レオンハルトは彷徨っている。
彷徨っていると言っても、真っ暗闇の中を暗中模索で彷徨っているのではない。
通路がある。
一つの長い通路だ。
立派な赤い絨毯が敷き詰められている通路で、その中を歩いているのだ。
ここはどこか?
見た覚えがあるぞ。
ああ、そうだ。
アッカーマン辺境伯家の、謁見の間に繋がる通路であった。
ただ一つだけの違いとして、こんなにも長い通路ではなかった。
「何故こんなにも長い?」
疑問を口にする。
通路には絵が飾られていた。
立ち止まらずに、その絵を眺めていく。
いくつか、見覚えがある光景があった。
まず最初に目が留まったのは、自分がアコレード(騎士叙任式)を受けている姿。
アッカーマン辺境伯に、剣で肩を叩かれているシーンである。
まだ14の頃であった。
私の騎士としての人生は、ここから始まった。
立ち止まってずっと絵を見ていたい気持ちになったが。
何故か、足は止まらずに歩いていく。
自分の意思では止められないようだ。
これは――ひょっとして。
「死ぬ間際に、脳裏に描かれる類のものであろうか?」
人は死ぬときに、愛する人々との幸せな記憶を垣間見られるという。
神からのせめてもの慰め。
きっと、この通路は、そのようなものに思えた。
足は歩いていく。
絵はどんどん移り変わっていく。
初陣で手柄を挙げた時の絵画。
すでに儚くなってしまった妻との結婚式における絵画。
嫡男が生まれた時の絵画。
騎士団長になった時の絵画。
そのようなもの。
そのような、幸せの欠片ばかりが目に付く。
「――」
私は死んだのだろうか。
それとも、死ぬ寸前なのだろうか。
どちらかはわからない。
だが、この通路と絵画は、決して薄気味悪いものではなかった。
私にとってかけがえのない人生。
やがて、通路は終わりを見せ始めた。
遠くに扉がある。
あれも見覚えがあるぞ。
謁見の間に繋がる扉だ。
最後の絵。
それは両腕と頭で天の蒼穹を支える神――アトラスのような姿で、必死にディートリヒ卿を持ち上げた時の姿。
私の視点では判らなかった姿だ。
「――」
どれも、私の視点では映らなかったもの。
では、この絵画を描いたのは誰なのだろうか?
そんな疑問が思い浮かぶ。
やはり神か?
そう思いつつも、通路の終点まで辿り着いてしまった。
仕方なくも扉を開ける。
「嗚呼」
そこには剣の道があった。
数十人もの騎士が自分の剣を抜いて、天に掲げて交差させている。
騎士たちは兜を被っているが、誰なのかはわかる。
わからないはずがない。
「お前たちは――」
自分の配下、自分の同年代の騎士、自分より年配の騎士、色々いるが、その誰も彼もが。
アッカーマン辺境伯と共に戦に参加し、討ち死にした騎士たちである。
声をかけようとする。
一人一人の名前を口にして、呼び掛けようとする。
だが、声は出ない。
神はそれを許してくれないようだった。
「――」
私にできることは、ただ剣の道を通り抜けることだけであった。
背をしゃんと伸ばし、真っすぐに歩く。
歩いて、歩いて。
誰にも恥を見せぬように歩いて。
辿り着いた先には、私が忠誠を尽くしてきた主君がいた。
「アッカーマン辺境伯」
私は跪いた。
跪いて、忠誠を示した。
神は、この私に主君との再会をお許しになった。
泣きそうだ。
「もう一度、もう一度。貴方にお会いすることができました」
もう一度出会えた時に、やるべきこと?
そんなの決まっている。
「我が名はレオンハルト。ここまで剣の道を潜り抜けて歩いてきた理由は何か? アッカーマン辺境伯の眼前に現れて、こうして跪いた理由をお答えいたします」
今度は忘れたりしない。
若い時のように、一度忘れてしまった若い時の宣誓の言葉のように。
そして、あのように中身のない宣誓を口にしたりはしない。
もう一度。
「わが生涯において貴方以上の騎士に出会うことはついにありませんでした。戦上手のアレクサンダー王も、誰よりも強い英雄ディートリヒも、貴方とアレクサンダー王、両方の良さを併せ持つと言われたアルミン王太子さえも」
もう一度、宣誓する。
「私にとっては主君たりえないのです。貴方以外に我が主君はおられない。ゆえに、もう一度忠誠を誓います。ここが黄泉路というならば、喜びの野でも、地獄でも、貴方が行かれる場所であれば、何処へだって付いてまいります」
必死の願いを。
私の願いを。
「私のこの剣の何もかもを貴方に捧げますので。どうかわたしを貴方の騎士として迎え入れてくださらないでしょうか?」
嘆願を口にする。
主君は。
我が主君は、それに対して、こう応じられた。
私の肩を剣で叩くのではなく、手を置いて。
あの時、永遠の別れとなった。
最後の突撃における、主君が最後に放った言葉を再び口にした。
「お前が死ぬにはまだ早い、レオンハルト。故郷に帰れ。我が息子と娘を守ってくれ」
私の嘆願は、認められなかった。
溶けていく。
騎士も、剣の道も、我が主君も溶けていく。
神から与えられた、最後の機会が失われたように。
「お待ちください、主君。私には――」
私が絶対に捕まえられない、たった一人の亡霊。
「私が忠誠を誓えるのは貴方だけなのだ! 死んでも貴方の御傍にいたいのです!!」
私の絶叫は、届かなかった。
ただ暗闇の中で、絶叫する一人の男がそこにいた。
そんな暗闇の中に、一つだけ。
聞きなれた声が響いた。
「お前の死後に、また会おう」
アッカーマン辺境伯の言葉。
それだけを耳にして、レオンハルトの世界は溶暗する。
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そして、レオンハルトは目覚めた。
「――目覚められたか、レオンハルト殿」
「ここは?」
ドミニク卿に尋ねる。
心配そうに、イザベラ様とドミニク卿が私の顔を覗き込んでいた。
「コロッセウムの医務室です。随分とうなされていたようですが?」
イザベラ様が私に尋ねる。
悪夢でも見たのか、と言いたげに。
「――ええ、とても良くて、とても残念な夢を見ていました」
頭が痛む。
包帯が巻き付けられており、どうもディートリヒ卿の肘鉄が大分効いていたらしい。
「ディートリヒ卿に頭を割られたのだ。生死の境をさまよっていたのだぞ」
「――」
いっそ、死ねればよかった。
そう口にしようとして、やめた。
それはアッカーマン辺境伯に夢の中で――。
いや、きっと黄泉路の中で諫められている。
なにより、そんなことを口にすればイザベラ様が悲しまれる。
「レオンハルト。ひょっとして黄泉路の我が父に会いましたか?」
「何故それを」
「泣いていますよ。レオンハルト」
手で瞼の下を触った。
泣いている。
確かに泣いていた。
騎士ともあろうものが、主君の愛娘に涙を見せるとは。
全く以て気恥ずかしい。
「……確かに、お会いしました」
「父は何と?」
「我が息子と娘を守ってくれ。お前の死後にまた会おうと」
そう言ってくださった。
それだけで、十分だ。
「では、まだやることはありますね」
「はい」
きっと、もう一度仕えることができる。
神や主に、そして主君に恥じぬ人生を送れば、神はそれをお許しになられるであろう。
「レオンハルト。私にはすでにヨルダンという立派な騎士が出来ました。貴方は――」
「はい、帰り次第、新たな辺境伯となった嫡男殿にお仕えするつもりです。ですが、全てが終わってからでございます」
全てが終わってから。
まずは決闘裁判を終えることだ。
そして嫡男殿が立派な辺境伯となるのを見届ける。
またアッカーマン辺境伯の騎士になるのは、今世でやるべきことが全て終わってからである。
手を握る。
ディートリヒ卿には手酷くやられたが、後遺症に残るほどの傷はないようだった。
「しかし、本当にアッカーマン辺境伯に出会えたならば。再会を願えたならば、貴方は本当に羨ましい男だ。レオンハルト卿」
ドミニク卿が、本当に羨ましそうに声をかけてくる。
まあ、そうだなあ。
「羨ましいか、ドミニク卿」
「羨ましいね。私とて、可能であればアッカーマン辺境伯に仕えたかった」
そんな言葉を、一代騎士とはいえアレクサンダー王の直臣であるドミニク卿が口走る。
そうそう口にしてよい言葉ではないぞ、そんなこと。
はて、そういえば――
ドミニク卿とは、以前何処かで出会ったことがあるような。
あれは何処であったか。
どうにもこの老騎士には、昔のこと過ぎて思い出せない。
ドミニク卿も若くはないのだから、おそらくは10年?
いや、20年以上も前の事か?
きっと、おそらくドミニク卿が子供の時の頃。
彼は、確か平民出身の元兵士であったというから、多分――どうにも思い出せぬ。
ディートリヒ卿の一撃を食らった後遺症か?
まあ、無粋か。
ドミニク卿の過去を探るなど無粋ぞ。
きっと、決闘裁判の全てが終われば、話してくれる機会もあるだろう。
そう考えて。
「さて、すいませんが、誰か辺境伯家の下屋敷まで担いでくれる騎士はおられますかな? どうにも、自分では動けそうにありませぬ」
「担架を用意してある。すまんが、その後は馬車に乗ってもらうぞ。何、王都の道は舗装されているからガタガタ揺れることもあるまい」
「有り難く」
私はドミニク卿に感謝の言葉を述べて、溜め息を吐いた。
さて、決闘裁判の勝敗はこれで二対二か。
おそらくは、王都はこれから荒れるだろう。
ディートリヒ卿という殺戮の旋風が吹き荒れる。
彼は王妃派や第二王子派の騎士や女官を、毎日のように殺してまわるだろう。
果たして、最後まで決闘裁判が続くのかどうかさえも怪しくなってきたが。
とにかくも、イザベラ様の名誉が守られんことを――そう願いつつ。
ひとまず、レオンハルトはもう一度目を閉じることにした。
7 Knights to die(四章「The Ghost Of You」) 完
再宣伝です。本作の書籍版一巻が7/30に発売されました
また、3500文字ほどの特典SSペーパーも2作書きました。
ゲーマーズ様:「興行主の目指すもの」
ヴォルフガング・トラクスというスタープレイヤー二名を失った興行主が、ただ失意に沈むだけではなく対抗心を燃やして、興行という物を一から考え直す作品。
メロンブックス様:「ヨルダンの昔話と今後」
ヨルダンの傭兵時代の話を聞くイザベラと、今後は筆頭家臣として当然求められる嫁探しについての話を書いた作品。
となります。
よろしくお願いします。