「領主になりたいって言ってたよね? じゃあなろうか? よし、なろう」
十数年続いた文通友達。
ただそれだけの関係でしかない。
本来ならば、私ごときは直々に話しかけるのにも許可を得なければならぬ御方である。
そんなアッカーマン辺境伯が、お気楽な感じでそう告げてきた。
いかにも裏表のない善人でございますといった、とても良い笑顔で。
普通ならば胡散臭い人間にしかならないのに、そうでないところが私は怖ろしかった。
「はあ」
突然そのような事を言われましても。
そう口にしようとしたが、機先を制された。
椅子に座って茶と菓子を頂いていたが、アッカーマン辺境伯は突如立ち上がり。
座ったままでいてくれと言いたげに背後に回って、ぽんと私の両肩に手を置く。
あ、これ、断れない奴だな。
多分アッカーマン辺境伯の中では決定事項だな。
そんな疑惑を浮かべる。
「うん? 領主になりたくないのかね? 文通内容では常々そう漏らしていた記憶があるが」
「いえ、確かにそうなのですが」
事実である。
このエーレンフリートは、確かに領主になりたい。
代官業など嫌気がさしていた。
自分だけの領地が欲しい、それこそ騎士の本懐であると。
常々そう口にしてるし、確かに夢であるのだが――
「領主家に婿入りできるとか、そういった良い話ではないのでしょう?」
「残念ながら、そういった良い話は中々回ってこないな。あったとしても上位貴族の次男三男か、王家と繋がりがある親衛隊員などに話が行ってしまう」
でしょうね。
ぐにぐにと、辺境伯が私の両肩を揉む。
とにかく話を聞いてね、と言いたげに。
「酒はいるかね? なんなら用意させるが」
「いえ、頂いている茶と菓子だけで十分です」
とりあえず酒を飲むのは拙い。
勢いで騙される可能性が高くなるからだ。
思考を酔いに任せるのは危険であった。
「とにかく、本来は代官として地方に出向いている君が、防衛戦争の戦後処理でたまたま王都にいたこと。これは私と君のどちらにとっても幸いであった。ちょっと困ったことになっていてね。まず、その内容について説明しようか」
「とりあえずお聞きしましょう」
まあ、さすがに話を聞かずに断るわけにもいくまい。
辺境伯の下屋敷にわざわざお招きを受けての話であるわけだし。
引退した父からも、失礼がないようにと常々言われている。
相手は名声高く、権力を行使する伝手も沢山あるアッカーマン辺境伯である。
「なんというか、先日とある伯爵家の一族郎党が処刑されたのは知っているね?」
「はい、外患誘致をしたとか」
「おまけに国家反逆罪も加わっている。まあ、すでに処刑も終わったのだが……」
もみもみと。
相変わらず、辺境伯は私の肩を揉みながら頭上で会話する。
「さて、さすがに使用人を連座で全員殺すのは可哀想だと、慈悲深いアルミン王太子は考えた。もちろん私も口を挟んだ。表向きには処刑したことにして、なんとか許してやれんかと考えた」
「はい」
確かに、御二人ならそうされるだろう。
アルミン王太子が英明で、優しい王太子であることは王都市民なら誰もが知っている。
アッカーマン辺境伯?
一々説明するまでもないほどに善良かつ高名である。
「我が盟友、アレクサンダーの奴も出来れば殺したくないと最終的には理解を示してくれてな。連座刑で捕まってこそいたが、まあ完全に無罪だと認められた使用人数十名が恩赦されることとなった」
「良い話ですね」
「そう思うだろう? でだ、恩赦はいいが、彼らは死んだことになっている人間だ。王都に居られては困るのだよ。いや、それどころか私が引き取って辺境伯領に置くのも拙い」
それはそうだろう。
いくら恩赦を受けたとはいえ、書類上は死んだことになっている人間である。
誰かに見咎められては困る。
どこか別な土地に送る必要が――
「つまり、東方植民地への開拓に参加させるのですか? 誰も知らない遠くへ。新天地へと」
「うん、そういうことにするのが一番良いと考えた。ここまでは良い。恩赦を受けたその使用人たちだが、貴族家に仕えていただけあって技能持ちの職人が多い。全く教育を受けてないような人間とは違い、ちゃんと指示も聞いてくれるモラルの高さだ。読み書き計算だって出来る者が多いぞ? 開拓では重宝されるだろう」
それはそうだ。
あぶれ者だけを集めた開拓者たちとは違い、伯爵家の使用人であったならば有能だろう。
だが――話が読めてきたか。
「そこに開拓を取り仕切る指揮官がおらぬと」
「そういうことになる。しかし、誰にでもというわけにはいかぬ。できれば領地経営経験が豊富な騎士でなければ。時に厳しく、時に優しく、領主という経営者になるべく相応しい人物でなければ。そうだな、例えば数年間は転々と代官職を務めていたような――わかるだろう?」
まあ、ここまでハッキリ言われればわかる。
私を、このエーレンフリートの事をアッカーマン辺境伯は思い出し、白羽の矢を立てたのだ。
さて、どうしようか。
「しかし、辺境伯。開拓に必要な資金、資材、交易商人などの伝手が――先立つものがありません。当然ですが、代官業を役職とする私の貯金額など知れておりますよ。それはどうお考えで?」
受ける受けないは別として、ともあれ詳細を尋ねる。
それを聞かねば話にならぬし――辺境伯は正直に答えてくれるのも判っているからだ。
「それは安心して良い。どうせ個人の財布では開拓に足らぬのは当然だ。資金も、資材も全て貸し与えよう。畑を作る苗も農具も。必要なものは何もかも貸し与えよう」
「貸し与えよう、ですか」
あえて、強調して口にする。
どうせならば、くれないかなあという意味で。
さすがに無理だろうが。
「そりゃまあ、さすがにタダでとはいかんよ。そこまで上手い話はないさ。ただでさえ優れた人員を集める手間の一切が省けているのだ。準備金を何の担保もなしに君への信用だけで貸すというのも、ちょっと悩んだくらいだ。領地に帰ったら、きっと財務方に怒られるよ。私」
「まあ、そうでしょうが」
さすがにそこまで上手い話はないか。
というか、実際のところ、これは凄く良い話なのだろうな。
何処にも行く場所の無い、逃げる先もないから新天地で頑張るしかない優秀な人材が手に入り。
さらに信用貸しで開拓費用を貸し与えてくれるというのだ。
どうしよう。
正直言って、凄く悩む。
「借金を返せなければどうなるのでしょう。領地経営というのは必ずしも上手くいくわけではありません。冷害で作物が上手く取れないこともあれば、流行病で領民が沢山倒れるかもしれません」
とにかく無担保で金を貸してくれるというのは良い話だが。
逆に言えば、失敗した時に返す当てがなくて怖い。
「うむ、良い質問だ。そうだな、成功確率は出来るだけ高めるよう努力するし。必要とあれば追加資金援助も辞さない覚悟だが。本当に災害などでどうしようもなければ――その時はスパッと諦めよう。この私が、アッカーマン辺境伯が投資に失敗したということだ。金を返さずとも良いさ」
「――」
それでいいのか辺境伯。
訝し気に、私は眉をしかめる。
辺境伯は私の肩から両手を離して、元々座っていた椅子へと戻る。
「腑に落ちないかね?」
「ちょっと上手い話が過ぎるかなと。まるで騙されているような――」
上手い話が過ぎる。
この言葉が出た時点で、自分はもう乗り気になっているのだという自覚がある。
あと一押しもされれば、私はその気になって応じてしまうだろう。
それは、もちろんアッカーマン辺境伯なれば手に取るようにわかっていて。
「こんな言葉がある。『偉大なことを成し遂げる人は、つねに大胆な冒険者である』とな」
「リスクを恐れるなといいたいので?」
「そうさ。リスクある投資を恐れていてはリターンもないのだよ。君は代官を辞めることで、生活の安定を失うだろう。様々な困難が襲い掛かるだろう。借金持ちになって、20年も30年もかけて、ひょっとすれば自分の息子の代までかけて、辺境伯家に借金を返さねばならぬかもしれぬ。だが」
椅子に座ったまま。
辺境伯は、自分の右手を私に向けて差し出した。
「全ての困難をねじふせ、夢叶えれば、君は封建領主の仲間入りだ。さて、エーレンフリート。君は私が差し出した手を握るかね」
腕を差し出そうとする。
手を握れば、夢が叶うかもしれない。
だが。
「何故、そこまで私に期待してくださるのです? 私はただの文通相手です」
どうにも不思議であった。
確かに、私は辺境伯の希望に沿う人材なのかもしれない。
だが、ここまでお膳立てして頂く理由が――
「その文通内容で君の人となりを知っている。私は君を知ろうとした。君はそれに真摯に答えた。だから私は信用した。それだけでは不服かね?」
辺境伯が、じっと私の目を見据える。
彼は不思議な男であった。
何か、じっと見つめられるだけで騎士の功名心がくすぐられ、変な言い方になってしまうが『ときめき』といったものを覚えてしまうのだ。
嗚呼、駄目だ。
私は辺境伯の、とんでもない計画に人生を巻き込まれようとしている。
それでも。
「光栄です、辺境伯」
私は結局、領主になるという夢にも、辺境伯からの期待にも抗えなかった。
差し出された手を握り、答える。
領主になる。
如何なる困難があったとしても、自然にも賊にも抗い、自分だけの領土を得よう。
その日から、私の栄光は始まった。
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苦労話は多い。
確かに私には代官としての領地経営経験があるが、新規開拓事業は初めてであったし。
領民となった使用人たちも、確かに優秀ではあったものの、まさか自分の家を作るところから始まる生活など未経験である。
試行錯誤の毎日であった。
そうだな、だが。
まあ、悪くない日々だったよ。
まだ五歳の小さな子供がいたのも良かったのかなあ。
子供は未来だ。
さすがに、大人として子供にみっともない姿を見せるわけにもいかんし、誰もが一生懸命働いた。
作物が上手く育たないこともあった。
猪に畑を荒らされることもあった。
腹が立って仕方なくて、男連中でその猪を追い回して、私自らが槍で仕留めたこともあった。
あの時に肉を配った、領民の喜ぶこと喜ぶこと。
調子に乗って、それからは弓を持って毎日のように森をうろついて。
そうだな、時々、自分が騎士なのか狩人なのかよくわからなくなる時もあった。
人手不足だから自らが働いて、丸太を領民と一緒に担いで運ぶことも珍しくなかったから。
ああ、でも。
愉しかったなあ。
愉しくなかったといえば、嘘になってしまうのだ。
悲しいことも、もちろんある。
たった一つだけある。
妻が死んだことだ。
私と嫡男を残して死んだことだ。
アッカーマン辺境伯家の陪臣騎士、その騎士家の三女が、わざわざ開拓途中の私なんかに嫁いでくれたのに。
あれ以上に良い女はこの世にいないと、今でも思っている。
愛している。
ずっと。
私などに嫁がずに、辺境伯領に居れば良い医者も薬も容易く手に入り、助かったのかもしれない。
それを悔やんでは、たまに泣くことがある。
あれだけは痛恨の苦しみであった。
後妻の話もあったが、あの時の悲しみを二度味わうなど御免であると、全て断るほどだ。
これからも一生引きずることになるだろう。
「――それでも」
それでも、良かったと思っている。
アッカーマン辺境伯の手を、あの時握って良かったと思っている。
あの時、私の人生は開けたのだ。
良い領民たちと出会い。
良い妻と出会い。
待望の嫡男が生まれて。
人生の全てが良い形に開けたのだ。
「――」
そんな人生そのものといってもいい御恩のある。
アッカーマン辺境伯の領地が襲われている。
その一報を聞きつけて、私が考えたのはまず「騎士としてどうやって恩返しをするか」であった。
騎士の出来ることなど決まっている。
この腕が動き続ける限り、闘い続けることだ。
私は開拓当時五歳の子供であったが、今では立派な男となった従士同然の者に自分の嫡男を任せて。
戦に出ることを望んだのだ。
「何故来た、エーレンフリート。貴殿には役目がある。子供もまだ幼い。領地へ帰れ!」
アッカーマン辺境伯は怒った。
温厚なあの御方にとっては珍しい怒りの表情であった。
本当の激怒であったと思う。
「我が人生を与えて頂いた御恩を忘れておりません。ここで辺境伯を手助けせねば、一生恥知らずの誹りを自分に与えることになりましょう! どうか戦に出る許可を!!」
私は胸を張って叫んだ。
騎士として恥ずべき行為は何もしていないのだ。
辺境伯は、黙った。
「恩をお返しいたします、アッカーマン辺境伯。それだけが私の望みなのです。お許しを」
「……危険な場所には参陣させぬからな」
私の名誉に配慮して。
それだけを言って、アッカーマン辺境伯は謁見を打ち切った。
私は辺境伯領防衛のための戦に参陣をした。
やはり危険な場所への参陣はさせてもらえぬ。
それでも敵騎士の数名を討ち取った。
一応の活躍はしたと思う。
そして、それだけだった。
私には情報が与えられなかったが、辺境伯は劣勢であったのだ。
『偉大なことを成し遂げる人は、つねに大胆な冒険者である』と。
あの時私に仰られた言葉を、アッカーマン辺境伯はそのまま実行なされた。
そして――大きなリターンと引き換えに、辺境伯は死んでしまわれた。
劣勢を覆すために、誰よりも先陣を切って、敵首魁を自ら討ち取りたる後に失血死による絶命を。
だから、私は辺境伯と会話する機会を二度と得られなかった。
もっと話したいことがあったのに。
例えば、領地経営の愚痴とか、開拓の愚痴とか、自分が犯した恥とか。
手紙には書けないようなこともそりゃあ沢山あるのだ。
私は永遠に、数十年来の文通相手を失った。
最期に出会えた別れの顔が、見たこともない激怒の顔であったこと。
それだけが心残りだった。
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彼女との出会いは、戦場祝賀会のパーティーにおいてである。
「イザベラ・フォン・アッカーマンと申します。突然の挨拶、失礼を」
優雅で、見事なカーテシー(敬意を表すために膝を曲げてお辞儀をする)である。
私は十数年もやったことのない礼儀作法に戸惑い、まともに対応することができなかった。
へんてこな形のボウ・アンド・スクレープを返したと思っている。
「まずは参陣に対する御礼を申し上げます」
イザベラ様は毅然として礼を口にした。
その面影には、確かにアッカーマン辺境伯の面影があった。
「失礼ながら、貴卿の名はエーレンフリート卿でしょうか」
「はい。辺境伯からお聞きに?」
生前の私の評価はどうだったのであろうか。
それをイザベラ様の口から聞ければと、私は言葉を返す。
「父は月に一度、エーレンフリート卿が送ってくる手紙を心待ちにしておりました。開拓領地がどうなっているか、何か困ってはいないか、何もかも自分のとるべき責任をエーレンフリートに投げっぱなしにしてしまったような気がする、と時折仰っていました」
「……」
そんなことはない。
私は真剣に、アッカーマン辺境伯に新たな人生を与えられたと思っているのだ。
それは我が領民たちも同様である。
「――もしよろしければ、我が父が本来取るべきだった責任というものを教えて頂ければ」
「それは辺境伯の勘違いですな。あの方は、どれだけ自分が偉大な御方だったのか最期まで気づかれなかった」
偉大な方だった。
責任の放棄など一度もされていない。
私の領民たち全員の命を救い、このエーレンフリートの人生まで開いてくださった。
あの御方に手を差し伸べられた時、騎士としてどうしようもない「ときめき」を私は覚えた。
そして、その「ときめき」は今でもずっと続いているのだ。
「――アッカーマン辺境伯は本当に素晴らしい御方でした。それだけです」
他に語ることはないのだ。
私の亡き妻以上に良い女は、私にとってはこの世の何処にも存在しないだろう。
そして、アッカーマン辺境伯以上に立派な男も、私にとってはこの世の何処にも存在しないだろう。
それだけ。
たったそれだけが事実である。
私は寂しい。
その後もイザベラ様と会話を続けていたが、どうやら用事があるようであった。
また別れの優雅な挨拶をしてくれたが、やはり私の挨拶は下手糞であった。
その後の事は言うまでもないだろう。
イザベラ様がパーティー中に、あるかどうかも怪しい――間違いなく根拠皆無の誹謗中傷を受けた。
そのイザベラ様を庇う為、名乗りを上げた者がいた。
ドミニク卿であった。
参陣を求められ――私は一番遅くに手を上げ、名乗り出た。
そして、見事に決闘裁判に参加することを認められた。
これ以上は。
私の人生について、語るべきことはもうなにひとつないだろう。
「アッカーマン辺境伯、きっと貴方はお怒りになるでしょう」
守るべき領民がいる。
守るべき幼い息子がいる。
だから、私は領地に生きて帰らねばならない。
当然だが、決闘裁判に本来は名乗り出てはいけない人間である。
だが、だが。
「それでも私は騎士なのです。貴方に何か一つでも恩返しがしたいのです」
これだけは譲れないのだ。
アッカーマン辺境伯に恩返しをしなければならないのだ。
我が領民が受けた恩を。
私が受けた恩を。
もう辺境伯にお返しできないのであれば、せめてその愛娘にお返しせねばならぬのだ。
だからこそ、私は決闘裁判に真剣に挑むつもりである。
仮にそれが「血みどろ」のヴィリーが相手であっても。
お互いに何の恨みもない、十数年ぶりに再会した戦友同士でも。
元代官、そして今は領主騎士のエーレンフリート。
元「血みどろ」、今は「紅蓮」のヴィリー。
私たちのやるべきことは、ただ死に物狂いで互いの名誉のために戦うこと。
それだけだ。
本作の書籍版一巻が7/30に発売されました。二巻も続巻予定です。
一巻では3500文字ほどの特典SSペーパーも2作書きました。
ゲーマーズ様:「興行主の目指すもの」
メロンブックス様:「ヨルダンの昔話と今後」
よろしくお願いします。