ザクセン王国宮殿。
登城権を持つ騎士でさえ、容易に踏み込めない場所に一人の騎士が招かれている。
招いたのは王妃テレージア。
招かれたのは、第一王太子親衛隊の隊長ディートリヒ。
そして――厭らしい笑顔で迎えたテレージアに対し、ディートリヒが放った第一声はこうだった。
「ぶち殺す」
まず、ディートリヒは横に立っていた王妃親衛隊の衛兵の首を、一撃の下に刎ね飛ばした。
アカデミー卒業生でたまたま武術の成績が良かったから衛兵職に就けただけの、何の役にも立たない未初陣の騎士である。
いや、ディートリヒの感性から言えば、それは騎士などではない。
ただのアカデミー産のゴミであった。
殺すことに何の痛苦も抱かぬ、羽虫が如き存在。
抵抗する暇さえなく、衛兵の首なし死体は地面に転がった。
「――なっ」
テレージアが思わず声を挙げた。
まさか、いくらなんでも。
ディートリヒがそのような暴挙に出るとは考えもしなかったと言いたげに。
「おい、メスブタ。よくも人の妹に毒を盛ってくれたな」
「――何の事でしょうか。私は何も」
「貴様がアルミン王太子の母上、マルゴット様に毒を盛ったこと。もはや誰もが承知している」
ディートリヒは間違いなくザクセン王国で一番の大英傑である。
国家中枢から情報と相談を委ねられる人物である。
すでにアレクサンダー王から、マルゴット暗殺についても聞いていた。
だから、確信を持っているのだ。
「そのような話を信じているのですか!?」
「妹が突然、病床に陥ったとイザベラ様から伝え聞いた。貴様、アカデミーの宿舎にて同じ毒を妹に盛ったな? こうして貴様がもう一度茶会に呼んだことを考えると、状況的にお前の仕業しかありえん。このディートリヒに人質を取ろうとしたな? 愚かな事だ」
「な、貴方。少しは人の話を――」
ディートリヒはテレージアの話を聞かぬ。
剣をまた振った。
慌てて近寄ってきた衛兵の足が吹き飛び、体勢を崩したところに――また剣閃を走らせる。
二つ目の首を刎ね飛ばした。
やはり、それは騎士などではなく、ただのアカデミー産のゴミに過ぎなかった。
何の抵抗も出来ず、首を刎ね飛ばされるだけの。
ディートリヒが自身の戦果に数えないほどに、何の価値もない首であった。
「ディートリヒ! ここをザクセン王国の宮殿であると弁えての事か!? この王妃テレージアを前にして、無礼どころか、刑罰として咎められる行為だと理解して――」
「正直に言え。このまま貴様も死にたいか!?」
「……」
王妃テレージアは怯えた。
ディートリヒという存在を根本的に勘違いしていたのだ。
制御できると。
操り人形にして、精々こきつかってやろうと。
そうすることのできる、もっと理知的な騎士だと考えていたのだ。
だが、これでは荒れ狂う大猪も同然の生き物ではないか!
テレージアは心底怯えて――だからこそ強気に出た。
ここで引くわけにはいかぬ、引けば死ぬと。
息子であるアーデルベルトの命がかかっているだけではない。
ここで認めれば、自分の命まで脅かされる!!
「さて、なんのことだか。しかし、よくよく考えてみなさい。私がもし犯人だとすれば――」
「次は女官だ。貴様に仕える者、一人ずつ、一人ずつだ。じっくり首を刎ねていく。王妃派閥に属しているだけで、汝ら罪有りき。最後にお前だ、テレージア」
給仕をしていた女官が捕まった。
女官が強烈な悲鳴を上げるが、やはりディートリヒはそれに何の痛苦も見せぬ。
ほうっておけば本当に殺すだろう。
交渉の余地はない。
「ディートリヒ!」
ザクセン王国最強騎士ディートリヒに言葉は通じぬ。
その強さの本質は剣の強さにあるだけではない。
とびっきりの『猪突騎士』と呼ばれる、思い切りの良さにあった。
平時でさえ、人を殺すことにいちいち躊躇などしないのだ。
ほうっておけば、瞬く間に宮殿に死体の山を築くだろう。
どうしようもなかった。
「解毒剤が欲しければ、私に従え!!」
何もかもを認めて、命令するしかなかった。
唇が震えたが、テレージアはなんとかそれを隠しきった。
「認めたな?」
ディートリヒが、女官から手を離した。
女官は足早に逃げていく。
きっと、宮殿から逃げだして助けを求めるのだろうが。
王妃親衛隊が何人集まろうが、ディートリヒの相手ではなかった。
勝てぬ。
この者に勝てる者は、ザクセン王国の何処を探してもおらぬ。
それを今、嫌というほどテレージアは理解した。
眼前の「これ」は、人の枠を超えた化物だった。
「私を殺しては、解毒剤が手に入らんぞ」
「お前を殺した後、関係者一人一人を拷問すれば、その内に辿り着くであろうさ」
ディートリヒは怒り狂っていた。
彼にとっての妹とは、たった一人の家族である。
両親はすでに他界しており、アカデミーに妹を送ったのも望んでの事ではない。
イザベラ・フォン・アッカーマン。
王の盟友であるアッカーマンの愛娘、辺境伯令嬢である大事な彼女を護る為には、アルバンという一人の男手だけでは足らぬ。
女手がどうしても必要であった。
その任務として、大切な妹を差し出したのだ。
なによりも大切な、自分の命よりも大切な妹を。
それが毒を盛られた。
王派閥は打つ手を間違えた。
あのアーデルベルトの愚図が婚約破棄を訴えたその日の内に、イザベラ嬢と一緒に、アカデミーからすぐさま遠ざけておくべきであったのだ。
後悔をしている。
だが、ディートリヒは舐められておきながら、それで引き下がるような男ではない。
引き下がっては騎士ではない。
「もうよい。王妃派閥は本日をもって皆殺しだ」
すう、とディートリヒが息を吸った。
戦の呼吸であった。
宮殿における大殺戮を行う覚悟を決めたのだ。
ディートリヒがその気になれば、たった十数名しかおらぬ王妃親衛隊を皆殺しにするなど、茶を啜るよりも容易であった。
アレクサンダー王はもっと穏便な方法を考えていたであろうが、知ったことではないとばかりに、行動に走る。
テレージアは慌てた。
慌てたが、それは表に出さぬ。
兄である公爵を脅し、マルゴットを暗殺し、その経験を積んだ王妃テレージアはまさに傾国の悪女である。
この状況に追い込まれても、自分だけは死なないという何処か異常な確信があった。
今まで上手くやってきたのだ、今回も成功するに違いないという根拠不明な自信が――
「やれるものならやってみなさい。その時は、貴方の妹も道連れですよ」
「……」
ディートリヒの表情が、僅かに歪んだ。
自分が死ぬ覚悟はいつでもある。
アルミン王太子のためならば、自分の心臓を捧げる覚悟だって。
だが、大切な妹を見殺しにする覚悟まではなかった。
それは誰にも差し出せないものだ。
「解毒剤を寄越せ」
「条件があります。決闘裁判の第四戦に出場しなさい。そこで勝利することです」
「……貴様がその後に解毒剤を渡すという保証がないだろうが。笑わせるな」
ディートリヒにとって、妹とは究極の人質である。
そこに目をつけたところだけは、テレージアは正解していた。
だが、その人質に対して命の保証がなければ、従う理由がない。
むしろ、このまま皆殺しにするのが正解ではないか。
そう考えてディートリヒは剣を抜いた。
暴力を支配する者こそが、交渉は有利なのである。
「……」
「……」
ここでディートリヒとテレージアは、互いに悩んだ。
さて、どう交渉するべきか?
結局のところ、テレージアは騎士を舐めていた。
ザクセン王国最強騎士ディートリヒを、穏便に脅迫できる温厚な存在と見下していた。
実際には荒れ狂う獣を、アルミン王太子のカリスマがなんとか御しているに過ぎない存在であったが。
ともあれ、その認識はすぐさま修正して――
テレージアは再度の脅迫に臨む。
「あの毒はすぐさま死ぬような毒ではありませんよ? まずは落ち着きなさい」
「……」
ディートリヒは悩んだ。
天が裂け地が砕けようとも、妹を見捨てる気などは全くないし――それに、妹が守ろうとしたイザベラ嬢も。
妹の看護を理由に、アカデミーに留まっている。
今のアカデミーは二人にとって危険であった。
公爵家当主ラインホルトが死亡し、当主がクラウスとなった以上。
すでにアカデミーの閉鎖は決定事項である。
それに反発を抱く教師、また生徒は多い。
潜在的な敵が無数にいる。
毒ですぐに死なずとも――身動きが取れぬ以上は。
二人が宿舎から逃げ出すことが出来ぬ。
「まあ、貴方もよく知っての通り、アカデミーは王妃である私の庭のような物。貴女の妹は毒で死なずとも、身動きが取れなければ殺すのは難しくありませんがね。もちろん、イザベラもろとも」
「……」
王妃テレージアは恐怖している。
ディートリヒが本当に交渉に応じるものかと怯えている。
逆に、ディートリヒは悩んでいる。
ここでどう動くか、どうすべきが正しいかは、本当に悩むところであったが。
「……いいだろう」
ともかく、騒ぎは起こした。
宮殿にて荒事を起こし、『ディートリヒに何かがあった!』とはアレクサンダー王にも伝わるはずである。
それに、アカデミーにはスパイであるアルバンもいる。
あの男のくるくる回る頭は信用が出来た。
ここは不愉快だが、テレージアの脅迫に従い、アレクサンダー王やアルバンがどうにかしてくれる事を信じることが最善だと。
すでに宮殿にて二名を殺害した『猪突騎士』はそう判断を下した。
「決闘裁判に出れば良いのだな?」
交渉に折れた。
ディートリヒは自分一人の力に頼らずに、味方に任せることをここで選択した。
「それに加えて――決闘裁判当日まで身柄を確保させてもらいましょうか」
テレージアは恐怖している。
とりあえずディートリヒが折れたはいいが、このままでは交渉などできぬ!
立場が上位になったわけではない。
だが、ともあれ第四戦目の決闘代理人は確保した。
勝てはするだろう。
だが、これで追い詰められたのはむしろ自分。
それを自覚しながらも、テレージアは愛息であるアーデルベルトを庇うことだけは諦めていなかった。
愚かしき母の愛である。
ディートリヒは身柄を確保され、その後消息を絶つ。
アレクサンダー王とクラウスが、その異常に気付いたのは翌日のことである。