ウマ娘 After Side B -もう一人の英雄-   作:ニサ

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戦前

 第9レースの着順確定を告げるチャイムと同時に、レース場全体がにわかに活気づく。メインレースに向けて早くも観客によるパドックの場所取りが始まった事が、控室に居る二人の耳にも届いた。

 

「…間もなくだな」

「はい、マスター」

 

 パドック入りを目前に、ブルボンは既に勝負服に身を包んでいた。

ただし以前の勝負服ではない。

 外套を思わせる臙脂を基調とした背部が大きく広がったマレットドレス、

嘗てのトレードマークであったトモの殆どを包み隠す、白玉霰が描かれたサイハイブーツ。速さと機能美のみを追求した機械的な物から一転し、今のそれは重厚感と優雅さを漂わせ、そして何処か暖かい、言うなれば生物的な印象を受ける。

 ここに来て勝負服を新調したのは体の作りを大きく変えた事が最たる理由だが、

過去の栄光を棄てここから再出発するというブルボンの意志の表れでもあった。

 

「ブルボン…その…なんだ…」

 

 歯切れの悪いトレーナーの物言いに、ブルボンは小さく噴き出す。

 

「…おかしいか?」

「いえ、ただ、らしくないなと思いまして」

 

 少し不機嫌そうに問うトレーナーに、からかうように微笑みながらブルボンは返す。その様子にサングラス越しでも伝わる程にトレーナーは目を丸くした。

 

「…変わったな、ブルボン」

「ええ、変わりました。…変われました」

 

 ブルボンは思い返す。ライスシャワーとの激闘、挫折と苦闘の日々、

それでも自分を信じ支えてくれた友たち、そして突然現れた不思議な好敵手の事を。

 

「マスター、ここまで来たら引き返せません。いつも通りご命令を」

「なら…そうだな。命令だ、勝てッ!」

「はい!マスターッ!」

 

 

 前日の夜にクオンが作った、本人曰く会心の出来のてるてる坊主が効いたのか、

或いはその様子を面白がったエグザクトが雨乞いをした事が逆に作用したか、

果たして豪雨を予想していた天気予報とは少し異なり、秋の天皇賞は今にも降りそうな曇天模様の空の下で行われる事となった。

 

 本バ場入りも終わり、少し枯れ色の混じり始めたターフをウマ娘達が駆けてゆく。

発走時刻が近づくにつれスタンドのボルテージが上がっていくのは大レースの常だが、この日は二つの理由で騒然としていた。

 

「パドックでも思ったけど、やっぱり…」

「ああ、ちょっとおかしいよな…」

 

 一つはナリタブライアンである。

 

「時間を掛けてダクを踏んでいる所じゃないでしょうかね。

少し何かこう、イライラしているような素振りを見せていますし、心配な仕上がりです」

 

 解説が指摘する通り、ブライアンは顔に焦りと苛立ちを浮かべながら解すように足踏みを続ける。休養前までの溢れ出る覇気は欠片も無く、誰が見ても本調子でない事は明らかであった。

 

 そしてもう一つはミホノブルボンにあった。

 

「さて3番ミホノブルボンはー…キャンターにおろしていませんね。歩いてスタート地点に向かっています」

「あまりこう…そうですね、やはり良い頃の彼女とは全く違いますね。ここは厳しいと思います」

 

 他のウマ娘達がウォームアップを続ける中、ブルボンはただ一人ゆっくり歩きながらスタート地点へ向かう。

 

「大丈夫かな…あれで本当に走れるのかよ…」

「無理だけはして欲しくないが…何とか無事に走り切ってくれれば…」

「言っちゃ悪いんだけどなぁ、邪魔だけはして欲しくないよな」

「何であんなのが内枠取っちゃうかねぇ」

 

 ブルボンの体調を不安視する声、無事を祈る声、出走そのものを悪し様に言う声。

反応は多々あれど、ポジティブな物が一つも無い中、ブルボンは速度を上げる事なく黙々と歩き続ける。

 しかし彼女の様子を遠巻きに見ていた当事者達は真逆の反応を示していた。

 

「ありゃァ精密機械じゃなくて獣…いや、鬼だぜ、鬼」

 

 普段と変わらぬ薄ら笑いを浮かべながらも、冷や汗を滲ませながらエグザクトが零す。みっともなく練習という体の足掻きを繰り返していた時とは明らかに異なり、不惜身命とでも言うのだろうか、今のブルボンからは迷いや躊躇いという物が一切感じ取れなかった。

 

「敵に塩どころか人参まで送っちゃったねぇ、エーちゃん」

「はァて、何のことやら…」

 

 すっとぼけながらも、エグザクトはクオンを横目で見る。

こちらも負けず劣らず、目で見えそうな程の圧を放っている。

クオンの仕上がりもまた生涯最高といって差し支えない物であった。

 

「…ハンバーグまで付けちまってんだよ、こちとら」

 

 流石に手助けをし過ぎたと、後悔一つない、と言えば嘘になる。だが

 

「でもまぁ…それでこそやり甲斐があるってェもんだ」

 

 漸く全力の、言い訳一つ出来ない状態のクオンと走れる。

その事に昂ぶりが抑えられなかった。

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