北マンチュリア平原の中でもこの一帯は草原と赤土の境目だった。
自然のどういった働きかはわからないが、赤土の上に草原が点々とあるのだ。
秋津中尉が今飛んでいる高度からみると、赤土に緑の絵の具を点々とつけたように見える。もっと誌的な表現はありそうだったが、今の秋津中尉にその余裕はなかった。
空中姿勢を崩さないように顔を下に向けると眼下にゴマ粒の集まりが見える。どこかの中隊らしい。
秋津中尉はそれを確認し、大きく旋回して距離をとる。間違いなく、眼下の中隊は自分の存在に気が付いたはずだった。中隊がもつ無線では秋津中尉と互いに連絡を取ることはできないが、こちらから呼びかけることはできなくとも、今からの行動で気がつくはずだ。
中隊から離れ、されど大地の丸みに完全に隠れないギリギリまで距離をとる。それらしく見えるように術式を構築、誰もいない草原に向けて発射する。
秋津中尉が持っている宝珠も、腰の補助宝珠にも爆裂術式はない。だから、今撃ちこんだのは警報用えん幕弾に拡散の術式をこめたものだ。
地表で爆竹を何倍にも大きくした破裂音が連続し、その後に爆音が響いた。土煙の中に閃光が走った。
いかにも効果を確認した風を装って周囲を一回りし、そのまま中隊がいる場所に向かう。
本来、対地攻撃の前には同士討ちを避けるために事前に連絡をとるか、連絡筒や信号弾の投下で警告を発する。なにもしてないから撃たれはしないだろうかと思ったが、そのようなことはなく、手を振っている兵士が見えた。
「都督府派遣軍総司令部付、陸軍魔導師、秋津中尉。ここの指揮官はどこか」
秋津中尉は手近にいた下士官に声をかけて本部に向かうことにした。この後は指揮官にあって一芝居打たねばならない。
周囲では先ほどの攻撃について皆口々に言っている。
見た目だけの術式だが、似たようなものは内地でも研究されている。だいたい、個人ならともかく、大陸に派遣された部隊が対地攻撃術式に見慣れているとは思えない。
観測すればバレるかも知れないが、そのときに秋津中尉はここにはいない。
案内された本部は簡素なものだった。移動中だから中隊長本部といってもそれらしい天幕のようなものはない。草の上に折りたたみ式のテーブルと広げられた地図、電話機を背負った兵士に下士官が何名かがいるだけの場所だった。
偽装はないが、中隊の戦闘正面やこの辺の勢力の装備を考えれば不要ではある。
中隊長はいまどきに珍しい鍾馗ひげの大男だったが柴田中尉より若い人間だった。
秋津中尉は所属と階級を名乗り、手短に自分の対地攻撃と大隊本部からの命令を伝える。
命令は石原中佐からで、偽の命令だった。
「なんだと、攻撃地点に転進しろというのか」
「騎乗歩兵300から400が背後に回り込もうとしています。単車とはいえ一部は自動車化されており、チェッコ銃と迫撃砲までいますから、火力は高いかと」
「……えらく装備がええな。そんなのが近くにおったか」
中隊長は隣にいた別の下士官を少し睨んだ。有力な部隊の存在に気がつかなかったことを叱責するつもりだったようだが、自分の手前やめたようだった。
(※チェッコ銃とは敵が使用する機関銃の総称である。大漢軍や軍閥が使う機関銃は帝国製が多かったのでこう呼ばれた。必ずしも帝国製というわけではない)
目の前で派手に吹き飛ばして見せたから、中隊長殿は有力な敵兵力について疑いはしない。そして魔導師が伝令を務めることはおかしなことではないから信じるはずだった。
「自分の隊が背後に向かう敵を叩きます。どうも敵は想定より多いそうですから、中隊長殿は攻撃開始地点にて弾薬の受領と再編成を。このことは大隊本部も確認しております」
秋津中尉は上を指さした。空にはぼやけた人型の黒いもやが浮いている。オバケといわれる、空戦用のダミーだった。が、慣れていなければ空中に魔導師がいるように見える。
中隊長以下周囲の人間は手をひさしにしてみているが、ハッキリと見えないはずだった。仮に双眼鏡で見たとしてもぼやけた人型が見えるだけのはずだ。
「中隊といっても、ここには3名だけです。あのように偽装して上空に待機させていますが、とにかく我々が背後の敵は叩き、周囲の脅威を排除します」
「事前の計画では魔導師は出てこない予定だったが、そうか」
反応からしてこの中隊長殿は納得してくれたらしい。命令通り、自分たちが最も敵の有力な部隊に近いため広がりすぎた部隊を一度集結させて後退するようだった。
一般に地上部隊の指揮官はあまりあてにならない魔導師については期待をしないようにしている。が、実際に魔導師による支援があるのは当然ながら喜ぶ。
一方で有能な指揮官なら魔導師の存在自体が厄介な状況を示すことも忘れない。秋津島皇国陸軍において貴重な対地支援が回ってくるという事は、それだけ事態が容易ではないことを示しているからだ。もし、歩兵独力で押し返せるなら魔導師による攻撃は不要だから尚更だった。だから、中隊長は直ぐに後退を決断した。
つまり、秋津中尉の芝居を有能な中隊長殿が誤解してくれた。ということになる。
「都督府派遣軍、作戦参謀の石原中佐が補給その他の手配を行っています。それに、これは未確認ですが、魔導師と交戦したという報告もあがっております」
すぐ後ろの大隊本部では無線が通じていない。都督府派遣軍の通信体系では、通常時では中隊が大隊以外に連絡することはない。
では、といって秋津中尉はそのまま飛び上がった。このままここにいてはぼろが出る可能性があるし、なによりあまり中隊長に自分の印象を残したくなかったからだ。
そうして、北マンチュリア平原を飛びながら秋津中尉は苦々しい思いに囚われていた。
石原中佐が言った「バカどもを止める方法について」が、偽命令と不正確な情報伝達、ともかく軍人としてやるべきではない行動だったからだ。
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秋津中尉や敷島技師との会話から丸一日たっている。石原中佐が来た時ほとんど空き家のようになっていた基地に、いまでは完全武装した兵士たちが集結していた。マンチュリア全土占領とは直接関係のない部隊だ。
秋津中尉が各部隊に偽命令を各部隊にばらまいているとき、石原中佐は基地内で地図を睨んでいた。
とりあえず、仕事のない独立守備隊や高麗にいる部隊に声をかけて自分の下にとりあえず2個連隊の部隊をかき集めていた。東鉄が南マンチュリアにおける鉄道網を完成させていたこと、この謀略に備えて優先的に軍の移動ができるように都督府派遣軍で調整がされていたためだった。
あと3日あれば自分の下に1個師団程度── 人員が足りないため形だけだが の兵力が集まる。高麗軍も国境を越え、1個師団がマンチュリアに入るはずだった。後者については皇国政府と問題になる可能性が大いにあったし、勝手に自国の軍隊を動かすよりも大きな問題だったが、抜けた部隊の穴埋めには必要であったし、その問題に対処するのは高麗政府と皇国であるので石原中佐の知ったことではない。
(ただ土地を稼ぐだけのやり方では必ず行き詰る)
石原はそう考えていた。純軍事的にみてマンチュリア全土の軍閥・馬賊を殲滅するのに対して手間はかからない。2週間もあれば十分だろう。
だが、例えば生き残りが北マンチュリア平原のさらに北、連邦との国境に逃げてしまえば面倒なことになる。そこを基地にして攻撃をされれば厄介だし、情勢の悪化を理由に連邦が北からやってくる可能性もあるのだ。
マンチュリア全土における皇国と連邦の勢力圏は単純にいえば鉄道線にかかっている。
地図で簡単に考えると円形に近いマンチュリアの下3分の2に大きく丁の字が書かれていると考えれば良い。
この丁の字の縦棒が秋津島皇国の支配地域である『東鉄(東亜鉄道)』の領域である。
そして、丁の字の横棒が連邦の勢力圏である「東秦鉄道」だった。軍事的にいえば大漢との共同警備地帯であり、秋津島皇国のように軍を派遣しているわけではない。
ちなみにこの丁の字の上にはちょうどシルトべリア鉄道がある。
(油田が、あまりにも北によりすぎているな)
石原中佐は地図を見て思った。マンチュリア全土占領は良い。だが、その中心が自分でないのはどういうことか。
さらにその先、彼らが考えている北進(連邦のシルトべリア地域への進出)も南進(大漢侵攻)も正気ではない。
さらに話がややこしいのは油田の発見だった。この油田があの予言のように極東最大級の油田だとすれば、前提から狂ってしまう。
以前、連邦として東秦鉄道はあまりにも敵の勢力圏に近すぎ、また費用の割には開発に手間がかかるため、秋津島皇国か大漢に売り払い、シルトべリア地域の開発に力を入れようという方向に進んでいた。
が、発見された油田は東秦鉄道の沿線に近かった。もちろん、油田が正式に稼働するのは数年かかるし、列強諸国が油田の存在を感知するのは暫くかかるはずだから即座にどうこうということはない。だが、油田の存在を隠しておける時間も長くはないのだ。
(いっそ、油田が見つかったのがあと1年遅ければ、全土占領と東秦鉄道問題の解決の後なら話は早かったんだがな)
そう考えていると、士官が報告に来たらしかった。
「報告します。ムクダン、ホルデンの市街外縁に部隊が進出いたしました」
「よし、第一段階は完了だな。秋津中尉の魔導部隊はどうだ。敵魔導部隊との接触はあったのか」
「いえ、まだ報告はありません」
「……分かった。予定通りここの守備隊を後詰に送る。私もすぐに出る」
予定通り、マンチュリアの要地の占領は進んでいる。とくに、油田周辺を抑えられたのは大きい。
なにより、秋津中尉も仕事をこなしているのが石原中佐にとってはやや、面白味があった。
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石原中佐が秋津中尉に命じた任務は簡単であった。魔導師の特性を活かして『存在しない部隊を演出』し偽の命令によって『魔導部隊の支援の下で要地を占領する』という風に謀略を書き換えたのだ。
まず、秋津中尉が持っていた敵魔導師との戦闘記録を石原中佐の名前で即座に都督府と中央に送る。このとき都督府の長距離無線機は使えなかったから、敷島技師が、というかその名前をつかい東鉄関係者用の通信網を使って送信する。
そして、石原中佐は手駒である秋津中尉とマリア利用して謀略に参加している連隊・大隊の長距離無線を封鎖する。
このとき問題になったのがマリアの存在だった。彼女は軍人ではなかったし、聖職者である彼女は軍事行動に関われない。
そこで秋津中尉の部下ということにして、伝令扱いで送り込み、無線の妨害を行う。
魔導師の術式には電磁波への影響── そのため魔導師は明らかに出力の足りない無線機で超長距離通信ができるし、光学術式から可視光線を利用した囮まで作ることが出来る があるのは知られているから、難しい仕事ではない。
秋津中尉も大隊・連隊の通信について理解はしていても、どこを妨害すれば効果的なのかはわからない。これは石原中佐にしかできない芸当だった。
この話をマリアに話したとき石原中佐は彼女が一度は拒否するのではないか。と考えていたがあっさりと受け入れたのは意外だった。秋津中尉と何かしら会話があったようだが、とにかく貴重な魔導師を自儘に使えるなら文句はなかった。
さらに、この石原中佐による行動は彼が呼ぶところの「バカども」としても掴みにくかった。
あからさまな中止命令なら無視して断行することはできる。だが、個々の部隊に送られる命令の意図はマンチュリア全土占領を目指していたし、後方からは武器弾薬と後詰の部隊が来ているのだ。
それに加えて秋津中尉が率いる魔導部隊が支援にきている。彼らが不信に思っても謀略は成功── 少なくとも、石原中佐の追認はあった。そう石原中佐の意図を誤認したのだ。
8日後、都督府派遣軍はマンチュリアの要衝を占領。とくに油田地帯については真っ先に占領された。
が、そこで全部隊は行動をやめた。本国政府からの再三の中止命令と高麗軍の越境が都督府派遣軍内でも大問題になり始めたからだ。
ともかくマンチュリア全土占領計画は、石原中佐という個人によって「油田確保」に書き換えられた。
なかなか調べていくと難しい部分出てきます。
次回はもう少し早く投稿できるかと。
第2章『上海魔導戦』
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