決闘裁判、最終試合当日。
コロッセウム。
円形闘技場に観客が詰めかけている。
しかし、アレクサンダー王は席にいない。
その傍にいるはずのクラウスもいなかった。
人々はそれを不可思議に思い噂をしたが、すぐに理由を知って納得した。
アルミン王太子がついに倒れたのだ。
元々が、残りの寿命は三ヵ月が限界だろうと噂されていた。
決闘裁判が始まって三ヵ月。
そのタイムリミットは近づいていた。
全部終わりだ。
公爵は死んだ、王妃も死んだ、その派閥も全てが死んだか派閥替えをした。
ザクセン王国の内憂は消え果てた。
残りは、あの第二王子だけだ。
それも本日この場にて、何もかもこれで終わりになるだろう。
アルミン王太子が亡くなると同時に、全ての混乱に決着がつくだろう。
誰もがそう思っている。
ドミニクの完全な勝利により、正義と秩序がもたらされる結末を望んでいる。
ただ一人を除いて。
「殺してやるぞドミニク。何もかもお前のせいだ」
アーデルベルトは一人独白している。
観客は味方をしない。
当然だが、アーデルベルトの味方など誰一人とて存在しなかった。
誰もが早く死ねばいいと思っている。
欲惚けた新聞社が公平な決闘をと新聞に書いたが、ザクセン王国の市民も無教養ではない。
それなりに理屈を理解している。
当たり前だが、アーデルベルトにそもそも正当性など無いことぐらいは、しかと理解できていた。
あの新聞社はその内潰れるだろう。
単に市民から購読されなくなるか、新聞社に火付けが行われるかどちらかは知らないが。
まあ、誰にとってもどうでも良いことだ。
「……」
アーデルベルトはガラス瓶を取り出し、短剣に毒を塗った。
恥さらしが、という声がコロッセウムに響く。
その声は非難であり、罵倒であり、そして侮蔑であった。
もはや、あのような愚か者は最初から生まれて来るべきではなかったのだ。
そのような侮辱を誰もが口にする。
だが、アーデルベルトの耳には届いていなかった。
見据えるのはコロッセウムの入場門。
そこから出てきたドミニクの姿である。
上半身は鎧どころか、服さえ身に着けていなかった。
最初から守りを捨てていた。
「――ッ!」
アーデルベルトは歯噛みした。
舐めているのだ。
自分を舐めていることは、その姿を一目しただけで理解できた。
策を全て見抜き、その上で短剣に毒を塗りたければ塗れと、わざわざ新聞に載せて挑発をして。
その上で、なおかつ厚い服を着ての防御すらする気が無かった。
「殺してやる」
だから、アーデルベルトは激発する。
「殺してやるぞ、ドミニク。平民上がりの一代騎士風情が。この、神に認められた。王権が与えられるべきだった私の邪魔をした。このようなことになったのは、全てお前のせいだ」
ドミニクはゆっくりと、そこらの市場に買い物でも行くかのように。
緊張もなく、強い張り手でも食らったかの様にうっすらと頬を紅潮させ。
無精ヒゲの顔をまっすぐに上げて、コロッセウムの檀上に登る。
「さて、死ぬのはどちらかな? すでに決まったようなものだと思うのですが」
横から、第三者の声が飛ぶ。
アーデルベルト側に決闘立会人はいない。
もう、誰一人として立ちたいと志願する人間はいなかった。
だが、形式上は誰かが務めねばならない。
だから、代わりに司教が立っていた。
この決闘裁判を取り仕切っている、最初の前宣誓の際に立ち会った司教であった。
「私を侮辱するか、司教風情が!」
アーデルベルトはそう侮辱するが、司教は努めて冷静に答えた。
「今からでも助かる方法があるといえば、どうします。アーデルベルト元第二王子」
「何をとぼけたことを――きっとお前も私の事を嘲笑っているのだろうが」
「さて、どうでしょうな。その毒が塗られた短剣をすぐに投げ捨て、誠心誠意を込めてドミニク卿とイザベラ様に全ての罪を謝罪するというならば。私も聖職者として庇わないではないのですが」
もう遅い。
すでに何もかもが終わりだと思っているアーデルベルトに、司教は手を差し伸べた。
「きっと一生を教会の中で過ごすことになるでしょうが。それでも生き延びることはできましょうぞ」
神の慈悲は誰にでも与えられるべきだと考えているからだ。
だが、それを聞けるのならば、最初からここまで落ちぶれていない。
「いらぬわ。あのドミニクを殺せれば、もう何もかもがどうでもいい! 教会の一室に何の娯楽もなく監禁され一生を過ごすなど、牢獄と変わらんわ!!」
アーデルベルトはその救いの手を拒んだ。
安いプライドである。
これを最後に、司教は務めを果たしたと考えた。
「なるほど、最後の確認はとれました」
要するに、アーデルベルトを完全に見限ったのだ。
「それでは、始めましょう。最終試合はアーデルベルト元第二王子殿下の望んだとおり、そしてドミニク卿がそれに応じたことによりチェーンデスマッチとなります。今より、お互いの手首に鉄枷を付けます」
長い鎖だった。
全長5mほどはあり、ディートリヒ卿でもなければ千切れないような太い鎖であった。
どちらも素直に手枷を左手首につける。
それがしっかりと嵌っていることを確認し、司教が確かに鍵をかけた。
「さて、御二人とも。後悔はありませんね? 何か言っておくべきことはありますでしょうか。特にドミニク卿、今からでもこの不利な決闘を拒むことは可能ですが?」
司教が、ドミニクにとって不利な条件。
相手だけが毒の短剣を持っていることについて、今からでも撤回すべきだと忠告するが。
ドミニクは相手にしなかった。
「それぐらいしてやらねば、私が圧倒的に勝ってしまって観客もつまらぬことでしょう。可能性の一分くらい与えてやるのが情けというもの」
死ぬ可能性はゼロではない。
だが、ドミニクは自分が負ける可能性など、これっぽっちも考えていなかった。
必ずや勝って帰り、イザベラ様に勝利の報告をして。
他の六騎士に、イザベラ様から説教を受けたことをからかわれなければならぬからだ。
それは騎士の義務といえた。
「殺してやるぞ、ドミニク」
血を吐くような声だった。
アーデルベルトの目は血走っている。
どうあがいても死ぬだろう。
この勝負に無事勝ち残ったところで、あのディートリヒに頭をかち割られて死ぬか。
あるいはアレクサンダー王の手で首を刎ねられるだろう。
なれば、せめてドミニクを道連れだ。
何もかもの原因となった怨敵を殺してやると。
それだけしか考えていないのだ。
毒の塗られた短剣を右手で握りしめる。
「お前には無理だよ」
ドミニクの右手にも短剣が握られている。
違いは、毒が塗られていない事だったが。
それでも、肋骨を通して心臓を貫くには申し分のない武器だった。
「よろしいか? ……では、私が試合開始を告げますので」
司教が最後に確認する。
試合開始の合図をする前に、勝負の邪魔にならぬようにコロッセウムの壇上から降りて。
そして、コロッセウムの誰の耳にも聞こえるような大声で叫んだ。
それは祝詞のようでもあった。
「これより、決闘裁判の最終試合を始める! 主よ、神よ、どうか最後まで結末をお見届けください! どうか正義と真実がもたらされんことを!!」
最後の試合が始まる。
瞬きしようとする観客は一人もおらず、誰もが唾を吞んだ。