ホラーだけどあまり怖くないです。
二年生に進級して、初めて彼女に対して抱いた印象は、大人しそうな子、という月並みな感覚だった。
授業終わりの休み時間に、難しそうな文庫本やハードカバーをよく読んでいた。
学校の本には裏表紙にラベルが貼られているが、彼女の本にはそれが無いため、自宅にある本をわざわざ持ってきているのだろう。
ワタシが学校の教科書以外で読んでいる本は、大概が漫画か雑誌くらいで、それ以外の本は大体、頭の良い人が読む何か特別な物だと思っていた。
授業終わりの休み時間、仲の良い数人がグループを形成し話に花を咲かす中、机の引き出しからそれを取り出して読み始める。
席が隣だからだろうか、かまびすしい世間話よりも、ぺらりぺらりとページをめくる音の方がワタシの耳にはよく聞こえた。
そんな喧騒の只中で静謐を纏いながら、ページをめくる姿を日々見続けていると、文字を吸収して学習を繰り返しているロボットか何かなんだろうかと、そんな馬鹿げた考えが割と真剣に浮かんできていた。
ある時は。
「ねぇ、その本おもしろい?」
「はい。」
またある時は。
「教科書忘れちゃったんだけどさ、見せてくれない?」
「はい。」
そのまたある時は。
「体育祭の季節かぁ、得意なスポーツって何かある?」
「いいえ。」
日常会話をはじめ、学校行事等の報連相にいたるまで、はい、いいえ、といった単純な相槌や諾否が返答の大半を占めていたあたりも、ロボット疑惑に拍車をかけたと思う。
そんな彼女と本格的に行動を共にする時がやってきた。
修学旅行の班で彼女を含め、数人の女子とグループを組むことになった。
クラスのみんなが自由時間内に、どういう日程を組むかを検討しあっている中、同グループになった女子達から教室の隅に手招きされた。
「あの人のことはあなたにお願いね」
「私達は私達同士で見てまわりたいし」
「最終的に合流すればいいわけだしね」
何とも勝手な話である。
仲の良い人とだけ一緒に見て回りたいのは、全員同じだろう。
ちらりと彼女の方を見ると、こちらを訝しむようにじっと見つめている。
自身の疎外に薄々勘づいているのだろうか。
ワタシは勝手な要求に憤りこそ感じたが、断る度胸もなく、そのまま了承せざるを得なかった。
通り一遍の打ち合わせを終え、一応何かあった時のため、最後にお互いの連絡先の交換だけはしておいた。
そして修学旅行の当日。
朝から出発し、夕方前には宿泊先のホテルに到着した。
長旅の疲労もあってか各自、部屋に荷物を置いてから夕食の時間までは、自由にしてよいとのことだった。
用意された部屋は畳張りの、いかにもといった感じの部屋で、一人や二人で泊まるならまだしも、四人や五人といった団体客だと、足の踏み場もなくなりそうな、まさに修学旅行生におあつらえといったタコ部屋具合だ。
ワタシ達は邪魔にならないよう、部屋の隅に荷物を置いた後、ワタシと彼女を除く他のメンバーはロビーの売店を見に下の階へ降りていった。
「ねぇワタシ達もどこか行く?」
「......猿回しが見たいです。」
「えっ......」
ワタシがそう聞くと、体育座りの彼女は、少し恥ずかしそうに体を縮こませてそう答えた。膝の上に乗せた腕で口元が隠れている。
猿回しとはあの調教師?と呼べばよいのだろうか、人間が猿に指示を出し、芸をさせる大道芸の、あの猿回しだろう。いやそれよりも......。
「はいかいいえ以外の言葉、初めて聞いたかも」
「そ、そうですか......?」
「うん、初めて聞いたよ、なんだ普段から色々喋ってくれればいいのに......ロボットだと思ったじゃん」
「ロ、ロボッ......いや、違いますけど......。」
「ていうか猿回しなんかやってるの、ここ?」
「バスでホテルに向かう途中、広場でやっていたのが見えたので......。」
「ふーん、そっか......いいじゃん行こうよ?」
「自分で提案してこう言うのもなんですけど......勝手に外に出て大丈夫ですかね?」
自由にしてよいと言われたが、この場合はあくまでホテル内であって外は範囲外だろう。
夕食時間前の集合に間に合わなければ只事では済まないだろう。
でもワタシは......。
「フロントに一声掛ければ大丈夫じゃない?明日からは朝から観光地に行くんだもん、そうなったら猿回しなんか見られないし、実質見られるのは初日の今しかないじゃん」
思い立ったが吉日、というか猿回しは実質今日しかないのだ。
ワタシは別段、猿回しに興味があるわけではなかったが、初めて彼女が口にした願望なのだから叶えてやりたい、といった同い年相手に抱いた親心のようなものが規則よりも優先されてしまった。
「それじゃ行こっ!ほらっ」
「あっ......はい......。」
しゃがんでいる彼女に手を差し伸べ、彼女がワタシの手を取る。
ワタシが引っ張って少し強引に立たせた後、そのまま一緒に部屋を出た。
部屋に鍵を掛け、エレベーターで一階まで降りる。
フロントには夕食の時間までには戻る旨を伝え、ホテルの外に出た。
「猿の芸って凄くない?竹馬乗ったりしてさ、犬よりも少し違うって言うか......」
猿回し自体は20分程で終わった。
その後は猿に休憩を与えてまた公演を再開する。
一日の公演はこれの繰り返しらしい。
一回の公演にかかる時間も、大体20〜30分前後らしく、ワタシ達は運良く丁度始まる頃に見られることができたわけだ。
猿回しを見終わったワタシ達は近くのベンチに腰を下ろし、ワタシはというと、先程の猿の多芸さに少し驚いていた。
ドッグショー等も当日のために、日々訓練された犬が目にも止まらぬ速さで、柱を飛び越えたり、またはジグザグ走りで躱したりと、あれもかなり見応えがあるが、手を使うことのできる猿には犬には無い芸の幅を感じた。
「まあ猿なら犬よりもできることは多いでしょうね。」
「だよね!やっぱりヒト科の動物だと違うんだろうね」
「ニホンザルはヒト科の猿ではなくて、オナガザル科ですよ。」
「え?オナガザルって言っても尻尾無いじゃん?」
「尾がなくてもオナガザルらしいですよ。何でも尻尾は退化したとか。」
「ふーん、そうなんだ」
リスくらいの大きさの手乗りのサルと人間が、近い存在ではないことくらいは、知識が皆無のワタシでも何となくそうだろうと思ったが、ニホンザルですら人間とは遠縁の存在であるらしい。
「すいません。少しお手洗いに行ってきますね。」
彼女はそう言ってベンチを立ち、公衆トイレに向かう。
ワタシは立ち上がった後の彼女の姿を少しだけ見送ってから視線を戻す。
そしてポケットから携帯電話を取り出して見つめる。
携帯には猿回しを見終わった後に、調教師が販売していた特製のストラップが付けてあり、彼女と一緒に購入してお揃いにしたのだ。
そうやって携帯を空に翳し、しばらくの間それをひらひらさせていた。
「お待たせしました」
彼女は思いの外、すぐに帰ってきた。
「もっと面白い物があったんで行ってみませんか?」
「面白い物って?」
「行ったら分かりますよ」
行けば分かるのは当然だ。身も蓋もない。
しかし先程の猿回し以上に興味を催すものがあったのだろうか。
「きっと気にいると思うんです」
そうして今度は彼女が手を差し伸べる。
ワタシがそれを掴もうとすると、自身の手を少し翻し、ワタシの袖......手首の部分を掴んで立たせる。
(手、触られるのもしかしたら嫌いなのかな......?)
掌同士の接触を避けた一連の動作に、わずかな違和感を覚える。それよりも......。
「あの、もう手離していいよ?」
優しく手を取るというよりも、決して離すまいという力強さを感じる。
「ああ、ごめんなさい、じゃあ行きましょうか」
そうして彼女は掴んだ手を、その自らの五指の一本ずつを丁寧に剥がして、ゆっくりとワタシの手から名残惜しそうに離れていく。
本当について行っていいんだろうか。
夕食の時間もさる事ながら、今の彼女に対してついて行くことの方が何故だか余程不安だ。
何だかさっきまでの彼女とは何か違うような気がする。
ワタシは軽く頭を左右に振って、その考えを払拭する。
おそらくそれは、ワタシと時間を共有し、打ち解けてくれたが故に、少し大胆な振る舞いになっているだけのことだろう。
そして何よりあの時、彼女を頼みを優先したいと思ったのはこのワタシだ。
「......いいよ、行こう」
「決まりですね」
感謝の微笑みは、嫌な笑い方だった。
口角を吊り上げ、歯を見せた妙に動物的な笑みだった。
そうして彼女の先導のもと、筆舌に尽くせぬ不安を抱いたまま歩き出した。
どのくらい歩いただろうか。
段々と温泉街から離れていき、人の喧騒と硫黄の匂いは徐々にその濃度を薄くしていく。
何処へ行こうというのか、何があるというのか。
「本当にこんなところに何かあるの?」
何度目か、彼女に問う。
「もう少しです」
返答も何度目か、もう少し。
ワタシが聞く度に、振り向きもせずもう少しの一点張りだ。
変だ。いくらなんでも、ちょっと変だ。
「ねぇ、さっきから何か変じゃない......?」
「この先です、端なんです」
「向こうに何があるの......?」
「いいから」
振り向いた彼女がそう言って、ワタシに一歩近づく。
ざっ
摺り足気味に踏み出された足は、しんと静まり返った中に細かい砂利を擦り、乾いた靴音を響かせた。
彼女が一歩、前に出る。
ワタシが一歩、後退る。
彼女が一歩、前に出る。
ワタシが一歩、後退る。
「行きましょう、ね?」
そういって彼女はワタシの手首を掴もうとする。
寸前、ワタシは咄嗟に腕を引っ込めたので手首ではなく手を握られることになる。
「っ!」
即座に振り払った。それの手を。身を翻して、すぐ駆けた。
あの時に触れた彼女の手の感触とは全く異なる水分のない乾燥した手のひら。
振り返らなかった。振り返えってしまえばそれは本当の姿になってそうだったから。
とにかく偽物の遠くへ、とにかく本物の近くへ、我武者羅に走り続けた。
どれだけの距離を駆けただろうか。
目は開いていたのに、景色は見えていなかった。
両膝に手をついて、息を切る。呼吸の度に喉から、ひゅうひゅうと空風のような音が出る。
俯いた顔から、汗が地面にぽたぽたと落ちる。
足は棒と化し、心肺も限界に近づいていた。
しかし追いつかれたらと思うと、顔から血の気が引く。
今すぐに、もっと逃げなければ......。
「あ、あの......大丈夫ですか?」
ふと掛けられた声に、ばっと勢いよく頭を振り上げる。
その様子に声を掛けた女性は身を少し引いてたじろぐ。
彼女だった。
ベンチの傍に立って、ワタシの様子を心配そうに窺っていた。
手には先程一緒に買った、猿のストラップを付けた携帯電話を握ってる。
電話をかけようとしてくれたのだろうか。
「あの、どちらに......うわっ!?」
嬉しかった。
お揃いで買った猿のストラップが、目の前の彼女を本物だと証明している。
先程までの恐怖が霧散し、代わりに無際限の安心感に満たされる。
恐怖から一転した安心に、涙が出そうになるが、汗みずくになったせいか、涙に回せる水分がどうにも無いらしい。
ワタシはずっと彼女を強く抱きしめていた。
好奇の目を避けるために、彼女は何とかワタシを引き剥がそうとしたが、それでも強く抱きつくものだから、ワタシが落ち着くまでそのままでいてくれた。
その後、多少の平静を取り戻したワタシは、先程のベンチでまた二人一緒に座っている。
「いやあ、びっくりしましたよ。顔を上げた時、私は鬼かと思ってしまいました。」
あの時のワタシの顔は、汗で赤く蒸気した顔に髪が纏わりついて、さながら幽鬼のようだと彼女はくすくすと笑った。
「もう!ワタシ凄く怖い思いしたんだから!死んじゃうんじゃないかと思ったんだから!」
ワタシは、先程自分が体験したことを彼女に話した。
「もしかしたら猿に化かされたのかもしれませんね。」
「猿?」
「はい。人を騙すのは大体、狐や狸と相場が決まっていますけど、経立や猿神のように、人に化けたり、人を攫ったりといった猿の妖怪も、存在しないわけではないですからね。ああ、後はヒサルキも最近だとその類なんでしょうか......。」
「ヒサルキ?」
妖怪の名前なんて河童や天狗しか分からないワタシには、今言われた妖怪の名前は全て初耳だ。
「はい。確か最初は2000年代のインターネットの匿名掲示板に発見?体験?......談が投稿されて、それを皮切りに複数の報告がなされていますね。何でも死んだ動物の皮を被り、姿形や声音を変化させて人を欺くとか......。」
「妖怪なんてそんな......それに最後のやつなんて、2000年代ならネットの作り話なんじゃ......」
「創作も何も、事実じゃないんですか?他ならぬあなたが、今さっき体験したんですから。」
「............」
「それに怪異なるものが存在しないという場合は、無いという証明が必要です。何事も有るの証明なら大して骨は折れません。ですが無い証明は、あらゆる事実を全て削除してしまわないと、成立しないのですから、とてもじゃないけど不可能です。」
否定的前提の証明が実質不可能であるというならば、彼女が教えてくれたヒサルキという妖怪は現実に存在し、先程までワタシを誘拐しようとしていた......。死んだ動物の皮を被って他者を偽り......。
「死んだ動物の皮を被って騙すって......」
「わ、私は死んでいませんよ!ここにいますから!おそらく、死んだ動物の皮が変化するのに必要な道具なんでしょう。狐や狸が頭に葉っぱを乗せて変化するように。」
「じゃあ、その皮ってやっぱり人間のだったり......」
「流石にそれはないと思いますよ。現代社会で死んだ人間を手に入れるのは難しいでしょうし、せいぜい猿が限界でしょうね。」
猿の皮で人間に化けられる妖怪......。
狐や狸が頭に葉を乗せて、くるりと宙を一回転して別の存在に変化する描写を、昔何かのアニメで見た気がするが、そんなファンシーな方法とは程遠い悍ましい変化である。
「仮に猿だとして、オナガザル科のニホンザルなのは、せめてもの救いかもしれませんね。この国にチンパンジーやオランウータンのような類人猿が生息していたら、それらの皮を被ればもっと上手く化けられていたかもしれません。」
あれよりも更に巧妙に、本人と毫も変わらない姿形と振る舞いで連れ去るのだろうか?
あの時と違って違和感を覚えず、手を取って森の奥へと消える自分......。
それを想像すると、目の前にいる彼女は確かに本物のはずなのに、何故だか急に怖くなった。
「ねぇ......手、握ってもいい?」
「えっ?あっ......。」
言うが早いか、彼女の手をぎゅっと握る。
二度目の感触だった。
間違いない、本物だ。
「ふふ」
「......どうしたんですか?」
「いや、本物なんだなぁって」
「私は本物ですよ。」
「......それとね」
「それと?」
「ロボットじゃないんだなって」
「もう、だから違いますって。」
「ふふ、ごめんね」
もうしばらくこうしていたいと、ワタシは思っ
た。
最後までお読みいただきありがとうございます。