コロッセウム。
円形闘技場に観客が詰めかけている。
観客の全てが騎士であった。
今までの決闘との違いとしては――王妃派閥の騎士が多いことだろうか。
「紅蓮のヴィリー」が闘う姿を見に来たのだ。
彼らにとっては、もはやヴィリーの試合は他人事ではなかった。
彼が王妃テレージアに嫌悪を抱いていることは誰もが知っている。
それでも第四王子ブルーノたっての頼みで、出たくもない決闘裁判に出場したこと。
そして、その引き換えに――ヴィリーの息子に対してのみは、爵位と役職の相続が保証されたこと。
また、公爵家の次男であるアルバンが、ヴィリーの家族に対して、今後の後見人となってくれること。
そう約束がされたという話が流れており、それは誰からも事実であろうと確信ができた。
それぐらいの保証がなければ、あの計算高いヴィリーが命懸けの決闘になど出るわけない。
ならば、それを見届けに――その条件で良いならば、自分たちも。
自分の命を投げ捨ててもよいから、息子へはちゃんとした相続を保証してくれるのならば。
残り二戦の試合に出ても良いと、ブルーノに嘆願することを考えている者は多かった。
「頼むぞ、紅蓮のヴィリー」
王妃派閥の誰もが祈っていた。
今回の試合だけは勝ってくれと。
決闘裁判自体の名誉云々はどうでもよい。
アーデルベルトの訴えなど最初から嘘であろうし、ましてテレージアにもはや恩義を感じることもない。
二人とも死んでくれて構わない。
だが、王妃派閥の代表として出た『紅蓮のヴィリー』にだけは負けてもらっては困るのだ。
ブルーノからの救済の手が伸ばされると噂されている現状、それを台無しにされては困るのだ。
『所詮は王妃派閥など、このようなものか』と第四王子ブルーノが見限る可能性もあった。
もしここで負けようものなら、王妃派閥は本当に何もかも失うだろう。
名誉も、命も。
「うーん。観客からの視線は悲壮の一言に尽きる」
「紅蓮のヴィリー」は、観客からの必死の視線をそう切って捨てた。
『紅蓮』の二つ名に相応しい赤髪であるが、ちらほらと白髪が目立つ。
歳をとったのだ。
どうしても、自分自身でヴィリーはそう感じてしまう。
だから、まあいいさと。
もうここまででもいいさ、と。
ふんふんと、鼻歌混じりに考えた。
「で、当事者のアーデルベルトの奴はいないと」
今何してんの、とばかりにヴィリーは尋ねた。
もちろん、自分の息子への後見を約束してくれた。
それだけの信頼がおけるアルバンに対してである。
糸のように細い目のアルバンが、冷たく答えた。
「あの愚か者なら病欠ですな」
「病気の振りをして、アカデミーに引きこもっていると」
ヴィリーは一言で切って捨てた。
事実である。
もうアーデルベルトは表舞台にでる度胸がない。
いつディートリヒが現れて、自分を殺しにかかるのかわからないと。
そう怯え切っているからだ。
「どこで俺は判断を間違えたかねえ?」
ヴィリーは首をひねった。
それは誰に対しての言葉でもない。
自分に対してであった。
おそらくは仕えるべき主君を間違えた。
そこから始まっているのだが――公爵家の陪臣となった時の判断は誤りであったか?
いや、あそこで陪臣とならねば、騎士になる目などなかっただろう。
どうしても、そう考えてしまう。
では、誰もがやりたがらない状況下で、他の陪臣を押しのけて、テレージアの嫁入りに付いていった時か?
これは明確な誤りではないか。
そうとは言える。
だが、付いていかねば自分が直臣騎士になれる目など全くなかっただろう。
これも仕方ない。
色々と考える。
やはり、エーレンフリートとの出会いだ。
あそこで間違えた。
なんとしてでも辺境伯に自分を紹介してもらえるよう、嘆願すべきだったのだ。
アイツはアッカーマン辺境伯の信頼を得て、まだ開拓途中とはいえ夢であった領主の地位を掴んだのだから。
そこまでの信頼を得ている立場ならば、確かに強力な傭兵団を率いている俺も陪臣の目があった。
エーレンフリートもちゃんと説明してくれればよかったのに。
戦友だろう、俺たち。
まあ、決闘裁判の相手になる今日まで、お前の存在を忘れていたのだけれど。
「うーん」
今度は逆の方向に、また首をひねる。
だが、はたして。
そちら人生の選択肢が正しかったか? となると確信は得られない。
たとえば、今の嫁には出会えなかっただろう。
俺なんかの嫁に、元は荒くれ傭兵団の団長にすぎない俺なんかの嫁に来てくれた女だ。
いや、来てくれたとは違うな、自分が無理やり手に入れたのだ。
俺なんかでも手を伸ばせば手に入る存在だった。
当然だが、その貴族の実家では可哀想な立場の三女だった。
何処にも嫁に行ける当てのない、なんとすれば貴族でもなんでもない裕福な商家の嫁に嫁いで、そこですら虐められる。
その可能性すらあった女だった。
その噂を聞いて、俺が多額の持参金を積む形で引き取ったのだ。
俺に対しては、最初ビクビクと怯えていたな。
確かに美人ではあったが、体つきは豊満とは言い難い女だ。
なんでだろうな、理想とは違うのにな。
だが、何故か俺は嫁が気に入った。
気に入ったのだから仕方ない。
だから、口説いた。
嫁入り後にちゃんと口説いたさ。
色々な花を贈った。
色々な髪飾りや指輪を贈った。
一緒の馬に乗って、色んな場所に連れて行ったさ。
そうこうしているうちに、実家で粗略にされて塞ぎ込みがちだった嫁も元気になって。
やがて、息子が出来た。
あの時は、そりゃあ嬉しかったな。
俺の人生で掴んだもの。
金、名誉、地位。
それを受け継いでくれる存在が、この世に産まれ落ちたのだ。
市民どころかただの流浪の傭兵から成り上がって、傭兵団の団長になって。
そこから陪臣になって、直臣になって、役職も掴んで。
そして、それから――多分、今日死ぬんだろうな。
俺が掴んだ全ての権利を、息子に譲り渡す条件と引き換えに。
そんな気がしている。
「うん、大丈夫だ」
心残りはない。
何一つない。
第四王子ブルーノ、そして横にいるアルバン。
この二人には信頼がおけた。
この『紅蓮のヴィリー』は人物眼が冴えているのだ。
自分の名誉ではなく、どこかで主は自分の振る舞いを見つめていて、それを裏切ることは死すべき恥だと。
そう考えている騎士二人であった。
だから万全の信頼が置けた。
そうだ、一応聞いておくか。
「なあ、アルバンさんよ。嫁さん欲しくない?」
「突然どうした」
息子は大丈夫だろう。
ちゃんと躾けた。
まだ十歳とはいえ、自分の教えられる全てを注ぎ込んだ。
俺が死んでも泣くことはない。
本当に自分の子供か? と主に尋ねたくなるほどにしっかりとしていた。
だからそれはいいんだが。
「いや、なに。知ってるでしょ。息子はもういい加減物心ついたからいいけど、まだ娘は五歳なのよ。俺か嫁さんと一緒に眠らないと、時々愚図って泣いちゃう子なのよ」
娘は心配だった。
女の子の親となるのが、こんなに怖いことだと知らなかった。
心配で心配で、胸が張り裂けそうになる。
だが。
「だから、婚約者いないっていってたよね、アルバンさん。ウチの娘とかどう?」
「あの、私は十七歳なのですが」
「でもアルバンさんより良い男って俺なんかじゃ知らないし。仕方ないじゃん。十二歳差なら貴族にはよくあるって」
まあ、さすがに冗談だが。
この冗談に対する答えは期待できるから、ちゃんと口にする。
「後見人として、将来は確かな男との縁組を約束しよう。私の名誉にかけても。それでよいか?」
「オーケー、オーケー。さすがに話がわかる! 願ったりかなったりだ!!」
両手を合わせ、おどけるように拝む。
その言葉が聞きたかった!
「これで安心して死ねるね」
「ヴィリー卿、何も死んでほしいとは言っていない。あそこにいる――」
チラリと視線をやる。
コロッセウムの特別席。
そこに座る王妃テレージアと第四王子ブルーノに対して。
アレクサンダー王と側近たるクラウスは――今回に限っては欠席している。
「王妃テレージアに、あの女に。確かに貴方が命懸けで闘っているという姿を見せればよい。ブルーノが信頼を勝ち取れるように。それだけだ。正直言えば、ヴィリー卿には死んでほしくない。死ぬ必要もない。勝敗さえ別にしてよい」
「そりゃそうなんだけどさあ」
多分死ぬぜ。
その予感がある。
このヴィリーの予感は当たるんだ。
傭兵時代からそうだった。
「戦場では俺が死ぬって確信した奴は、大概死ぬんだよ。それで今日まで生き抜いてきた。今回もそうさ。それがたまたま今回に限っては自分自身で、どうあがいても逃げられない闘いだったってだけでさ」
アルバンは沈黙する。
如何にも申し訳ないと言いたげに。
別に、アルバンのせいでは決してないので責めたいわけではないのだが。
茶化すように、ヴィリーは笑った。
「嫁さんと子供のこと、頼むわ」
「……承知した。もしもがあれば、命を賭してでも誓いを守ろう」
答えは得られた。
ああ、もう何も怖くない。
「始めよう。行こうか」
入場門の西口から、二人して歩み出る。
そういえば――
「決闘裁判の被告当事者はどうしたの? 出なきゃ駄目なんじゃないの?」
「もう親ごと死んだ。理由は――」
「あ、わかっちゃった。もういいや」
そうだよな、どうせ王妃派閥だもんな。
ディートリヒ卿に優先的に襲われて、ぶっ殺された家の一つだろうな。
幼子を残して、抵抗する者は一族郎党皆殺しだろうな。
「ヴィリー卿は察しが良いな。出来れば公爵家の陪臣として、私の側近として仕えて欲しかった」
「嬉しい御言葉だねえ。当時、あのラインホルトの糞野郎が次期当主じゃなくて、アルバンさんだったら喜んで陪臣のままだったのにねえ」
本音を口にする。
本気の褒め言葉であった。
それがわかるのか、アルバンは少しだけ笑った。
「さて」
自分を殺す相手。
かつての戦友、エーレンフリート。
それはまだ出てこない。
ならば自分が先にアリーナに上がるというのは格好がつかないだろう。
ヴィリーはそう考えて、ただ待った。
十数年ぶりに会うことになる戦友に何を喋ろう。
全てを喋ろう。
剣にて語ろう。
俺が今まで歩いてきた勝利の道を語ろう。
そうして死ぬのだ。
誇らしく、嫁と息子と娘。
その小さな家族のために喜んで死ぬのだ。
ヴィリーはそう考えて――彼にしては柄にもなく、感傷的な気分になった。