異世界輪廻~不殺(ころさず)の英雄譚~   作:OrengeST

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第二話:女神天族リッカとの邂逅

生まれたての俺は、いつもエリザに背負われていた。

 

エリザ・バルダー。それが母の名前である。

栗毛色の髪が目の前で揺れていると、俺は思わず手を伸ばして、その度やんわりと叱られた。だが、髪と同じように茶色がかった瞳は、優しさに満ちていた。

 

しばらくの間は、母親の背中が唯一の世界といって過言ではなかった。

だが、それはそれで、この村や世界を知るのに役立った。

 

この村の名はヴルドというらしい。村人全員を数えたわけではないが、人口は百にも満たないだろう小さな村だ。

 

エリザに背負われた俺はよく、茶色けた煉瓦造りの建物に来た。窓は少なくいかにも堅牢で、建物の頂点には尖塔(せんとう)が立っている。

建物の全高は、自宅のあばら家なんかより三倍も四倍もあった。

 

エリザは、身長より高い大きな木扉を押し開けて、中へと入っていく。

中はすぐ、何十人も入れるぐらいの大広間になっていた。エリザや他の者たちは毎朝、この場所に集っているようだった。

 

時折、視界が一段と低くなる。そんなときは、エリザが跪いているのが分かる。

背中からでは彼女が何に跪いているのか分からないが、ここは祈りを捧げる祭壇か教会のような場所だろうと察しがついた。

 

しばしの祈祷がすむと、エリザは建物の中を移動する。何人かの女性たちも一緒だ。

今度はこじんまりとした部屋で、女性たちは作業を始める。ここで手仕事をするのである。

 

「オルベイラんとこの坊は、どうさね?」

 

俺を取り上げた老婆の声だった。毎日、女たちの会話を聞いているうちに、名前も覚えることができた。老婆の名前はユドという。

母エリザの肩越しには、木の蔓を組み上げている女たちの姿が見えた。

 

「エヴァン砦の方へ行くんだと、手紙がきおった。なんもなけりゃ、いいんだけどねえ」

 

オルベイラという老齢の女が答えた。

五十は越えているだろう、この村でも古株らしく、日に焼けて黒ずんだ顔には深い皺が刻まれている。

 

「エヴァン砦といやあ、ここより下界に近いじゃないか。そいつは、不安さねえ」

 

手足が思うように動かせないのがもどかしかった。

手が動けば文字でも絵でも描いて覚えられるのだが、この幼体ではそうもいかない。

必死で、頭の中に情報を叩き込んだ。

 

全ては、天族の智慧とやらが存外、役に立たなかったせいである。

忌々しい金髪の少女との邂逅が、苛立ちと共に思い出された。

 

 

 

「エルメンスルへ、ようこそおいでくださいました。久我山英佑さん」

 

鈴を鳴らしたような澄んだ声で、目が覚める。

悪夢の直後のように、大きく息を吸い込んだ。

慌てて体を起こし、周りを見回す。先ほどまで横たわっていたはずの惨劇は、どこにもなかった。

 

穏やかな陽光の届く、草木や花の緑あふれた庭園が広がっていた。

鳥のさえずり。

どこからか水の流れる音も聞こえる。そよと吹く心地よい風が、頬を撫でた。

 

「ごきげんは、いかがですか」

 

再び、凛とした声がした。夢うつつのまま、声の聞こえた方を見る。

 

眩しいほどに輝くブロンドの髪を胸元まで垂らした少女が、佇んでいた。紅玉のような瞳が穏やかに、こちらを見つめている。

肩から足首ほどまである白いローブを(まと)い、体格は今年高校生になったばかりの茉莉よりも小さかった。

声や長髪といった情報がなければ、美少年と見間違えてしまうかもしれない。

 

「ここは」

 

声を出すと、先刻までの息苦しさが無くなっていることに気がついて、はっとした。

 

「俺は、家で、刺されて……」

 

胸に手を当ててみる。黒地のジャケットと白のシャツには、異常らしきものはなかった。

 

「死後のあなたの魂を、わたしがこちらの世界へ引き入れたのです」

 

動揺するこちらをよそに、少女は淡々と話を続けた。

ここはエルメンスルと呼ばれる世界であること。

その中でも、更に天族の住まう豊穣と平和の国、天界ヴァナラードという地であると。

 

「久我山英佑。私たちを助けてほしい」

 

少女は真紅の瞳を煌かせて、柔和な笑みを浮かべた。

天上の笑み、とはこのようなものを指すのだろう。例えるなら、歴戦の戦乙女すら頬を染め俯いてしまうほどに、蠱惑(こわく)的である。

抗いがたい感情が襲ってくる。有無を言わさず、はい、と答えたくなってしまう。

 

こんな光景を、どこかで見たことがある。

思わず、右手で頭を押さえる。

 

——そうだ、会社だ。

 

混乱する頭ではあったが、理性だけは確固として保っていた俺は、明瞭に答えた。

 

「いやだ。断る」

「……え?」

 

少女が浮かべた笑顔は、そのまま石像のように凍りついた。

 

「君が誰だかは分からないけど、それは道理が通ってない。

元々俺が別の世界の人間っていうなら、こっちの上司に一度、話を通してもらわないと。

まず君は、俺じゃなくて、俺の元の世界の神様みたいなやつに仁義を切るべきじゃない?

君の上司はなんて言ってるの?

元の世界の神様Aの承諾も担保もなしに、おいそれと同意はしかねる。責任取れないし、神様Aの怒りに触れるのも避けたいし。

所管を超えた連携ってのは、正しい順序での依頼と承諾で、責任の所在を明確にしなくちゃあ」

 

——口約束はのちのち揉めるから、文書にして決裁権限者が認めた証も欲しい。

——本来なら神様Aが直々にこちらに出向いて、事情を説明するべきだ。

 

そんなことをつらつらと喋っているうちに、少女の口角は徐々に落ちていったのである。

 

「言葉は悪いけど、君って平の担当者だろ? こういう重要な話は上司同伴の方が……」

「わかった! もうわかったから!」

「あと、そういうのもよくない。人の話は最後まで聞くこと。例えお互いの意見が違ってても、感情的に遮ってしまえば、話が感情論で余計にこじれる」

「は、はぁ……。ごめんなさい」

 

少女はうんざりといった様子でうな垂れる。

その姿は、曜子や茉莉が日々の会話で見せる様子に似ていて、胸を突く悲愴とともに、懐かしさが込み上げてきた。

だが、こんな対外折衝(せっしょう)役では、まとまる話もまとまらないだろうに……。

 

そこで、はっとした。自分のミスに気がついたからだ。

 

「あ……いや、こちらこそごめん。少し言い過ぎたよ」

 

出来る限りの慈愛を込めて、目の前でしょぼくれた少女を見つめる。

彼女はおそらく、新人なのだろう。昔の自分を思い出す。

 

他課の高齢社員の元に仕事の依頼に行ったとき、仕事の仕方が悪いと説教されたのだ。

入社直後の自分は、そんなこと知らねえよ、と心の中で悪態を吐いたものだが、なるほど確かにあの高齢社員もこのような心持ちだったのだろうかと思うと、彼への恨みは些か安らいだ。

 

「まあ、こちらも一旦、話は全部聞くよ。せっかく来てもらったんだし」

「そうしてもらえると、助かりますね」

 

少女は、長い溜め息を吐いた。呆れるほど長かった。

 

「まず自己紹介。私、リッカ。天界の天族の一人」

 

こころなしか、投げ()りで面倒臭そうな口ぶりになったのは、気のせいだろうか。

ともかく、彼女の語るところによれば——紆余曲折あったのだが——話はこうであった。

 

このエルメンスルとやらは、元の世界の銀河系だとか宇宙空間には存在しない場所にあるらしい。

重力加速度は。自転と公転の周期は。最も近い恒星からの距離は。気候や気温はどうか。

大気の組成や大気圧は。酸素濃度や放射線強度は。水や食料はあるのか。脅威となる生物の有無は。

などリッカを質問攻めにしているうちに、

 

「もういい。わたしの智慧をやる」

 

と吐き捨てるように言って、天族の智慧とやらを譲ってくれた。

 

リッカが座っている俺に手をかざしたかと思うと、目の前が光に包まれて、情報が洪水のように流れ込んできた。

頭蓋で耳鳴りのように甲高い音がして、思わず両耳を塞ぐ。血液が凄まじい勢いで巡っているように、こめかみがじんじんと痛んだ。

 

天族の智慧は驚くべきものであったが、同時に違和感もあった。

あるべき場所にあるべきものが無いというか、妙に歯抜けしている心地なのだ。

現に、彼女が今まさに意図していることは、智慧の中の情報には含まれていなかった。

 

「この世界の事、これでわかっただろう?」

 

気がつくと、リッカは敬語をやめて、やたらと気取った子供のような調子で訊ねた。

俺は頷く。

このエルメンスルには、天族の住まう天界ヴァナラードの他に、

人や亜人の住まう大地と海の国<現世界(げんせいかい)アズガード>、

穢れと怨嗟に満ちた魔族の住まう瘴気の国<冥界(めいかい)ヘラベイン>がある、ということ。

 

「この冥界には冥王という統治者がいるんだが、最近動きが活発でな。どうやら、現世界の乗っ取りを企てているらしい」

「それで、俺にその冥王を倒せと」

 

リッカは頷く。

 

「そうだ。せっかくわたしたちが作った現世界が壊されてはたまらん。ちゃちゃっと、倒してくれ」

 

はい、是非に。

と答えるほど、俺はお人好しでも馬鹿でもない。

 

「それは俺に何の得がある?」

 

彼女の多少の揺動も見逃すまいと、その目を正面から見据えた。

リッカは、愉快そうに口元を歪めた。

 

「冥王を倒した暁には、元の世界に帰してやる。それも、君の家族が死ぬ前にな」

 

背筋が、粟立つのが分かった。

血に塗れた曜子と茉莉の姿が、脳裏に蘇る。喚き散らしたいほどの感情が、一気呵成に湧き上がってくる。

黒いコートの男。

奴が、全てを奪った。それをすべて、無かったことにできるというのか。

 

「……できるのか。そんなこと」

「できる。わたしを、誰だと思っている」

 

言下に言って、リッカはその場でくるくると舞った。ローブの裾が翻り、色の白いふくらはぎが露わになった。

 

——風が起る。

 

目の前の現象が、信じられなかった。

 

リッカの足先は、短く刈り揃えられた庭園の草葉から、数十センチ宙に浮いていた。

それも、鳥のような羽ばたきではない。

浮遊である。

 

彼女の背に片翼二メートルはあろうかという金色の光の粒子が、陽光を受けて煌々(こうこう)とした光を放っていた。

全幅ならば四メートル近くにもなる。

 

突如として異形と化した少女に、座ったままの膝が震えた。

げに荘厳な両翼は、ただそこに在るだけで畏怖の感を抱かせる。

俺は唖然として彼女を眺めていた。

 

「わたしは天族だよ。できないことなど、ほとんどない」

 

冥界へ降りるのは別だがね、とリッカはおどけたように付け加える。

 

動揺を悟られぬように、そっと唾を飲み込んだ。

彼女なら人の魂を、時間を、生命を……自在に操ることも容易いのかもしれない。そう思わせるだけの威光を燦爛(さんらん)と放っている。

 

「……では、嫌だと言ったら」

「つまらんことを言ってくれるなよ。その先を喋らせたいか?」

 

鼻を鳴らした笑いに、俺は言葉を引っ込めざるを得なかった。

 

「まあ、そう臆さなくともいい。今後の君に見込みがあれば、こちらとしても、もう幾許(いくばく)か力を貸してやる」

「見込みがなければ、死ねと?」

「もともと死んだ身なんだ。もう一回死ぬくらいのことは、些事だろう? もし冥王に勝てば褒美をやるといってるんだ。君に損はないだろうさ」

 

返す言葉は、見つからない。ようやく俺は、自分の重大な勘違いに気がついた。

 

このリッカという少女は、俺の意向など無視できるほどの絶対的に強者の立場にあり、自分は力なき弱者であるということに。

 

そんな感情の揺れ動きすら、リッカは見通しているようだった。

重力を感じさせない軟着陸をした彼女は、こちらに近づいて、座っている俺の顎先を指で持ち上げた。

澄んだ真紅の瞳が、眼前に近づいた。

 

「これは命令じゃない。契約なんだ。わたしが力を貸す。君は戦う。そういう、対等な契約」

 

抗えない。呼吸も忘れ、俺はその瞳に魅入られている。

首を、ゆっくりと、縦に振った。

リッカは満足げに喜悦の色を浮かべてから、こちらに背を向けた。

 

「いい子だ。だが一つだけ、契約には規則がある」

 

背を向けたまま数歩歩いて、彼女は再び振り返った。こちらに掲げた手の平から文字が浮かび上がったと思うと、光となってこちらに向かってきた。

光は、すうっと、胸の中に入って、消えた。

 

「君は、天族を殺してはならない。それに、人族もだ。もし規則が破られたとき、この契約は破棄される。それどころか君の御霊は、永遠に冥界を彷徨う。元の世界の輪廻に戻ることはない」

「……さながら、拘束具だな」

「解釈は任せる。わたしの思う所は、貸し与える天の力を悪しき事に用いてはならないという禁戒(きんかい)だ」

 

足下の地面から、小さな光の粒子が湧き上がってきた。

綿毛のようなそれは、一つ、二つと増えていき、しまいには足下を覆う程の密度と広がりをみせる。

 

「さあ。行ってこい。二度目の人生を、せいぜい足掻いて生きろ。復讐を果たせ」

 

復讐という言葉に引っかかりを覚えながら、俺は、秘めていた最大の疑問をリッカにぶつけた。

 

「一つだけ、教えてくれ。なんであんたは、俺を選んだんだ?」

 

足先がうっすらと透過し始め、手指もまた、その背景にある景色を透かしていく。

リッカはしばしの間、黙ったままこちらを見つめてから、謎めいた笑みを浮かべた。

 

「……わたしの礎霊(それい)を教えてやろう。時に己が血を滾らせて大事を為しえ、時にその身を破滅へと導く——そんな灼熱(しゃくねつ)の嫉妬と憎悪が、この身の根幹に宿っているんだよ」

 

——君と同じ、ね。

 

意識が再び、暗闇の底へと落ちていく前に。

そんな声が聞こえたような気がした。

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