頭が痛い。
ダメージは全く抜けきっておらず、上半身を起こすことすらできなかった。
左腿はきつく包帯で縛られている。
おそらく、ここはコロッセウムの医務室であった。
「お目覚めですか? エーレンフリート卿」
イザベラ様の声。
私はそちらになんとか首を動かした。
椅子に座っており、私のことを看護してくださっていたようである。
「――失礼を。どうもまだ起き上がれそうにありません」
「よいのです。そのまま、安静にしていてください」
不敬の極みであったが、どうしようもない。
まず何を喋ろうか。
決闘裁判における敗北。
その不名誉に対する謝罪を試みようとして。
「謝罪の必要はありません。どうして我が名誉のために死に物狂いで闘って下さった騎士殿を責められましょう」
先手を取られた。
私への慰めではなく、イザベラ様は本気でそう仰られている。
それは理解しているので、私は謝罪の言葉をやめた。
そのような真似を彼女が全く望んでいないのだから、やめるべきであった。
――確認したいこと。
「ヴィリーは?」
「……見事な決闘死をされました。本当に、お見事な」
決闘死。
労しそうに、イザベラ様はその死に様を評した。
敵である。
敵であったが――
「……」
「……」
互いに沈黙が落ちた。
確かにヴィリーは我々の敵として立ち塞がった。
だが、あの男を憎んでの決闘ではなかった。
あの男とて、我々を憎んでのことではなかった。
それはこの私、エーレンフリートも、イザベラ様も同じこと。
「……今は何も考えずに、お休みを。エーレンフリート卿。貴方は大量出血で気絶をしたのですよ」
「そうすべきなのでしょうが」
イザベラ様の言う通りだ。
私は開拓領地に必ずや帰らねばならぬ。
このままゆっくりと、何も考えずにもう一度眠りにつくべきだ。
そう判断しているが。
「あの男、手加減をしました」
あの決闘は殺し合いであった。
何の手加減もない、本気の殺し合いであったのだ。
それは嘘ではない。
だが、最後の殺撃においてのみ手を抜いていた。
もしヴィリーが本気で一撃を放っていたならば、私は死んでいただろう。
それは確信できる。
「おそらく――貴方までも死ぬ必要はないと考えたのでしょう」
イザベラ様が相槌を打つ。
で、あろうな。
最期の最期、自分の死を確信したヴィリーは私に慈悲を与えた。
自分を殺した相手だというのにな。
「完敗です」
私はあの男に、ヴィリーに完全に負けたのだ。
決闘においてだけではない。
騎士の品格においても負けた。
善良を目指すという、もっとも普遍的かつ道徳的な騎士道においてさえも負けたのだ。
目を瞑る。
素晴らしい騎士であった。
誰もがそれを認めるだろう。
私が、その素晴らしい騎士を殺した。
「……スープなら口に入りそうですかな?」
私たちの会話を聞いて、部屋の外で警護をしていたヨルダン卿が室内に入ってくる。
食事か。
未だに眩暈はするが、確かに大量に血を失ってしまった。
なんでもいいから、無理をしてでも腹に入れねばならぬ。
「なんとか」
「なれば用意をしてきます。紋章官殿、しばらく警護の代わりを」
ヨルダン卿が立ち去り、代わりに紋章官殿が部屋に入ってくる。
任されました、と小さく返事をして。
彼は耐えかねたように、話を切り出した。
「――エーレンフリート卿、恨むならば私を」
筋違いの話である。
どうして紋章官殿を恨めようか。
彼は本気で恨まれても仕方ないと思っているようだが。
「誰も恨まぬ。何も恨まぬ。お互いにそういう約束での決闘でした」
なあ、ヴィリー。
そういう約束だったよな。
そういうルールだったよな。
それは確かに同意したはずだ。
どちらが死んでも仕方ない。
我々の神聖な、それこそ神に誓った契約であった。
なのに、お前は私に慈悲を与えた。
それが歯痒かった。
だが――私とて、同じ状況ならば同じように動いたであろう。
だから、ヴィリーを責めることもできないのだ。
「紋章官殿。罪悪感など感じる必要はないのです。私たちの決闘は神聖なものであったはず――」
それだけを認めてもらえれば。
何一つとして不満はなかった。
皆まで言わずに、言葉を打ち切る。
「失礼しました」
紋章官殿は、少しだけ悲しい目で返事をした。
やりきれないという表情であった。
「……アルバン殿もおそらく今頃、紋章官殿と同じように罪悪感を感じているのでしょうな」
敵方に潜むスパイ。
そして間違いなく騎士である彼の心境を察する。
不要であった。
もし、彼に、アルバン殿にやるべきことが、ヴィリーが残した家族の後見人になること以外にあるとすれば。
それは、私たちの決闘を神聖なものであったと認めようとしない。
そんな相手を確実に仕留めること。
それだけが、彼に課せられた役目であった。
「少し、眠ります。ヨルダン卿が来られましたら、起こしてください」
ヨルダン卿がスープを運んでくるまで、目を閉じておく。
なあ、ヴィリー。
私は死なないよ。
お前に慈悲を与えられた以上、この私は死に物狂いで生きて行かねばならぬのだ。
それだけが最高の騎士であったお前に返せる、私の唯一の敬意だから。
そう考えて――体を休めるため、ゆっくりと目を閉じた。
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ザクセン王国宮殿。
ブルーノの計略は今のところ上手くいっていた。
王妃テレージアは、すっかりブルーノの事を信用していた。
『紅蓮のヴィリー』が死に物狂いで闘い、そして勝利したがゆえに。
「――あの男も使いどころがあったものだ。所詮傭兵あがりだと思っていたが、粗野な決闘では役に立つ」
何もかも上手くいっている。
あと少しの我慢だった。
忍耐であった。
このブルーノは、私は、テレージアが愉快そうにヴィリーについて語ることが酷く苦痛である。
紅蓮のヴィリーを、あの神聖な決闘を全うした彼を卑下する行為は、たとえ神であっても許されるべきではない。
騎士として、心底からの敬意を彼に抱いているからだ。
「自陣営で勝利した騎士に対して、労いの言葉を――家族に送り届けますので」
大嫌いな母だった。
テレージアは本物の愚物である。
それこそ、大嫌いな実兄であるアーデルベルトにそっくりの。
「不要だ」
不要。
テレージアはそう判断した。
ヴィリーの貢献を、何とも思っていなかった。
「ブルーノよ、王族がそう容易く声をかけてやるものではない。言葉の価値が薄れるぞ? 傭兵から成り上がった騎士風情が多少役に立てたのだ。むしろ遺族が我らに感謝すべきであろう?」
ああ、図に乗っているのだ。
自分が味方をしたから。
完全に味方であると『誤認』したからこそ、ここまで薄汚い本音を口に出来ている。
私の計略は上手くいっている。
なれど。
いや。
「……」
もう諦めているのだ。
骨の髄からの愚図なのだ、実母も実兄も。
生きるに値しない愚図なのだ。
私が誇れるものがあるとすれば、本当に尊敬すべき腹違いの兄であるアルミン兄さんやベルノルト兄さんの弟であること。
父が私をどう思っているかは知らないが、アレクサンダー王の息子であること。
そして公爵家の、クラウスとアルバン兄弟の従兄弟であること。
それだけだ。
だから、私は彼らに誇れるべき仕事を今からこなさなければならない。
「わかりました。そうしましょう。それでは――話の本題に入りますが。約束通り、パウラ嬢に盛ったという毒と解毒剤を渡してください」
「なあ、ブルーノ。他に道はないのか? 例えば、今回ヴィリーを上手く利用したように、腕利きを集めてディートリヒを仕留めるなどの手が――」
「本当に死にたいのですか? ディートリヒ卿がそんな手に敗れると? あの暴力に抵抗することは不可能です」
そもそも、その暗殺を一度お前と愚兄は失敗したんだろうが。
愚物どもが。
口には出さずに、そういう視線を送ることも我慢して。
ブルーノはただ結論だけを口にする。
「母と兄の助命嘆願には、ディートリヒ卿の妹であるパウラ嬢を助けること。それだけが唯一の手であり、交渉に必要な最低条件なのです。そのためには毒と解毒剤を差し出してもらいましょう」
「……わかった。少し待っていろ」
テレージアは椅子から立ち上がり、自分の部屋へと向かう。
ブルーノはその間に考える。
毒の入手手段も聞きだす必要があるかな?
拷問するか?
もはや慈悲などかける必要はない。
いつ、どこで、誰が。
どのようにしてテレージアを殺すか。
それだけが問題だった。
テレージアを殺す権利を持つ者がいるとすれば、それは無数にいるだろう。
だが、もし、このブルーノが権利を与えるとすれば。
私などに、それを判断する権利が与えられるとするならばだ。
あの人以外に、相応しい人物はいないように思えた。