試合開始を告げたのは、鍔迫り合いの音であった。
双方が同時に動いたのだ。
ロングソードを右手に、家紋が描かれたカイトシールドを左手に。
お互いに全く同じ装備にて衝突する。
双方の剣は互いの眼前にて、お互いの鍔にて止まっている。
「力比べを!」
純粋なる力比べをアルバンは望んだ。
「よろしい! 非常によろしい!!」
ヴェンデルはそれを受け止めた。
鍔迫り合いから相手を殺すための技術。
アルバンはそれを知っている。
学んだのだ。
同様に鍔迫り合いを演じた――トラクスとヴォルフガングの試合を間近で見るだけではない。
幼少の頃から、公爵家の練兵場をうろついていた。
とても可愛がられた。
騎士や兵に良く可愛がられていたことも、覚えている。
息子のようにという意味でも、騎士として育てるという意味でもだ。
ありとあらゆる戦場での戦い方を教えられた。
「ヴェンデル紋章官! 私を侮るなよ!!」
「公爵家の騎士どもに育てられた貴殿を! 侮ってはこのヴェンデル一生の不覚と考えましょう!!」
ヴェンデルは知っている。
アルバンがそういう来歴で、ちゃんと騎士としての技術を学んでいることも。
そうしてアルバンを育てた彼らがもうすでに、この世にいないことも。
そうだ、死んだ。
公爵家の善き騎士であり、善き兵士であった彼らは死んでしまった。
ベルリヒンゲン卿が農民たちの生存権を守るために起こした、農民戦争で死んでしまったのだ。
何の罪もない農民たちが生存権を守るために起こしたフェーデで、同様に何の罪もない他の民を守るための戦争で。
誰よりも前に立ち、騎士として兵士として勇敢に戦って死んだのだ。
アルバンはそのような事を考えた。
アルバンは悲しかった。
憧れであったのだ。
あの騎士は、あの兵士たちは、自分の憧れであったのに、愚劣なるアカデミーの卒業生どもが起こした愚行のせいで。
無残にも落命してしまった。
許せなかった。
世の理不尽を憎んだ。
アカデミー設立の原因である王妃テレージアを憎んだ。
自分がこの手で『くびり殺した』のだから、復讐自体はこなしたといってよかろうか?
あの者たちは喜んでくれるだろうか?
アルバンは、そのような事を考える。
「いや、奴らは笑うか!!」
このような弟子アルバンの愚行を、現在の行動を、彼らは笑うだろう。
何をやっているのかと。
何を暴走しているのかと、腹を抱えて笑うだろう。
鍔迫り合いの力比べは。
残念ながら、ヴェンデルのそれに競り負けた。
ヴェンデルは紋章官であるが、別に戦場を知らぬようなモヤシ騎士ではない。
なんならば、狂気的な戦場経験者であるドミニク卿にさえ負けぬほどの実力に対する自負がある。
暗部として、国家に不要な沢山の人物を秘密裏に殺してきた。
騎士として鍛錬を怠った日は一日とてない。
「アルバン卿、経験が足りませぬな」
ヴェンデルはさっきからずっと笑っている。
愉悦のように思えた。
まるで自分が、アルバンの前に立ち塞がれること自体が嬉しくて仕方ない。
そういった笑顔であるが、手は一切抜かなかった。
力比べでアルバンを負かせて、強引に押しのけた。
アルバンが弱いのではない。
ヴェンデルが強いのだ。
「これが初陣なのでな!」
「そうでしたな。それにしては――」
屋根の構え。
強引に力ずくで押しのけたアルバンに対する追撃。
上段から振り下ろしたロングソードが、アルバン目掛けて振り下ろされる。
そこに容赦はない。
辛うじてカイトシールドの横をぶつけ、アルバンが防ぐ。
「随分とこなれている」
練習だった。
ただの狂ったような、アルバンの騎士に成りたいという修練が、そして執念が土台を支えていた。
普通の騎士相手であれば、アルバンは容易く勝利を掴んだだろう。
それが初陣たりとても。
「皆だ」
アルバンは感謝していた。
今は墓地にて安らかに眠る、公爵家の騎士や兵士に対して。
「皆が私という、若獅子を作り上げてくれたのだ」
アルバンは自分を若獅子と呼んだ。
子供の頃の綽名だった。
可愛がっていた大型犬の背に乗り、はしゃいでいた幼少の頃を想い出す。
病気で儚くなった母と、自分が自裁をさせた父ラインホルトがそう呼んでくれたのだ。
この家は嫡男であるクラウスが継ぐことになります。
貴方は次男ですが、別に城や領地が分け与えられぬほど公爵家は吝嗇ではありません。
将来は立派な領主となるだけでなく、一人の騎士として立派になりなさいと。
『若獅子』のようにと。
「若獅子ですか、大きく出たものだ」
ヴェンデル紋章官が笑っている。
騎士として立派とはなんだ?
アルバンは未だに判らないでいる。
自分の騎士道を見つけられないでいるのだ。
「――」
ヴェンデルの攻撃は続いている。
巧みであった。
すくなくとも防御側のアルバンはそのように感じている。
カイトシールドの側面で必死に防ぐが、どうしてもいくつかの攻撃は通す。
公爵家が用意した高級な鎧で身を包んでいるから良いものの、やはり衝撃を完全には防げぬ。
蓄積するダメージ。
痛みが明確に発生するが。
「このアルバン風情には相応しくない称号か?」
かえって目が醒めるようであった。
そうだ、これだ。
もっとシンプルで原始的(プリミティブ)な騎士としての戦い。
この初陣を望んでいた。
だから、アルバンはその痛みを、人としての痛苦として受け止めなかった。
騎士としての誉れと感じたのだ。
「いえ」
ヴェンデル紋章官が笑う。
笑っているが、今度は愉悦でも、当然ながら嘲笑でもない。
それは、歓びに近い物であった。
「貴方が若獅子を名乗って、笑う騎士などザクセン王国にはおりませんよ」
鉄靴(サバトン)。
ヴェンデル紋章官のそれが、アルバンの足を思い切り踏みつけた。
こちらも鉄靴なので、ダメージはない。
ないが、足を固定される。
失態である。
「ところで、ザクセン王国が誇る若獅子殿は絡め手には慣れておられますか?」
足を固定して、ヴェンデルがカイトシールドの下をそこに叩きつけた。
たとえ鉄靴で守られていようが、カイトシールドの重量にはさすがに耐えられぬ。
強烈な、足の指がへし折れたような痛みをアルバンは味わう。
「――」
その痛みを、やはりアルバンは耐えた。
慣れている。
尊敬する騎士に一度受けたことがあるから、耐えることが出来た。
ただ、その手自体を防げなかったことは痛恨の極みであるが。
「――」
歯噛みして痛みに耐える。
アルバンは、同じくカイトシールドで体を強く叩き返した。
ヴェンデルの身体はその衝力で一瞬怯み、たたらを踏む。
ここで、ハッキリしたことがある。
「勝てぬか」
アルバンは強い。
必死に修練を積んで、自分の尊敬する公爵家の騎士や兵士たちに学んで、子供の頃から鍛えて。
その努力自体に偽りはない。
だが、ヴェンデルはそれ以上に強い。
実戦経験に絶望的なまでの差があった。
「残念ながら」
ヴェンデルは愉悦を含めず。
本当に残念そうに返事をした。
「若獅子」アルバンはヴェンデルに勝てない。
この時点で、それは明らかであった。
単純な筋力で劣っていた。
単純な技術で劣っていた。
それだけならば、まだ勝ちようはある。
第一試合で剣士シュテファンに、黒騎士ヨルダンが勝利を得たようにだ。
なれど、実戦経験すら負けているアルバンに、どうして勝ち目が見えようか。
それはわかっている。
なれど。
「では、やるだけやろうか」
アルバンは笑った。
ヴェンデルはここで少しだけ迷った。
もう良いではないか。
約束試合に戻して良いではないか。
イザベラ様の名誉を守るための真実の告白を、アルバンは試合前にしている。
だから、もうアルバンに勝たせても――
そこまで考えて。
ヴェンデルはそのような考えを恥じた。
「承知」
アルバンはもう覚悟を決めているのだ。
我が意志は成り。
例え勝負に負けたとしても、騎士としてふさわしい選択肢を選んだのだと。
アルバンはそう納得していた。
そこにどうして偽りの試合結果を与えられよう。
「若獅子アルバン殿、このヴェンデルが今までの人生で得た、全ての技術をこの試合にて披露いたしましょう。よろしいか?」
ならば、与えられるのは明確な決着と。
アルバンに対する教導じみた攻撃のみである。
「それこそ望んだことである」
アルバンは、最初から自分の痛みを痛苦とは感じていなかった。
全てが初陣の誉れだと受け止めている。
「手加減抜きで頼む」
アルバンが嘆願した。
ヴェンデルが応じた。
「……承知」
試合は続いた。
延々と戦い続けた。
まるで優秀な教導官が、見どころのある若き騎士を導くようにさえ見えたと。
コロッセウムの観客席にいた騎士たちは後日にそう語るほどに。
一方的かつ、同時にアルバンはその全ての攻撃に耐えきったが。
やがて。
数十もの剣戟を撃ち込まれ、ダメージが蓄積したアルバンの身体が崩れ落ちる。
「お覚悟を」
そして、その様子にヴェンデルはやはり慈悲を与えなかった。
屋根の構えからの、強烈なトドメの一撃を与えんとする。
「やれ」
アルバンの返事は堂々としたものであった。
辛うじて落命しない程度の強撃が、アルバンの兜に叩きこまれ。
そうして、アルバンは気絶した。
我が意志は成り。
やりたい放題にやるべきことを果たして、アルバンの見事な初陣がこうして終わった。
その敗北を笑う者は、騎士同士の戦いを初めて観る市民とて、誰一人としていなかったという。