誰かに聞いて欲しいことがある。
長い旅を続けてきた。
「黒騎士ヨルダン」という冒険をである。
黒騎士というものを知っているか?
惨めな存在である。
一応騎士ではあるが、騎士とは名ばかりのものだ。
「主君なし」の存在を黒騎士と呼ぶのだ。
誰かと明確な主従関係を結んでいない騎士を「黒騎士」と言うのだ。
主君を持たぬ騎士など惨め以外の何物でもない。
ただの野良犬よ。
その存在など、本当の犬にも劣る。
騎士として正式に叙勲されていないから、家名すらなくて。
その楯の、かつては仕えていた主君の紋章は使用できず、黒く塗りつぶされており。
従者の一人もおらず。
甲冑の手入れにも事欠く有様で、さび止めをかねて甲冑を黒く塗る。
それゆえに人は「黒騎士」と呼ぶ。
我が名は「黒騎士ヨルダン」である。
その立場などは低い。
騎士階級にこそ、嫡子にこそヨルダンは産まれたが――城もなければ猫の額ほどの領地もない。
主従契約を結ぶ主君すらおらず、それどころか家紋すらなかった。
郷士階級にすら届かぬ「戦う人」とは名ばかりの貧乏騎士である。
ゆえに人は「黒騎士」を侮蔑する。
市民以下の存在である。
市民権さえ持たないからだ。
よくて傭兵団(フリーカンパニー)に入るか、個人(フリーランサー)の傭兵として食っていかねばならぬ。
戦場があるぞ。
金を払ってやるから、戦場で働け。
機会があれば、明日食べるパンのために略奪をしろ。
野良犬のようにと。
戦場でどちらにつくか?
それは金の払いが良い方に付くことができた。
そのかわり、その存在はやはり飼い犬にも劣る。
繰り返す。
そのように惨めで哀れな存在が「黒騎士ヨルダン」であった。
だが、何も「黒騎士」を侮蔑する者ばかりではない。
唯一、誇りを得られる機会がある。
戦場にて働くことだ。
戦場にて戦働きをこなすことだ。
誰よりもがむしゃらに働くことだ。
その時ばかりは、誰もが「黒騎士ヨルダン」を一人の騎士であると認めてくれた。
本当の騎士たちが、戦友であると呼んでくれた。
だから、私は戦場を愛した。
嗚呼、そんな時だ。
そんな時に、私はあの御方に出会ったのだ。
「ここは空いているかね?」
「……」
不味い黒パンを口にしている。
答えようとして、まあ不味いとはいえ口にしている黒パンを無駄にはしたくなかった。
咀嚼する。
黒騎士ヨルダンに話しかけた相手は、癇癪持ちではないようで咀嚼の時間を許してくれた。
「空いております」
へりくだって言う。
相手の地位は判っていた。
辺境伯。
この戦の指導者である、アッカーマン辺境伯であった。
仮にも騎士とはいえ、ただの傭兵に過ぎぬ私が口を容易くきいてよい相手ではない。
「そうか、有り難う」
辺境伯は笑顔で黒騎士如きに礼を言い、隣に座った。
戦場を見張らせる小高い丘であった。
周囲をチラリと見たが、陪臣騎士が周囲に立っている。
もちろん護衛のためであろうが、私との会話を邪魔するつもりはないらしい。
伯はポケットをごそごそと漁り、一つのガラス瓶を取り出した。
「蜂蜜はいるかね」
「……礼を言います」
何故、蜂蜜を?
だが、不味い黒パンに甘味が加わるというのは有り難かったし。
辺境伯が差し出した食物を断ると言うのも立場的にあり得なかった。
ゆえにガラス瓶を受け取り、その中で少しばかりの蜂蜜を黒パンに垂らす。
「ここは良い眺めだなあ」
辺境伯が口にした。
私は辺境伯の隣で、蜂蜜という甘味に舌鼓を打っている。
すぐに返事をしなければいけなかったが、やはり咀嚼中であった。
「ああ、慌てなくて構わんよ。私の都合で話しかけているのだからね」
辺境伯はゆるやかに、私の食事を許した。
私は困ってしまったが、辺境伯の御言葉である以上は従うしかなかった。
ゆっくりと食事をとり、酸っぱい林檎を数か月前に齧った以来の甘味を得た。
「……戦場が見渡せて、布陣を取るには良いと考えます」
布陣?
何を格好つけているのか。
黒騎士の傭兵(ゼルトナー)風情に戦略の何がわかると言うのか。
自分で自分を馬鹿だと思ったが、横にいるのが辺境伯相手とあれば少しでも格好を付けたかった。
見栄である。
「うん、そうしたいところだが、敵はそれを許してくれんだろうなあ」
辺境伯は座ったまま、手で目にひさしをつくって、遠くを見渡す。
遠くには敵国家の旗がある。
おそらく、あそこに敵の首魁がいるのであろうが。
あまりにも遠い。
「我が軍は劣勢だな」
「はい」
戦の話に移った。
一傭兵の立場であれば、話せることはある。
少し助かったと内心がほっとする。
劣勢か。
確かにその雰囲気はある。
何人かの味方側の傭兵が、戦場から逃げているようであった。
「貴殿の名は?」
「ヨルダンと申します」
「君は逃げないのかね」
辺境伯の問い。
ものすごく気まずい質問ではあったが、私は答えた。
「賃金を前金でもらっておりますゆえに。傭兵といえど信用商売であります」
「はは、そうか。君は生真面目なようだね」
思えば、もっと格好良い台詞を言えばよかった。
黒騎士とはいえ、私は騎士を名乗っているのであるのだぞ。
だが、正直金がなければ食っていけないのが本音であるし、前金をもらっているから劣勢のザクセン王国側についているのも事実である。
「うん、大分長い事、この戦に参陣しているようだが。もう何年になる?」
「三年であります」
三年であった。
長い戦だ。
敵国家と、その国境線を守る辺境伯の防衛戦はもう三年になる。
もちろん収穫期と冬はお互いに休戦しているが、それだけだ。
「そうか、戦の初めからいるのかね。何人の首級を挙げた?」
「雑兵は42名、騎士は8名ほどでしょうか」
虚偽ではない。
虚偽の戦功を口にするほど心は腐っていない。
「それは凄い。聞いた通りだね」
「聞いた通り、とは」
「とても強い黒騎士がいると噂に聞いた。ひどく戦慣れをしていると」
ああ、それで辺境伯殿が私に話しかけてくれたのか。
誰かが戦功を奪わず、キチンと辺境伯に報告してくれたらしい。
なるほど、直接にお褒めの言葉くらいは頂けるというわけだ。
劣勢であるが以上、こうした心配りも辺境伯の務めというわけで――悪い気分ではない。
「ところで――貴殿はアッカーマン辺境伯家に仕える気があるか?」
「は?」
心臓が止まりそうになる問いであった。
突然の質問である。
「あの、何を仰っているので」
「なに、勧誘という奴だ。まあ、戦功に対して金銭のみで応えるほど、私は吝嗇ではないのだよ」
心臓がどきどきとしている。
あまりにどきどきとしていて、止まりそうであった。
「この戦でだいぶ陪臣騎士も死んでしまった。息子や娘を守る、強い騎士が必要だ」
「はあ、御令息や御令嬢を」
「うむ。で、どうだね?」
「どうかね、といわれましても」
戸惑う。
この黒騎士には有り得ぬほどの、殺し文句である。
辺境伯は決して地位の低い貴族ではない。
陪臣とはいえ、そこの騎士になれるとあれば、どこに断る黒騎士がいようか。
だが、私はそこで戸惑った。
戸惑ってしまった。
「辺境伯殿、その話はこの戦が終わってからでもよろしいでしょうか?」
「うん? 何故かね? 君はすでに十分な戦功を挙げている。他の陪臣に対しても説得済みだぞ?」
周囲を見る。
陪臣騎士がこくりと頷いている。
笑顔であった。
まるで、貴殿を歓迎する準備は出来ているぞと言いたげに。
「い、戦がまだ終わっておりませぬゆえに。気を抜いて死ぬのが怖いのです」
見栄ではない。
私の本音である。
そんな良い話を断る理由などないが、その好意を調子に乗って受け取り、そのまま死ぬのが怖かった。
まるで夢のような話であるが、その夢を掴んだまま、泡のように消えてしまうのが怖かった。
「はは、そうか。では戦が終わった後にもう一度話そう。アッカーマン辺境伯家は貴殿の働きを、ちゃんと覚えておくぞ」
辺境伯はそう言って、立ち上がった。
蜂蜜の入ったガラス瓶を返そうとしたが、ひらひらと手を振られる。
何度も言うが吝嗇ではない、全部やると言いたげに。
私はその姿を見て、もうすっかりと辺境伯に見惚れていた。
あの「御方」を主君として崇め、仕える気分になっていたのだ。
だが。
辺境伯は死んでしまわれた。
劣勢を覆すために、誰よりも先陣を切って、敵首魁を自ら討ち取りた後に失血死による絶命を。
だから、私との約束は――やはり泡のように消えてしまったのだ。
************************
彼女との出会いは、戦場祝賀会のパーティーにおいてである。
「イザベラ・フォン・アッカーマンと申します。突然の挨拶、失礼を」
優雅で、見事なカーテシー(敬意を表すために膝を曲げてお辞儀をする)である。
私がまず口にしたのは、そのカーテシーに対する咎めである。
「御令嬢、そのような挨拶は私のような者にしてよいものではありませんぞ。御相手を間違えております」
私は黒騎士ヨルダンである。
カーテシーをする必要もない一介の黒騎士にすぎぬ。
「我が領地を守るため参陣してくださった騎士殿へ礼を尽くすことに、何の恥がありましょうか」
イザベラ嬢は毅然として答えた。
その面影には、アッカーマン辺境伯の面影があった。
私が――主君として崇めるはずであった、彼の面影が。
「失礼ながら、貴卿の名を伺いたいのですが」
「……ヨルダンと申します。『黒騎士』ヨルダン」
そうだ、黒騎士である。
主君を持たぬ傭兵にすぎぬ。
三年も戦に参陣したのだからと、戦勝祝賀会の隅で酒を飲むことを許された黒騎士に過ぎぬ。
イザベラ嬢には何の価値もない。
こうハッキリと口にして、示してやれば。
イザベラ嬢も去るであろう。
そう考えて、自分の立ち位置を明らかにした。
だが。
「そうですか。ヨルダン殿に、まずは御礼を。本日は我が父の追悼式を兼ねております。その参加に対する御礼を――」
「――ええ、存じております」
そうでなければ、参加さえしていなかった。
今頃、次の戦場を探して何処かを彷徨っていたであろう。
もちろん、明日からそうなる予定だが。
今回の戦で多少は懐が暖まったとはいえ、傭兵に暇はない。
我が人生で唯一掴んだ――本当に唯一正式な騎士になる機会はすでに消え果てた。
「同時に、人探しをしております」
「人を?」
わざわざ辺境伯令嬢ともあろうものが自ら?
何のために?
そう思うが。
「戦場にて貢献した、一人の黒騎士を辺境伯家に陪臣として雇用するつもりであったと。父が日記を残しておりまして。ヨルダン卿はご存知ではないでしょうか? 私は父の娘として、その約束を必ずや果たさねばなりません」
心臓が止まりそうになった。
辺境伯の言葉を思いだす。
そうだ、確かにあの御方は『アッカーマン辺境伯家は貴殿の働きを、ちゃんと覚えておくぞ』と口にしていた。
日記が残っていたのか。
それは私の事でしょう、と口にしようとして――
「――」
言葉が止まる。
おそらくイザベラ嬢は、私と辺境伯との約束を信じてくれるだろう。
この黒騎士を、アッカーマン辺境伯家の陪臣騎士として雇い入れてくれるであろう。
『黒騎士ヨルダン』を辞めることが出来るであろう。
辺境伯家の正式な騎士としての生活を得ることができよう。
だが、どの面下げて?
私は彼女の父親を、戦場から無事連れ戻す事が出来なかったというのに。
主君となる予定の御方をむざむざと死なせたと言うのに。
その死んだ主君との約束を履行してくれと、その娘に嘆願するのか。
額ほどの領地も持たぬ、主君なき黒騎士とて、一廉の騎士である。
少なくとも、私は、私だけはそのつもりでいる!
そのような見苦しい、騎士として恥ずかしい真似ができるか!
「……何も。誠に申し訳ありませんが、そのような黒騎士を私は知りません」
「そうですか」
結局、私はアッカーマン辺境伯との約束を、彼女の前で持ち出すようなことはしなかった。
彼女がまた優雅な別れの挨拶をして、立ち去るのを黙って見送った。
その後に呑んだワインは苦い味がした。
誇りの味である。
惨めな黒騎士の、「なけなし」のプライドを必死に呑み込んだ味がした。
そう、それから一時間も経たない後の事だ。
あのアーデルベルトとかいう阿呆が、我が主君となるはずだった「御方」の娘を罵りだしたのは。
私ごときにカーテシーをしてくれた彼女を侮辱したのは。
聞くに堪えない罵詈雑言であった。
何の証拠があって、そのようなことを。
誰がどう見ても、あのように立派なイザベラ嬢にそのような不義があろうはずがない。
私は癇癪を起こした。
「殺してやるぞ、アーデルベルト。王族であろうが知ったことか」
肉切りナイフを掴み、アーデルベルトを今にも殺すために襲い掛からんとした。
その側近も同罪である。
戦場もろくに知らぬ餓鬼どもを、いっそ皆殺しにしてやろう。
だが、その前に。
イザベラ嬢を庇う為、名乗りを上げた者がいた。
ドミニク卿であった。
一歩出遅れたか。
私は苦笑しながらも、肉切ナイフをテーブルの上に投げ捨てて。
ドミニク卿が求めた決闘裁判のために、手を上げ、名乗り出ることにした。
はて。
そういえば、ドミニク卿には私が決闘裁判に名乗りでた理由を伝えておらんな。
まあよいか。
それを話せば、私が恥ずかしくも正式な臣従礼(オマージュ)を行ってもいないアッカーマン辺境伯に対し、一方的な忠誠を誓っていることを口にすることになる。
だから言うべきではない。
私の人生について、語るべきことはもうなにひとつないだろう。
これまで私はいくつもの戦場を重ねてきた。
それは私にとって「黒騎士ヨルダン」という冒険であった。
惨めで、哀れな、それでいてちっぽけなプライドを守ってきた冒険である。
その冒険も明日の決闘で終わるのかもしれないが。
明日はコインの裏が出るか、表が出るか、それは判らぬ。
裏表次第によっては死ぬであろうゲーム。
但し、コインの表か裏かで決めるような、その単なる運任せの「ゲーム」を、「冒険」に変える方法。
それを私は知っている。
生死を賭けるだけでは駄目だ。
今までに手に入れてきた戦友との絆や、戦場での経験により得た物。
黒騎士ヨルダンが今までの戦いで得た戦闘技術の全てを、明日の決闘につぎ込むことにしよう。
きっと、そうなれば素敵な「冒険」に変わるはずだ。
くたばれ、シュテファン。
くたばれ、アーデルベルト。
そして――我が主君と「なるはずであった」御方の娘、辺境伯令嬢イザベラに祝福あれ。
貴女の父親を守れなかった代わりに、貴女の名誉だけは守って見せよう。
神々よ、主よ、どうか我に力を与えたまえ。
たった一度限りの力で良い。
そのためならば、我が心臓など捧げてもかまわぬから。