エーレンフリートは、紅蓮のヴィリーが入場口から出てくるのを眼にした。
ああ、そうか。
これからやるのか。
やや哀愁を感じる。
なんとなくだが、どちらかが死ぬ気がしていて――事実、そうなるだろう。
決闘裁判に手を上げたことに対して、後悔は一切ない。
だが、悲しいなあ。
その感情も事実であるのだ。
自分とヴィリー、どちらが死んでも悲しいことには変わりなかった。
「エーレンフリート卿、必ずや生きて帰ってこられるよう」
入場口を出ようとする前に、イザベラ様が声をかけてくれた。
私は何か答えようとして――上手く言葉にできなかった。
こういう時に口にすべき、貴女のために勝利を、という言葉を。
どう詩吟を用いて流暢に伝えればよいのか、開拓領主時代ですっかり忘れてしまった。
代官時代の教養など錆びついてしまっているのだ。
「まあ、死にそうになったら止めてください」
代わりに出たのは、なんとも騎士らしくもない間抜けな言葉。
私は死ぬわけにはいかん。
いざとなれば死ぬ覚悟はあるが、死ねば黄泉路でアッカーマン辺境伯に怒られるであろう。
領地領民、それに我が子をほったらかしにして何たる始末だと。
あまりにも無責任だと、痛烈なお叱りを受けるだろう。
「危ういと感じたら、強引にでも止めに入らせてもらうぞ。死なれてもらっては皆が困るのでな」
「仮に負けても、後は私たち二人に勝利を委ねて問題ありません。エーレンフリート卿」
ドミニク卿と紋章官。
私が仮に負けたとすれば、後は残り二戦を担当する二人に全てを委ねることになる。
いくらアーデルベルト側が苦境とはいえ、手を抜くことは許されない。
ここで勝たねばならんのだ。
ぺこりと頭を下げて、私は兜を装着する。
そうして、入場口の西側から歩み出る。
陽が照っている。
仮に――自分が死んだらどうなるだろうか、と考えた。
まあ、レオンハルト卿が引き続き優れた代官を手配してくれるだろう。
死亡時は、戦友達やアッカーマン辺境伯家からの十分な支援があること。
後事については全く心配していなかった。
「うん」
だから、やはり死ぬ覚悟は決めておかなくては。
死にたくはない。
死にたくはないが、これは殺し合いであるのだから。
ヴィリーとて同じ気持ちで、死に物狂いで闘うことになるだろう。
アリーナに近づく。
よう、とでも言いたげに紅蓮のヴィリーが顎をしゃくって、さっさと上るように促した。
お互いに、アリーナの階段に足を踏み入れる。
そうして両者が相対した。
互いに鎧を着こみ、紅蓮のヴィリーは業物の剣を持っていた。
ああ、あのような業物を手に入れられるほど出世したのだな。
私といえば、まあ礼服を質に入れて代わりに苗や農具が欲しいなあと。
交易商人に口にしては止められる有様なのだが。
無理をすれば、贅沢ができないわけではない。
だが、領地領民は自分の財産である。
その財産を貧しい有様にさせるぐらいなら、自分の生活など後回しにすべきだと。
彼らの恥は私の恥であり、彼らの苦境は私の苦境であるのだから。
そう領主として考えている。
「……」
柄の長いモーニングスター(棘付きメイス)を握りしめた。
昔から、剣よりもこの武器に慣れているのだ。
ヨルダン卿が傭兵時代から愛用していたように、決闘でも剣士シュテファンを仕留めたように、この武器はそう悪い得物ではない。
優れた甲冑相手にも十分に通用し、上手く頭に当てれば昏倒を狙うことができた。
「お前、まだその武器使ってんの?」
紅蓮のヴィリーと相対したとたん。
まるで、十数年前に戻ったように、朗らかな声が聞こえた。
確かに戦友である、あの「血みどろ」の声であった。
「さすがに全く一緒の物ではないぞ。まあ、剣を振るう機会など少なくなったのでな。どうせなら愛用してきた種別の得物が良いと――」
「もう少し外見にも気を使えよ。せっかく領主になったんだろうに。お前の夢だったんだろ?」
気遣いを。
まるで親しい友人のように、するっと私の懐に入るようにして。
ヴィリーは気安い声をかけてきた。
今から殺しあうというのにだ。
こういう人懐っこいところが、この男にはあった。
「所詮は貧乏な開拓領主だ。少しは自分の身繕いもできるのは――きっと息子の代からだろうな」
「そうかい、俺は随分と贅沢できたぜ」
玩具を見せびらかせるように、業物の剣を見せびらかせる。
まるでヴィリーは子供のようだった。
十数年前と、何一つ変わっていないのだ。
自分の立身出世を誇っている。
「『血みどろ』が『紅蓮』になったというのに。お前の性格はそのままなのだな」
「いやあ、変わったこともあるさ。昔なら逃げてたことにも、逃げ出せなくなってしまった」
ヴィリーが首をひねる。
まあ、昔の『血みどろヴィリー』なら、確かに決闘裁判になど出なかったであろう。
「嫁と息子と娘がいるのよ。まあ、俺が死んだ後は後見人であるアルバンさんがなんとかしてくれるだろうが」
「そうか。お互いに死なないと良いが――」
「無理だね」
断言されてしまった。
声色は冷徹そのものである。
「どちらかの死以外の決着はないね。俺が死ぬって確信した奴は、大概死ぬんだよ。それは知ってるだろう?」
「知っている。何度も聞かされたよ」
十数年も前に、酒に酔って何度も何度も。
嫌というほど聞かされたし、それが事実であることも戦場でわかっている。
ヴィリーは人の死相が見えるのだ。
私は尋ねた。
「今日はどちらが死ぬ?」
「鏡を見る限り、今日の死相が出ているのは俺だった。だから、死ぬのは俺だろうと思っていた」
ヴィリーの表情は読めない。
だが、声からは確かな困惑が感じられた。
「ところがどっこい。遠目にお前の顔を見たが、どうもお前にも死相が見える」
「では、死ぬのは私か?」
「ああ。だが、これは初めての事だからなあ。両方に死相がみえるのだ。ひょっとしたら両方死ぬということも有り得るぞ」
なんとも救いのない言葉を口にする。
私は否定した。
「私は嫌だぞ。やるべきことが残っている。息子はまだ幼い」
「そんなもん、俺だって嫌だよ。息子は成人してないし、娘の結婚式にだって出たかったさ」
そりゃあそうだ。
お互いにやるべきことが残っている。
残っているが、戦わねばならぬ。
お互いの名誉のために、決して譲れないもののために死に物狂いで。
「だから、まあ悪いけど死んでくれや。エーレンフリート」
「いや、すまんが、死ぬのはお前だヴィリー」
私は言うべきことを言うことにした。
ずっと言うつもりであった言葉を。
「お前に十数年前に貸した飲み代を返してもらってない。こういう時、貸し借りはきっちり精算しておくべきだろう」
「そうだっけ?」
とぼけたように、ヴィリーは疑問符を浮かべるように答えた。
忘れているのだ。
本当に忘れているのなら、まあ仕方ない。
「……まあ、いいさ。お互い生き残ったら、代わりに酒でも奢ってくれ。もちろん決闘裁判の全てが片付いた後の話だが」
せっかく用意していた言葉を打ち捨てて、本音の言葉を口にする。
できればそうしていたかった。
ただの飲み友達でいたかった。
十数年ぶりの戦友との再会が、このような形でなければよかった。
「生き残ったらな。まあ、それもいいさ」
ヴィリーは返事をした。
おそらく、それはないと言いたげに。
無理だろうと。
どこまでも現実的な男だった。
ただ、どちらかに訪れるべき死を見つめている。
「じゃあ、そろそろやろうか。領主騎士エーレンフリート卿」
これ以上の会話は無理であった。
ヴィリーがテレージア王妃に怪しまれるだろう。
本当に死に物狂いで闘っているのかと。
約束試合など不可能だった。
「ああ、やろうか。お前の事は嫌いじゃなかったぞ、ヴィリー。死んでも恨んでくれるな」
「俺もだ。恨まないのはお互い当たり前だろ。それが決闘というものだ」
哀愁に別れを告げて。
私たちは名乗りを上げた。
「領主騎士エーレンフリート、私が受けた恩義とイザベラ様の名誉のために。貴殿へと闘いを挑む!!」
「紅蓮のヴィリー。第四王子ブルーノ殿下の命を受け、貴殿へと死をもたらす! 王妃派閥に栄光あれ!!」
ヴィリーの絶叫。
ただテレージア王妃に聞かせるためだけの、心にもない言葉。
それがコロッセウムに響くとともに、決闘裁判の第五試合目が始まった。