ザクセン王国宮殿。
王妃テレージアは怯えていた。
宮殿にて自分を護るはずの王妃親衛隊は、すでに半壊している。
「狂える大猪」ディートリヒの牙にかかり、殺害されたのだ。
残った半分は自分の任務を放棄し、宮殿にすら出勤せぬ。
誰もが怯えて家に閉じこもっているのだ。
宮殿で寝泊まりをしている女官だけが、どこにも行く宛がなく残っているが――彼女たちも絶望の表情を隠そうとしない。
このままでは巻き込まれて皆殺しにされると、誰もが覚悟していた。
「どうして――どうしてこうなった!」
いや、テレージアにも理解できている。
ディートリヒを、ザクセン王国最強騎士を操れるなどと勘違いをしたのが間違いであった。
相手は粗にして野だが卑ではない。
テレージアの脅迫に折れることなどなく、かえって激怒して『死の旋風』を王都にもたらした。
死ぬだろう。
このまま、状況を放置していては死ぬだろう。
なにせ、ディートリヒが探しているという下手人はすでに始末してしまっている。
彼が探し求めている者は、いかに王妃派閥全てを皆殺しにしようが見つかることはない。
毒も、解毒剤も、全てテレージアが隠し持っている。
ことここに至っては、どう動くべきか判断できなかった。
ディートリヒに解毒剤を差し出したところで、その瞬間に用済みだと殺されるのは目に見えているのだから。
「アーデルベルト……」
愛息も今どうしているのかわからぬ。
連絡がとれなかった。
息子の登城権は剥奪されている。
かつてアレクサンダー王に追放処分を受けたからだ。
だから、まだアカデミーにいるとは思われるが――アカデミーはもはや安全ではない。
ディートリヒがいつ乗り込んでいくともわからないのだ。
だから、王妃派閥も、第二王子派閥も、皆が右往左往していた。
派閥からの離脱を公言して、噂さえばらまき、なんとかディートリヒの牙から逃れようとする者。
派閥の騎士同士で一つの屋敷に寄り集まり、なんとかディートリヒに抵抗しようとする者。
血眼になって、王妃派閥の中からパウラに毒を盛った下手人探しをする者。
屋敷や財産を一刻も早く処分して、爵位も地位も投げ捨てて王都から逃げ出そうとする者。
阿鼻叫喚の地獄である。
そんな中で、蜘蛛の糸が垂らされた。
「テレージア様、謁見を望まれる騎士様が訪れておりますが、如何しますか?」
それは女官の一言からもたらされた。
「どうせ私への陳情であろう。追い出せ!」
「いえ、それが――決闘裁判の、代理決闘人に名乗り出たいということなのですが」
代理決闘人?
この状況で、そんなものが見つかるわけが――
そう女官に口にしようとして、見つけなければいよいよ終わりであると。
この期に及んでの名誉の凋落は、いよいよもってアーデルベルトの死を意味するように感じた。
「相手の名は?」
「『紅蓮のヴィリー』様です」
何故、あの赤髪の男が。
確かに王妃派閥であるが、その忠誠は怪しい男だ。
テレージアは訝しむが――
「会おう」
とにかくも、現状の何か打開策になるかもしれぬし。
アーデルベルトのために、決闘代理人を見つけなければならぬ。
テレージアは会う判断を下した。
宮殿にある謁見室に出向き、『紅蓮のヴィリー』と相対する。
「ザクセン王国王妃テレージアである。今日はどういった風の吹き回しだ?」
まずテレージアの発言は、疑問からであった。
何故ヴィリーが決闘代理人に申し出る。
コイツは――
「俺とて来たくて来たわけではない。貴様の事など大嫌いだ」
ヴィリーは、テレージアが嫌いであることを普段から公言している。
その侮辱を隠そうともしない男であることは、テレージアも承知していた。
だから、味方になってくれるはずもない男である。
「では、アレクサンダー王やクラウスに命じられて、ワザと負けよと言われでもしたか? 馬鹿馬鹿しい、失せよ」
疑惑。
テレージア側もヴィリーへの疑いを隠そうともしなかった。
確かに、決闘代理人を欲している。
とはいえ、ヴィリーが純粋にテレージアの味方するわけもないことは明らかで――ゆえに跳ね除けようとするが。
「違うね。俺に決闘代理人として参加するよう命じたのは、アルバン様とブルーノ様よ」
「アルバンとブルーノが?」
テレージアは眉をしかめた。
何故、あの二人の名前を口にする。
この状況に至っていながら、未だにアルバンがスパイであることはバレていなかった。
ゆえに、テレージアはぴたりと動きを止める。
「アーデルベルトに忠誠深いアルバン様に感謝しな。このままでは決闘代理人が見つからぬ。元々は公爵家の陪臣から、直臣に出向いた出自であろうとも。王妃派閥であるからにはお前も他人事であるとは言わさんぞ、とまず説得を受けた」
「アルバンが――」
テレージアは、悩んでいる。
そのヴィリーの言葉における真偽を疑っていた。
だが、溺れる者は藁をもつかむ。
「そして、俺が初陣に参陣した第四王子ブルーノ様からも強力に『お願い』されたのだよ。確かに、ブルーノ様は母上とも兄上とも疎遠であったが。だが、血の繋がりまで忘れきったわけではないのだと。さすがにこのまま見殺しにすることはできぬと仰られた」
「ブルーノが、そんなことを……」
テレージアは、すっかり信用しきった。
機を得たとみて、ヴィリーは叩きつけるように魅惑的な言葉を放つ。
「ブルーノ様は続けて、こう仰られた。まずは決闘裁判だ。ここで勝利さえ得れば、母上も兄上も、いくばくかの名誉の回復は叶おう。その上で、このブルーノがアレクサンダー王やディートリヒと『取引』をすることで、お二人の助命を嘆願しようと」
「決闘裁判に勝利し、アーデルベルトを王の座に押し上げることは、もはや叶わぬか?」
ヴィリーはテレージアの阿保さ加減に舌打ちしそうになった。
もうそんな状況じゃないだろう。
どこまで頭がお花畑なんだと。
そして、ここは強気で出るべきだと判断する。
「無理に決まっている。市民からの評判は完全に終わっているし。それどころか、もはや第二王子派閥も王妃派閥もほぼ半壊、残る半数も掌を返した状況で、どうやって王の座に就けると思ってるんだ」
というより、アルミン王太子が亡くなっても、アーデルベルトに王になる可能性など最初からない。
何を勘違いしていたんだ馬鹿どもが。
そこまではヴィリーも言わず、現状はただ不可能になったことだけを口にする。
「アンタの息子で王になる可能性があるとすれば、まあブルーノ様だな」
「ブルーノが? あれは第四王子であるぞ」
「王位継承権の順序が、必ずしも王になることを示すとは限るまい。アレクサンダー王も迷われておられる」
ここでヴィリーは悩んだ。
どこまで話を発展させる?
例えば、第三王子ベルノルトを押しのけて、ブルーノ様に王になる野心があるとでも口にするか。
いや――得策ではない。
このヴィリーからそういった嘘を口にするのは、得策ではない。
やるとすれば、ブルーノ様から口にして頂いた方が、よりテレージアの心を惑わすと思われた。
だからだ。
あくまでも示唆にとどめておく。
「アルミン王太子がこのまま亡くなり、ブルーノ様が次の王太子に成りさえすれば――まあ、全てが上手くいけばであるがね。少なくとも現状の打破はなんとかなるはずだ」
「……」
テレージアにとって、あまりに魅力的な提案であった。
現状の何もかもが解決する一手である。
「それは確かか」
「俺とてディートリヒ卿に殺されるのは御免だからな。嘘ではない」
もちろん全部嘘であるが。
ヴィリーは騎士ではあるが、必要な嘘をつくことを悪とは思っていなかった。
武将の嘘は武略であると看做している。
「さて、どうする。嫌というなら、そこまでの話だ。ブルーノ様からの手助けも拒否するというのであれば、俺はこのまま帰らせてもらうぞ。テレージア嫌いを公言しているこのヴィリーであれば、ディートリヒ卿も話ぐらいは聞いてくれるかもしれんしな」
これも嘘だ。
ディートリヒ卿が話など聞くわけない。
きっと殺しにくるだろうが――それはそれで騎士として、人生最期に戦う相手として悪くないとヴィリーは思っている。
間違いなく負けるだろうが、今回の話に乗った時点でアルバンやブルーノは息子への爵位と財産相続を保証してくれているのだから。
最悪、ここでテレージアが折れずともよかった。
「いや、待て――決闘代理人を是非ともお願いしたい」
「それでいいんだ。俺への感謝もいらない。それよりも、ブルーノ様に何か言うべきことがあるんじゃないのか?」
それとなく水を向ける。
ここで、ブルーノへの感謝がテレージアに無いのであれば、話にならぬ。
計画は破綻している。
そう考えてのことだ。
「わかっている。ブルーノには直接会って、感謝を伝える。もはや、私にはあの子しか縋れる者がいないのだ」
「わかっているならよろしい」
まずは上手くいったようだ。
ヴィリーはそう判断し、大きく頷いた。
後はブルーノ様の仕事である。
「では、決闘代理人として推薦する旨の手紙を書いて欲しい。決闘代理人を指名するのは、結局は第二王子殿下なのでね」
そう口にして、推薦状を書くように急かす。
さて、このまま決闘裁判だが、この場合は勝利した方がテレージアの心証も良いだろう。
七騎士側には悪いが、手抜きをするわけにはいかない。
ヴィリーは考えている。
騎士としては、この状況でも正直血が滾ってしまう決闘裁判について考えている。
さて、自分と戦う相手はドミニク卿でも紋章官でもないことだけは確実。
ならば、間違いなく――領主騎士。
確か名は、エーレンフリートであったはずだ。
後はブルーノ様に全てをお任せして、自分は死に物狂いで闘うだけである。
『紅蓮のヴィリー』は、楽しそうに笑った。
再宣伝です。本作の書籍版一巻が7/30に発売されました
また、3500文字ほどの特典SSペーパーも2作書きました。
ゲーマーズ様:「興行主の目指すもの」
ヴォルフガング・トラクスというスタープレイヤー二名を失った興行主が、ただ失意に沈むだけではなく対抗心を燃やして、興行という物を一から考え直す作品。
メロンブックス様:「ヨルダンの昔話と今後」
ヨルダンの傭兵時代の話を聞くイザベラと、今後は筆頭家臣として当然求められる嫁探しについての話を書いた作品。
となります。
よろしくお願いします。