死の旋風は止まらない。
ヴィリー卿が見事な決闘死を遂げて一週間。
相も変わらず王都では殺戮の嵐が吹き荒れていた。
ディートリヒ卿が、第二王子派閥、王妃派閥の家に殴り込みをかけ、一方的に殺戮していくのだ。
何一つ状況は変わらなかった。
阿鼻叫喚の地獄は続いている。
派閥の騎士同士で一つの屋敷に寄り集まり、なんとかディートリヒに抵抗しようとする集団があった。
無意味だった。
相手は熊や猪ではない、竜が如き化け物である。
討ち取れる英雄は何処にも居ない。
全員が虚しく殺された。
屋敷や財産を一刻も早く処分して、爵位も地位も――それどころか家族さえ投げ捨てて王都から逃げ出そうとする者がいた。
無意味であった。
翌日には王城の門に、首を縄でくくられて死体が飾られていた。
『騎士ですらない恥知らず』と書かれた木の板と一緒に。
やはり、懇願しかなかった。
縋れる人間に、何でも差し出して懇願するしかないのだ。
「私のことはどうでもよいから、家族にだけは救いを。もうそれでよいから」
それだけ。
もうそれだけが願いであった。
ヴィリー卿の家族に対する後見をアルバンが宣言したこと、その妻子についてはブルーノに完全に保護されたこと。
これはすでに王都の全てに知れ渡っている。
では、決闘裁判に挑めばよろしいか?
貴方がたに下ればよろしいのか?
構わぬ、もう私は死んでも構わない。
その代わり財産や貴族としての地位の相続を、家族にと。
てんで当てにならぬテレージアやアーデルベルトなどは無視をして、公爵家次男であるアルバンとの面会を。
そして第四王子ブルーノに謁見を申し出る騎士たちが列を成していた。
「ブルーノ? ブルーノはおらぬのか!?」
そして、テレージアもその一人であった。
王妃派閥の一人と謁見が終わったばかりのブルーノの執務室に入り、そこで絶叫する。
ノックすらしない阿婆擦れ。
「約束が違うではないか! 毒と解毒剤はちゃんと――」
「その毒と解毒剤についてですが、いま確かめているところです」
腸が煮えくりかえりながら。
ブルーノはつとめて冷静に答えた。
「確かめる? 何を――」
「まさか、パウラ嬢に本物かどうかもわからぬ解毒剤を飲ませるわけにもいかぬでしょう。本当に効くかどうか確かめる必要があります。一週間前に王妃派閥の騎士が一人、志願してくれたので毒を飲ませたところです」
毒は本物だったようですねえ。
毒は。
すぐに病床に伏しましたよ。
そう口にして、ブルーノは書類を確認する。
勇気を出して毒を飲んだ騎士については、今後を保証してやるつもりであった。
さすがにヴィリー卿に対してほどではないがな。
「この状況で偽物を、偽薬を渡して何になる?」
テレージアは叫んだが。
ブルーノは表情を崩さない。
「あれは偽薬だ。そう簡単にパウラ嬢も死なぬ――その間に何か良い手を考えよう。そう口にする可能性もありました。母上の性格は知っております」
「アレは本物だ! この期に及んでは、そのような真似はせぬ!!」
「まあ、落ち着いてください。これから解毒剤を飲ませますので」
ブルーノは執務机に並んだ手紙を眺めている。
全てが助命嘆願であった。
ブルーノには仕事があるのだ。
これから、第二王子派閥、王妃派閥の貴族である連中の『誰を許して』「誰を許さないか』を整理する。
その相談はアレクサンダー王や、新しく公爵家当主となったクラウスと慎重に行わなければならなかった。
場合によってはアルバン兄さん、そして同様に嘆願を受けていると聞くイザベラ嬢とも話し合う必要があるだろう。
テレージア如きと遊んでいる暇はないのだ。
「それが毒を飲んだ騎士に効きましたら、残った分をパウラ嬢に飲ませます」
「それで、私は助かるのだな? アーデルベルトは助命されるのだな?」
結局、それだけか。
テレージアは今も殺されている派閥の事など気にも留めていない――結局、人の上に立つ資格など欠片もない。
ブルーノは愚物二人と血が繋がっていることを、心底嫌悪しながらに思う。
従兄弟のアルバン兄さんがいてくれてよかった。
あの善良でお人好しの好漢と似ていると思われているからこそ、父上は私の事までは嫌悪しないでいてくれるのだ。
そして、私自身にとっても自分の血に対し嫌悪すれども、正気でいられる最後の砦である。
「ええ、このブルーノがしかと父上やディートリヒ卿と『取引』しましたとも。だから、マルゴット第二王妃に毒を盛ったこと。パウラ嬢に毒を盛ったこと。これについては通りましたとも」
約束してやる。
その理由では殺さぬ。
そうブルーノは確かに約束する。
「お疑いならば、騎士としての宣誓でもしましょうか?」
「……」
ブルーノの言葉に、悩んだ様子のテレージア。
鼻で笑いそうになるが、ブルーノはそれを耐えた。
「必要だ。騎士として宣誓してくれ」
息子に騎士として宣誓を求める母。
それも自分の犯した犯罪に対する助命について。
笑い話にもならぬが、ブルーノはそれを行った。
内心で嘲笑いながら。
「いいでしょう。このブルーノはザクセン王国第四王子の名において、父上やディートリヒ卿から母上を、そして兄を守ることを誓います。これでよろしいですか?」
嘘ではない。
この宣誓は嘘ではない。
ブルーノはアレクサンダー王に、褒美を与えられていた。
解毒剤を手に入れる計略を達成したことに対する褒美。
殺しのライセンスである。
誰が駒鳥(テレージア)を殺すのか?
それを選択する権利である。
「構わぬ」
露骨に安心した様子を見せて、テレージアは溜息を吐く。
駒鳥か。
そう呼ぶのには相応しくない愚物である。
ともあれ。
「母上、すいませんが退室を。助命を約束したからといって、父が不快でないわけではないのですから。しばらく宮殿に籠っていて頂ければ助かります」
そうでなければ、バッタリと王城内で出くわした際に。
父がテレージアを怒りのままに絞殺する可能性はあった。
もちろん、父はその欲求を耐えるだろうが、これ以上のストレスは与えたくない。
テレージアを殺すことでストレスが少しでも解消されるなら――父に殺してほしかったが。
残念ながら、その気配はない。
本人が復讐をすればスッキリするとは限らないのだ。
「わかった。くれぐれも頼むぞ」
テレージアが退室するのを確認して。
さて、誰が殺すのが正しいのか。
その思考を続ける。
ディートリヒ卿はさすがに拙い。
今の状況でさえ、ハッキリ言えば王都の治安には良くないのだから。
いくら死んで当然の雌豚とはいえ、王城に押し入って門に王妃の首を吊るされるのは拙かった。
だから、殺すのはやはり彼ではない。
アレクサンダー王でも、ディートリヒ卿でもない。
では、誰かというと。
「……」
私が約束した通り、あの二人以外ならば別に誰でも良いのだ。
結論としては良い。
派閥からの完全離脱を証明するため、アーデルベルトやテレージアの刺殺を計画する者さえいるのだから。
ちょっと目を離したすきに、テレージアが死んだ。
理由はよくわからない。
それでも別にかまわない。
だが。
殺しを志願する者がいるのだ。
とある騎士の名誉への侮辱に対し、どうしても殺さねば気が済まぬ。
自分の面子が立たぬという人間がいるのだ。
「……」
悩んでいる。
あの人に殺しをさせて良い物かどうか悩んでいる。
父と同じで、別にテレージアをその手で殺したところで本人には余計なストレスがかかるだけ。
何かがスッキリ解消されることは無いだろう。
そして、名誉という点ではどうか。
テレージアを殺したところで、別に誰かが責めることはないだろう。
死んで当然のクズを殺しただけだから。
だが、王妃殺しは王妃殺し。
その記録はザクセン王国の歴史書に残るだろう。
殺すならば、惨めに惨たらしく殺してくれ、というのが最大の被害者であるアレクサンダー王の心中であろうが。
そんなの、「あの人」には向いてない。
根っから性格的に不向きなのだ。
「……」
ゆえに悩んでいる。
あの人に王妃殺しをさせて良いものか。
――執務室に、ノックの音。
「どうぞ」
来客が誰かは判っている。
私が一言声をかけることで、扉は開いた。
「医師による毒の鑑定が終わった。間違いなくマルゴット様やパウラ嬢に盛られた毒と同じであろうとの事だ」
それは報告だった。
間違いなく待ち望んだ報告であり。
「同じ毒を飲んだ騎士にも、解毒剤が効いた。パウラ嬢にも飲ませ、病状は快方に向かいつつある。ディートリヒ卿も落ち着きを取り戻している。今後は殺す相手はこちらの指定に従ってくれるとの事だ」
朗報である。
同時に、ブルーノに対して与えられた褒美。
誰がテレージアを殺すのか、その最終結論を出さなければならない時間が来たことを示している。
「約束通りだ。今夜、駒鳥殺しを決行する」
怒り狂っているわけではない。
悲しんでいるわけでもない。
そんな何もない表情で――アルバン兄さんは、ただ殺すと口にした。