ウマ娘 After Side B -もう一人の英雄-   作:ニサ

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彷徨

 その日は天候にも気温にも恵まれた事もあり、購買で買った物を外で食べる生徒も多く日頃椅子取りゲームと化す昼時のカフェテリアもある程度の落ち着きを見せていた。とはいえあくまで普段と比べてであり、座席に殆ど余裕のない中で、ブルボンの周囲だけ不自然に席が空いていた。

 避けられている、という表現は正しくない。

堅苦しい性格故に学友の少ないブルボンではあるが、決して嫌われている訳ではない。偏に気を遣われている、もっと言えば腫れ物に触れる扱いをされているが故だ。

 

「ブルボン、ここ良いかな」

「はい、構いません」

 

 そんな中、トウカイテイオーがブルボンに声を掛け、長机の向かいに腰を掛けた。

 

「聞いたよ、引退しないって」

 

 しばらく各々の料理に手を付けた後、テイオーが口を開く。

 

「はい、秋の天皇賞で復帰します」

「どう?調整の方は」

「順調、とは言い難いですが、問題なく進んでいます」

(問題なく、かぁ)

 

 テイオーはブルボンの手元に目を向ける。

元々ストイックな食事を好む彼女であったが、今口にしているのは質、量ともに何時にもまして質素な物だ。強い負荷を掛けられずに体重を絞れていないのか、筋力が戻らないのか。どちらにせよ調整が思うように進んでいない事は明白であった。

 

「一人で走るなんてつまんないでしょ。ボクが併走してあげようか?」

「お気遣い感謝します。ですが、まだその段階では」

「そっか…」

 

 テイオーの誘いをブルボンが断る。

テイオーもそれ以上は何も言えず、再び自身の手元に目を落とす。

 

「失礼します、トレーニングの時間ですので」

「ブルボン…ッ」

 

 食事を終えて席を立ったブルボンにテイオーは声を掛け、留まる。

一度冷静になるべきだ、メニューを変えてみるべきだ、いや、ブルボン程の実力者だ。もしかしたらこのままでも万事上手く行くかもしれない。

 

「えっと、何か手伝える事があったら遠慮くなく言ってね。ボクも次はけっこー先でヒマだから」

「ええ、有難うございます」

 

 掛けるべき言葉を探した末、漸く絞り出せたのは当たり障りのない気配りであった。

 

「駄目だなぁ、もうカイチョーの事言えないや」

 

 上げかけた腰を再び椅子に沈め、自嘲気味に笑みを浮かべながら呟く。

以前のように後先考えず物を言うには、テイオーは場数を踏み過ぎていた。

 

 

 黒沼トレーナーと言えば、最早スパルタトレーニングの代名詞と化している。

いつだか付けられた綽名が「鬼の黒沼」

しかしそんな鬼の側面も、今のブルボンに対しては鳴りを潜めていた。

 

「マスター…」

 

 コース走を終え、心許なげに尋ねるブルボンにトレーナーは無言で首を横に振る。

決して力を出し切れていない訳ではない。

 怪我の影響は少なからずあるが、今の所に関して言えば症状は治まっており、痛みにより時計が出ていない訳ではない。ピークアウトか、と言われれば、確かに全盛期と比べれば衰えのある事は否めないものの、力そのものは未だ健在である事はスパート前までの数値が示している。

 つまり最早そういう脚になったのだと。度重なるハードトレーニングで自分がそういう脚にしてしまったとトレーナーは自責の念に駆られる。

 単に通用しないだけならまだ良い。だが更にその下、最悪も想定される以上、この無謀な挑戦は止めるべきなのであろう。しかしブルボンの夢を自らの所業で閉ざした手前、彼女の挑戦を止める資格もまた無いと思えてならなかった。

 

「ブルボン、今日はここまでだ」

「まだ行けます、続けさせてください」

 

 タブレットの電源を落とし、器具を纏め始めたトレーナーにブルボンが異を立てる。強がりでも自棄を起こした訳でもない。耐えられる負荷と掛けられる負荷がてんでばらばらなのだ。

 事実、メニューを消化したばかりだと言うのにも関わらずブルボンは息一つ上がっていなかった。

 

「見舞いに行ってやれ、最初に行ったきりだろう」

「…了解しました、マスター」

 

 彼女を納得させるための苦し紛れの理由付けでしかなかったが、ブルボンは渋々了承する。恭しく礼をするブルボンに一瞥もくれず、トレーナーは足早に立ち去った。

 

「何をしているんだ、俺は…」

 

 ブルボンを止めるでも背中を押すでもなく、

彼女の友人をダシにしてまでブルボンと、担当ウマ娘と面と向かって話し合う事から逃げ出した自分を羞悪する。

 決断までのリミットが迫る中、逸る気持ちだけが一方的に募っていた。

 

 

「大丈夫?暑くない?カーテン閉めようか」

「ううん、大丈夫だよ。ありがとう、お姉さま」

 

 せわしない様子であれこれと世話を焼くトレーナーに、ライスは微笑みながら礼を述べる。

 術後から約半月が経ち、漸く固定具が外され、ライスの顔にも少しずつだが明るさが戻って来た。個室を宛てがわれている事もライスの精神面に良い影響をもたらしていたのだろう。入院当初は何を言っても殆ど反応を見せない程に落ち込んでいたが、

雑音の無い中に身を置いて気持ちの整理が少しは付いたのか、今は随分と落ち着きを見せていた。

 レースや物販による莫大な利益の殆どがURAの懐に入っている事をぼやいた事もあったが、オプションを含めた医療費が全額URA持ちだと言うのだから、今になってその有難さに気づく。

 出来る事なら一生涯味わいたくなかった有難みではあったが。

 

「チームの皆はどうしてる?」

「ぜーんぜんダメ、みんな暑さでバテちゃって」

「大丈夫?みんなちゃんとご飯食べてる?」

「ライス程じゃないけどまぁまぁ、ただ皆ひ弱なだけ。というかライスの方はどう?足りてる?」

「う…実は…」

「今度こっそりおにぎり持ってきてあげようか」

「え!?その…こっそりね、一口で食べられる小さいのを…」

 

 他愛のない会話を続けながら、トレーナーはライスの脚を見つめる。

これだけの大怪我であったが、幸いにも後続に巻き込まれなかった事、応急処置を含めて対応が早く感染症は避けられた事と、

言い様は悪いが綺麗に切れて完璧に折れた事もあり、回復そのものは奇跡的に順調と言って差し支えない、と聞いている。

 元の脚力に戻る事は決してないという事は別として。

 

「…大丈夫、きっと来年にはレースに」

「お姉さま」

 

つい零れ出たトレーナーの言葉を、酷く小さな、だが鋭い声でライスは遮った。

 

「もう良いの、ライスは」

「あ、違うの。リハビリは頑張るよ、皆とまた遊びたいし、お姉さまともまだまだ色んな所に行きたいし」

 

 慌てて付け加え、けど、と、うつむきながらライスは続ける。

 

「ライスが走る度に誰かが不幸になって、ライスも不幸になって。もう疲れちゃったから」

「ライス…」

 

 トレーナーがライスの横顔を見つめる。

恐怖と虚無の色が混ざった、暗く深い絶望と悲哀。

 嘗て鬼とまで呼ばれた気迫は微塵もなく、そこにはただ全てを諦めた少女が居るだけだった。

 

「えっと、お姉さまはライスが走らなくなっても一緒に居てくれる?」

「…勿論!私はライスのお姉さまなんだから!」

 

 弱々しい笑みを浮かべながら尋ねるライスに、一瞬言葉に詰まりながらもトレーナーが答える。

 

「っと、そろそろ時間ね。また来るわね」

「うん、今日もありがとう。無理しなくて良いからね?」

 

(そう、ウマ娘は走るだけじゃない。ライスがこれ以上走る必要なんて無いのに、なのに私は…)

 

 あまりに浅慮だったと、自らの発言を悔いながらトレーナーは足早に出口へと歩く。ライスを二度と危険な目に遭わせたくないという気持ちに噓偽りはない。

だが心の何処かにまたライスの走る姿が見たいという欲があった。

ライスもターフに戻る事が望みだと、勝手な思い込みをしていた。

トレーナーであるのならば彼女の快復と安全のみを考えるべきである筈なのに、あろうことかエゴを押し付けてしまった。

 

(私に出来る事…すべき事は…)

 

 二度と走らなくても良いようライスの盾になる。

誰に咎められようと、誰に嫌われようと、そして自分の想いを押し殺そうとも、ライスをまたターフに戻そうとする者から守り抜く。

 そう決意した矢先であった。

 

「柿田トレーナー…」

「ミホノブルボン…」

 

 間が良いのか悪いのか、ライスの見舞いに来たのであろうミホノブルボンと鉢合わせた。

 

「その、ライスは」

「ごめんなさい、ちょっと具合が良く無くて…代わりに少し良いかな?」

 

 遅かれ早かれ話を付けねばならない相手だ。

覚悟を示せと自身に言い聞かせ、意を決してトレーナーはブルボンをカフェテリアへと誘った。

 

 

「お茶で良かったかな」

 

 差し出されたペットボトルをブルボンは礼を言って受け取り、二人はカフェテリアの椅子に腰掛けた。

 

「術後は良いみたいでね、もう少ししたら少しくらいは動けるようになるみたいなの。最初は辛そうだったけど、最近は痛みもかなり引いたみたいで、絵本を読んだり絵を描いたりするくらい落ち着いてて」

 

「そう…ですか。良かったです」

 

 トレーナーの言葉が先ほどと矛盾している事に気付きつつも、ブルボンは相槌を打つ。ライスが快方に向かっているのは無論喜ばしい事だが、であれば何故ここに呼び出されたのか。覚悟の上ではあったが、自身の選択が少なからず二人の不興を買った事は明白であった。

 頭を下げるべきであろうか、しかしここで謝罪する事は、それこそ筋が通らない。

受け取ったボトルを弄びながら俯き思案するブルボンを余所に、トレーナーは語り続ける。

 

「もう少しでリハビリも始まるみたいでね、ああそうそう、病院食が物足りないみたいであのライスがおねだりしたりなんて―」

 

 一方的に捲し立てた後、ブルボンの様子に気づき、トレーナーは向き直って問いただした。

 

「ブルボン、あなたがもう一度走ろうとするのはライスの為…だよね」

「…はい」

 

 暫し逡巡した後、ブルボンは首肯する。

ここで言いよどむ事は却って心証を悪くすると、頭では理解してたが、トレーナーの刺すような視線に気圧されて喉から声が出なかった。

 そんなブルボンの心を汲んでか、トレーナーは目を細めて小さく頭を下げた。

 

「有難う、あの子のトレーナーとしてその気持ちが何より嬉しいわ。けど―

お願い、もうライスを走らせないであげて。ライスの友達として傍に居てあげて」

 

 ブルボンの背筋に冷や汗が滲み出る。閉じているのにも関わらず口が乾く。

分かっていた筈だ。そう言われる事も、ライスにとってはそれが正しいという事も。

その上で敢えてこの道を選ぶと心に決めた筈だ。

 だというのにも関わらず、予期していた一言で決意が揺らいでいる。

 

「ごめんなさい、今のは…そうね。私にあなたを止める権利はないわ。あなたは自分がすべきだと思った事をして。

だとしても私は、私のやり方でライスを守るわ」

 

 答えに窮するブルボンから、バツが悪そうに目を伏せ立ちあがると、

今度は深々と頭を下げトレーナーはカフェテリアを後にした。

 

「それでも、それでも私はライスに…それでも…?」

 

 自分に言い聞かせるように何度となくつぶやくが、その先の言葉が出てこない。

トレーナーが去ってからも、ブルボンは手の中で揺れる水面を見つめ続けた。

 

 季節は流れ8月も下旬、ブルボンは依然として調整を続けていた。

降りしきる雨と籠る熱気、水気を含んだウッドチップに足を取られながら、人影の無いコースをブルボンは走り続ける。

 

(まだ…まだ私は…)

 

 ゴールラインを通りすぎ、置時計を見ては一息入れる事もせず、ブルボンは再び駆けだす。今日だけでコース走を何本消化したか分からない。顎は上がり、歩様は乱れ、それでもブルボンは走る。

 無論トレーナーが指示した物ではない。焦りからブルボンの独断で行っている物だ。ブルボン自身も無駄、ともするとマイナスにすらなりかねないトレーニングだという事は理解していたが、今は体を動かさずにはいられなかった。

 

「…あなたとの約束、果たせそうにありません」

「ブルボンさん…」

「ライス、あなたはもう大丈夫です。私の、皆の英雄になれたのですから」

 

 朦朧とする意識と欠いた集中が、雑念という形であの日の事を、ライスシャワーとの約束を破った日の事をブルボンの脳裏に映し出す。全盛期を迎えていたライスと再び満足に走れたかと言えば嘘になる。

 だがあの日彼女を突き放したが為にライスは一つ拠り所を失い、ただ独り"半英半悪"として未だしつこく残り続ける悪感情を背に走り続ける事になった。

 

(あの時私が無責任な事を言わなければ!)

 

 悔恨の念を込め、ブルボンは脚にいっそう力を込める。

しかしブルボンの気迫とは裏腹に、速度は微塵も上がらず、霧散した思考はまた別の過去を掘り起こす。

 

「ライス、投票一位おめでとうございます。あなたならきっと勝てる筈です」

「え、あ、うん。ありがとう…ライス、頑張るね」

 

 それは宝塚記念ファン投票の結果が発表された日。

傍から見ても本調子ではない。ただでさえ小柄なライスだが、その日は更に小さく見えた。だが春の天皇賞にて終にブーイングを声援に変えられた事、それをさも自分の事のように喜び、誇り、声援を送る一人のファンとして、その背に夢を託してしまった。

 

(あの時異変に気付いていれば!いや、気づいていたのに!)

 

 自身の愚かさへの怒りを糧に更に力を込める。

しかしブルボンの指示に反するかのように、脚の回転は徐々に鈍ってゆく。

 

「私はッ!ライスとの約束をッ…!」

 

(破ったのは自分なのに)

 

 抑えきれない怒りが、悔恨が、そして不安が声となって胸の内から湧き上がる。

 

「違うッ、私は!」

 

 被りを振り声を荒げ心の内をブルボンは否定する。

 

(何も違わないでしょう。あなたは約束を破り、傍に居るべき時に離れ、想いを押し付け、そして彼女を壊した)

 

「違うッ…!」

 

 しかし何度否定しても、こびり付いた言葉が蛇のように絡みつき、重りとなってブルボンの足色を鈍らせる。弱まるブルボンの威勢と反比例するかのように声は徐々に大きさを増してゆく。

 

(なのにあなたはまたライスを走らせようとしている。また壊れてしまうかもしれないのに。

―次は本当に取り返しがつかない事になるかもしれないのに)

 

「私はッ…!」

 

(それでも走らせようとするのは何故?真にライスの事を想うのであれば、柿田トレーナーの言う通りすべきなのに。

つまりミホノブルボンあなたはただ―)

 

(ライスから逃げたいのでしょう)

 

「違う、私はッ」

 

 それでもライスの為に、そう言いかけた瞬間、柿田トレーナーの哀しくも覚悟を決めた瞳がブルボンの脳裏に浮かんだ。

 

「私は…どうすれば…」

 

 耐え難い息苦しさと強くなる右脚の痛みに足を止め、灰色の空を見上げながらブルボンが零す。

 そこには答えを授けてくれる者も、寄り添ってくれる者も居らず、ただ罪科を嘲笑うかのように生温かい雨が容赦なくブルボンの体を打ち続けた。

 

「……」

 

 ブルボンは再び駆け出す。その目には何も映しておらず、ただ彷徨するように。

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