ウマ娘 After Side B -もう一人の英雄-   作:ニサ

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奇策

「府中千八展開いらず」という格言まである程に、前哨戦の毎日王冠の舞台である東京芝1800mに枠順の有利不利は少ない。だが天皇賞秋が行われる東京芝2000mは打って変わって外枠が不利とされている。

 理由はスタートから最初のコーナーまでの距離が短い事にある。

加速を付けられる区間が短いため早々に隊列が決まってしまい、外枠のウマ娘は外を回される可能性が高いからだ。

 

「現役最強ウマ娘ナリタブライアンの復帰第一戦…スタートしました。

ほぼ揃ったスタート。ミホノブルボン、エグザクト、ニアーセルジュと好スタートを切りました」

 

 しかし、これはあくまで傾向の話である。ペースが上がり隊列が縦長となれば、外枠のウマ娘が経済コースに付ける事も出来る。そうなれば展開もまた変わって来る。

そういう意味でも、3、4、5枠に入った逃げ・先行脚質三人、特にブルボンが以前と変わらずの行きっぷりを見せられるか否かが注目されていた。

 

「さぁ2コーナーに向かいましての先頭争い。エグザクトは引いたか。

ニアーセルジュを抑えてミホノブルボンが第2コーナーに向けて飛び込んでいきます」

 

(よござんしょ、これには流石について行けねェ)

 

 競り合いを続けるミホノブルボンとニアーセルジュを眼前に、エグザクトが加速を緩める。大方の予想通り、逃げを打つ二人によりテンから流れた展開になった。

 無論前で主導権を握るのが理想ではあるが、シニアGⅠの未知のペースだ、ここで行き脚を使うのは得策ではない。前二人を壁にしつつペースに呑みこまれずにインで溜め続け、最後に荒れの少ないアウトに出せば良い。勝機は十二分にある。

 

 故に、出鼻をくじかれる形となった。

 

「向正面に入って二番手ニアーセルジュとの差は2バ身から3…いや行った行った!ミホノブルボン大逃げか!」

 

「あぁッ!?」

「まーじかよ…」

 

 ニアーセルジュとエグザクトから同時に驚愕の声が漏れた。

当然の反応である。東京レース場芝コース最大の特徴は高低差約2m且つ距離約525mの直線だ。加えて大箱故の息の入りづらさも合わさり、逃げ脚質は圧倒的に不利と言わざるを得ない。

 事実、このレースで逃げ切りを図れたケースは長い歴史の中で事実上一つしかない。その中で敢えて逃げの手を打つのであれば、自分のペースに持ち込み道中如何にして息を入れるかが肝要となる筈だ。エグザクトもその前提で自らハナを奪うか、相手を前に付けてキレ勝負に持ち込むかを想定していた。

 だがあろうことかミホノブルボンは大逃げを打って出たのだ。

 

(ちょーっと予想外だぜェこれは…)

 

 走者同様、嘗てのブルボンからはとても考えられない展開に場内がどよめく。

 

「奇策のつもりだろうが…これは無謀だろ」

「まぁ誰も鈴付けに行ってないし影響無さそうだな」

 

「奇策、というよりもこれしか手が無いというのが正しいですわ」

「これしか?」

 

 ブルボンを揶揄する周囲の声を訂正するかのうようにつぶやいたメジロマックイーンに、ゴールドシップが聞き返す。

 

「怪我により往年のキレは失っています。ましてや元来逃げ戦法が主体のブルボンさんであれば打てる策は」

「カジキマグロ戦法ってか」

 

 相変わらず分かりそうでよく分からない喩をするゴールドシップを無視し、マックイーンはブルボンとの追い切りを思い出す。

 

 

「…本当にこの条件で、この距離で宜しいのでして?」

「はい、私にはこれしかありません」

 

 手渡された並走プランを目にし、マックイーンはブルボンに確認する。

 

「芝”2400m”を前半6F70秒、それもスタート1F以外12秒台無し。そして後半80秒の設定で、相手は2バ身差追走…」

「ええ、流石にこの条件で同時ですと、今の私ではあなた達に勝つ事は出来ませんから」

「そうではなく…言うまでもありませんが、茨の道ですわよ」

「覚悟の上です」

「距離を伸ばした事で、スタミナは持ってもペースに対応出来なくなるかもしれませんわ」

「それも覚悟の上です。どうかお願いします」

 

 マックイーンの再三の念押しにもブルボンは即答し、深々と頭を下げる。

条件戦のタイムとほぼ同等という常軌を逸した想定の追い切りに、大逃げへの脚質転換。これを本番までの一か月そこらで成そうというのだ。とても正気の沙汰とは思えないが、どうにもブルボンの表情からは冗談や自棄という物は伺えない。であれば、メジロとして、一競技者として、そして何よりも友人として応えぬ訳にはいかない。マックイーンは改めてブルボンに向き直ると、先程までのブルボンの身を危懼した物言いとは打って変わって真剣な面持ちで言った。

 

「本当ならスズカさんが適任ですが…お手伝いしましょう」

「にしし、それじゃボクも併せちゃおっかな」

「お、アタシもやるぜ!」

 

 同じくプラン表を手渡され、飛び出んばかりに目を見開き飴を口から零した沖野トレーナーを尻目に、トウカイテイオーとゴールドシップが意気揚々と追い切りへの参加を申し出た。

 

「テイオーさんはともかく、ゴールドシップさんは先ず基礎練習を…いえ、あなたも後方からお願いしますわ

無尽蔵のスタミナ、2400mなら相当のプレッシャーになる筈です」

「なんだァ?マグロか!良いぜ、スズキ目の面目躍如よ!」

「ったく、お前らなぁ…」

 

 マックイーンらの独断に沖野が頭を抱えながらぼやく。

チームスピカ、名だたるGⅠウマ娘を輩出し、今や学園最強と謳われるチームだ。

その名声は最早チームの意向だけで動くことを許さず、調整一つとっても常に適切でなければならない、言い換えれば対外的な体裁を整える事を強いられる立場にあった。

 

 が、個性派と頑固者の集団故、言って聞かせられるような相手ではない事はトレーナーが重々承知していた。

 幸いにもテイオー、マックイーンは次のレースまで空きがあり、ゴールドシップはデビュー前だ。調整内容には多少の融通は効く。何より異常な状況を想定した併走は決して無駄では、寧ろ願っても無い好機会だった。

 

「やりすぎには注意しろよ。あとゴルシは着替えてこい、なんで割烹着なんだお前」

 

 

 つまりこれは純粋な鉄砲に非ず。今ブルボンが挑んでいるのは、大袈裟に言えばそう

「2F短縮の叩き二戦目」

 

「…と説明した筈ですが」

「いやーゴルシちゃんそういうの良く分かんねェから」

 

(あーあー、ブルボン先輩飛ばしちゃって…)

 

 ニアーセルジュ越しに遥か前方を征くブルボンを見つめ、エグザクトが苦笑する。

こんな異常なペース、十中八九最後まで持つ筈がなく、直線どころか4コーナーで飲み込まれるだろう。

 ならば相手をする必要はない。何より自分は本質的にはマイラーだ、迂闊に道中のペースを上げる事は危険すぎる。

 

 以前のエグザクトであればそう考えていた筈だ。それが定石である事も頭では理解している。だが

 

(アテられてんなァ。いや、焼かれたってのが正しいかな)

 

 思い浮かべるのは泥にまみれ、嗚咽を漏らし、それでも歩みを止める事なく今日という日に漕ぎつけた二人の先駆者の姿。

狂っている、そう思った。だからこそ頂点に届くのだと感じた。だからこそあの時僅かに自分は届かなかったのだと識った。故に―

エグザクトは苦笑いを浮かべつつ、外に持ち出しニアーセルジュを交わす。

 

(バカがッ、引っ張られて掛かりやがった!)

(って思ってるだろうし、もしかしたら本当にそうかもしれんし。けどなぁ…)

 

 前の壁を失い強くなった風圧に顔を顰めながらエグザクトは尚も位置を上げ続け、

ブルボンとニアーセルジュの丁度中間に位置付けた。

 

(こんくらいの博打打たなきゃ、アンタらに届きそうもねェんだよ)

 

 ブルボンの大逃げが2番手以降が居ないものとする奇手であれば、

エグザクトのソレはミホノブルボンの手を無かった事にする定石。

言うなれば番手逃げをエグザクトは打って出た。

 

「こんだけデカく張ったんだ、ちったぁ良い出目出てくれよッ!」

 

 

(前が動いた…?)

 

 最後方を走るクオンも僅かながら前方に動きがある事に気付く。

前が競り合い隊列が伸びる、後方脚質のウマ娘であればしたり顔を浮かべてもおかしくない展開だ。

 だがクオンは違う。相手を侮っていないからこそ、そして常に悪い目を引いて来たからこその盤石ネガティブ思考。それこそがクオンの持ち味の一つであった。

単純に前が早いからと言って後ろが有利という訳ではない。

 クオンとして最悪なのが、道中13秒弱の入るトリックペース。

何処かで一息入れられたのであれば、その時点でいくら直線の長い府中とはいえ彼女のポジションでは勝ち目は無くなる。だが今動けば終いは確実に甘くなる。行くか、留まるか。時間にして1秒にも満たない間の"長考"の末。

 

(信じよう、私の脚を。皆の本気を)

 

 クオンは最も得意とする後方一気に賭ける事を選んだ。

それがこの大舞台へとたどり着いた自身への信頼の現れとして。

そして何よりもブルボンへ、エグザクトへ、この場に居る全ての強者への最大限の敬意だからこそ。

 

 

 周囲の驚愕と期待とは裏腹に、ブルボンは焦燥感に駆られていた。

まだ向こう正面半ばだというのに、早くも肺には焼けただれるような痛みが走っている。

 

(分かってはいましたが、やはり異常な作戦ですね…)

 

 呼吸をしている筈なのに全身に酸素が行き渡っていないかのような錯覚に陥る。

早鐘を打つ心臓から送り出された血液が、血管を引き裂かんと狂騒する。

だというのに、これ程までの無理を重ねても尚、後方との距離は想定以上に離れていない。

 実際に後ろを見ている訳ではない。ただ長年の経験が、首筋に走るプレッシャーが伝えていた。ペースを誤ったか、曲者が居るか、或いはー

小さくかぶりを振り、ブルボンは更に脚に力を込める。

直線のキレで勝てない以上、ここで速度を緩めるわけには行かない。

 

(4…5…)

 

 確かにこのレース、ブルボンは大逃げという賭けに出た。だが考えなしにハイラップを刻んでいる訳ではない。

変えたのはあくまで戦法であり、ブルボンの精密機械ぶりは未だ健在である。

消耗しながらも予定通りで想定外のラップを刻み続け、

 

(10…11…!)

 

 そうして叩き出したタイムは―

 

「―前半1000mは57・4!途轍もないハイペースとなりました!」

 

 場内のどよめきと歓声がいっそう大きくなる。

変わらず彼女を侮蔑し続ける者も居る。珍走だと嘲笑する者も居る。だが

 

「なんだよこれ、あいつまだこんな…」

「やれんのか…本当に…」

 

 僅かながらだがブルボンの熱に煽られ始めた。

ヒートアップするスタンドを余所に、ブルボンは尚冷静にカウントを続ける。

 

(後は…60…!)

 

 残り1000mのラップを組み立てながら、改めて絶望的な数字だと苦笑する。

前半でこれなのだ。トレーナーが、マックイーンが指摘した通り、とても正気の沙汰と思えないと痛感する。

それでもブルボンはペースを緩める事を善しとしない。

 

(こんなもの…この程度、ライスと比べればッ!)

 

 これまでの艱難辛苦、そしてライスが味わった孤独と苦痛と比べれば、残りの道程など取るに足らないと。

斯してミホノブルボン人生最長の1分間が幕を開けた。

 

 

「ブルボン…ッ!」

 

 今すぐにでも電源を落としたい衝動を堪え、握り拳を作りながら柿田はタブレットの画面を凝視する。レース中継の引き映像ではブルボンの表情は伺えないが、一つだけ分かる事がある。

 彼女は今、命を燃やしているのだと。

 

「なんで…何でこうまでして…!」

 

 滲み出る涙を拭いながら、それでも柿田は画面から目を離さない。

あの日、黒沼とブルボンを止めなかったからこそ、柿田にはこのレースを最後まで見届ける義務がある。

 対してライスはただ何も言わず、微動だにせず柿田の背中越しに画面を見続ける。

レースに対して何かを思う気力すら失ったのか、ひた走るブルボンを滑稽だと嘲笑しているのか、それとも―

 

 瞬間、ライスシャワーの目に小さな、ほんの小さな蒼い炎が灯ったのに、柿田が気づくことはなかった。

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