異世界輪廻~不殺(ころさず)の英雄譚~ 作:OrengeST
暗澹とした、それでいて心地の良い、温もりに満ちたゆりかごのような世界は突然に、光を得た。
まどろみから覚める。
微かな燈火の眩さ、鼻をさす微かな刺激臭、肌寒さ、その他あらゆる刺激が剥き出しの五感に作用して、久我山は思わず叫んだ。
感覚器官がもたらす電気信号の奔流は、彼の小さな脳を著しい混迷へと導いた。
「まあ、まあ! 元気な赤ん坊だことよ」
光に、目が慣れてきた。声のした方を見ようとする。首が、上手く動かせなかった。
視界に入ったのは、焦げ茶色の癖っ毛を散らかした、老婆の顔だった。
団子を並べたような、日本人離れした膨らんだ鼻が顔の中心に居座っている。
「こらあんた! はやくおし! 身体を包むんだよ!」
「あかってるよう!」
老婆は、傍らの老人をどやしつけた。
ひげもじゃで腫れぼったい顔をした老人はあちらこちらと周囲を見回してから、薄闇の中を駆けまわる。
光源が風に揺れ、老人の全身が映し出された。
老人は、小男であった。首が身体に埋まってしまうかのような体躯で、身体に比べて顔が異様に大きい。
否、身体が異様に小さいのである。手足が短く、胴が太い。見た目は三頭身ほどしかない。
老婆もよく見ると、同じ寸尺だった。
―—これが、小人族というやつか。
天族とやらが授けた智慧は、さっそく認識に答えを導いてくれた。
なるほどたしかに、ここは日本ではない。それどころか、地球でもありはしない。
「まったく、頓馬だよこのおやじは! そこの机の上にあるじゃないか! ほら、坊の泣き声が、止まっちまってるよ!!」
老婆は青筋を立てて唾を散らした。
「ええと、ええと。これか!」
小男から受け取った布切れを使い、老婆が口や鼻を拭いてくれた。息苦しさが、いくらかマシになった。
ごわごわした布切れに身体を包まれる。質のいい生地とは言えないが、お陰で肌寒さも和らいだ。
老婆の顔を見つめていると、その顔はみるみる曇っていった。
「どうか、したんですか?」
頭の後ろの方から、息を切らした、苦しそうな声が聞こえた。若い女の声だ。
「いやさね。赤ん坊が、随分、静かで」
慌てて、小さく声を上げた。一声上げて、不意に固まる。
赤ん坊は、どう泣くんだったか。茉莉の出産の時は立ち会えなかったせいで、いまいちよくわからない。
新しい記憶をまさぐって見ても、天族の智慧は、人族の赤ん坊の泣き方までは網羅していないようだった。
使えない智慧に胸の中で悪態を突いて、おぎゃあ、おぎゃあと泣いてみる。
「ほうら泣いたぞ! 安心しなよ、エリザちゃん。元気な男の子だぁ!」
小男は顔をくしゃくしゃにして、けたたましい歓喜の声を上げた。
老婆に接吻でもしかねないほど顔を近づけて、こちらを見ている。
「耳元でうるさいよ、クソおやじ! それにしても、なんだか、変な泣き方だねえ」
かくして、エリザ・バルダーの第一子、アルフォン・バルダーが産声を上げた。
峻烈に燃え盛る焔のような赤毛が、彼の行く末を物語るかのようである。
その誕生は、とても英雄の誕生と呼ぶには程遠いものだった。
寒風の隙間風が肌をさす、この今にも壊れそうな木造りのあばら家が、彼の生家。
久我山英佑が新たに手にした生は、決して、王や賢者、預言者、果ては神などといった錚々たる面々に囲まれた、
華やかな期待と賛美に包まれたものではない。
彼を包んだのは襤褸であり、筋骨逞しい老婆の腕である。
その誕生は、一人の人族と、二人の小人族によってのみ、ささやかに歓迎されたのだった。