【3話 駿河家】
総敷地坪数不明、1階部分総床坪数200坪。
御屋敷という言葉がそのまま実体化したような建物の前、正確には敷地の外周を囲うように作られた高い塀の切れ目、一般住宅にはまず設置しない様な瓦屋根の門、その前に俺と篠澤さんは立っている。
厳かな、と言えば聞こえはいいが外から来る人間を拒むかのように佇むその門に据え付けられた表札には【駿河】の文字。
何を隠そう、これが俺の実家だった。
篠澤さんが何か納得したように呟いた。
広「…坊、って…」
今口頭で説明するのも無駄だろう、そう思い俺はその門を押し開けた。
補足(蛇足)
駿河邸は旧武家屋敷とか名家とかではなく田舎の大地主です、なのでサマ〇ウォ〇ズよろしく武家として!、とかそんなものはありません、あのくらいのお屋敷を想像していただければ大体あってると思ってください。ちなみにサマ〇ウォ〇ズは大好きな作品です。
「コツ、コツ、コツ」
規則的に並べられた石畳の道を革靴が叩く。
道の脇には萩や楓、椿に柊、南天金柑山茶花などなどなどなど植物園かっ、とツッコミたくなるほど多種多様な植物がどれも手入れされた状態で植えられている。
夕方に差し掛かった薄紫の空と紅葉は秋本番を思わせる美しさがあった。
広「おぉー…」
篠澤さんが感嘆の声を上げる、観葉植物を育てるのが好きな篠澤さんだ、思うことがあるのだろう。
そうこうしている内に玄関の前に辿り着いていた。
広「…うん、大丈夫。千奈の家と同じだと思えば平気。」
広(プロデューサーってこんな風に笑うんだ、初めて見た…ちょっと新鮮)
俺は玄関の戸に手をかけ引いた。
ガッ
鍵がかかっていた、どうして門は開いてるのに玄関には鍵かけてるのさ、母上…
玄関には俺の知らないうちに文明の利器、インターホンが付けられていた。
ボタンを押す、流れ出すファ〇リ〇マ〇トの入店音…色々と台無しだった。
広「ふふっ」
篠澤さんが小さく笑った、言葉ではああ言っても実際のところ緊張していたのだろう。
??「はい。」
インターホンから女性の声が発せられる、俺はカメラに映る位置に立った。
??「どちら様ですかぁ?」
半笑いの、人を小馬鹿にするような声でインターホンの人物はおどける。
??「3年も顔見せなかった息子なんて知りませーん。」
??「あ、そっか、アンタ1人だったら夕飯くらいまで放っておくつもりだったけど担当の子も来てるんだったっけ、今行く。」
何だかとても酷いことを言われていた気がする。
広「今の声の人が…プロデューサーの、お母さん?」
ガシャンという音と共に玄関の戸が開かれ女性が顔を見せる。
??「駿河水雪、よろしくね、篠澤広ちゃん。」
なんとも頭が痛かった。
駿河水雪(みゆき) 年齢:43歳 身長:172cm 体重:秘匿
職業:元バイクショップ店員.現専業主婦
趣味:家庭菜園.鍛錬.バイク
現駿河家の家主、俺から見て祖父…母上からすれば父親だが祖父の亡き後、遺産である土地を継いだ周辺の大地主…
薄く青みがかった黒髪をウルフカットにしておりかなり若く見える。
性格はさっぱりとしていて芯があり男勝り…が茶目っ気が強くたまに天然を発動する。
かつては趣味が講じてバイクショップで働き自身の愛車をフルチューンしていた過去を持つ、趣味の同じ父とはそこで出会いくっついたと聞いた。
さて、そんな母と座卓を挟んで対面している俺と篠澤さん、20畳以上ある居間の真ん中にポツンと置かれた座卓…不思議と緊張する。
水雪「まずはよく帰ってきたなハル、3年も連絡を寄越さないとは思わなかった、が、それは大事なことじゃない…昨日急に担当を連れてくるなんて言い出してバカなのかい?なんの準備も出来ないじゃんか。」
広「ふふ、勝ち取った。」
素っ頓狂な顔で母上が言う。
水雪「へぇ、アンタ学園だとそんな口調なのかい?」
水雪「悪いわけあるか、アイドルの担当についてるんだ、普段もちゃんとしてるってのが分かる…頑張ってるんだな、ハル。」
広「プロデューサー、タメ口なんて出来たんだ。」
篠澤さんが軽んじられるようなこと、あってはなりませんし許せませんから。」
広「ふふ…そっか。」
水雪「おーい、アタシがいること忘れるな?でもそうか、ハルはハルでちゃんと考えてんだな。」
水雪「最初に…」
空気が重くなったのを感じた。
水雪「最初にハルが初星に入りたいって言った時は止めるつもりだった、中学ン時に色々葛藤してたのは知ってたからさ、アイドルには関わらないもんだと思ってた。
でもさ、こうやって担当アイドル連れてきてくれて、夢追っかけてるところ見れてアタシは嬉しいよ。」
胸がズキリと痛んだ。
夢…【トップアイドルを育てたい】
その夢は篠澤さんをプロデュースすると決めた時に捨てたものだ、捨てて忘れた物…あのとき捨てたはずなのに…どうして今胸が痛むんだろう。
広「あの、駿河さん…?水雪さん?で、いいのかな?」
水雪「そうさね、この家には駿河さんしかいないし名前で呼んでいいよ、広ちゃん。」
広「ありがとう、水雪さん…質問が、ある。」
水雪「なんだい?」
広「プロデューサーって、どんな子だった?」
広「?…どうしたの?そんなに慌てて。」
水雪「そうだねぇ、ハルが照れちまってるからこの話は2人っきりの時にしよう、な。」
図星だった俺は手持ち無沙汰で、なんだかメガネが少しズレていた気がした。
??「ただいまぁ」
親父は17:00を告げる鐘と共に帰ってきた。
駿河秋史(あきふみ) 年齢:45歳 身長167cm 体重:69kg
職業:地方公務員
趣味:家庭菜園.バイク
柚野淵を含む市の役場で働く地方公務員。
水雪と恋仲になった時から水雪に振り回されたり連れ回されたり実家に連れ込まれて外堀を埋められて婿養子になった。
どこかの誰かさんに似て惚れた弱みで過去1度以外水雪に勝てずにいる。
今に入ってきた親父、3年を経て髪が少し白くなっていた。
秋史「え、だ…ん?ハルか!」
秋史「帰ってくるとは聞いてたが早かったな。お前こそお帰り、ハル。」
水雪「お帰り、お前さん。」
秋史「ただいま。」
水雪「畑はどんな感じだった?〇〇さん家は芋を全部イノシシに…」
秋史「ウチもそこそこやられてるよ、サツマは苗を…」
こんなやり取りを、そう言えば昔からずっと見てきたんだったな…
ふと、懐かしさと疎外感の様なものを覚える。
3年も帰ってこなかった間も、きっと2人は毎日こういう会話をして、それが当たり前だったんだろう。
それと同じように『俺』の居ない日常が2人にとっては当たり前になって…
キュッ、と袖を引っ張られて現実に呼び戻された。
いつの間にやら「いつもの私服」に着替えて隣に立っていた篠澤さんが俺の隣で袖を引っ張っていた。
広「私にとっては、ね。プロデューサーとの毎日が…当たり前、だよ。」
目の奥がふるえる、我慢しろと言い聞かす。
声が上擦ったかもしれない、それでもいい、彼女の前では格好つけたいと思った。
広「ふふ、なんでもない、よ。」
その後は篠澤さんの存在に気づいた親父に彼女が自分の担当アイドルである事を話した。
親父はしみじみといったように「よかったな」と言ってくれた。
その後の夕食で学園でのこと、篠澤さんとの日々のこと、初公演のこと、色々なことを話した。
ただ篠澤さんをプロデュースするに至った話だけは出来なかった、それだけが…少しばかりの痛みを残した。
【4話 駿河玄】
-夜22:00頃-
3年振りの自分の部屋はかつての姿のまま残されていた。
中学生まで使っていた勉強机、その椅子に腰をかけて昔を懐かしみつつ自分の原点を見ていた。
コンコン、と障子張りの戸が叩かれた。
広「プロデューサー、お風呂先に貰ったよ。」
ザザ、っと戸が引かれて篠澤さんが入ってくる、湯上りなのもあり妙に艶っぽく見える…
広「プロデューサー、何してたの?」
そう言って1枚の写真ブロマイドを見せる。
かつて伝説と謳われアイドル時代の先駆けであるその人『日高舞』
広「私もその人、知ってるよ。」
広「そうだったんだ…私、プロデューサーにお願いがある。」
急なお願いに姿勢を正した。
広「…プロデューサー、私を名前で、タメ口で呼んで欲しい。」
椅子から転げ落ちそうになった。
ズレたメガネを直しながら疑問を返す。
広「プロデューサー、家族に対してはタメ口。
それに…ね、私にだけ敬語なのは、寂しい。」
広「ここにはきっと…ううん、絶対。プロデューサーを軽んじる人は居ないよ。少なくとも、ここ柚野淵じゃ…そうじゃない?」
色々、察されているようだった…
広「なら、呼んで。」
やっぱり俺は親父の息子だった。
広「分かった。」
「分かった、広さん。」
とてつもなく恥ずかしかった、1人になったら身悶えてしまうほどに、恥ずかしかった。
広「ふふふ、嬉しい。」
玄「それは、良かったで…良かった。」
もう目を見て話せなかったので、天井を眺めながら頬を掻いた。
広「ふふ、大学卒業したときより、嬉しいかも…じゃあ、おやすみ、ハル…さん」
戸を閉め篠澤さんが部屋を出る…いや広さんか…いやそんなことより…
沈黙が部屋を包み、思考が加速する。
玄「…」
それでも脳の処理が追いつかずに立ち尽くす。
玄「ズルいだろ…あんなの。」
きっと顔も真っ赤だ、風呂に入るのは…顔の火照りが収まってからにしよう。そう決めたが故か、俺はしばらくベットに突っ伏して風呂に入ることは無かった。
私は寝室に使わせてもらってる部屋に戻ってきた。
水雪「言ってきたかい?広ちゃん。」
この状況をつくりあげた張本人、水雪さんがそこにいた。
広「…言っちゃった。」
水雪「で、結果はどうだい?ハルの奴は名前で呼んでくれたかい?」
広「……うん、広さんって。くふぅ…」
顔から火が出そう、頭の中で何度も反芻する、その度に喜びが湧いてくる。
水雪「あらまぁお熱いこって…ま、ハルはあの人の息子だし予想はしてたけどね。」
広「どうしよう、これ以上ないくらい嬉しい、死んじゃうかも。」
水雪「若いってのはいいねぇ、まぁアタシとしても息子をそこまで想ってくれるのは悪い気はしないよ。」
私は気になった質問を投げかけてみることにした。
広「水雪さんは、私とプロデュ…は、ハルさんをくっつけたい、の?何か、少し違う気がする。」
水雪「流石、天才少女にはお見通しかね?」
広「知ってたんだ。」
水雪「いや?知らなかったさ、少なくとも昨日までは…前日に連絡寄越す様なバカタレでも息子が選んだ子の名前くらいネットで調べてみるさ。」
言われて納得した。
広「そっか、論文くらい調べたら出てくる…のかな?」
水雪「ま、アタシがもっと驚いたのはハルがあんなに楽しそうにしてたことだ、あんな楽しそうな顔は…アタシは中学のあの時から見たこと無かった。」
広「楽しそう?笑ってたけど、そういう?」
何気ない一言に水雪さんの表情が穏やかなものに変わった。
水雪「ハルが笑った、ね…それだけでも帰ってこさせた意味があったかもね…」
広「聞かせて欲しい、プロデューサーの、ハルさんの事。石川って先生も関係ある話、でしょ?」
私がプロデューサーの帰省に着いてきた目的、プロデューサーの事を知るために切り出す。
水雪「あのバカ、普通実家より先に恩師のとこに行くかね?まあいいか、少し…いや、結構長い上に楽しい話じゃないけど…いいかい?」
予想はしてた、だから、だけど。
広「いい、聞かせて欲しい。」
水雪「分かった。」
それは浮かれていた私を地に付けさせるにはあまりにも十分な内容だった。
水雪「話の始まりはハルが小学生の頃さ、ハルが初めてアイドルってやつに触れた、それが始まりだよ。
日高舞、アイドル候補生であれば知らないわけないだろうが、伝説と呼ばれてたアイドルだね、分不相応にもハルはそれ、引いてはアイドルに憧れたんだ。
アイツは顔も悪くないし運動神経もいい方だ。だがね、致命的に歌が下手くそだった。ハルの奴が歌ってるとこ、見た事ないだろ?そういう事だ、こんな田舎じゃ…いや、市街に出てもそう栄えてないこの辺りでボイトレなんてできる所もなかった。ハルの音痴はこの辺に住んでる人間はよく知ってる…
ハルが自分の夢の大きさと、その道程の険しさを知ったのは中学ン時さ、頭のいいハルの事だ、自分で気づいたんだよ…自分じゃアイドルにはなれない、なれても憧れたあの人のようにはなれない、ってな…それからハルはだいぶ荒れたね、喧嘩なんて全くしなかったけどどこか刺々しくて、痛々しかった。親としちゃ…あんまり見てられるもんじゃなかった。自分の持ちえなかった才能を羨んで、妬んで、そんな自分が嫌いだったんだろうね…
転機はハルが3年になった春、茂先生が赴任してきてからだ。その頃のハルはとにかく勉強勉強でね、色んなフラストレーションを全部勉強って形です出力してたんだろう、いい高校に入るなんて目標もなくね、ただただ先取り先取りでなんでも勉強してた。
茂先生は早々にハルの様子に気づいてさ、毎日ハルの勉強につきあってくれた、ハルには事情も聞かずに勉強の事だけをただただ教えてくれた。
ハルが心を開いたのは夏、進路を決めるってなった直前だな、泣きながら先生に話したみたいだ。
『俺はアイドルを諦めたくない』『でも自分の才能のなさで、またあんな思いはしたくない』『怖い、先の分からないことが、道の先に何があるのか分からない事が、失敗することが怖い』
ってな…アタシたちが本当は聴いてやんなきゃいけなかった事なのに、不甲斐ない…
すまないね、話が逸れた。
ハルの奴は聡い奴だ、いくら諦めたくなくても無理なものは無理だと分かっていた、そこで茂先生が提案したのが『プロデューサーになってトップアイドルを育てる』というものだった。
ハルのネガティブな考えも
『人には出来ないことがあって当然だ、その出来ないことは人によって違う、それを恥じる事は無い、自分の出来ないことは得意な誰かにやってもらえばいい、そうやって世の中回ってるんだ。』
『道の先が分からないなんて俺だってそうだ、今の教員の道が正しいかも分からん、だけど分からないから、予想出来ないから楽しむのさ、予想して予測して想定することは大事だ、だからこそたまの想定外が面白いんだ。俺はハルが打ち解けてくれるとは思わなかった、俺はいま教員で良かったと思えてるよ。』
てな具合で治してくれたのさ、感謝しか無いね。
ま、そんなこんなでアイドルを諦めて『トップアイドルを育てる』って夢を持ったわけだ、そのあとに初星学園に行きたいってハルから言われて…正直悩んだよ、また自分の過去を思い出したりどうしようもない壁に当たってしまうんじゃないかって、だから普通の高校に行って公務員にでもなって欲しかったんだ。でもあの人、秋史が好きにやらせてみようって言ったんだ…あの人は普段は適当だけど人を見る目はあるからね、結果的に荒野って上手いことやってるんだからやっぱりあの人は見る目があるんだよ。」
ふぅ、とひと息ついて水雪が言う。
水雪「ハルはきっと、自分から過去の事を広ちゃんには話さないと思う、アイツは先生には心の内を明かしたが…家族を含めてアイツの本音を真っ直ぐに受け止められる奴は少ない、アタシはぶっちゃけトップアイドルとかプロデューサーとかどうでもいいのさ、ただハルが自分を偽ることなく居られる奴と共にあって欲しい、広ちゃんならソレになれる気がしてね。」
広「私が?」
キョトンとしてしまう。
水雪「そう、広ちゃんと帰ってきたハルの様子を見て…広ちゃんに振り回されて楽しそうにしてるのを見て、正直うれしかった。
アタシが最後にあんな楽しそうなハルを見たのはなんの時だったか覚えてないくらい前なのさ。」
広「そう…なんだ。」
なんて答えるべきなのか、分からなかった。
水雪「そうだよ…ふぅ、歳をとるといけないね、少し疲れた。
アタシは部屋に戻るよ、おやすみ、広ちゃん。」
閉まる戸の音、少し広くなった静まり返る部屋に私1人。
頭の中で情報が、感情が、思考が逡巡する。
ついさっきまでとは違った鼓動の音がうるさい。
トップアイドルを育てたい、その夢があんなに大きなものとは知らなかった、誰かに託して繋ぎたかったバトン、最初に私をプロデュースするって言った時、どんな気持ちだったの?私でいいって言ってくれた時、何を考えてたの?本当に私との日々の方に価値なんてあるの?分からない…分からないよ。
私はプロデューサーの事を知りたかったのに、知っていくうちに、どんどん分からなくなっていって…苦しいよ。
苦しい事は好きだったはずなのに…この苦しさだけは、受け入れ難かった。
【5話 家族の形】
目を覚ます、スマホを確認すると6:00を回った頃いつもの習慣で早起きしてしまう。
懐かしい天井、懐かしい部屋の様子が自分を中学生時代に巻き戻ったんじゃないかと錯覚させる。
ベットから起き上がり軽いストレッチをしてリビングに向かう。
リビングにはニュースを見ながら既に朝食を食べ始めている母上と篠澤さん、篠澤さんの姿があった。
水雪「おはよう、ハル。随分早起きじゃないか。」
玄「おはよう、母上。」
広「おはよう……プロデューサー。」
P「?おはようございます、篠澤さん。」
おや?と思いながら挨拶をして朝食を摂る。
昨日の事は実は自分にとって調子のいい夏の魔物的なものだったのか?と思ってしまう。
テレビから流れるニュースは天気予報に変わり今日の天気を告げ始めてる。
P「そう言えば母上、親父は?」
水雪「秋史なら畑に行ったよ、仕掛けた罠を見てくるってさ。」
P「そっか。」
広「…」
篠澤さんが横目でこちらを見てくる、目を合わせると目線をそらされた……あれ?俺なにかやった?実は覚えてないだけで昨日の夜なにかやったか?何か間違えたか?ブロマイドか?それともやっぱタメ口が良くなかったのか?怖い、分からないことが怖い…もう克服したと思ってたのに、普段はこんな事無い、篠澤さんだからか?
P「あっ…」
ゴトッと音を立てて手もとにあった湯呑みをひっくり返した。
入っていた冷茶がテーブルと篠澤さんの私服を濡らした。
広「あ…」
P「す、すみません篠澤さん。」
広「ううん、大丈夫、着替えてくるね。」
スっと立ち上がってそのまま部屋に戻ってしまう。
沈黙が部屋を包んだ。
『今日は晴天の空模様になり、気温は27℃と夏初旬並みの気温になることが予想され、温度差には注意が必要です。』
俺の内心は大荒れだ。
その後、俺が朝食を食べ終わるまで篠澤さんが戻ってくることは無かった。
駿河水雪は苦悶していた。
理由は瞭然、2人のことだ。
タイミング的に原因はどう足掻いても自分だ、何が理由か分からないが広ちゃんは明らかにハルを避けている。
照れ隠しなんて可愛いものではなく、何が思い悩んで避けているように見えた、何が原因だったかは分からない、ただこのまま学園に戻させるなんて無責任なこと、今更責任なんて言えないかもしれないが出来なかった。
急ぎスマホを起動し電話をかける。
駿河秋史その人へ。
秋史「どうした?水雪。」
水雪「アタシ、やっちまったかもしれない…」
秋史「もう少し詳しくいいかな?」
水雪「あぁ、悪い…昨日の夜な…カクカクシカジカ」
………
秋史「なるほどね、ハルの過去で気になることがあるみたいでけど…直接聞かないとわかんないね。」
水雪「助けておくれぇ…」
秋史「しょうがないな、今畑から戻るよ。」
水雪「ありがとな、お前さん。」
事態は動き出す、玄の知らないうちに。
玄は非常に困惑していた。
昨日の夜の事、今朝の事、何があったのか理解が出来ない。
何か気に入らないことがあって俺を避けてるのか、何か悪いことをしたか、思い当たる節がない。
予想不可、予測不可、不安、恐怖…ネガティブな自分が帰ってきそうになるが押しとどめる。
兎にも角にも篠澤さんとの信頼関係を取り戻さなくては…篠澤さんのプロデューサーは、どうしても俺でありたいのだから。
水雪「広ちゃん、少しいいかい?」
水雪さんが部屋の戸を叩いた。
広「うん、大丈夫。」
ザザ、戸が開き2人の人物が部屋に入ってくる。
広「…秋史さん?」
秋史「あぁ、ちょっと僕も話があってね、いいかな?」
広「いいよ、大丈夫。」
はぁ、と水雪さんが一息。
水雪「単刀直入に聞きたい、今朝からハルを避けてるのは昨日の話のせいか?」
ド直球だった。
秋史「もう少し聞き方があるだろうに…水雪からある程度事情は聞いたけど、何か引っかかることがあるんだろう?ハルも夕食の時、何か隠してたみたいだったしね。」
水雪「なんで教えてくれなかったのさ。」
秋史「本人が話す必要が無いと思ったなら追求しないさ。」
水雪さんが人を見る目はある、とは言ってたけどすごい鋭い人だった。
広「秋史さんの予想は、正しい…よ。私も、言えなかったことあるから。」
水雪「その言えなかったことが昨日の話に関係あるのかい?」
広「端的に言えば、そう。でもプロデューサー、ハルさんは悪くない。私が…どんな顔すればいいか分からないの。」
秋史「もし嫌じゃなければ、ハルと広ちゃんが何を言えなかったか、教えてくれないかな?」
広「うん、分かった…」
私はこの罪悪感のような感覚を何とかしたくて、話してみることにした。
広「私はプロデューサー、うん、プロデューサーからトップアイドルにはなれない、って言われてるんだ。」
水雪「なんでハルの奴はそんな事を言うんだ?」
広「私にアイドルの才能がないから。」
秋史「才能?」
広「うん、声は出ないし体力もない、顔はいいって言われたけど…プロデューサーの夢のトップアイドルを育てるって夢は私をプロデュースしている限り叶えられない。」
水雪「アタシにも分かったよ、昨日の話で広ちゃんはハルのその夢の大きさをどう受け止めりゃいいのか分からないのか。」
秋史「そうでもあるし、そうでも無い、んじゃないかな?」
水雪「って言うと?」
秋史「そんな大きな夢に対してトップアイドルになれないって分かってる子をプロデュースする事にしたんだ、ハルが何を思って広ちゃんの担当になったのか分からない、って感じじゃないかな?」
広「すごい、ね…プロデューサーみたい。」
素直に驚いた。
秋史「ははは、僕は一応ハルの父親なわけだしね、息子のことはある程度分かってるつもりだよ。」
私は素直に、自分の心情を吐露してみることにした。
広「…ここに来て素のハルさんを見て、その過去を知って、私の知らない駿河玄(プロデューサー)が見えて、理解してるつもりでいたプロデューサーの駿河玄と素の駿河玄の、なんて言えばいいのかな、ギャップ?乖離?があって、対面したときに…どんな顔すればいいのか分からないし、どんな態度をすればいいか分からないの。」
少し涙ぐみそうになる、素直な本音だった。
水雪「そういう事かい…」
秋史「なら答えは最初からひとつしかないんじゃないかな?」
広「うん、それは分かってるの…でも、もし本当は違う子が良かった、なんて言われたら…」
漠然とした不安を、そのまま話した。
水雪「あーいや、多分それはない。」
秋史「同感だね。」
返ってきた言葉は私をキョトンとさせた。
広「なんで、そう言えるの?」
水雪「アタシは言葉選ぶの苦手だからはっきり言っちまうけど、ありゃほの字だろ。」
秋史「え?」
広「…そうなの?」
水雪「昨日見た学園でのハルの様子を見る限り、相当カタブツだろ?」
広「うん。私が好きって言っても、少し照れるくらい。」
水雪「そんな真面目堅物が条件あってとはいえ広ちゃんの押しの一手で名前呼びまでしてんだ、素のハルもプロデューサーの玄も、共通してんのは担当アイドル(篠澤広)が好きで仕方ないってとこだと思うよ、アタシはね。」
秋史「え?そんな事してたの?僕は単純にハルが選んだなら間違いないと思っただけなんだけど…」
水雪「アンタそういうとこは割と適当なんだよね。」
秋史「適当ならあってるんじゃない?」
水雪「やかましい。」
秋史「酷いなぁ水雪は。」
水雪「アンタが余計なこと言うからだよ。」
ギャーギャーじゃれあいが始まった。
水雪さんの言葉に、秋史さんの後押しに…私の心は決まった。そして2人のやり取りを見て思った。家族って形式的な、そういうものじゃなく通じ合いなんだ。その人のことを思って、想いあって、たまにすれ違ったりして、それでも想い続けるから家族なんだって。
広「ふふ、そっか…そうなんだ。」
水雪「お、やっと笑ったね。朝から難しい顔してたから良かったよ。」
広「私、分かりにくいってよく言われるのに…よく分かる、ね。」
水雪「ご生憎、ウチの息子もいつも難しい顔して仏頂さんしてたからね。広ちゃんは美人さんなんだから、難しい顔ばっかりしてたら損だよ。」
広「うん、ありがとう。私ちゃんとプロデューサーに、ハルさんに聞いてみるよ。」
秋史「なら僕たちも協力しよう、ハルは君のお願いは断れないはずだ、自分で言うのもなんだけど僕の息子だからね、惚れた弱みにはとことん弱いはずだよ。」
水雪「ほんとに自分で言うことじゃないねぇ、そういうとこも可愛いんだが。」
広「ちょっとわかる、かも。そう言えばプロデューサーも、困ったような顔しながら…お願い、聞いてくれてた。」
水雪「ホント、誰に似たんだか…あ、そうだ、仏頂面ついでにいい事を教えよう。」
広「?」
水雪「ハルは昔から照れてるところを人に見せたがらない、可愛くないけどね。」
ヘッ、と言った顔をする水雪さん。
水雪「ただアイツが照れてる時は決まった行動をする、覚えがあるんじゃないかい?」
広「あ、分かる。メガネを触ったり、鼻を掻いたりする。」
秋史(ありゃー、そこまでバレてるんだ。ルーティンがバレてるのも大変だなぁ…)
水雪「アンタが目線逸らす時はロクな事考えてないけどね。」
秋史「うっ…」
水雪「はは、まあいいさ、ハルの奴は上手く誤魔化してるつもりかもしれないけどね、アイツは本っ当に照れてる時は、頬を搔くんだよ。」
広「…そうなんだ。」
秋史「そろそろいいかな、それじゃ作戦は…」
事態は動き出す。玄の知るよしもない方向へと…
【6話 転機】
俺が部屋でああでもないこうでもないと関係修復方法を考え、考えあぐねて…すでに時刻は昼前になっていた。
コンコン、と部屋の戸が叩かれた。
P「どうぞ。」
…部屋の戸は開かれない。
P「?どうぞ?」
不思議に思い席を立つとスス、と小さく戸が開かれた。
隙間から覗くオレンジの瞳が、そこにいるのが誰かを教えてくれた。
P「ひr、篠澤さんですか。どうしました?」
平静を装う、何を言われるか不安で冷たい汗が背を伝う。
広「……」
判決を待つ犯罪者のような気持ちになる。
P「し、篠澤さん?」
広「プロデューサー。」
P「…はい。」
俺はまな板の上の鯉だ、彼女の言うとおりにしよう、と介錯を待つ。
広「…ート。」
P「も、もう1度よろしいですか?」
かしこまってしまった。
広「デートに行く。」
P「だ…誰が?」
広「私が。」
P「誰と?」
広「プロデューサー、と…」
Pー「…いつ?」
広「今から。」
P「え、あ…わ、分かりました。」
広「外で待ってるから。」
タン、と音を立てて戸が閉まる。
頭の整理が追いつかない、篠澤さんが何を考えてるのかも分からない、ただ一つ分かっている事、篠澤広が俺を待っている…それだけで俺が動く理由足りえた。
よく考えたらスーツしか持ってきてなかった。
身支度を整えて外に出る、そこにはセーラー服に身を包み、長い髪を一本にまとめあげた、ポニーテールにした美少女の姿があった。
P「かわ…」
言いかけて正気に戻る。
P「すみません、お待たせしました。」
広「うん、大丈夫。」
P「それで…デートとのことですが何かあてはあるんですか?」
広「…ううん、ない、よ…だから。」
そう言って納屋の方を指さす篠澤さん、そこにはなんとも懐かしい俺のママチャリがあった。
広「プロデューサーの思い出の場所、連れてって欲しい。」
P「それは、構いませんがソレは?」
広「自転車。」
P「知ってます。」
広「なら、いこう。」
P「ちなみに自転車に乗った経験、あるいは2ケツしたことは?」
広「ふふ、あると思う?」
俺は自分の行ける範囲と篠澤さんの体力を比較した結果。
P「…わ、かり…ません!万が一にも篠澤さんが怪我をするような事あってはいけません。」
万が一、億が一、京が一にもそんな事になっては俺は俺を許せない、いくら頼みとは言え引けない一線だった。
広「じゃあ、行かない?」
P「行ける範囲で行きます、それでいいですか?」
広「うん、行こう。」
こうして俺と篠澤さん、初めてのデートというデートが始まった。
広「まずどこに行くの?」
家の門を出て少しして篠澤さんが口を開いた。
P「そう遠くへは行けませんから…俺の母校にでも向かおうと思ってます。」
広「中学校?」
P「合ってますが間違ってもいます、俺の母校の柚野淵校は生徒数が少ないので小中一貫校なんです。」
広「へぇ、小中一貫って都会限定かと思ってた。」
P「他所では市街の中学に行くことも多いらしいですが…ここではバスの本数やスクールバス運営費用など問題がありましてね、小中一貫になったのはそういう経緯だと聞きました。」
広「…あと、プロデューサー。」
P「なんでしょう?」
広「ちょっと早い。」
振り返ると少し離れたところに篠澤さんがいた、足を止めて到着を待つ。
P「す、すみません…」
広「プロデューサー、酷い。」
はぁーはぁー、と深呼吸をする篠澤さん。
P「はい…ほんとうに申し訳ない。」
広「悪いプロデューサーは…えい。」
俺の手を握る篠澤さん。
広「ふふ、捕まえた。」
悪戯っぽく笑う篠澤さんの瞳を見てられなくて目を逸らす、篠澤さんの細い指が絡まってきて胸の高鳴りが抑えきれなくなりそうになる。
P「し、篠澤さん!」
反射的に引きそうになる手をグッと抑えられる。
広「離さないで。」
広「お願い、離さないで…」
俺はもう、朝の篠澤さんの行動も、今の篠澤さんの心境も分からなかった。
それでももう悩まなくていいと思った。
細い陶磁器のような白い指が、触れたら壊れてしまいそうなそれが、俺を繋ぎとめようとしているような気がしたから。
この人が離れて行ってしまうなんて事が、無いように思えたから。
広「…」
並び歩く2人を沈黙が包む。
決して嫌では無い、暖かい沈黙。
握る手に少し力を入れるとキュッと応えてくる、たったそれだけ…たったそれだけの事が堪らなく嬉しくて、幸せで、気恥ずかしくて、空いた左の手は気がつくと口元に添えられていた。
気がつけば母校の前まで来ていた。
昔と変わらない…少し塗装は剥げたかもしれないが、それは変わらずそこにあった。
校門に立ち尽くしていると1人の若い男性が校舎の中から現れた。
急いで手を離そうとする。
もキュッと握られたその手に抵抗を諦め包み返した。
ジャージ姿その男性は俺たちに気づくと近付き話しかけてきた。
??「こんちはーっす、校内を見学したいって連絡くれた人達っすかね?」
茶髪の活発な人だった、どこか既視感を覚えた。
それよりも見学?なんの事だろう?
広「うん、そう。」
??「やっぱそうっすか、こんな田舎の学校に興味持ってもらえただけで嬉しいです!」
篠澤さんの仕業だったようだ、でもどうやって…?
??「いやぁ、茂先生のお知り合いって聞いたんでもっとこうガチッ!ビシッ!ってのを予想してたんすけど、普通のカップルさんみたいで安心っす…?」
男性が俺を見て不思議そうな顔をする。
??「あの、人違いだったら悪いけど…お前ハルちゃん?」
俺をハルちゃんと呼ぶ人物を1人しか知らない、数少ない同級生の1人、竹馬の友…穂波幽、その人だけだった。
穂波幽(ほなみゆう) 19歳 大学生 男
玄の幼馴染で数少ない同級生の1人
遊ぶ時もイタズラする時もいつも一緒にいた親友、大抵ハイテンションな穂波に引っ張られる形で悪事に巻き込まれた、バカな事をするが馬鹿では無い、が中学生時代は出来るイタズラのバリエーションが増えてしまい、よく廊下に立たされていた。
玄の大人びた人格形成の発端を担った1人。
なんとも懐かしい顔を見て気が抜けた。
穂波「なんだよー、帰ってくるなら連絡くらいしろよな、心配してたんだぞ?」
広「…プロデューサーの友達?」
穂波「ひっでー奴だな、で、この美人さんは?」
広「篠澤広、です…よろしく。」
穂波「へぇー担当ね、すげーなアイドルのプロデューサーなんて……?」
首を捻る穂波、理解できない事象を目の当たりにした顔だ。
穂波「いやハルちゃん、プロデューサーってのは担当アイドルと恋人繋ぎして歩くもんなのか?」
無粋な奴だった。
広「そう、色々あった。」
フォローにならないフォローをしてくる篠澤さん。
穂波「あーなるほど、茂先生が言ってたのってそういう事な、把握把握。」
穂波「えとな、色々見るかもしれないが他言無用にした方がいい、って言われたな。」
見やるとイタズラがバレた子供のような顔をした担当の姿があった。
広「ふふ、バレちゃった。」
穂波「あぁ、それな?俺さ、先生目指してんだ、いつかここに先生として戻ってきて地元に恩返しがしたくてさ、今日は清掃のボランティアしてたんだ。」
懐かしい情景にしみじみとしてしまう。
穂波「ちょ、笑うなよ?真面目なんだから。」
穂波「…そっか。それはそれとしてお前は変わったな。」
穂波「そうさ、3年の時のハルちゃんは…なんか危なっかしい感じだった、今にも飛び出して行っちゃいそうな感じ。」
穂波「いや?他のやつは受験勉強頑張ってるなー、くらいだったよ。やっぱ親友だからよ!分かってたんだよ俺は。」
クソムカつくドヤ顔をしていた。
穂波「まあハルちゃんならOBだし案内も必要ないっしょ、好きに見てってよ、それと開かず扉は昔と変わんないから、じゃあ俺は掃除に戻っから。」
そう言うや否や走って校内に戻っていった。
広「嵐みたいな、ちょっと佑芽みたいな人だった。」
広「じゃ、いこっか。」
懐かしさを胸に俺は母校の土を踏んだ。