認めることはできた。
色々と危険はあるが、この条件ばかりは受けるしかない。
「いや、違う」
「はて」
だが、アーデルベルトはそれを否定した。
次の試合ではない?
「お疑いならば、次の試合に挑み、自らの手でそれを証明せよ! そう言われるものとばかり考えておりましたが」
「お前は考えが浅いな。その程度の知能しかないのか」
お前よりは少なくとも深いよ。
そこらの猿にも劣る知能の持ち主が何を言うか。
そう思わず口走りそうになったが、アルバンは我慢した。
アルバンは我慢強さにおいては、ザクセン王国一の騎士ではないかという自負がある。
なにせ、このアーデルベルトへのスパイを数年も我慢してきたのだから。
「次の試合において、出場者はもう決まっておる。お前が出る必要はない」
「その次の出場者とは?」
スパイ行為を継続しなければ。
とにかくも、誰が出て来るかは突き止めておかねばならぬ。
そうしてロバの耳を通して、紋章官から七騎士にそれを今まで伝えてきた。
可能な限り、七騎士の決闘条件を優位にしようと努めてきた。
今回も変わらぬ。
そう思うが。
「教えぬ」
「……やはり、私が信用できないと?」
拗ねたフリをする。
とにかくも交渉である。
粘り強い交渉術に、アルバンは長けていた。
こう拗ねたフリをすれば、アーデルベルトも折れると見込んだが。
「いや、違う。私も誰だか知らぬからだ。まだ聞いておらぬ」
「はて」
アーデルベルトさえも知らぬ?
どういうことだと考えたが、アルバンはすぐに理解した。
「王妃テレージア様が手配をされていると?」
「そういうことだ。必ずや勝つから心配はいらぬ。今後も私に任せておけと仰られた」
「なるほど」
アーデルベルトの阿呆はともかく、王妃テレージアは疑っているのだ。
誰かが七騎士に対戦相手の情報を漏らしていると。
だから、アーデルベルトにも教えていない。
もしくは――未だに誰が対戦相手か決まっていない。
そうアルバンは考えた。
「……」
これは困った。
最悪の展開である。
第三試合で王妃テレージアが父を脅迫したように、あの女は手段というものを選ばぬ。
醜悪な性格をした、傾国の悪女であった。
アルバンが王妃テレージアに取り入ることは不可能であるわけだし。
さすがに今から近づいても疑われるのは目に見えている。
王妃側にも、もちろん『ロバの耳』は潜んでいるはずだが――期待できぬ。
もし有効に働いていたならば、あの女がアルミン王太子の母君を。
マルゴット様の暗殺を防ぐなり、事態の摘発なりができたはずである。
だから何も期待できぬ。
おそらく、今回の対戦相手は直前まで掴めぬ。
「……」
「何を黙っている」
役立たずのアーデルベルトめ。
お前自らが決闘代理人を用意することすらできんとは、本当の愚図めが。
これではスパイをする意味さえないではないか。
だが、ここで仕事を投げ捨てるわけにもいかぬ。
「いえ、次の決闘代理人が誰になるかを考えておりまして。こちらが一勝、相手が二勝。今回こそは勝ってもらわねば困ります」
「なるほど、確かに。だが心配する必要はないぞ。あのシュテファンやベルリヒンゲンのような役立たずとは違う」
アーデルベルトが笑う。
気味の悪い、本当に薄気味の悪い笑顔であった。
思わず殴りつけたくなるぐらいの。
「母曰く、今回用意する決闘代理人に勝てる者など、ザクセン王国の何処にもいないということらしいからな」
アーデルベルトが自信を持って口にする。
それが誰になるかも知らぬ癖に。
アルバンはため息を吐く。
ザクセン王国の何処にもいない?
ディートリヒ卿を目の前にしても、その決闘代理人はそんなことを口走れたものかね。
あの方は、本当にザクセン王国最強の騎士であるぞ。
「……」
そのディートリヒ卿は、すでに王妃テレージアからの勧誘を断っている。
遅延工作に失敗し、散々にテレージアに対し侮辱を加えた上でのことだ。
だから、再勧誘もない。
確実に失敗することなどテレージアの鶏頭でも理解できるだろう。
だから、それだけはない。
七騎士――ドミニク卿側は誰が出ることになるであろうか。
こちらの決闘代理人が掴めない以上は、おそらく残りの4名の内での最強が出張る事になるであろう。
アッカーマン家の陪臣騎士殿。
聞くところによれば、アッカーマン辺境伯と突撃を共にした騎士団長であったはず。
おそらく、彼がヴォルフガング卿を除けば一番の強者であるはずだ。
アルバンは子供の頃からの騎士教育、その直感からそう予想している。
とにかく――現状は、考えた中でもスパイとして最悪の展開であった。