シスターさんがなんか油田があるらしいと言っている
(どうして、こんな地の果てのような場所にきてしまったのだろうか。)
秋津島皇国・陸軍魔導師。秋津中尉は空に浮きながらぼんやりとそんなことを考えていた。上を見ると曇り空が広がり、眼下にはただ草原だが砂漠だか曖昧な── 要は、大八洲に住む中尉には形容し難い光景が広がっている。
マンチュリア。極東は秋津島皇国と呼ばれる弧状列島の西側、高麗半島の上にある広大な大地である。かつて極東の大帝国であった大金帝国の故地であり、4億の中原の民からすると万里の長城の向こう側であり、文明から離れた場所。多くの騎馬民族が勃興した化外の土地。ということだ。
その化外の地ではいまから15年前、秋津島皇国・帝政ルーシが激突。2つの陸上決戦と、半島沿岸で行われた艦隊決戦の勝利により、世界は秋津島皇国を列強の一つと認めることになった。
戦争の結果この大地は一応、秋津島人の勢力圏ということになっている。
実際はいくつかの鉄道と鉱山や街という点と線を抑えているに過ぎない。
とくに北の国境はあいまいだったから赤いルーシ人の国である連邦の勢力圏との小競り合いはあったし、その他武装勢力がひしめいている。
なお、万里の長城の向こうでは三国志もかくやという戦争のあと大漢が成立している。
そんな場所にいる彼は、空中に一人だった。本来の魔導師の任務を考えれば単独ということはあり得ない。現状は普通の任務でないことを示していた。
石油試掘の護衛。それが中尉に与えられた任務だった。何名かの技術者と作業員、そして機材を護衛するのだ。だが、腑に落ちないことは多い。
確かにこの荒野は危険だったが、国境からは遠い。そのうえ馬賊── 馬に乗った山賊で、大規模なものは数万人の軍隊になる の領域から離れているから、護衛は少数の歩兵で良いはずだった。魔導師をつけるのはいかにも大げさだ。
仮に魔導師を投入しなければならないような危険地帯ならば、当然敵は大部隊になる。すると、一人では到底守り切れないから、秋津中尉にできるのは警報を発して逃げるように促すことだけだ。そんな危険な場所ならせめて、一個魔導師小隊は欲しい。
そもそも魔導師は最小でも二人一組が基本だった。
当然だがそんな場所では悠長に地質調査などできるわけがない。命令それ自体がおかしなものだった。
もっとも、出発してから今まで、襲撃どころか自分たち以外の人影を見ていない。もちろん、油断はできないが。秋津中尉はそう考えていた。
下を見ると、作業は進んでいるらしい。足元に見えるテントとその周辺では、何人かの作業員が蓄音機の化け物のような機械を弄り回していた。それは地中を調べる装置と事前に説明を受けていたが、たいそう高価な舶来品だから壊してくれるなということしか、秋津中尉にはわからなかった。見える範囲では、3か所同じような装置が動いているらしい。
はじめは空を飛ぶ中尉が珍しかったのか、ときどき手を止めて秋津中尉を見る作業員もいたが、本格的に仕事に入ったらそれもなくなった。
(こんな場所に、本当に石油などあるのだろうか)
秋津中尉は上空から作業を見ながら、何度目かわからない疑問が湧いてきていた。
秋津島皇国は、資源がないという。
実際には鉄鉱石や石炭などそれなりの資源は出るが、石油とゴムに不足していることは子供でも知っている。だから、石油を探すという理屈は分かるが、マンチュリアでは以前から石油探索は失敗していると出発前に読んだ記憶があった。
(マンチュリアの地層と皇国の地層は似ていて、そこでは石油は出ないそうだが)
秋津中尉自身がハッキリと記憶しているわけではなかったが、この当時の地質学の学説によれば石油は第三紀層背斜構造とよばれる特殊な地層でなければ産出しないというのが定説であった。
皇国の新潟や北樺太でも石油は出るが、世界の産油地帯に比べて油の質や成分など条件が悪く、何より量が少ない。とにかく、子供向けの解説ではそのように言われている。
それでも北樺太の油田は開発が進んでいたが、石油産業の発展で工業化は進んでも、逆に特殊鋼材や重機などで海外への依存が高まったし、ガソリンやオイルなどは輸入が必要だった。
また石油で成長した産業はさらにそれ以上の石油を求めたから一長一短だった。
もっとも、秋津中尉はそのような背景までは考えていない。ただ、この調査が上手くいくのか懐疑的なだけだ。
9月だというのに、マンチュリアでも北の方になる調査地はかなり冷える。秋津中尉はベルクマン短銃の掛紐がかかっていることを確認した後、慎重に腰のベルトに付けられた補助宝珠に意識を向けて、体を少しでも暖めようとした。
目を少し向こうにやると荒野の中にポツンとある大岩の上に、人影が立っているのが見えた。地上なら大分離れた場所になるはずだ。
岩の上ではシスター服姿の女性が手を組んでうつむいている。祈っているのかと、秋津中尉は思った。
もし、秋津中尉にその気があれば、ズームした視界に時おりうつむいたベールの下からちらりと見える素顔から彼女が金髪碧眼のシスターであることが分かるはずだった。この寒空のしたで、ときどき首にかけてあるらしいロザリオに触れている。
秋津中尉にはそこまで見えていない。彼には黒いシルエットが見えているだけだった上空にいる彼は風変りな耶蘇教の尼さん、いやシスターさんか。と思っている。
(そういえば、時間がなくてあのシスターさんの名前、一度も聞かないままだったな)
突然、首の後ろがチリチリするような感覚に襲われた。
魔導反応。
ベルクマンを構えて周囲を見回す── 目だけではなく、感覚を研ぎ澄ますことで魔導師の反応を探る だが、それらしい反応はすぐに消えた。
不安になり、ほんの少し逡巡した後、眼下の作業員にそれを伝えようとしたとき視界の端にシスターが写った。
あのシスターが、こちらへ向けて手を振っている。
××××× ×××× ×××× ××××
「とりあえず、終わったがね…… 」
日没近くになって、その日の調査が終り、テントの中にはリーダー格の学者── 敷島という と秋津中尉だけがいた。ほかの技術者や作業員たちは他のテントで作業をしているか、あの蓄音機のお化けを片付けている。
敷島は秋津中尉の方を見た後、荒野に目を向けた。シスターはまだ、あの大岩の上にいるらしい。
降りてきてすぐ、魔導反応について真っ先に敷島に報告をした。だが、敷島は反応が敵だったのか尋ね、違う。と答えるとでは、何が問題だったか、機材のせいか、と言い、どうも、嚙み合わない。秋津中尉はそれ以上言わなかった。
敵を見つけるのが秋津中尉の仕事だったし、一瞬の反応だったのだ。場所もわからないなら意味がない。だいたい、敵魔導師と呼べるものはここの半径200キロ圏内には存在しないはずだった。
「……なにか、見つけたのですか」
話題を変えようと、秋津中尉は改めて聞いた。「わからん」敷島は、突き放すように言った。
「魔導による地中探査は、まだ開発途上だ。真っ当な調査なら── ここら一帯をマイトで爆破して人工地震を起こすのが正しいが、それでは時間がないというので、こんな方法を──」
秋津中尉は途中で話を遮った。話が見えてこない。だいたい、ここに魔導師は自分一人ではないか。そう指摘すると、敷島は怪訝な顔をした。なにか、勘違いをしていたらしい。
「……さっきからどうも話が嚙み合わないとは思っていたが……中尉さん、本当に何も知らずに上を飛んでいたのか」
秋津中尉はええ、とだけ答えた。敷島は顎を掻いてきながら、「あのシスターさんについても? 」と言った。先ほどより柔らかな口ぶりに聞こえる。
「合流まで説明は受けていませんでしたから…… そのあとも聞きそびれてしまって。自分は、あの…… あの人の名前も知らないのです」
ふん、と敷島は軽く鼻を鳴らした。緊張感がやわらぎ、纏う空気も柔らかくなったように感じた。
「あの子も魔導師だよ…… 中尉さんと同じだ。今回の調査の機材を動かすにはあの子が必要不可欠だった。さっき言いかけたが、魔術を応用した地中探査だ」
中尉さんは事前にご存知だったのではないか。と続けたが、秋津中尉には初耳だった。調査への合流が突然だったから、そのあたりの事情など全く説明を受けていない。
それならあのとき感じた魔導反応や、それについて敷島の反応が鈍かったのも説明がつく
そんな秋津中尉を見て敷島は肩をすくめた。警戒していたのが馬鹿らしい。そう態度で示していた。
「まさか、とくに理由もなくただのシスターを連れ回していた。なんて思っていたのか」
地図も録にないような場所の道案内なら馬賊か亡命ルーシ人か、とにかくもっと険吞な人種のはずだ。常識的に考えてみれば、こんな僻地の調査に、ただのシスターが同行するはずもない。だが、指摘されて初めて自分の考えのおかしさに気が付いた。
「ルーシ人の道案内と思っていました。シスター…… さんとは変わっているな、程度は思っていましたが、調査員だったとは」
「調査員ではないがね。そうか。兵士よ問うことなかれ、か。まあ、こっちもあのシスターについて聞かれても、ほとんどわからないからな」
目を細めて敷島は向こうをみた。件のシスターがテントに向かっている。
「道案内か……まあ、それもある。あの子は軍から付けられたんだが、魔力については戦闘には使えない程度らしい。だが、補助してやると色々使い道がある。最近の東鉄や内地の財閥の一部じゃ、そういう魔導師を集めて使っている」
「東鉄や財閥が魔導師を、ですか?」
東鉄。東亜鉄道は秋津島皇国が大陸にもつ鉄道の運営母体だ。陸軍はその東亜鉄道の路線や沿線にある付属地域・秋津島人居住地の警備を担当している。
そうだ。と答えると、少し離れた場所にあったまだ片付けられていないあの蓄音機の化け物のような機械に目を向けた。
「さっき言ったマイトで爆破する──地震探査法というが、要するに爆薬を吹っ飛ばして地震を人工的に起こす。そして地震計の反応から石油がありそうな地層を探すのさ。地層によって、地震の波の伝わり方は違うからな。だが、実際に石油があるかは、掘ってみないとわからん」
そこまで言い切ると、次からはややぞんざいな口調になった。
「だが、あの機械は地下に流した魔力を拾い上げて、地中にある石油そのものを探せるらしい。正確には地中にある物体だが……」
その次の言葉は、声を小さくして言った。
「一応、俺もあの機械の開発にかかわったが、俺には魔力なんてもんはないから、確かめようがない。そして魔力無しなのはここにいる全員一緒だ。あのシスターさんと中尉さん以外はね」
秋津中尉にとって東鉄が魔導師を民間で運用していることは初耳だったし、地質調査に魔導師を使っていることも初耳だった。しかし、口ぶりからすると、敷島にとって魔導技術というものがどこか信用できないものであるらしかった。
確かに、自分も検査を受けて実際に飛ぶまで信じられなかったが。なにより、魔力探知を石油探しに使うとは秋津中尉にはない発想だった。否普通の魔導師にはないはずだ。
そこまで秋津中尉は考えて、ふと、引っかかるものがあった。シスターが道案内である。という部分だ。
「なるほど…… 調査については分かりました。ところで、道案内も兼ねている。というようにとおっしゃっていましたよね。つまり、魔導探知でおおよその場所を探して、そのあと地質調査に入る。ということでしょうか」
「道案内、か」敷島はいよいよ困ったように言った。そして、出し抜けにこう言ってきた。
「中尉さんは、ここの地名を何というか知っているかい。平原のここ一帯のことさ」
唐突な質問だった。地名もなにもここでは測量は満足に行われていないはずだから、細々した地名はない。そもそもここに住む遊牧民は地名を必要としない人々だ。
例えば、魔導師用の地図には座標があるだけだがそれも魔導師だから役立つものだ。無論、帝都の大図書や東鉄測量部にある地図には名前があるだろうが、そこにも大雑把に北マンチュリア平原という意味の単語が、ルーシ語・マンチュリア語・大漢語の地名がそれぞれ併記されているだけのはずだ。
「地名、ですか。ここは北マンチュリア平原で…… 座標は」
「いや、座標じゃない。言いにくいがこの調査地の地名、いや、油田の名前だな」
ここで敷島は懐から出した帳面の表紙を秋津中尉に見せ、早口で喋った。
「大慶。大きいに慶事、慶びの慶でタイケイというらしい。あの子はそう言っている」
「大慶…… ですか」
そう言って敷島は懐から出した帳面を広げて見せた。気恥ずかしいのかすぐに引っ込めたが、地質調査について書かれたメモの隅に確かに「大慶」という文字がある。
秋津中尉は記憶を探るが、事前に渡された地図にはそのような地名はなかった。名無しの荒野だからだ。無論、皇国や大漢でもそんな地名はなかったように思える。
「そう呼んでいた。だからさ、私も信じちゃいないが、ゲン担ぎに名前だけは控えておいた」
たしかに仲間内でなら秋津島皇国の言葉で名前を付けてしまっても良い。調査地何号。というより気が利いているかもしれない。
秋津中尉はすぐにこの会話に違和感を覚えた。敷島の言い方からすると、大慶というのは正式な地名ではない。シスターが勝手に言っているだけではないか。
だいたい、油田の名前とはなんだ。油田があるかないかもわからないのに。この敷島という学者はあるかも不明な油田の名前を信じているのか。それも、専門家でもない一人の思い付きから。
「その油田は、大慶と…… 新しい中国を建国した人々はそう名付けました」
いつの間に近づいたのか。名付け親であるシスターがそこにいた。
秋津中尉は初めて顔を見て驚いた。明らかに西洋人の顔つきだ。それに、思ったよりずっと若かった。髪色は金髪らしい。
さっきは明るさの加減で見えなかったが、尼僧服は青色で、帝都で見たシスターさんが被っている頭巾─ウィンプルという名前は後で知った を身につけている。
修道服は明らかに防寒着として不適格だ。どう考えてもこの寒いマンチュリアでする恰好ではない。厚手のオーバーコートを着ている敷島や、空中勤務用の外套を着たままの秋津中尉と比べれば尚更だ。
「どうも、マリアさん。お祈りは終わりましたか。ああ、今日のデータは取れましたから。とにかく明日は記録用紙を見てみないと」
敷島は早口でそう言って、マリアと呼ばれたシスターを別のテントに案内しようとした。どうも、秋津中尉と会話をさせたくないらしい。
「……本来の歴史なら、発見されるのは半世紀以上先の話……いえ、この世界ならもっとも早いでしょうか。新国家を作った中国の人々は、石油がないはずの祖国で大油田が見つかったことを大いに慶んで、大慶と名付けたそうです」
「中国? 大漢のことでしょうか。それに、20年後に見つかるとは?」
「……大慶の発見によって、新中国の工業は大いに発展しました。発見からそのまた半世紀後には、中国は世界第二位の大国となったのです」
シスター・マリアは秋津中尉を気にせずに続けた。秋津中尉は何も言えなかった。ただ、たった今言われたことを自分の中で繰り返していた。何を言いっているのだ。とは思わなかった。
理解できないことを言っているのにどういうわけか理解できてしまう。それが歴史だと、未来の歴史だとなぜか受け入れてしまうのだ。
しばらく沈黙が続いたあと、それを破ったのはやはり敷島だった。
「マリアさん、中尉さんを困らせてはいけませんよ。みんながあなたの冗談に慣れているわけじゃない。とくにこの秋津中尉殿は、SFは苦手なようですよ」
「あら、私は冗談なんていっていませんよ」
最後のほうで秋津中尉に目を向けて、そうでしょう。と言っていた。もう、いいからと敷島が押しのけるようにマリアここから連れていこうとしたとき、思わず、秋津中尉は言った。
「皇国は、では未来の秋津島皇国はどんな国でしょうか?」
言ってしまった後に、間違いに気が付いた。シスター・マリアから笑みが消え、敷島は何を言い出すのだ。という顔をしている。
「秋津中尉なら、どんな国にしたいのですか?」
柔らかいが、断固たる口調だった。曖昧な答えを許さない。そんないい方だった。
面食らったが、同時に秋津中尉は自分を恥じた。確かに、未来が見える人間に軽々しく聞けることではない。
秋津中尉本人は全く気がついていなかったが、彼も敷島と同じようにどこか別の世界の歴史を語る彼女の言葉を受け入れているようだった。
ほんのしばらく、三人とも黙っていたが、マリアは敷島に向き直り、何か布に包まれたものを渡した。敷島はいくつか会話した後、マリアとともに別のテントへ行ってしまった。
時間にすれば10分もないようなものだったが、あのマリアというシスターとの会話はずっと長いようなものに秋津中尉は感じていた。そして、我に返るといまここには自分の役割がないことを認識し、明日の調査── 行われるとすればだが に向けた飛行計画を練ろうと懐から地図を取り出した。
空戦魔導師用のそれは、空中で見やすいように絹に書かれた地図をたたみ、薄い木の板にクリップでとめたものだ。表には今日の調査部分の地図が見えることになる。
それを見て、秋津中尉は絶句した。
地図に大慶第二油田という文字と、油井を表す記号が書かれていたからだ。
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