「――イザベラ様がアカデミーに囚われているだと!!」
怒号が辺境伯家の下屋敷に響き渡った。
元黒騎士、現イザベラ嬢の家臣であるヨルダンの怒号である。
彼にとっては自分の命より優先すべき対象が、主君となったイザベラ様であった。
この怒りも当然であろう。
「落ち着かれよ、現在進行形で危険というわけではない。むしろ、人質同然である以上は身の安全は確保されているといえよう。まだまだ余裕はある」
紋章官が手短に、現状を伝えたが。
まあ予想通り、ヨルダン殿は激高した。
「すぐさま救出せねばならぬ。今からでもアカデミーに向かおうぞ!」
「まずは落ち着かれよ」
忠誠心が溢れんばかりのヨルダン卿を諫めるには骨が折れる。
アレクサンダー王も、難しい仕事を依頼してくれるわ。
そう紋章官は内心で愚痴りながらも、仕事を全うせんとする。
とにかく救出作戦を計画せねばならぬ。
「救出するのは全員でになるか? とにかく数が多い方がよかろう。決闘裁判はこの際、後回しでも構わぬのでは? ディートリヒ卿が相手では誰が出たところで勝てぬし、最悪は欠席裁判でも構わぬのでは?」
ドミニク卿がそう進言するが。
その判断はよろしくない。
「いや、決闘裁判の欠席は名誉を考えれば拙いでしょう。戦わずにすぐさま降伏と言うのも……。また、救出ですが七人全員がぞろぞろと出向くわけにもいきません。今回の救出作戦は、敵の警戒を買わぬように。とくに少数で挑んだほうがよろしいでしょう」
ここでドミニク卿の言葉を否定したのは、紋章官ではなく陪臣騎士。
アッカーマン家陪臣騎士にして、騎士団長の地位であるレオンハルト殿であった。
いたく冷静である。
本当は――
「立場的には私が出向くべきところです。救出メンバーに是非とも手を上げたいところですが……決闘裁判にこれから出場するメンバー以外で何とかするのが最良と意見します」
そうだ。
レオンハルト殿こそが、アッカーマン家に仕える立場として参加したいところであろう。
だが、彼は彼自身でそれを否定する。
イザベラ嬢への忠義があればこそ、冷静であろうと努めている。
「ディートリヒ卿の妹、名をパウラ嬢でしたか。彼女が毒を盛られ人質に取られたというならば。次の相手が確定でディートリヒ卿であることが判っている以上、立ち向かえるのは、ヴォルフガング卿を除いては私ぐらいのものでしょう」
歯を食いしばっている。
食いしばって、耐える。
レオンハルト殿は冷静に立場を見定めている。
「……正直、ディートリヒ卿相手では誰でも死に番であろう。私が務めても良いが?」
領主騎士殿が気遣いを見せるが。
その判断は良くない。
「領主騎士殿、この七人の中で、貴方だけは死んでは拙い立場のはずだ。人質を取られたディートリヒ卿がどれだけ本気かはわからぬが……さすがに貴方を死に番としたくはない」
そうである。
領主騎士殿は確かに、今回の決闘の参加条件である妻女はおらぬ立場であるが。
息子もあれば、守るべき領民もいる。
死んではいけない。
そう簡単に死んでよい立場ではない。
あのディートリヒ卿が相手と言うのは危険すぎる。
「紋章官殿も、ドミニク卿も、出るのは最後がふさわしい。次の試合はこのレオンハルトが挑むことになります。それが正しい。救出部隊は――怪我をする可能性を考えれば、すでに決闘が終わったメンバーのみで構成されるべきです」
「諸々を兼ねると、出せるのは三人しか残らぬが」
ヴォルフガング卿が笑う。
まあ、笑ってはいるが――愉快そうに笑う余裕があると判断しただけで。
別に油断しているわけではない。
「十分でしょう。戦場と呼べるほどの過酷な状況を想定できない」
サムソン殿が、断言した。
そう、十分である。
ヨルダン殿も、ヴォルフガング殿も、サムソン殿も、百戦錬磨でハッキリ言って三人そろえばアカデミーのモヤシどもを相手に立ち回るなど訳はない。
複数名相手の戦闘など、戦場で嫌というほどに慣れている。
誰もが騎士として、上澄みも上澄みだ。
「では作戦はどうする?」
「ここにアカデミーの内部を記した地図があります。どこから手に入れたかは秘密としておきますが――」
アルバン殿からの提供である。
地図にはどこにイザベラ嬢とパウラ嬢が現在いるか、どこが侵入・脱出経路として相応しいかが書かれている。
相変わらず良い仕事をしてくれるものだ。
「敵として想定される相手は、王妃派の教員と生徒。鎧こそ着用していませんが、帯剣した十数名です」
「ふむ」
ヨルダンが身を乗り出して地図を見る。
イザベラ嬢とパウラ嬢、二人がいる部屋を指さしながら作戦を話す。
「まずはヨルダン殿に家臣として乗り込んでいただきましょう。屋敷に帰ってこない主君を心配してとの事と言い張れば、部屋まで辿り着くことはなんとでもなります。残念ながら鎧は着用できませんが――」
「帯剣は良いのだな。丁度、ヴォルフガング卿から頂いた業物の剣がある」
これさえあれば安心だ、とばかりにヨルダンが腰元の剣を叩いた。
ヨルダン殿にやってもらいたいことは――
「まずはヨルダン殿に、正々堂々と内部に侵入して頂きます。無事、イザベラ嬢とパウラ嬢のところまで辿り着いたならば、その部屋で立てこもっていてください。ドアの前で立ち塞がって頂ければ」
「なるほど」
その一言で理解を得た。
ヨルダン殿は頭が悪い人ではない。
「私が立てこもって、お二方を護っている間にサムソン殿とヴォルフガング殿が、アカデミーに突入してくるというわけだな。それまで持ちこたえれば良いということか。両者が到着次第、イザベラ嬢とパウラ嬢を連れてアカデミーを脱出すると」
「はい。そうなります。アカデミーに突入する日ですが――」
今すぐにでも、と言いたいところだが。
出来る限り、警戒の少ない日が良い。
さて、どうするか。
「二つあります。決闘裁判の当日、あるいは前日か」
「決闘当日でなくても良いのか? アーデルベルトはもちろん、観戦希望の生徒や教員もコロッセウムに出払っているであろう。一番警戒が緩む日だと思うが」
「アカデミーはもはや死に体なのです。前日でも大丈夫です」
ラインホルト公爵が死んだ時点で、もはやアカデミーの解体は決定事項である。
逃げ出せる賢いネズミはすでに逃げ出しているし、女子生徒の多くは実家に帰っている。
アカデミーに残っている数は少ない。
もう何処に行くことも出来ない、今更寝返る伝手も持たない王妃派のアホだけである。
「我らの危険を最大限に減らすのであれば、まあ決闘裁判の当日とすべきですが――」
「前日でよかろう」
ヴォルフガング殿がそう判断する。
油断は禁物だが。
ディートリヒ卿には勝てずとも、ザクセン王国騎士の中でも最強に限りなく近い上級剣闘士の彼がそういうのであれば問題なかろう。
「では前日ということで。といっても、まあ後二日もないのですが」
「装備を調えよう。まずはヨルダン殿が帯剣のみで辿り着いたと思われるタイミングを見計らって、完全武装の我らが突入すると。立ち向かって来る者は皆殺しで良いな? 一応は貴族の子弟や騎士である教員が含まれるのであろう? 問題は無いか?」
ヴォルフガング卿が物騒な事を言うが。
まあ、殺して問題になる相手は一人もいない。
立ち向かって来る者は全員が王妃派閥である。
「構いません。むしろ殺した方が後腐れなくてよろしいでしょう」
少なくともアレクサンダー王やクラウス殿は喜ぶはずだ。
何の咎めも気にする必要はない。
「では、そのように」
誰もが頷いた。
これで救出作戦の方は良い。
まずは良いが――
「さて、後はこのレオンハルトがどこまでやれるかであるが」
肝心の決闘裁判がどうなるかわからぬ。
救出作戦より優先度は低いし、最悪負けても仕方ないところであるが。
レオンハルト殿は、我が身を心配した。
「人質を取られているのだ。相手も本気では来ないであろう?」
ディートリヒ卿を名前以外で良く知らぬ、ヨルダン殿がそう意見する。
普通はそう考える。
だが、少しでもディートリヒ卿を知っている人間にとってはそうではない。
「ディートリヒ卿は戦いの際に、一切の手加減ができぬのだ。そのような器用な性格をしていない。決闘裁判に挑むのは全く本意ではなくとも、全力で来る可能性が高い」
ドミニク卿が答える。
その通りである。
あれは荒れ狂う大猪だ。
なにせ、戦場では味方すらもディートリヒ卿の傍に寄るのを避けるくらいである。
だれも荒れ狂う死の旋風に巻き込まれたくないのだ。
「正直、負け前提ではある。だが無様な試合を見せて、イザベラ様の名誉を穢すわけにもいかぬ」
レオンハルト殿はそう決意を口走る。
とにかく、誰もが頑張らねばならぬ。
決闘当日にはイザベラ嬢の姿を見せ、少なくともパウラ嬢の救出作戦は成功したのだとディートリヒ卿に教える必要がある。
ただ、毒ばかりはどうにもならん。
アカデミーの人間を全員拷問して、パウラ嬢に毒を盛った下手人を突き止める方法も考えたが。
おそらくもうアカデミーからは脱出しているであろう。
パウラ嬢の救出には成功しても、人質に取られていることに変わりはないが――
とにかくイザベラ嬢が姿を見せれば、ディートリヒ卿を少しは安心させることが出来る。
「各自、準備を調えることにしましょうか」
ドミニク卿が話をまとめ、結論を口にした。
「承知」
レオンハルト殿が答えた。
それに応じたように、誰もが首肯した。
救出作戦の決行は2日後である。