私が十歳の頃でありましたから、アッカーマン辺境伯はまだ二十六歳。
イザベラ様が産まれる前の話です。
先ほども申しました通り、私は旅芸人の子供でした。
賊に襲われて、両親や親族に庇われて、何とか命からがらアッカーマン辺境伯の街に満身創痍で逃げ込んだ。
旅芸人一座のたった一人の生き残りでありました。
当然ながら、私はアッカーマン領の領民でもなんでもなかったのですが。
十歳にすぎぬ子供が満身創痍で倒れているのを哀れに思ったのか、私が目覚めたのはベッドの上でした。
親切な領民が、これまた親切な陪臣騎士殿の代官屋敷に送り届けてくれたのです。
私は自分の境遇を打ち明けました。
近くまで賊が迫っていることを、この親切な方々が賊に襲われぬようにと警戒を訴えたのです。
陪臣騎士は大慌てになって、賊のおおよその人数、襲われた場所を尋ねてきましたので、素直に私もこれを答えました。
やがて、二日ほど経た後で、立派な鎧に身を包んだ御方が現れました。
何方かは説明する必要もありませんね。
ええ、貴女の御父上のアッカーマン辺境伯です。
「すでに代官から聞いたが、敵の数は三十。襲われたのは辺境領へ続く街道で間違いないだろうか?」
「はい、間違いありません」
挨拶もそこそこに、アッカーマン辺境伯はすでに聞いていた事実確認を行いました。
念のために、当事者である私に確認したかったのでしょう。
深く頷いた後、用事が終わった以上はすぐに立ち去るかと思ったのですが。
「君に尋ねる」
アッカーマン辺境伯は、こう私にお尋ねになりました。
「立てるか?」
どういう意味か、と思いましたが。
満身創痍でありましたが、幸い陪臣騎士殿の治療もあり、なんとか立つことならば出来そうでした。
私がそう返事をする前に、アッカーマン辺境は続けて言葉を放ちました。
「現地までの案内役を頼めるか?」
「アッカーマン辺境伯」
私の治療をしてくれた、陪臣騎士殿が咎めました。
満身創痍の私を気遣ってくれたのでしょう。
「この子の両親を弔ってやらねばならぬ。辛いことだが、この子の両親の顔を見分けられるのは本人以外に何処にもおらぬ」
辺境伯は、私の両親を弔ってくださると仰ってくれました。
自分の領民ですらない、ただの旅芸人の遺骸をです。
「そして、復讐する権利がある。賊どもに報復的正義を加えてやる権利がある。殺された者たちの生き残りが、その手助けをしたとなれば、彼らも浮かばれるであろう」
そして、私に報復の権利を与えてくださいました。
だから、私は立てると言葉を返しました。
もう優しかった両親も叔父も、一座の仲間も誰一人いないのです。
危険は覚悟の上でした。
それこそ、命懸けで協力するつもりでした。
だから、私は――
「立てます」
それだけを答えました。
そうして、私は辺境伯が率いる騎士達を現地まで案内する役を仰せつかったのです。
すでに十数名の騎士が集まり、その中には辺境伯家の筆頭家臣であるレオンハルト殿もおられたはずですが。
おそらく、記憶にはあれど、あの時の子供が私だとは、このドミニクだとは未だ気付いておられますまい。
彼が薄情なのではありません。
珍しいことではないのです。
アッカーマン辺境伯が、自分の民でもないもののために、自由民ですらない子供一人のためにそこまでの配慮をしてくださるというのは。
全く珍しいことではないから、一々覚えてはいないのですよ。
私は辺境伯とその騎士達を案内しました。
現場には我々の壊れた馬車があり、死体が転がっており、指輪も貴金属も。
我々が身に着けている全財産が奪われておりました。
私は泣きませんでした。
ええ、泣いていません。
壊れた父愛用のリュートを拾い上げて。
代わりに、辺境伯にこう頼んだのです。
「アッカーマン辺境伯、お願いします。報復を」
何も持っていないから。
自分の皮膚、身体、つまり自分の生身における一切合切だけが私に残された財産だったから。
「私は知っています。アッカーマン辺境伯に、賊を追う義務なんて本当はないのだと。自分の領民でもなんでもないのだから、私たちを守る理由もなければ、その報復をする理由もないのだと。全部知っています」
自分の立場は十歳の子供だって知っています。
本当は、私たちを弔う理由もなければ、賊を追う理由もないのです。
だけど、私は優しいあの御方にこうお願いしたのです。
「奴隷にでも何にでもなります。一生をかけてでも、いつか代価をお支払いします。ですので、どうか皆の復讐を――」
アッカーマン辺境伯は。
「君の名は?」
ここでようやく、そういえば聞いていなかったなという風情で口にしました。
私は短く答えました。
「ドミニク」
「そうか、ではドミニクよ。今の言葉は誓えるな? 我が友人として誓いを全うすると神に誓えるな?」
私は頷きました。
契約が成りました。
ええ、確かに私はアッカーマン辺境伯に代価をお支払いすると。
命に代えても、一生をかけてでも、何か代価をお支払いすると。
傲慢なものです。
十歳のガキが何を言っているのか、お前が一生かけたところで代価など支払えるものかと。
普通の人間ならば、そう鼻で笑い飛ばすでしょうが。
確かに、私はそう誓ったし、アッカーマン辺境伯はそれに頷いてくれたのです。
「さて、我が愛する騎士達よ。私はこの子供と友人となり、正義の誓いを行った。私はこの子の願いを叶えてやらねばならぬ。まさか、これに反対する騎士はおらぬよな?」
誰もが黙り込みました。
そして苦笑いをしておりました。
全く困ったお人だ、なあに、いつものことだ。
割に合わぬ仕事とはいえ、断る理由をどんな時も用意してくれない。
そう言いたげに、騎士の誰も彼もが笑って。
「只今より、賊どもを討伐する。たかが賊三十どもを駆逐するために死んでくれるな」
そうして、アッカーマン辺境伯は。
そして騎士達は、私を荷馬車に放り込んで、そのまま馬を走らせたのです。
結果は言うまでもないでしょう。
賊は数日中に全て討伐され、こちらの被害はゼロでした。
私は産まれて初めて騎士の戦いというものを見ました。
訓練された騎士達の強さとは、あそこまで圧倒的なものなのですね。
賊など、あっという間に皆殺しにしてしまいました。
そして、彼らは、アッカーマン辺境伯に仕える立派な騎士達は――
「坊主、これはお前の一座の所有物だな」
指輪を見せてきました。
私の母が身に着けていた小さな財産の一つでした。
「はい。ですが、それは騎士様がお受け取りになってください」
正直言えば、母の形見である指輪を返してほしくて仕方がありませんでしたが。
命懸けで賊を退治してくれた騎士達が、それを報酬として受け取るに相応しい。
素直にそう思えました。
ですが。
「お断りする。なにせ、私はアッカーマン辺境伯の騎士であるのだから。その友人から財産を奪って喜べるほど強欲ではない」
そう言って、指輪を返してくださいました。
それだけでなく、他の騎士達も。
賊から取り戻した一座の財産全てを、惜しげもなく私に返還してくださいました。
私は決意しました。
「アッカーマン辺境伯。契約通り、報酬をお支払いします。これだけでは足らぬでしょうが、奴隷にでも何にでもなります。一生をかけてでも、代価はお支払いします」
私はそう辺境伯にお伝えしたのです。
本心本意で、それが正しいと思ったのです。
私は騎士達に返還された財産の全てを差し出そうとしました。
「すまんな、ドミニク。だが、これでは確かに足りぬなあ」
ですが、アッカーマン辺境伯はくすりとお笑いになって。
「だから、まあ、なんだ。いつか将来君が大きくなった時に返してもらうことにするよ。我が友人よ」
その財産の受け取りを拒み、私の頭を一撫でだけして。
それだけです。
後は私の家族全てを弔って下さり、その後の私の生活先も用意してくださいました。
王都市民の、子供がいない夫妻の養子へと送り出してくださったのです。
この夫妻も、アッカーマン辺境伯には多大な恩があるとのことでした。
それもあってか夫妻は――両親は、私を大層可愛がってくださいました。
ですが、私は一つの誓いをその時立てておりました。
恩返しです。
私はアッカーマン辺境伯へと代価を支払うと誓いました。
ずっとそれだけを、考えて生きてきました。
だから、財産の全てを使って武装を揃え、この王国の兵士になりました。
普通の安全な職について欲しい両親を悲しませてしまったのは、かなり心苦しくありましたが。
怪我を負えども幸いにして死ぬことなく、二十歳には敵騎士を討ち取れるまでの腕前になりました。
そこをアレクサンダー王に認められ、直臣騎士にまで成りました。
イザベラ様は覚えていらっしゃいますか?
貴女が私に、この平民上がりの最低階位の騎士風情にカーテシーをしてくださったこと。
それを覚えていらっしゃいますか。
私は、あの時に、アッカーマン辺境伯にこう強請っていたのですよ。
「貴方を主君として仰ぎたい。騎士としての実力は証明されたはずです」と。
もちろん、アッカーマン辺境伯は笑ってこう口にされました。
「アレクサンダーの奴から騎士を奪うわけにはさすがにいかん。ドミニクとて分かっているだろうに」と。
まあ、事情としてはそうですが。
私はどうしてもあの御方を主君として仰ぎ、その騎士に成りたかったのですよ。
その騎士になるまでのやり方を間違えましたが、まさかあの優しい両親の下から出奔して辺境伯領に行けるわけもなし。
どうにもなりませんでした。
私はそれからずっと闘っておりました。
常に戦場の最前線で闘っておりました。
寝食も忘れたかのように闘っておりました。
どうにもやりきれなかったのです。
どうすればアッカーマン辺境伯に、あの多大な恩の代価を支払えるのだろうか。
どうすれば、あの御方の騎士になれるのだろうか。
そればかり考えてしまうので、それを忘れんばかりに闘っておりました。
やがて、その機会が訪れたことは。
イザベラ様もご存知のはずです、辺境伯領を守るための防衛戦争です。
アレクサンダー王が直臣達から救援のための騎士を募りました。
私は勇んで手を上げて、戦場に赴きました。
この「未払いのドミニク」が、ついに代価を支払う機会が訪れたのです。
ええ、訪れたのです。
ですが。
すでに貴女は知っていらっしゃる。
私は受けた恩を支払うことはできませんでした。
あの御方をむざむざと死なせて、最後の突撃にすら参加を許されませんでした。
だから、だから。
私は未だに「未払いのドミニク」のままなのです。