レオンハルトは、ディートリヒ卿が入場口から出てくるのをただ見ていた。
相手の手加減は期待できない。
愛用の剣を携えぬ装備を見るに、手加減するつもりは一応あるのだろうが、それが出来る人間ではないのだ。
出来ないのが我らザクセン王国の最強騎士であった。
相手は大猪だ。
それもただの猪ではなく、全長10mもあるかのような、伝説の化物じみた膂力の。
一度でもこちらにミスがあれば、その瞬間に体の一部がもぎ取られるだろう。
「まあそれも良い。何一つ怖くはない」
レオンハルトは死など怖くなかった。
怖いのは、アッカーマン辺境伯の名誉と、その娘であるイザベラ様の名誉に傷が付くこと。
負けるだろう。
決闘という勝負には負けるだろう。
だが、騎士としての覚悟と勇気という点において、少しでも退きを示すわけにはいかないのだ。
そんな私の傍で、我々の代表者たるドミニク卿と補佐役たる紋章官が口にする。
「すまんが、もう決闘継続は無理だと判断した場合。その時点で割り込む」
「当然ですが、名誉は十分に守られた。そう判断した時点でも、敗北宣言をさせてもらいます」
二人は完全武装である。
鎧を着こみ、ドミニク卿は剣闘士用の網と棒、紋章官は長い荒縄を持っている。
敗北を認めた後も、ディートリヒ卿が暴走状態を続ける可能性がある。
それを危惧しての事だ。
果たして、ドミニク卿と紋章官殿が加勢しても――ディートリヒ卿を止められるかどうかは怪しいところだ。
相手は三人がかりでも勝てない男だからだ。
我ら七人がかりだと――どうかな?
少しは可能性が見えるかもしれない。
それぐらいに力量差があった。
イザベラ様が、相変わらず毅然とした態度で――同時に心配そうに、私に口にする。
「レオンハルト様。私だけでなく、貴方自身の騎士としての名誉もかかっている以上。すぐさま降参しろと口にはできません。ですが――」
「大丈夫です。勝てないことは承知しています。なれど――」
騎士としての不名誉を浴びることは。
『恥さらしのレオンハルト』でいることは。
死ぬより嫌な事なのだ。
そういった視線を、イザベラ様に投げかけた。
「何、アッカーマン辺境伯領、騎士団長レオンハルトの底力をお見届けあれ。必ずや、あのディートリヒ卿に傷の一つもつけて見せましょうぞ」
語るべきことは多くない。
イザベラ様と語るべきことは――アッカーマン辺境伯との思い出は、沢山ある。
だが、それはいま語るべきことではないのだ。
ただ、ひたすらに。
眼前の敵であるディートリヒ卿に抗い、立ち向かいて、騎士としての生き様を見せる。
私が陪臣騎士としてやるべきことは、ただそれだけなのだ。
「レオンハルト様。貴方が死んで一番悲しむのは――きっと、黄泉路の我が父であることをお忘れなきよう」
「――そうですね」
それはそうだった。
きっと、あの御方ならば、そう仰るだろう。
自分の無謀な吶喊に付き合ってくれた騎士たちが一人でも多く故郷に帰れたことを喜ぶだろう。
だから、私も容易く死ぬ気はない。
だが、しかし、だ。
私もそんな主君のためなら死んでも構わないのだ。
理想的な主君と、騎士との関係だったのだ。
たとえ生まれ変わっても、あの御方の騎士に成れればと思う。
だから。
「恥さらしのレオンハルト」という自身が、自ら抱いた汚名を雪がねばならぬ。
ディートリヒ卿に本気で立ち向かうことが出来れば、それが出来るように何処か思えた。
「さて、いつまでも入場口に隠れていては、臆病者だと思われてしまいます。そろそろ行きましょうか」
ドミニク卿と、紋章官殿を促す。
三人して、コロッセウムのアリーナへと近づく。
二人は途中で立ち止まり、後は一人で歩いていく。
私はアリーナの壇上へと上がり、ディートリヒ卿を見つめた。
「やあ、レオンハルト卿。ご機嫌は如何かな?」
彼はまだ正気であるようだった。
まあ、当たり前だな。
戦闘は開始されていない。
彼が「激しく猛り狂う」のは戦闘に入ってからの事だ。
「体調は万全であります。機嫌は――どうでしょう? 快不快に関しては、自分ではわかりかねます」
悪い気分ではない。
ザクセン王国最強騎士と、手合わせをするのだ。
騎士の誉れではある。
もっとも、始まるのは約束試合ではなく、本気そのものの手加減抜きの殺し合いだから。
おそらく、誰も羨むものはいないだろう。
「逆に、ディートリヒ卿のご機嫌は如何でしょうか?」
逆に尋ねてみる。
まあ、返ってくる言葉など判り切っているのだが。
「最悪だな。アーデルベルトの陣営に付くなど汚名でしかないわ!」
まあ、そうだろうな。
それに関してのみは同情する。
「……パウラはどうだ?」
ディートリヒが心配するのは、これからの勝負ではない。
ただ異母妹であるパウラ嬢のことである。
正直、何とも言えぬ。
「取り戻しはしました。今は安静にしておりますが――良い体調とは言えませんな」
毒だ。
紋章官殿が腕の良い王家直属の医者を手配してくれたが、何の毒だかは解明できていない。
第二王妃マルゴット様の毒も、結局最後まで解明できなかったのだ。
結果としては当然であろうが――
「そうか。解毒剤さえ手に入れば、この決闘など即座に中止して。後ろのゴミをこの場で殺してやるのだが」
顎で、後ろのゴミ――アーデルベルトを示唆する。
ディートリヒは怒り狂っていた。
身内に毒を盛られた以上、当然の反応である。
「この勝負が終われば、ディートリヒ卿はどう動きます? 私の考えでは、おそらく王妃派閥は貴方を恐れて殺そうとするかと思いますが――」
心配を示す。
その時、このレオンハルトが生き残っているかどうかは知らぬが。
少なくともディートリヒ卿が今後どうするかの動きは知っておかねばならない。
紋章官殿が、アリーナの傍まで近づいていた。
耳を澄ましている。
それに気付いたのか――ディートリヒ卿は、大声で叫んだ。
「知れたこと! 私を殺そうと取り囲もうとしたところで、全員皆殺しよ!!」
やはりそうなるか。
王妃がどう動くかの保証はないが、ともかくパウラ嬢の身柄は確保した。
我らの傍ならば、さしあたっての安全は確保されている。
ならば、復讐をするだろう。
「静かに王都に潜伏し、王妃派閥を一人一人殺していく。騎士も女官もだ。誰か一人くらい、マルゴット様と我が妹パウラに毒を盛った人間が混ざっているのかもしれぬ。それを必ずや探り出す」
「……」
ディートリヒ卿の判断は、必ずしも間違いとはいえぬ。
そもそも説得して止まるような御方ではない。
好きにさせるしかないだろう。
「……承知しました。我々は我々で、必ずやパウラ嬢を守り通し。どうにか王妃派閥から毒が何か。解毒剤があるかどうかを突き止めるよう動きますので」
「よろしく頼む」
とにかく、パウラ嬢の安全をお約束する。
ところで、彼女が――傍から見て、明らかにヨルダン卿に秋波を送っていることは口にすべきであろうか。
まだ出会って一日も経っていないのだが、イザベラ様が言うには「あれは一目惚れだろう」との事であった。
毒を盛られているというのに気丈な御方だ。
ある意味で、ディートリヒ卿の妹であることは間違いない。
そう口にしようとして――やめた。
人の恋路の邪魔になるかもしれないし、そんなことを話す場でもない。
「さて――そろそろ始めようか、レオンハルト卿。知っての通りだが、残念ながら私は手加減が出来ぬ。できる限り、降参の一声が上がり次第、手を止めるつもりだが――殺されても恨んでくれるな」
「もとより死は覚悟の上。私が死んだところで、それで恨みを持つような騎士だったと思われては困ります。逆に言っておきましょう。死んだところで、貴方を恨みに思うことはないと」
これだけは言っておかねばな。
そんな恥ずべき騎士だとは思われたくない。
我が誇り。
たとえ死ぬとしても、それだけは守らねばならん。
さて――他に話すことはないかと考えたが。
特にないな。
心残りはない。
何もない。
しておくべき会話も覚悟も済ませたはずだ。
「では、いざ。死に物狂いで抗って見せよ、レオンハルト卿」
ディートリヒ卿の言葉に応じて。
私は威勢よく名乗りを上げた。
「我が名はレオンハルト! アッカーマン辺境伯領騎士団長にして、筆頭家臣なり! 神も、主も、我が誇り、我が主君に恥無き闘いを御照覧あれ!!」
戦が始まった。
ディートリヒ卿の目つきが変わった。
それは――ザクセン王国最強騎士が殺害対象に向ける視線であり。
一切の手加減など期待できない、一種の狂人の眼光であった。
エンターブレイン(ファミ通文庫)様より今月末7/30発売です。
Kindle,Book☆WALKERともに電子予約も始まりました。
続巻のため、御購読よろしくお願いします
あと書き溜めは76話となりました。書き溜め分は年内に完結予定です