私には存在しない。
おそらく、アッカーマン辺境伯のために集結した騎士。
私以外の六騎士全てには命を懸けるに値するだけの恩があるのだろう。
だが、私にはそんなもの存在しなかった。
縁と呼べるものは、ほとんどない。
アレクサンダー王の命令で、援軍として参陣したのだ。
その中でも私は紋章官としての任務で、敵国家との交渉役としての責務が求められていた。
そして、もう一つ任務が。
アレクサンダー王と、アッカーマン辺境伯との折衝である。
「アレクサンダーはこれ以上の援軍は出せぬと?」
「残念ながら」
領地の保護契約義務。
主君たるアレクサンダー王は、辺境伯であるアッカーマン卿に対して援軍を送る義務があった。
事実、この三年は援助していた。
本音ではそれ以上の援助をしたい――それどころか、本人自らが王軍を率いて援軍に来たいところであったろうが。
「やはり、アルミン王太子の具合が良くないか? もう長くないと」
「それもありますが――王は申し訳ないと」
「いや、わかっている。いくら大事な国境線とはいえ、このままでは財務方から潔く国境線を退けと意見が出るだろう。これ以上の援助が不可能なのは、領主であればわかるさ」
これでも辺境伯なのだよ。
そうアッカーマン卿は笑って、私の言い訳のような謝罪を止めた。
そうして、言葉を続ける。
「なあ、ヴェンデル紋章官。貴殿に頼みたいことがある」
「何でしょうか。アッカーマン辺境伯の御頼みとあれば、どのようなことでも」
「私はこれから、敵陣に突入するつもりだ。見事に敵首魁を討ち取って見せよう」
目を見開いた。
思わずあたりを見渡すが、陪臣騎士はいない。
すでに出陣準備をしているのだろう。
あるいは、家族に最期になるかもしれぬ別れを告げている頃であろうか。
「だが、おそらくは生きて帰れぬだろう。その死後、頼みたいことがある」
「アッカーマン辺境伯、馬鹿な事を仰いますな」
国境線を退けばよい。
もちろん、それは屈辱かもしれないが、相手が欲しいのは領地だ。
譲歩すれば数年の停戦は勝ち取れる。
その後に、また捲土重来を期して取り戻せばよい。
そう説得をしようと試みるが。
「すまんが、もう決めたことだ。陪臣達もすでに死ぬ覚悟を済ませている。今更辞める気はない」
「アッカーマン辺境伯! 貴方は――貴方だけは死んではいかぬのです」
国家に必要な人物なのだ。
本来国家運営に協力すべき公爵家が頼りになるどころか内憂であり、辺境伯のみがアレクサンダー王の盟友として、国家運営に力を貸してきた。
もはや、王が唯一心の底から信用できる相棒と言っても過言ではない。
その御方に死なれでもしては困る。
それはザクセン王国にとって、領土を失う以上の損失なのだ。
「お考え直しを」
「すまんが、断る。先ほど教会で神に誓った。私が心臓を捧げる代わりにどうか勝利をと。騎士として、この誓いを違える気はない。それでだ、死んだ後の事だが――」
駄目だ。
辺境伯は、もう覚悟を固めているのだ。
彼は死後も、主君と領邦君主としての双務的保護契約の継続。
アレクサンダー王への、親友として今まで世話になったことへの感謝。
援助に対する返礼が、おそらく十年がかりになってしまうことへの詫び。
そういった細々としたことを書き記した文書を私に渡し、晴れ晴れとした笑顔で言う。
「さて、死ぬか。では、おさらばだ。ヴェンデル紋章官」
「――」
私もお共に。
そう言おうとしたが、出来なかった。
私の仕事は戦場で闘うことではなく、敵との交渉役である。
「敵陣にて私は倒れるだろう。その死体の回収を頼む。息子の重荷にならぬよう、できるだけ安く買いたたいてくれると嬉しいな」
そうからからと笑いながら、アッカーマン辺境伯は出陣された。
それが私の、辺境伯が生きている姿を目にした最後だった。
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アッカーマン辺境伯は死んだ。
そして戦争はお味方の勝利で終わった。
悲しいことだが、ここからが私の仕事だった。
腐らぬように処置し、保存しておいた敵首魁の首を持ちて、敵陣営に出向く。
そこで交渉を行い、再びアッカーマン辺境伯と再会した。
その遺体と。
「見事な男だった」
交渉相手は、敵首魁の息子だと言っていた。
何一つとしてアッカーマン辺境伯を恨んだ様子はなく。
むしろ、尊敬すら感じさせる響きでそう口にした。
「一騎打ちだ。それもみての通り、満身創痍の状態で。正々堂々とした一騎打ちにて、我が父を討ち取って、その首を奪い取ったと聞く」
その首はすでに渡している。
交渉はすでに終わっていた。
後はアッカーマン辺境伯の遺体を持ち帰るだけだが。
その亡骸は酷い物だった。
頑丈なはずの、アレクサンダー王が特別に下賜したという鎧は損壊していた。
左腕など千切れかかっていた。
鉄靴が壊れ、足の指が数本千切れていた。
頭蓋が割れたのか、脱げた兜の下は見るも無残だ。
左眼球が零れ落ちていた。
何処で無くしたかは誰も判らず、決闘時にはもう無かったのだろうと言う。
「我が軍の名誉のためにも言っておくが、遺体の損壊などしておらぬ。死んだときにはこうだったのだ。血は拭うて遺体を清めた。千切れた指も拾い集めた。出来る限りの保存処置もした」
事実だろう。
敵は敵なりに、このアッカーマン辺境伯に対しては、英雄に対しては礼を尽くしたのだろう。
それはよくわかる。
だが、無惨だった。
何処までも闘いつくして、ボロボロになった遺体だった。
どうしてだろう。
私はそれを、どうして『美しい遺体』だと思ったのだろうか。
死体自体は見慣れている。
死んだ理由があるのだから、それは当然ながら損壊している。
死後に損壊されたものもあり、それはもう酷い死体など飽きるほどに見てきた。
戦後の交渉で、私は何度も捕虜交換と同時に遺体の回収作業に従事してきた。
だが、なんだ。
笑っていたのだ。
陽気に、さて、自分の仕事は全て成し遂げたぞ、私もなかなかやるだろうと。
そう言いたげな笑みを浮かべた死体だったのである。
「良い男だなあ。私はこれほどの騎士を見たことが無い。死んだ父でさえ、この男と闘って敗れたことに不満はないだろう」
自分の父親を殺されて、首まで奪われた。
その息子が素直にそう称賛していた。
憎悪。
怒り。
敵でさえも、そういった感情が萎えてしまうような、そんな笑みだったのだ。
「……遺体を引き取らせて頂いてもよろしいでしょうか」
務めを果たさねばならぬ。
紋章官の務めだ。
遺体を引き取りて、アッカーマン辺境領に持ち帰らねばならぬ。
「ああ、約束通りだ。我々はこのまま本陣を撤去し、ここから去る」
そう言って、敵は皆去っていった。
後は私とアッカーマン辺境伯の遺体だけが残っている。
やがて陪臣騎士が沢山現れて、アッカーマン辺境伯の遺体を見た後に。
泣きながらに言うのだ。
「やはり我らが主君である。死に様までもが見事な騎士だ」
「貴方にお仕えできたことが、我々が騎士として生きてきた意味だ。三度生まれ変わっても、三度貴方に仕えたい」
誰もが主君の遺体を褒め称えた。
そうして、私も彼の遺体を収めた棺を持つ栄誉を得て、辺境伯領へと帰ったのである。
だから、その程度なのだ。
私は別にアッカーマン辺境伯に対しての恩はない。
いや。
それどころか。
「……羨ましい」
あろうことか、私は彼に仕える陪臣騎士達を妬んだ。
アッカーマン辺境伯の、あまりにも騎士としての見事な死に様も妬んだのだ。
私は紋章官である。
同時に、王国の暗部である「ロバの耳」の諜報員である。
色々と汚い人の面を見てきた。
だが、アッカーマン辺境伯にはそんなものないだろうな。
生きてきて、ずっと立派な事しかしたことないのだろうな。
それなのに。
それなのに、きっと弱者の気持ちも、持たざる者が生きている価値も認めて。
人を侮ったり、見下したり、馬鹿にしたことなどないのだろう。
そんな立派な御方だっだのだ。
嗚呼、私も。
出来れば、こんな立派な御方にお仕えしたかった。
アレクサンダー王が立派でないとは決して言わぬ。
言わぬが、国の統治において許されるならば、必要な手段を選ぶことに躊躇したことは無いだろう。
それがどんなに騎士として汚い手でも。
それが王というものだからだ。
だが、アッカーマン辺境伯は躊躇する御方だった。
『騎士の中の騎士』で、皆の憧れで。
多分、きっと。
こんな方をもう一人知っている。
アルバンという名前だった。
スパイとしての任務を課せられて、汚い役目を色々とさせられているが。
きっと本当の、『騎士の中の騎士』に成りたいと思っている男であった。
「……」
ああ、あの時、どうして私はアルバン卿の事を考えたのだろう。
今でも不思議だった。
その不思議な縁が続いて、ついに決闘裁判の相手にまで選ばれている。
アルバン卿の指名でだ。
「……」
ワインを飲む。
一人、決闘日の前日にワインを飲んでいる。
指で、ワイングラスを軽くたたいて音を出す。
ちん、と響く音が鳴った。
特に意味がある行為ではない。
ただ、少し思考を深めるのには役立つ音だった。
「ふむ」
アルバン卿が決闘裁判の対戦相手に私を選んだこと。
それに意味はないのだろう。
最終戦はおそらくアーデルベルトが強制的に出場させられるだろう。
ならば、今回の決闘裁判を言い出したドミニク卿が、本当の正義と真実をもたらす。
アーデルベルトを決闘にて殺害するという形で。
それこそがふさわしい。
だから、消去法なのだ。
私がアルバン卿に選ばれたのは、あくまでも消去法に過ぎない。
なれど。
奇妙な因縁を感じている。
私には本当に何もない。
妻もいなければ子もおらぬ。
騎士でありながら、敢えてその生き方を選んだ。
思えば、自分の諜報員としての仕事を卑下して生きてきた。
それもあるのかもしれない。
イザベラ様の事を哀れに思い、彼女の名誉を守るために決闘裁判を名乗り出たわけではあるが。
やはり「ロバの耳」として一人くらい、相手の情報を盗み取れるスパイがいた方が良い。
そういった計算込みの判断で、あの時決闘裁判に名乗り出た。
だから、やはりアッカーマン辺境伯に、それほどの縁はないのだ。
彼の遺体を引き取ったこと以外に。
その遺体に嫉妬心を抱いたこと以外に、縁らしい縁はない。
だが。
「奇妙な因縁を感じてしまうな」
色々と考えることがある。
アッカーマン辺境伯のその死に様にひどく嫉妬したこと。
辺境伯のその人柄に、何故かアルバン卿に似ているといった想いを抱いたこと。
そのアルバン卿と闘うことになったこと。
「……」
アルバン卿はローゼマリー嬢を庇っている。
おそらくはトラクス殿のところだろうな。
この件については「ロバの耳」を通して、王に報告する義務が私にはある。
あるが、何故か報告する気になれなかった。
何故だろうな。
わからないな。
このヴェンデルめは、産まれて初めて王を裏切っている。
その理由は、やはりアルバン卿にあって、彼がきっと何か凄まじいことをやらかすぞと。
そんな確信があるからだ。
明日の決闘裁判で、それは全てが明らかになるだろう。
「うん」
約束試合である。
どちらも落命する予定はない。
だがアルバン卿が何をするか、それ次第によっては。
やはり、本気の勝負になるだろう。
騎士としての名誉を懸けた闘いになるだろう。
そんなことを考えて、私は就寝することにした。
明日が楽しみだった。
こんなに朝を待ちわびたことは、人生で一度もなかった。