「誰かおらぬのか!?」
悲鳴。
テレージアは叫んでいる。
ザクセン王国の宮殿、衛兵や女官が本来は昼夜問わず仕事をしているはずの場所にて叫ぶ。
返事なし。
誰もいなかった。
「何故、何故――」
テレージアは悲鳴を上げている。
その声に応じる者は一人しかいない。
テレージアを追うブーツの足音。
公爵家次男のアルバンであった。
「何故も何もない。そういう風に手配したのだから――衛兵も女官も、すでに実家に帰った。後は正しき沙汰を誰もが待つのみだ。たとえ裁きを受けるとしても自分だけで。家族まで巻き込みたくはあるまい」
アルバンは武装していた。
腰にロングソードを帯び、ナイフを二本ぶらさげ、モーニングスターまで携えている。
殺意は明らかである。
「アルバン。貴様――やはり裏切っていたのか?」
「裏切る? あのアーデルベルトに忠誠を誓ったことなど一度もないわ!!」
事実である。
アルバンがアーデルベルトに剣で肩を叩かれた事実は存在しない。
それどころか、誰かに忠誠を誓ったことすらない。
アルミン王太子にも、アレクサンダー王にも忠誠を明確に誓ったことはない。
臣従儀礼(オマージュ)を未だアルバンは行っていなかった。
主君持ちの騎士ではないのだ。
皮肉にもアカデミーに入学したゆえに、騎士身分を得られた立場に過ぎなかった。
「このアルバンは未だ本当の騎士ですらないのだ。ゆえに――このアルバンこそ濡れ仕事にふさわしい」
アルバンは考えている。
テレージアを殺したい人間は無数にいるだろう。
だが、もう誰の手も汚したくはない。
それが例えザクセン王国の暗部――ロバの耳の諜報員だろうとて。
やりたくない仕事を押し付けたくはなかった。
決闘裁判における全ての責任は、アルバン自身に帰結すると考えていた。
「無様に死んでもらうぞ、テレージア」
ゆえに、王妃殺害も自分の責務だと考えていた。
自分がやるべき仕事だと認識していた。
「その武器で私を殺そうと――」
「残念ながら、違うな」
アルバンはそう否定して、追い詰められたテレージアの前で。
モーニングスターを放り投げた。
テレージアの眼前にである。
「……何を?」
「好きな物を拾えばよい」
続けて、腰のロングソードを鞘ごと放り投げた。
ぶら下げていた二本のナイフも。
全て、テレージアに投げ渡した。
「私は武器を用いない。何でも使ってよい。こちらは素手にて応じる」
アルバンが武器を持参したのは、テレージアのためである。
一方的に強者が弱者を嬲り殺しにする。
それをアルバンは厭うた。
「……ふざけているのか?」
「私は本気だ。拾え。チャンスをやる」
テレージアは投げ渡された武器の内、ロングソードを選んだ。
確かに武器を拾い上げた。
ロングソードなど初めて握る。
なれど、武器は武器。
弱者を強者に変える力を持っている。
三寸斬り込めば、人は死ぬのだ。
「……」
アルバンは冷たくその姿を見守った。
儀式である。
これはアルバンにとって決闘の儀式であり、女を――。
いくら悪女と言えども、罪有りきといえど、テレージアを殴るのに必要な儀式であった。
「……」
「……」
互いに沈黙する。
鞘を放り捨て、テレージアは剣を振り上げた。
見様見真似ではあったが、それは全力を込めた太刀である。
なれど、鍛え上げたアルバンに通じる理由はない。
避けた。
避けて、腹を強烈に殴りつけた。
練り上げた背筋を使った、強烈な一撃である。
テレージアは蹲り、嘔吐する。
「お前がこれから死ぬ理由を教える」
王妃テレージアが死ぬ理由について教える。
公爵家次男たるアルバンが殺す理由について教える。
理由は幾つもある。
沢山ある。
「まず一つ目。お前は公爵家の恥である。お前がアレクサンダー王と是非婚約者にと望まれたマルゴット様、その間に挟まり、あろうことか正妃となったことだ」
「それは公爵家の計画で、兄とて、ラインホルトとて罪が――」
「そうだ。お前の言う通りだ。父にも罪がある。押し付けた派閥にも罪が有る」
結果は自裁である。
ラインホルトはその罪の責任を取り、毒入りのワインを飲んで死んだ。
公爵家の恥である。
これをアルバンは拭わねばならぬ。
「だから父は死んだ。王妃派閥もディートリヒ卿に沢山殺された。当然の結末だ。ゆえにお前も死ね」
「馬鹿な! 私は王妃であるぞ――」
「二つ目だ」
テレージアのかすれた声を無視して。
アルバンは罪を数える。
「お前は第二妃であるマルゴット様を殺した。何故だ? 正妃の立場を勝ち取ったことに満足できなかったか?」
「誰もが――この私の息子であるアーデルベルトを馬鹿にして、アルミン、アルミンとばかり褒め称えて」
「くだらん嫉妬か」
結局、それだけなのだと思った。
このテレージアという女の世界は、あのアーデルベルトという愚図な息子と自分だけで閉じている。
それ以外の世界を省みることをしなかった。
「ともかくも、マルゴット様を殺した。アレクサンダー王が真に愛した女を殺した。万死に値する」
アルバンはマルゴットと親しかったわけではない。
だが、公爵家の愚かな計画に邪魔されて、本当に愛した男の第二妃扱いとなった。
そればかりか、国家の維持のためにと正妃の座を譲った女に命まで奪われたのだ。
公爵家の罪である。
これをアルバンは拭わねばならぬ。
「次だ。貴様はアカデミーという組織を『骨抜き』にした。防衛戦争中のザクセン王国にあって、兵役を拒む愚か者しか生み出さぬ愚劣な存在に改編した」
「アカデミーは……私に忠実な者たちを集めた、真に優秀な者たちを育成する組織で」
「その優秀なアカデミー卒の衛兵どもは何処へ?」
アルバンは周囲を見渡した。
一人も何処にもいなかった。
ブルーノの命令に従い、誰もが実家に帰ったのだ。
テレージアへの忠誠心など欠片もなかった。
「お前だけにおもねる愚図を集めただけの、怠惰者の楽園に過ぎん。それが公爵家に被害を与えた。農民戦争という誰もが被害者である悲惨な反乱を産んだ。これが三つ目だ」
やはり公爵家の罪である。
これをアルバンは拭わねばならぬ。
蹲るテレージアを、アルバンは蹴とばした。
転がり、握られていたロングソードは手から零れ落ちる。
「約束を守る気はないのか!? 私はブルーノと取引をしたぞ? 私とアーデルベルトは助命すると」
約束は守るさ。
騎士だものな。
一応は守ってやるさ。
アルバンはそう嘯いた。
「アレクサンダー王は手を出さない。ディートリヒ卿も手を出さない。これは公爵家次男アルバンによる裁きである」
「へ、屁理屈を!!」
屁理屈ではない。
アルバンにはテレージアを殺す数多の理由があった。
真面目に数えれば、数え切れぬほどの。
今は、その内の三つを上げたにすぎぬ。
「公爵家がお前を殺したい、裁きたい、処理したい理由はすでに告げた。貴様は公爵家の汚点であり、父ラインホルトの無念のため、マルゴット様に対するお詫びのため、被害に遭った公爵家領民のために死なねばならぬ。ここから先は――」
公爵家次男であるアルバンが、叔母であり王妃テレージアを殺す理由はすでに告げた。
後は。
アルバン個人の怒りである。
「私がお前を殺す理由を告げる」
「そんなもの――あるわけ」
「ある。だって、お前は『紅蓮のヴィリー』に対して。私が決闘者に選んだ騎士に対して――」
名誉決闘裁判。
第五試合目、決闘者『紅蓮のヴィリー』。
愛する妻の名前を最期に口にして、こと切れた男。
自分は息絶えながらも勝利を達成した騎士である。
そんな本物の騎士に対して。
「命を捧げて、仮にも忠節を証明した騎士の遺族に、労いの言葉一つかける事すらしなかったじゃないか」
ブルーノは言葉を求めた。
自陣営で勝利した騎士に対して、労いの言葉をと。
家族に送り届けますのでと。
その言葉に対し、テレージアはこう告げた。
傭兵から成り上がった騎士風情が多少役に立てたのだ。むしろ遺族が我らに感謝すべきであろう?
と。
愚劣の証明である。
「お前が死ぬ理由はそれだけだ。命懸けで闘った本物の騎士に対し、何も褒美を与えなかった。敬意を示さなかった。お前が死ぬには十二分に値する理由だ」
「馬鹿な! たったそれだけの事で――」
「たったそれだけ?」
アルバンは蹴りを入れた。
腹だった。
テレージアの腹を強かに蹴りつけて、這いつくばる彼女の顔を更に踏みつけた。
「たったそれだけだと!? それだけの事すら出来ない、貴族の義務を果たせぬお前が何をほざくか!!」
「私は! ザクセン王国の王妃であるぞ!!」
「それに何の価値がある!? 貴族という立場は弱者に対して偉ぶるためが理由として存在するのではないわ! 主君への忠誠、名誉と礼節、貴婦人への愛、どれもが貴様に与えるには相応しくない!!」
アルバンとあまりにも価値観がずれている。
それを認識しようとしている。
相手は女である。
アルバンにとって、例え罪人であろうと女を殴り、甚振るなど、その価値観の範疇外である。
だからこそ、この会話は必要であった。
「テレージア、お前が死ぬ理由を探している。ずっと私が殺して良い理由を探し続けている。そして、もうこの会話で十二分だ。主はお前を見放した」
そして、もう会話は必要ない。
後は泣こうが喚こうが。
アルバンの怒りがブレることはない。
「待て! 私はお前の叔母で――止めてくれ! せめて、せめて毒で安らかに!!」
「だからこそ許せぬことがある。血族だからこそ許せぬことがあると知れ! そのような死に方がお前にふさわしいと思うな!!」
もはや、テレージアが死ぬ理由は十分である。
アルバンはそう判断して、襟首を掴み上げた。
応報。
惨めに惨たらしく殺してくれ、それがアレクサンダー王の心中であろう。
そうブルーノからは聞いているし、王の気持ちは痛いほどにわかる。
なれど、アルバンは拷問を加えるようなことはしなかった。
それだけは拒んだ。
矜持である。
女を拷問するような真似はできなかった。
結論から言う。
ザクセン王国正妃テレージアの死因は素手による絞殺である。
その死体は王城の門に、首に縄をかけられて吊るされていた。
殺したのは公爵家次男アルバンであると、後の歴史書には明確に刻まれているが。
当時は、犯人候補が多すぎて誰にもわからなかった。
7 Knights to die(五章「The reason you die」) 完