ウマ娘 After Side B -もう一人の英雄- 作:ニサ
「エーちゃん、どうなった?」
芝の上に大の字に寝そべりながら、クオンは顔だけを向けてエグザクトに弱々しく尋ねる。
「えーっと、大差で4が一番上?」
「んな訳あるかバカ!」
「負けたよ、負け。ハナ差完敗」
鼻整形でもすりゃよかったな、と冗談めかすエグザクトに引き上げられ、クオンは着順掲示板を目にした。
最上段には1の文字が点滅していた。
「…んで、あんま悔しそうじゃないじゃん。ボロッボロに泣きわめくの見られると思ったのに」
「あー…何つーかそのなァ…」
頭を掻きむしると、口を尖らせながら照れくさそうにエグザクトが小さく呟いた。
「…納得してンだよ、クー姐ェはやっぱり強ェって」
「…そっか、そうだね」
素直という言葉から38万kmかけ離れたところに居る後輩からの心の底からの賛辞に若干のむず痒さを感じながら、未だ未完成にして自身と対等に渡り合った天才に対し、クオンは安堵と一抹の寂しさを浮かべてエグザクトの今後に思いを馳せる。
(大丈夫だよ、エーちゃん。君はいつか必ず、絶対に負けたくないと思える相手に出会えるから)
「あーッ!また上から目線で…まだ有馬があるんだからな!つーかクー姐こそ嬉しそうじゃねェじゃん!」
「いやー、まぁねぇ…」
歓喜の叫びも、感極まった涙も出ない。無論嬉しくない訳ではない。どころか至上の喜びを胸の内で噛みしめている。しかし極限を超えたパフォーマンスを発揮した事での反動で体がまともに動かない。
そして何より
(先輩…)
点滅を止めた掲示板を見つめ続け、微動だにしないミホノブルボンを見つめる。
彼女がこのレースに懸けた思いの丈も、今の心情もクオンには計り知れない。だが、ただ一つだけ言えることがある。
「先輩の走り、間違いなく伝わりましたよ」
「…ブルボン」
「素晴らしいレースでしたわ。今は勝者を、いえ、この場の皆を称えましょう。ゴールドシップさんも…ゴールドシップ?」
普段ならいの一番に帰宅、それどころかレース中に興味を失って持ち場を離れるゴールドシップが、あろうことか反応一つ寄こさない。その顔を覗き込み、マックイーンはここに連れて来て正解だったと小さく笑みを浮かべる。
「…面白ぇな、あいつの走り」
ゴールドシップはいつになく真剣な眼差しで、ヨシノクオンを見つめ続けていた。
(先輩があの子に、ライスちゃんに伝えたい事は何ですか?)
あの日、ヨシノクオンが放った言葉がブルボンの頭の中で反響する。
間違いなく全ての力を余すことなく出し切れたと、何よりも伝えたかった事は全て走りに込められたと胸を張って言える。
だが、負けた事もあるが、本当にこれで正しかったのだろうか。なすべき事はこれだったのだろうか。そもそもこの走りに何か意味があったのだろうか。今になって不安が胸中に暗雲となって立ち込める。世界が回転する。自分が何処に立っているかが分からない。
夢遊病の如く黒沼の下に辿りつくと、何かを言う前に黒沼がスマートフォンを差し出した。
「ブルボン、お前にだ」
「マスター…私は…」
「…応えてやれ」
受け取ろうとして躊躇い、引っ込めたブルボンの手を取り、黒沼はスマートフォンを押し付ける。画面には
「ライスシャワー」
と表示されていた。
「ブルボンさん…」
「ライス…」
画面の向こうから響く声に、ブルボンは掛けるべき声が見つからない。
永遠にも思える沈黙の後、スピーカーから明るく、そして力強い声が響いた。
「レース、観ていました。かっこよかったです。…ライスも、また頑張ってみます。
だから、もし戻れたら…また一緒に走ってくれますか」
勿論です、待っています、支えてあげられずごめんなさい。
ブルボンの頭の中で返答が浮かんでは消え、そして何一つとして言葉にならなかった。
「………」
「…ブルボンさん?」
「…あ…うぁ…ああっ…!」
ただ、抱えていた物が堰を切ったかのようにあふれ出し、ブルボンはその場に崩れ落ち泣き続けた。
「重賞を私闘に使うんじゃねえよ」
「枠の無駄だ枠の、他に譲れ!」
「お互い悪役扱いですね」
周囲から飛び交う口汚い野次に、ブルボンとライスシャワーは顔を見合わせ、少しばかり困り顔を浮かべながら苦笑する。
長きに渡るリハビリを乗り越え、数度の惨敗を重ねつつもここまで漕ぎつけたライスシャワーと、あの日精も魂も枯れ果てたのにも関わらず、尚も約束を胸に諦めず走り続けたミホノブルボン。
そんな彼女らを待ち構えていたのは、全部が全部善い物ではなかった。
「うん、でも」
「また二人一緒に走っている所を観られるなんてな…」
「ライスシャワー!信じてるぞー!」
「ブルボン、もう一度魅せてくれ!」
しかし、その反対に二人を応援する声も少なからずあった。
声の元に小さく手を振ると、ライスは小さくはにかみながらブルボンに言った。
「英雄にもなれました」
そんな二人を遠巻きに見つめる姿があった。
一人は私服、一人はトレセン学園の制服。
「なんだ、良い顔してんじゃん」
「よー見えんねェ、表情まで。中山はやっぱ駄目だわ、パドック見辛ぇしポイ捨て多いし高低差凄いでででで」
「二年連続で有馬大敗したからって文句言うんじゃないの」
ヨシノクオンはエグザクトの耳を引っ張りながら、目を細めて二人の姿を見守る。
あの秋天の後、クオンは大衆の期待通り、いや、期待を遥かに超える奮闘を見せたものの、根本的な脚質不利は覆せず有馬は3着に敗れ、そして彼女の想像の通り限界を迎えてトゥインクルシリーズから身を退いた。
それでも、クオンが残した輝きは名立たる名ウマ娘と比べればほんの小さな物ではあったが、伝えるべき物、残すべきものは残せたと、二人の姿を見て満足気に頷く。
少なくとも「誰かのせい」で走る事などなかったのだと。
「クー姐ェ、早くしないと」
「分かってるって、場所取りでしょ。でももうちょい見せてよ、二人の姿をさ」
「いや、ワンタン麺食う時間無くなるよ。あそこ地下だし」
「…よーし、今日エーちゃんが食べたモン全部トレーナーに報告しちゃる」
「悪魔ッ!?」
「今年最初の重賞を迎えました、中山レース場メインレース」
今日このレースで、二人のどちらかが真の意味で勝つ事は無いだろう。
「各ウマ娘、枠入りが進みます」
だとしても、このレースは語り継がれるであろう。
ある人には悪役として、またある人には英雄として。
そして何より、運命に抗い続けた二人が漸く手にした奇跡として。
「体勢完了…スタートしました!」