このヴィリーは、大したことのない生まれだった。
一応は自由民だった。
平凡な農村の生まれさ。
そして、それだけだ。
きっと、あのまま何事もなければ小さな村を一生出ることのないまま、ただの農民として生涯を終えたんだと思う。
戦争さえなければ、そうだった。
俺の家が火を付けられなければそうだった。
両親が死ななければそうだった。
そうさ。
死んだよ、二人とも。
どうということもない記憶だった。
父親の方はあまり良い記憶がない。
母ちゃんを殴るからだ。
大したことのない理由で殴るからだ。
強権的な男で、酒飲みで、糞野郎だった。
まだ幼い俺の事も平気で殴ろうとして――母ちゃんはいつも俺を必死に庇うんだ。
自分の身を楯にして。
それは、あの時も変わらなかった。
俺の家が戦争で、火を付けられた時も変わらなかったよ。
「逃げて」
その言葉だけを覚えている。
ずっと。
母ちゃんは兵士から俺を庇って、剣で背中を斬られたんだよ。
いつものように、俺の楯になったんだよ。
だから、もうどうしようもなかったよ。
一人で逃げるしかなかったんだよ。
そして――それから――。
何も持っていないから。
自分の皮膚、身体、つまり自分の生身における一切合切だけが財産だったから。
傭兵になったよ。
だって、もう故郷なんてない。
自分が自由民であることを証明だってできないし、世の中の領主ってのはアッカーマン辺境伯みたいに立派な人物ばかりじゃないんだぜ?
あの御方は戦争孤児を見つけたら、そのまま辺境領に引き取るような立派な人物だが。
他の領地じゃあ、誰も戦争孤児のことなんて気にしてくれないよ。
だから、自分の命を傭兵団に先払いで売って、その金で装備を買って傭兵業をやるしかなかったんだよ。
まだ戦争で捕まって、奴隷にならなかっただけマシかな。
母ちゃんが命懸けで逃がしてくれたんだよ。
俺を。
母ちゃん、生きてて一度でもいい事あったのかなあ。
ろくでもない男と結婚させられて、その子供を産んで、自分は殴られてばっかりで。
その人生で良かったことなんかあったのかなあ。
傭兵になってからも、時々そんなことを考えるよ。
でも死ぬわけにもいかないだろ。
母ちゃんが命懸けで俺を逃がしてくれたんだぜ?
それに死ぬのは誰だって怖い。
でも、傭兵で命の切り取りをすることでしか食べていけなかった。
矛盾しているが、自分の命を張って人殺しをすることでしか生きていけなかった。
だからこそ、必死になって戦ったさ。
この国は長い防衛戦争で、戦場なら探せば何処にでもあったから。
餓えることはなかったし、それに幸い、傭兵の才能はあったんだよ。
いつの間にやら、何人か新人を指導する立場になって。
数年も経てば、半傭半賊の傭兵団を指揮する立場に成り上がっていた。
二つ名も付いたよ。
「血みどろ」ヴィリーだってさ。
笑える話だ、農民の子せがれが出世したものだ。
いや、出世かなあ。
少なくとも子供の頃は農民としての市民権はあったが、傭兵にそんなものないしな。
このままどうなるんだろう。
そんな不安があった。
もちろん、金さえあれば生きてはいけるさ。
でもさあ、どうせなら夢が見たかった。
夢が無いって死んでるのと同じなんだぜ、知ってるか?
「騎士になりてえなあ。それも直臣騎士で、陪臣ってバカにされないような立派な騎士様って呼ばれてえなあ」
いつからか、そんな夢を見るようになった。
子供の頃、農民の頃に騎士に憧れてたんだ。
誰だって木の棒を子供の頃に振り回していた時期ぐらいあるだろう?
それをさあ、母ちゃんが優しく見守ってくれていたことをふと思い出したんだよ。
珍しく微笑んでたんだよ。
立派な騎士に成ったら、母ちゃんが喜んでくれるかなあって思ったんだよ。
半傭半賊の傭兵団の団長だなんて、立派な生業じゃないだろう?
母ちゃんに顔向けできないよ。
でだ、まあなんとかなった。
沢山殺したよ。
人を殺して、沢山殺して、なんとか公爵家から陪臣の声がかかった。
即戦力を欲していたようだ。
傭兵団をそのまま戦力として譲り渡せば、俺を陪臣騎士にしてくれるってさ。
別に公爵家に興味があったわけじゃない。
むしろ嫌いさ。
俺がその勧誘を受けたのは、その先が見えたからだよ。
これでも目端は利く方なんだぜ。
公爵家が無理やり、娘を王家に正妃として押し込もうとしていると聞いた。
それについていければ、陪臣から直臣に成り上がるコースが見えた。
ああ、目論見通りやったさ。
公爵家のテレージアというのはとんでもないクソアマで、まあアレクサンダー王が苦労するのは透けて見えた。
それどころか公爵家にも災厄をもたらす可能性もあったが、そんなことをわざわざ忠告するほどの誠意はない。
俺は俺が出世できれば良かった。
何分慣れない騎士生活だ。
それなりに苦労もさせられて、順風満帆とはいかなかった。
ちゃんとした扶持が貰える役職を見つけるのに三年かかったよ。
「血みどろ」だなんて二つ名を変えて、「紅蓮」と認識されるまでにそれだけかかった。
ああ、エーレンフリートはちゃんと忠告してくれなかったが。
傭兵からの成り上がり騎士というのは、なかなか嫁探しさえも難しいもんなんだな。
マトモな嫁の当てが見つからねえ。
俺が王妃派閥として、アレクサンダー王の直臣になったのが二十歳。
結婚できたのは三十歳だぜ。
なんで十年も嫁探しをしてるんだ、俺は。
騎士に成れば、自由に美人で巨乳の嫁を貰えると思っていたのに。
「まあいいさ」
今の嫁に出会った。
出会うことができた。
俺が探し求めていた女ではない。
確かに嫁は探していたが、俺の欲しい美人で巨乳の嫁ではなかった。
自分でも金を積めば貰えそうな貴族の嫁を探していて、そこで知った一人の女だった。
貴族の実家では可哀想な立場の三女。
裕福な商家の嫁に嫁いで、そこですら虐められる。
そんな不幸な雰囲気を持つ、しょぼくれた痩身の女だったよ。
俺は美人だと思っているが、世間ではそうじゃないのかもな。
そんな彼女を、俺が多額の持参金を積む形で引き取った。
最初ビクビクと怯えていたな。
俺なんかは傭兵からの成り上がり者だと噂が立っていたから、彼女は金で買われたようなものだから。
殴られたり、虐められたり酷い目に遭うと思っていたのかもしれない。
母ちゃんを思い出したよ。
だから、優しくした。
嫁入り後に、出来る限り――俺が考え付く出来る限りの事をしてやったよ。
色々な花を贈った。
色々な髪飾りや指輪を贈った。
一緒の馬に乗って、色んな場所に連れて行ったさ。
出来なかった親孝行をしているようなつもりで。
俺の妻は、この事実を知ったらどう思うんだろう。
妻に対し、自分の母親を重ねていたと知ったらどう思うのだろうか?
とんでもないマザコン野郎だって思うかな?
それとも、私の事を見てくれてないって泣くだろうか?
どちらでもなく、そういう巡り合わせだったんだと前向きに受け止めてくれるといいな。
お前の事を愛していた。
そこに嘘は何一つないんだから。
ああ、全部愛しているとも。
お前との間に出来た十歳の愛息も。
俺か嫁さんと一緒に寝ないと、未だに愚図って泣く五歳の娘も。
なあ、母ちゃん。
俺はちゃんとやったよ。
最期までやりとげたよ。
騎士に成りあがって、家族を作って、嫁さんを幸せにして。
もう人生でやるべきことはすべてやった。
だから、母ちゃんが俺の楯となったように。
家族のために死ぬのだ。
金、名誉、地位。
俺が掴んだ全ての権利を、息子に譲り渡す条件と引き換えに。
愛する家族の楯になって、そうして死ぬのだ。
思えば、誰もが多少の違いはあっても、こういう物なのかもしれないな。
血を繋ぐとは、こういうことだ。
子が親の屍を越えていくのではない。
親が子供の歩く道を作るために死んでいくのだ。
「ヴィリー卿」
アルバンさんが、地面に倒れている俺の顔を覗き込んでいる。
なあ、アルバンさん、そんなに悲しそうな顔をするなよ。
王妃派閥がアレクサンダー王に完全に見放された。
俺は経歴的に王妃派閥であることを覆せず、確かにあのテレージアを王妃に推した責任がある。
このまま怒り狂ったディートリヒ卿に殺されるのが目に見えていた。
俺の力じゃもうどうにもならなかった中で、アンタだけが俺に救いの手を差し伸べてくれたんだぜ。
だから、俺が死ぬのはアンタのせいじゃない。
感謝しかないんだ。
それに、アンタには俺の家族の後見人として、今後を見守ってもらう必要があるんだから。
壮健であって欲しい。
百歳ぐらいまで生きなよ。
騎士と騎士との約定だぜ。
アンタがやることはたった二つ。
俺の家族の世話と、俺の死と引き換えにして解毒薬を手に入れることでテレージアのクソババアを追い詰めて、ぶち殺すことさ。
必要な犠牲に慣れておきな。
必要な目的のために、人が死ぬことに慣れるんだ。
アンタの人生だと、こんなことは呆れるほどこれからもあるさ。
俺の見立てだと、死ぬまで苦労するんだぜ、アンタは。
「何か御家族にお伝えすることはあるか?」
アルバンさんの震える声。
懺悔をするような声だった。
もう俺が死ぬことを悟ったんだろう。
何か慰めになる言葉を探し求めた。
最期に口にしたいこと?
それはきっと、自分にとって世界で一番「美しい名前」。
奇しくも、母ちゃんも愛妻も同じ名前だ。
「フィーネに、愛していたと」
ヴィリーはその名前を最期に呟いた。
そして、そのまま二度と動くことはなかった。
この決闘裁判における五人目の騎士が、死んだのだ。