アレクサンダーは老いた。
自分でそう認めるのだから、これは間違いない。
思えば、この決闘裁判を含めて今までで幾つミスを犯したか。
若い時は――こうではなかった。
もう少し優秀なはずだった。
希望に溢れていた。
アルミンという自分など比較にもならぬ優秀な後継が生まれ、アッカーマン辺境伯という親友にも恵まれた。
内憂である愚かな貴族どもとの権力争い、そして領土を狙う外敵との防衛戦争に明け暮れていたが。
苦難にもがき苦しみながらも、なんとか二人の力を借りてこなしてきた。
だが、もう限界が来たのだろうな。
アッカーマン辺境伯は戦場で儚くなってしまった。
アルミンが亡くなれば、自分の心など小枝のように折れてしまうだろう。
そうなる前に。
「決闘裁判が終わり次第、王位継承を行う。アルミンが生きている内にだ」
アレクサンダーは執務室にて、そう決断した。
クラウスはその言葉を厳粛に受けとめて、尋ねた。
「継承はどちらに?」
第三王子ベルノルト、第四王子ブルーノ。
どちらかしか選択肢がない。
「――ベルノルトに」
考えれば何も難しい話ではない。
やはり、いくらブルーノに罪が無かろうとも、アーデルベルトの弟。
そしてテレージアの息子であるという事実は重たい。
よほどに優秀であれば、それこそアルミンのように優秀であればブルーノを選ぶ道もあったが。
「後悔なさいませんね」
「しない。二人は良い意味でも悪い意味でも能力に大差がない。アルミンの補佐として人生を終えるものと考えていたから当たり前だが――」
どちらも、別に王になりたいという欲望がない。
無理もない。
アルミンが優秀過ぎて、当然のように自分たちは補佐として生きていくものだと考えていたのだから。
誰一人その環境に文句がなかったし、それで幸せだったのだ。
全てが崩れたのは、この愚かな父の代わりにアルミンが犠牲になったためだ。
「宰相はブルーノとする。クラウス、苦労をかけるが親族としてよろしく頼む」
「承知しました」
これで終わりだ。
まだ仕事が残っているとはいえ、大事にはなるまい。
そう大きくため息を吐き、ともかくも。
防衛戦争が全て終わり、少なくとも十数年間は戦が起きる傾向は見られず。
内憂も全てが、上手い具合に片付いた。
何もかも、決闘裁判を利用しての状況が上手く運んだおかげであるが。
「七騎士は、今回の決闘裁判に対する褒美を断るだろうか?」
「少なくとも、アレクサンダー王からはそうでしょうな。どうせなら、迷惑をかけたイザベラ嬢に迷惑料という形で金銭の支払いを行うのが良いでしょう」
「イザベラ嬢を経由する形で良いので、彼らにも何らかの報酬が与えられると良いのだが」
まあ、イザベラ嬢や辺境伯家からの報酬を断ることはあるまい。
さすがにそこまで頑なではないだろう。
……いや、少し怪しいところもある連中だが。
「……やるべきことは、もう済んだ」
アレクサンダーは息を吐いた。
やはり疲れていた。
だが、私以上に疲れている男も間違いなく一人いる。
最後の悩みどころであった。
「アルバンが、決闘裁判の第六試合に出ると志願しているそうだな」
「はい」
「すぐに止めろ」
わかっている。
アルバンの気持ちぐらいは判っている。
もうこれ以上の犠牲者を決闘裁判で出したくないのだろう。
だが、無意味だ。
「もう勝負は終わった。そもそも第六試合は『誰かが出場する必要さえない』ことはアルバンとて理解していよう。第七試合で、無理やりアーデルベルトを引きずり出して、ドミニク卿か紋章官に殺させれば全てが決着するだけの話だ。まさか、今更アーデルベルトのために闘うつもりでもあるまい」
「その通りですが、止める術がありません」
クラウスが仏頂面で答えた。
説得なら、もうすでにした。
そして、そのような事を聞いてくれるような男ならば私の弟ではない。
いざという時の弟は世界で一番頑なである。
そう言いたげに、クラウスは溜め息を吐く。
「第六試合は、不名誉かつ不戦敗をアーデルベルトに与える形では駄目なのか?」
「負けるつもりではいるそうです。相手はできれば都合を利かせて紋章官――ヴェンデル殿に挑んでもらいたいと」
決闘裁判も残すところ後二回。
アルバンは自分の決闘相手に、紋章官ヴェンデル卿を望んだ。
「何故わざわざ敗北を?」
それが理解できない。
もうよいではないか――アルバンの仕事は終わった。
完全に、完璧にだ。
アーデルベルトの地位も名誉も粉砕した。
ザクセン王国の内憂を一気に解決した。
少なくともアレクサンダーの視点ではそうであったし、誰よりも良く働いたはずだ。
アレクサンダーと同じく、もう面倒ごとなど投げ捨てて良い。
そう言いたくなるが。
「色々と思うところがあるようです。自分には今回の決闘裁判沙汰を起こした責任があり、その当事者として壇上に立ちたいと。初陣として挑むつもりである。ちゃんと敗北はするつもりですが、と」
クラウスにとっても、耳を疑うような話である。
確かに戦などないが、賊相手の初陣ぐらいなら用意してやれる。
何も負けが約束された試合でやらずとも、と。
「説得はしました。ですが、こういう時の弟は本当に言うことを聞きませんので」
「説得は不可能か?」
「無理ですね。締めくくりぐらい、やりたいようにやらせろと最大の貢献者に言われては――こちらも言葉がありませんし」
確かにアルバンは働いた。
何か思うところがあるならば吐き出させ、やりたいようにやってもらう。
それぐらいの権利はあるだろう。
あるだろうが。
「万が一にもアルバンに死んでもらっては困る。トラクスとの約束もあるし、そもそもアルバン程に優秀な奴は、この国にそうはおらん」
ひょっとしたら、一人もいないのかもしれない。
能力面で代わりになれる人物ならばいるかもしれないが、そこに無条件の信頼という数値が加わると。
代理が出来る人間などいないだろう。
「王妃派閥、第二王子派閥を崩した件もある。自然、今回の内憂処分で見逃すことにした連中は、今後アルバンやブルーノを頼るだろう。間違っても死んでもらっては困る」
アルバンは国家の柱石となるべき人物であった。
どんな阿呆でもそれぐらいはわかる。
わかるから、決闘裁判などに出てもらっては困るのだ。
困るのだが――
「繰り返しますが、そうですか、わかりましたと頷くならば我が弟ではありません」
やりたいようにやらせるしかない。
そうクラウスは判断している。
このまま心の棘が抜けきれないままで、次の職務に当たらせるというのも酷だ。
「『紅蓮のヴィリー』卿の決闘に心を焼かれているのです。その遺族の後見人をアルバンは引き受けております。死ぬ気ではないでしょうから――」
「しかし、約束試合とはいえど、もしもということもあるぞ?」
「紋章官にして『ロバの耳』であるヴェンデル卿。彼の方に強く聞き分けてもらいますので」
まあ大丈夫かと。
そもそも危険だ危険だと幼子のように庇うのもどうかと。
アルバンも一人前の騎士であるのだから。
そうクラウスは答弁する。
「とにかく、本人を説得するのは例え我が王でも不可能です。私の言葉を聞かない以上、誰の言葉も聞きますまい。本人は約束試合のつもりで、最初から潔く敗北を認めると言っているのですから――」
「ううむ」
アレクサンダーは不安である。
「何か嫌な予感がするから止めろ、と言っても聞かぬか」
引っ掛かりがある。
本当にそんな理由で?
何か変な事は考えていないだろうか?
とにかく、アルバンは疲れている。
精神的に疲弊しているのが、良く見て取れた。
本人の立場からすれば、無理もないと思える。
もちろん、それを押し付けてきた連中が何をと言われれば言葉を返せないが。
「仕方ない。このアレクサンダー王、最後の王命である。紋章官ヴェンデルに伝えよ。決してアルバンを殺してくれるなと」
とにかくも、好きなようにさせるしかない。
同時に、何があっても死んでもらっては困る。
それだけを確実にすることで、アレクサンダー王は不安を拭おうとしたが。
「――アルバンは何を考えている?」
アルミンや、アッカーマン辺境伯なら理解できたかもしれない。
あるいは、若かりし頃の自分ならば、と。
やはり自分は老いている。
その確認が出来ただけで、結局何も掴むことは出来なかった。