ディートリヒは笑っていた。
愉しい。
自分とて、戦場にては苦境に陥ったことなど沢山ある。
ディートリヒにとっての戦とは、常に敵騎兵の十数を相手に回しての戦であるからだ。
だが、一騎討ちでここまで追い詰められたのは――明らかな一太刀を入れられたのは初めてである。
「うん」
腿に熱いものを感じる。
血が伝っているのだ。
傷口を――塞いでいる余裕はないか。
まあ、問題はない。
何の問題もない。
今からやることにおいて、この程度の傷が何か問題を為すことはない。
入場口にて、勝者であるディートリヒを温かく迎える者はいない。
アルバンも、アーデルベルトも、勝負が終わり次第早々に立ち去った。
「――」
レオンハルト卿は大丈夫であろうか?
もうこの時点で、ディートリヒは今後の事など一切心配していなかった。
心配なのは、自分に一矢を報いた人間の状況である。
最後はドミニク卿と紋章官殿に両肩を担がれて、去っていったが。
はて、死なないと良いが。
兜こそ被っていたが、肘鉄で頭蓋を砕いた手ごたえがあった。
ディートリヒの膂力の前には、鉄兜でさえ防具に不足であった。
そう心配しつつも歩き、ルツェルンハンマーをどうしようかと悩む。
まさか、こちらが完全武装のまま、このディートリヒを仕留めようと?
アーデルベルトはどこまでの阿呆なのだ?
いささか訝しむが、阿呆は阿呆だから阿呆なのだと考えた。
いくらコロッセウムの通路が広いとはいえ、長柄の武器は不利だと判断されたか。
それもない。
時には鉄の檻に閉じ込められた獅子や、馬さえもが通れる通路だ。
存分に振り回せる。
そんなことも判らん人間が王になりたいというのか、舐めておる。
必ずや去勢せねばならぬ。
控室に入るのを無視し、通路の最後に辿り着こうとしたところで。
「よく勝利してくれた、ディートリヒ」
いらぬ褒め言葉。
レオンハルト卿と比べて、爪の垢ほどの誇りも持たぬアーデルベルトが出迎えた。
傍には、十五名ほどの完全装備の兵士が立っている。
「だが、私のせっかくの勧誘を断ったのはいただけなかったな。せっかく王妃である母上に取り成してやろうと思ったのに、貴様は私の好意を無駄にした。この英明なるアーデルベルトの好意をだ!」
アルバンはいない。
それだけを確認して、何の問題もないことを理解する。
いいんだな?
「殺してしまっていいんですね?」
確か――王妃親衛隊の隊長とやらが、薄ら笑いでこちらを見ながら愚かな事を口にしている。
それはこちらの台詞だ。
戦っていいんだな?
たった「それだけ」の数で私を殺そうとする。
その愚行を認めて良いのだな?
「構わん。母からはもう必要ないから殺せと言われている。好きにするがよいわ」
本気を出して暴れてもいいんだな?
自分にそう確認する。
レオンハルト卿と戦った時と同じ。
今、これより修羅に入る。
自分は正気を失う。
ディートリヒは笑った。
哄笑した。
人とは思えぬ、鬼のような笑い声だった。
それだけを終えて、口を閉じる。
「――」
ディートリヒは、もう喋らなかった。
ただやるべきことは虐殺である。
まずは、先頭にいた騎士を狙って、ルツェルンハンマーを振り回す。
同時に、ばん、と凄まじい音が鳴った。
爆ぜた。
人の頭が、兜ごと爆ぜたのだ。
兜など何の意味もなさず、兜の中のコイフやフードが千切れて舞った。
同様に、血と脳漿も飛び散る。
「は?」
アーデルベルトは間抜け声を出した。
ことここに至ってさえ、アーデルベルトは理解していなかった。
レオンハルトとの戦いを見届けてさえも、不理解であったのだ。
なまじレオンハルトが闘えたものだから、十数名で取り囲めば必ずや勝てるという。
愚かしき勘違いをしていた。
結局、阿呆の知能では理解しきれなかったのだ。
ディートリヒが人の形をしただけの、災害であるということを。
「――」
ディートリヒはまず一人を殺したが。
殺した数をいちいち数えるようなことはしていない。
そもそも正気でないので数えられないのだ。
「――」
ディートリヒは正気を失ったままハンマーを振るう。
ぶん、と旋風が起きた。
レオンハルト戦でも見せた『死の旋風』である。
違うのは、ただ相手が近づいてくるのを待つ姿勢ではないことだ。
自ら動く。
「ひぃ!?」
「落ち着け、相手はたった一人――」
二名が死の旋風に触れた。
鎧ごと、足が飛んだ。
鎧ごと、腕が飛んだ。
ディートリヒの前に、板金鎧(フルプレート)でもない簡素な鎧など、何の意味も為さなかった。
ただ破壊されるだけである。
この時点で、アーデルベルトは考えた。
何故、アルバンがここにいない?
いや、先ほど引き留めた際にこう言われた。
「おい、何故帰ろうとする。今からあのディートリヒの死にざまが見られるぞ?」
「すいませんが、『残酷』なシーンは苦手なのです。帰らせて頂きます」
と。
アーデルベルトは気づいた。
この小物でも気づいた。
あの時、アルバンが口にした『残酷』なシーンとは、ディートリヒが切り刻まれる光景ではなく。
「――おい、私を逃がせ」
「は?」
泣き叫んでいる。
腕や足が捥げた騎士が愚かしくも泣き叫んでいる。
完全に無力化された。
「ち、ちがう! ディートリヒ卿、やめ!」
止めを刺された。
『死の旋風』の刃先に引っ掛かり、首が捥げたのだ。
ぽーん、と首が景気よく飛び、兜ごとアーデルベルトの目の前に落ちた。
あまりにも気づくのが遅い。
この場にアルバンがいれば、そう侮蔑しただろう。
「私を逃がせと言っているのだ! もういい、時間を稼げ!」
「お待ちください、アーデルベルト様!! たとえ相手が強力といえど、たかが一人でございます。全員でかかれば――」
その可能性はあった。
全員で一塊になって、剣をディートリヒに突き立てれば可能性はなくもなかった。
だが。
なにもかも、もう遅いのだ。
アーデルベルトは直感した。
このまま、ここに居ては死ぬと。
「後は任せた!」
「アーデルベルト様! お待ちを!!」
そう叫んだ、唯一騎士としてマトモな実力を有していると評してもよい王妃親衛隊の隊長に。
ルツェルンハンマーが投げつけられた。
鎌のように飛んで行った刃先は、隊長の頭蓋を割って、脳漿をぶちまけた。
そんな間にもアーデルベルトは走り出している。
「あ、相手は無手になったぞ! 一斉にかかれば――」
もう遅かった。
三名が無残に殺され、指揮官である親衛隊の隊長は殺されている。
相手が無手だから?
意味はない。
絶望的な戦力差がそこにあった。
もっとも近い相手に、ディートリヒは突進する。
「やめ――近づくな!」
牛骨をへし折るような音が鳴った。
兵士の首からであった。
ディートリヒが二つの手を頭に添えるだけで、首は簡単に圧し折れた。
その怪物じみた膂力の前には、関節を極める必要すらないのだ。
まるで子供が玩具を弄ぶように、殺戮が行われている。
こうして兵の三名と、指揮官が殺害された。
そして依頼主であるはずのアーデルベルトはすでに逃げ出している。
もはや、こうなっては士気は完全に崩壊した。
「逃げ、逃げる。逃げるぞ」
恐慌に走った兵が何をするか?
赤子のように慈悲を請う為に蹲るか。
習った技術も忘れて、ただただ手に持つ剣や槍を振り回すか。
武器などそこらに投げ捨てて、ただ背を向けて走り出すか。
様々だ。
そして。
その全てが、ディートリヒの前に無意味であった。
「――」
赤子のように蹲り、慈悲を請う兵士の頭を踏みつぶした。
床石と挟まれて、兜は歪み、頭からは黒い血が流れだした。
何の技術もなく振るわれる剣や槍の対処など、ディートリヒにとっては赤子の手を捻るも同然。
あっさりと掴まれて引き寄せられ、武器を奪われて、そのまま殺された。
逃げようとする兵士は奪った武器を背後から投げつけられ、突き刺さって地に伏した。
どんどん死体が増えていく。
沢山死体が増えていく。
もう十名を超えていた。
残りは五名である。
いくらディートリヒが正気を失っていようが、戦況の有利不利ぐらいはわかる。
もはやこの戦況差は覆しようがなかった。
完全にディートリヒの圧勝である。
「もうやめてくれ! 謝る! 謝罪を! 私たちが貴方様に勝とうなど、とんだ勘違いをして――」
そう叫んだ兵士の腹に、鎗が突き刺さった。
鎗は業物ではないため途中で圧し折れたが、その膂力で内臓は破裂した。
口から血を吐いて、地面に崩れ落ちる。
ディートリヒは命乞いなど聞かなかった。
戦場で人質など取ったこともなければ、身代金を要求したこともない。
敵対したものは皆殺しにしてきたからだ。
ディートリヒは哄笑した。
そして――命乞いを繰り返すだけの、赤子のように正気を失って泣き出した兵士の全てを。
ただただ、皆殺しにした。
**************
「アーデルベルトは何処だ!」
正気に返ったディートリヒが激怒したのは、まずアーデルベルトの不在であった。
小便を漏らしながら命乞いをする、奴の睾丸を踏みつぶして去勢してやろうと思ったのに。
何処にもいない。
血眼で死体を蹴とばして回るディートリヒに、声がかかる。
「逃げました。もうコロッセウムにはいませんよ」
「何者だ? ――いや、『ロバの耳』か。顔に見覚えがあるぞ。信用しよう」
「はい。とりあえず、腿の出血を治療しては如何でしょうか?」
ディートリヒは言われて、はたと気づく。
痛みなどすっかり忘れていたが、確かに腿にはナイフを刺された傷口が残っている。
「――治療を頼む」
「畏まりました。それにしても、派手にやりましたね」
「どうせ王妃派閥だろう。残酷に殺しても何の問題もない」
ディートリヒはそう嘯きながら、素直に治療を受ける。
腿の傷口に止血剤の軟膏が塗りこまれ、包帯がまかれる。
「さて、今後はどうされますか?」
「知れたことよ。アレクサンダー王に伝えておけ、ディートリヒは騎士の地位を返上しますと」
「はて」
一瞬、『ロバの耳』の諜報員は言われた言葉が判らなかった。
騎士の地位を返上する?
何故?
「これより私は王妃派、第二王子派に与する全ての騎士、女官の屋敷に押し込んで、連中を皆殺しにする。一人一人拷問していけば、マルゴット様と我が妹パウラに毒を盛ったものが見つかるやもしれぬ」
「御冗談を。確かに、連中は罪有りき。なれど、アレクサンダー王とて厳正な法による裁きを――」
「それが遅いから、今回の事態を招いたと言っている」
ディートリヒは唾を吐いた。
即座に王妃テレージアを殺しておけば、ここまで問題が深くなることはなかった。
それもアレクサンダー王は確かに後悔しておられたが。
「確かにアレクサンダー王はそれを許さぬだろう。『表向き』にはな。だから、表向きには騎士身分を取り上げよ。後は一切知らぬ存ぜぬを王家は通せ。それで何もかも捗ることになる」
「――」
諜報員はいくつか考えた。
ディートリヒを翻意させる言葉をだ。
考えて――この『狂える大猪』が決意を揺るがすことなどないと、すぐさま理解した。
「承知しました。アレクサンダー王にはそうお伝えします。本当によろしいのですね」
「構わん。気が向いたら、別な名前で再仕官でもするさ。元々、アルミン王太子亡き後の地位にそれほど執着はない。各家を襲う間の隠れ場所は、『ロバの耳』が用意してくれ。それぐらいはいいだろうさ」
アルミン王太子親衛隊、隊長。
その地位をあっさりと捨て、ディートリヒは姿を消した。
その後、歴史上からザクセン王国最強騎士ディートリヒの名は消える。
王家の騎士名簿からも抹消され、そのまま二度と戻ることはなかった。
後の世には、この決闘裁判における四人目の騎士が死んだと語られている。
再宣伝です。本作の書籍版一巻が7/30に発売されました
書籍版ですが1,2章126,651字に対して、更に30000字の加筆修正を加えた作品となります。
イザベラの客観的視点を本編に15000字追加の上、より精密に本編を修正。
ヨルダン外伝 書き下ろし外伝① accolade(騎士叙任式)
ヴォルフガング外伝 書き下ろし外伝② after that(それから)
トラクス外伝 書き下ろし外伝③ best friend(親友)
となります。是非ご購読いただけましたら嬉しいです。
また、3500文字ほどの特典SSペーパーも2作書きました。
ゲーマーズ様:「興行主の目指すもの」
ヴォルフガング・トラクスというスタープレイヤー二名を失った興行主が、ただ失意に沈むだけではなく対抗心を燃やして、興行という物を一から考え直す作品。
メロンブックス様:「ヨルダンの昔話と今後」
ヨルダンの傭兵時代の話を聞くイザベラと、今後は筆頭家臣として当然求められる嫁探しについての話を書いた作品。
となります。
よろしくお願いします。