陪臣騎士レオンハルトは、アッカーマン辺境伯家の筆頭家臣の子として産まれた。
嫡男である。
すでに三人の姉がおり、家にとっては待望の男の子であった。
大事に育てられたが、同時に厳しい騎士教育を受けた。
感謝している。
もちろん、あまりの騎士教育の厳しさにレオンハルトとて心が折れそうになったこともある。
父や母を憎んだこともあった。
だが、あの厳しい教育を受けた時があるからこそ、今の自分があるのだと。
そう認識している。
レオンハルトはすくすくと育ち、筆頭家臣としての立場を誰にも譲らぬように。
誠に立派なアッカーマン辺境伯家の騎士として、将来は父が務めあげている騎士団長の地位を誰にも奪われぬように。
そう望まれて育てられた。
だが、14の時にだ。
騎士叙任式にて、とんでもない失敗をしたことがある。
「――」
辺境伯領には陪臣騎士が沢山いる。
その数は百名をゆうに超えており、代替わりで息子に騎士の資格を明け渡す者も沢山いた。
要するに、一人一人にではなく同時に複数名の騎士叙任が行われるわけだ。
剣の肩打ち、抱擁、騎士の資格を得るための通過儀礼。
それ自体はもちろん各自に行われるわけだが。
その進行自体は、宣誓式に関しては、もちろん筆頭家臣家である私が代表として立ち振る舞わなければならぬ。
だというのに。
「――」
だというのに、私はその通過儀礼でとんでもないミスをした。
ザクセン王国の臣従儀礼においては、家臣、主君、双方の宣誓が必要になる。
誰もが判り切っていることではあるが、主君が「何をしに我が眼前に現れた」と尋ね、家臣が「私は自分が仕えるに値する主君を探すためだけに長い旅をここまで続けて参りました。そしてついに自分に相応しい主君を見つけたのです」と答える。
もちろん台詞には色々と騎士に成るまでの経歴から応用を利かせて良いし、それぞれの騎士家にはその騎士家が為してきた勲功からの台詞というものもある。
もちろん、こういった儀式にはつきものの紋章官が色々と指導してくれる。
このレオンハルトも念入りな指導を受けた。
だが、よりにもよって。
この、騎士として人生でたった一度きり、二度目があるかどうかわからぬアコレード(騎士叙任式)で。
「――」
私は台詞を忘れてしまったのだ。
緊張のあまり、記憶がぽっかりと欠落してしまったのだ。
こういったときにすべき機転も回らず、何の言葉も口にできぬ。
とんでもない失態である。
「――?」
やがて、騎士叙任式を見守っている周囲の騎士たちが、訝しみだした。
気づいたのだろう。
あの筆頭家臣の息子、よりにもよって宣誓の言葉を忘れやがったぞ、と。
空気が怪しくなる。
当たり前だが、こういう時のやらかしは、そのまま騎士としての評価に繋がる。
肝心な時に肝心な事を為せぬ騎士が、主君の危難のときに役に立つわけがないからだ。
背筋がぞっとした。
致命的なミスである。
とんでもない恥をさらしている。
私は何かを口にしようとして何もできず、硬直した。
そして、それはアッカーマン辺境伯家にも伝わったのだろう。
厳しい御咎めの言葉があることを覚悟して――今後、『恥さらしのレオンハルト』といった綽名が付けられることを恐怖しながら。
「あ、ごめん。さっきの臣従礼の台詞、ちょっと間違えてたわ」
全く違う言葉。
アッカーマン辺境伯は突然、奇妙な事を言い出した。
謁見の場にいる騎士全員を見渡して、間違えてた間違えてた、うんうん、と一人頷くのだ。
敬虔な儀式の最中にである。
いや、間違えていたはずがない。
先ほど、主君としてちゃんと見事な宣誓をされたはずである。
その御言葉はこうであった。
「さて、汝に問う。我が筆頭家臣の子レオンハルトよ。ここまで剣の道を潜り抜けてこられた理由は何か? 我が眼前に現れて、こうして跪いた理由を尋ねたい」
と。
実際にはもう少し長いが、内容としてはこうだった。
それから、家臣代表として私はこう答えるのだ。
「あ……」
思い出した。
自分が家臣としてどんな宣誓を口にすべきだったか、その台詞を。
背筋からの怖気が取れた。
「やり直そうか、どうしようか――」
「続けましょう。我が主君(マイロード)」
続行を願う。
台詞は完全に思い出した。
もちろん、それはアッカーマン辺境伯が緊張を解いてくれたおかげである。
辺境伯は、我が主君は、自分のミスを修正してくれたのだ。
「そうか、そうか。この主君のミスを許してくれるか。お前は優しいな、レオンハルトよ、主君と家臣の関係は双務的契約関係。関係がこじれたら、契約を破棄することも許されるが――同時に、契約関係が続く限りは、お互い助け合う関係である。主君が一方的な奉仕だけを要求するものではないのだ」
アッカーマン辺境伯が笑う。
大笑いであった。
やらかしやがった、という空気がその大笑いで途端に崩れ、誰もが緊張をほぐしたように儀式を見つめている。
そこに、このレオンハルトを咎めるような視線は一切なかった。
「それでは臣従儀礼(オマージュ)を続けよう。レオンハルトよ。宣誓の言葉を述べよ」
あの時、その後に述べた家臣としての宣誓の言葉はすっかり忘れている。
イザベラ様が産まれる以前の時の言葉だったから、時が忘れさせたのではない。
あの時の宣誓の言葉には、色々と足りないものがあった。
今やり直せるならば、きっと、もっと違う宣誓の言葉を述べただろう。
長々と、骨の髄から貴方以外の何処にも私の主君はいないのだと宣誓を口にしただろう。
私が主君に忠誠を誓ったのは、確かにあのアコレード(騎士叙任式)が最初であったが。
私が主君に惚れこんだのは、騎士として長年仕えて。
アッカーマン辺境伯という人間が如何にかけがえのない主君であるかを知ってからだからだ。
あの時の14のガキが口走った宣誓の言葉など、あまりにも軽かった。
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「このままだと負けるな、この戦は」
戦場を見晴らせる小高い丘であった。
先ほど戦功を挙げた黒騎士を陪臣騎士に勧誘していた口で、彼には決して聞かせられぬ言葉を。
主君は戦の敗北を口にする。
「我が主君。まだ敗北と決まったわけでは――」
私はまずそれを否定しようとしたが。
「筆頭家臣にして、騎士団長たるレオンハルトに問う。今は二人きりだ。正直に家臣としての見解を口にせよ」
「――」
そうまでハッキリと言われては、佞言など許されぬ。
今は現状をハッキリと口にしなければならんかった。
「兵士も騎士も足りません。援軍が必要です。もっとアレクサンダー王には頼めぬのですか」
正直言えば、現状は最悪だった。
何人かの味方側の傭兵が、戦場から逃げているようであった。
一傭兵にどちらが不利かがわかるぐらいなのだ。
どちらが苦境かなど、誰の目にも明らかである。
「これ以上、盟友殿に負担をかけるわけにもいくまい。アイツはアイツで大変だ。――アルミン王太子が健在であれば、本人自らが援軍に来てくれたろうがな」
主君は肩をすくめた。
事実である。
アルミン王太子さえご健在であれば、先の戦で重傷を負っていなければ。
我が主君アッカーマン辺境伯と、アレクサンダー王は本当に誰よりも大事な盟友なのだから。
アレクサンダー王自らが救援に来てくれたであろう。
そうすれば勝利は容易かった。
あの王は、多少、いやかなりの短気ではあるが、本当に戦上手であったから――
「私があのアレクサンダーの半分も戦上手であればな」
「我が主君は、ご謙遜が過ぎます」
アッカーマン辺境伯は十二分に戦上手であった。
陪臣騎士全員が、我が主君のためならいつ死んでも構わぬという決意を胸に秘めているのだ。
死亡者も負傷者も多数なれど、未だ士気高揚。
アレクサンダー王が送ってくれた援軍も、ヴォルフガング卿やサムソン卿といった古強者が混ざって戦果を挙げている。
まだまだやれるはずなのだ。
だから。
「主君自らの突撃など、馬鹿な事をお考えになるのはお辞めください。突撃ならば、私がやります」
筆頭家臣として、主君の馬鹿げた決意を止めなければならぬ。
それだけはやってはいかんのだ。
「レオンハルト。私はもう十分生きた。息子もすでに20歳を超えている。何、私などいなくとも大丈夫よ。騎士の覚悟にもこんな言葉があるぞ。『騎兵が30まで無事に生きられるなんて思うな!』と。私はもう40をとうに過ぎた。そろそろ死ぬには良い頃合いではないか――」
死を覚悟しての吶喊など、認めるわけにはいけない。
まして、そのような寂しいことを仰るなどと。
「別に死にたくて死ぬわけではないし、そう容易く死ぬつもりもない。だがな、三年だ。もう三年も戦が続いているのだ。これ以上、戦費の拡大で何の罪もない民の生活を圧迫するわけにはいかぬし。アレクサンダーからの継続支援も限界だろう。いくら大事な国境線とはいえ、このままでは財務方から潔く国境線を退けと意見が出るだろう」
「では、そうすればいいではないですか! ここに至っては、多少領地を奪われる決断を!!」
譲歩しよう。
紋章官を使いに出して、敵方に国境線の引き直しを約束する。
悔しいが、仕方ないではないか。
「撤退で民が死ぬ。農地に根差した、今後の生活を約束しても絶対に動こうとせぬ何の罪もない民が無残に死ぬ。敵方の目的は明確な侵略であり、あぶれた自国民に新領土を宛がうことである。死ぬか、良くて奴隷か、ともかく酷い目にあうだろう。『戦う人』である騎士が民を見捨てる。それだけはいかん。何のために我々が騎士を名乗っているのか、それを考えてはな――」
見捨てればよい。
いくら大事な民とて、そこまでの我儘に付き合っていられるか。
だが、そう民を簡単に見捨てられる性格を主君はしていない。
だからこそ、だからこそ。
私たち陪臣騎士は、このアッカーマン辺境伯に心底惚れぬいているのだ。
「さきほど、あの丘で敵首魁を護る布陣が薄くなっているのがしかと見えた。明日にも突撃する。もちろん、全ての陪臣騎士に拒否権を与える。行き行きて戻れぬ吶喊だ。この主君と家臣の双務的契約をこれは超えておる。レオンハルト、お前にもだ。もし私が帰ってこなければ、どうか息子とイザベラをお前が筆頭家臣として守ってくれ」
馬鹿馬鹿しい。
とんでもなく馬鹿馬鹿しいことを仰る。
そのようなことを主君が家臣に口にしてよいものではない。
あまりにも――水臭い。
「行き行きて倒れ伏すとも、アッカーマン辺境伯と一緒とあれば、辿り着くのは喜びの野でございましょう。貴方に今から死にに行くぞと問われて、どこに断る騎士がいるものですか。誰もが貴方と共に死ぬ事を望むでしょう。共に行く陪臣騎士を募ります。戦場にて強き騎士のみを選び、知恵に優れたる騎士は御愛息とイザベラ様に残すこととしましょう」
私が筆頭家臣として言えることはこれだけである。
悲しむ妻とてもう死んでいる。
後は息子が家臣として、アッカーマン辺境伯の嫡男殿に仕えてくれるだろう。
この世に何の未練もなかった。
「そうか、そうか。では――共に」
アッカーマン辺境伯は、少しだけ困った顔で。
それでいて、主君としての威厳ある声で。
「一緒に死んでくれ、レオンハルト」
「承知!」
私は確かに承知したのだ。
そして、次の日に主君と共に、敵の首魁めがけて吶喊した。
我らアッカーマン辺境伯領の陪臣騎士の、誇りの見せどころである。
だが。
だが、しかし。
「――嗚呼」
――アッカーマン辺境伯は死んでしまわれた。
劣勢を覆すために、誰よりも先陣を切って、敵首魁を自ら討ち取りたる後に失血死による絶命を。
最初、何が起きたかわからなかった。
確かに我が主君は、敵首魁を討ち取るまでは元気に動いていたのだ。
すれ違いざまに、敵兵を何十も討ち取った。
その凄まじさはヘラクレスもかくやと言うほどであったのに。
敵首魁を討ち取った後、一分も経たぬうちに崩れ落ちて落馬した。
「我が主君!」
「もう無理だ、レオンハルト! 戦後交渉で必ずや遺体は取り返す!! 我々は主君の最後の命に従い、辺境伯領に帰らねばならぬのだ!!」
主君に縋り、その亡骸を傷つけようとするものは例え何者であろうが斬り殺してやる。
そう決意を固めた私を引きずって、味方の騎士が私を馬に乗せた。
「約束したんだ! 一緒に死ぬって約束を!!」
「そうだ! 約束をしたとも! そして、主君は見事敵首魁を討ち取った。首は刎ねて奪った! これを持って自陣に見事帰り着けという最後の主君の命に従うのだ!」
そうしなければ、主君の遺体を取り戻す事さえも叶わぬ。
血涙を流すように、味方の騎士が叫ぶ。
私はそれに抵抗する術を持たなかった。
「…約束、したんだ」
私の虚しい小さな悲鳴が、戦場にただ響いた。
結局、この恥さらしの私は主君を護ることができなかった。
肝心な時に肝心な事を為せぬ騎士が、主君の危難のときに役に立つわけがないのだ。
あのアコレード(騎士叙任式)でのことを思い出している。
あの時と同じだ。
主君と騎士の関係でいながら、主君のお慈悲にすがるだけで、何の貢献も果たせなかった。
私は『恥さらしのレオンハルト』だ。
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戦場祝賀会のパーティーにおいて。
私はイザベラ様に合わせる顔が無かったのだ。
「レオンハルト様、お気を落とさぬよう」
イザベラ様の慰めの言葉。
私はいつもの筆頭家臣としての顔で返す事ができなかった。
「父の遺体は無事、紋章官殿が交渉で取り返してくださいました。貴方が持ち帰った敵首魁の首と引き換えにです」
イザベラ様は毅然として礼を口にした。
その面影には、確かにアッカーマン辺境伯の面影があった。
「ならば、貴方が父の遺体を取り返したも同然ではないですか」
「私は生き恥を晒しております。一緒に死ぬと約束したのです」
静かな会話であった。
私は一人静かに酒を飲んでいた。
もちろん、それはアッカーマン辺境伯のための献杯であった。
「……父からよくよく聞かされておりました。私は過去にお前が生まれる前、とんでもないミスをしたことがあってな。レオンハルトの大事なアコレード(騎士叙任式)に言い間違いをしたことがあるのだぞと」
「……それは違います」
何もかも間違っていた。
私とて、それを新規にアコレードを受ける騎士達への会話のネタにすることがあったが、それは陪臣騎士達の身内の話で。
「アレはお前が恥かくところだったのを、我らが主君に助けてもらったんじゃないかよう」と口にされる。
いわば、儀式に臨むにあたっての騎士たちの緊張を解くための馬鹿話であったのだ。
なのに、我が主君は自分の恥話のようにイザベラ様には語っている。
「――とにかく、くれぐれも気を落とさぬように。貴方はアッカーマン辺境伯家の筆頭家臣なのですから」
「……」
その後もイザベラ様は私を慰めてくださったが、どうやら用事があるようであった。
主君が陪臣を約束した、黒騎士殿を探すとのことであったが。
私も筆頭家臣として後ろについて回って探せばよかったが――どうしてもその気が起きなかった。
主君の喪失に耐えられないでいたのだ。
その後の事は言うまでもないだろう。
イザベラ様がパーティー中に、あるかどうかも怪しい――間違いなく根拠皆無の誹謗中傷を受けた。
「……」
暗い憎悪が湧いた。
貴様、貴様。
貴様のような愚図ごときが、よくも我が主君の愛娘を。
よくもイザベラ様を侮辱してくれたな。
殺してくれるわ。
即座にそう考えたが、帯剣しておらぬ。
ともかくイザベラ様を救おうとしたが、私よりも先に動いたものがいる。
ドミニク卿であった。
参陣を求められ――私はすぐさま手を上げ、名乗り出た。
そして、見事に決闘裁判に参加することを認められた。
これ以上は。
私の人生について、語るべきことはもうなにひとつないだろう。
「……決闘裁判で死ぬのも悪くはない」
私は生き恥を晒している。
『恥さらしのレオンハルト』である。
もはや自分が生きていること自体が耐えられないのだ。
あの時、アッカーマン辺境伯の御傍を筆頭家臣として離れたこと。
これは生涯の恥である。
お前はその主君の遺体を取り戻したのだと皆は慰めてくれるが、その声は私に響かない。
だからこそ、私は決闘裁判に死に物狂いで挑むつもりである。
それがあの『狂える大猪』相手であっても。
イザベラ様の名誉を護るため、あの程度の騎士が筆頭家臣であるのなら。
――きっと、あのアッカーマン辺境伯もその程度の男であったのだろうと。
誰かに嘲り笑われぬようにするためならば、我が命など惜しくもなかった。
「貴方の、アッカーマン辺境伯のため、その娘イザベラの名誉のために。たとえ死すとも、名誉ある戦いを」
私のやるべきことは、ただそれだけだ。