竜の楽園と呼ばれた大陸、その中にある城のような建物の一角。ファヴニルの部屋に通されたヴィヴィアは、その部屋に飾られている様々な品に目を輝かせていた。
「これは……凄いな」
一人で過ごすには広すぎる部屋の中に、ぎっしりと詰め込まれている品は酒ではない。美しい風景を描いた絵画や、描きかけで終わっている肖像画、集合写真、どこかの王族や貴族が付けるような銀細工、名のある鍛冶師が打ったであろう業物と呼ばれるに相応しい武具などが飾られていた。
窓から差し込む光に照らされて煌びやかに、誇らしげに輝く銀色の刃の数々。飾られている武器は、鏡のようにファヴニルとヴィヴィアを映し出すほどに澄んでいる刀身を持つ業物ばかりだ。自分もいつかこれほどの業物を握ってみたいものだと思える素晴らしい武器の数々は、騎士の家に生まれたヴィヴィアの心を踊らせるものである。
「触ってみるか?」
「いいのか!?」
「ああ。使われず、飾られているよりも、時々振ってやった方が喜ぶだろうさ」
どれを触りたい? と武器庫のようになっているショーケースの鍵を開けたファヴニルと、輝きを放つ武器達を交互に見たヴィヴィアは、悩みに悩んだ末、最初に惹かれた刀剣を指さした。
「じゃ、じゃあ、その刀を……」
「ほう、お目が高い。いい刀だぞ、これは」
嬉しそうに笑ったファヴニルが取り出した刀は、それはもう美しい刀であった。
二尺四寸二分────約73センチの刀身は細身で腰反りが高く、刃文は一文字丁字。乱れは八重桜の花びらを置き並べて露を含ませたように美しい。一種の芸術品と言えるほどに美しい刀は、ファヴニルの手の中で美しい輝きを放っていた。
「銘は菊一文字則宗。時代が時代なら神刀と呼ばれていてもおかしくない刀だ」
ファヴニルから渡された刀を震える手で握り、構える。軽く何度か素振りを行っただけで、ヴィヴィアは握っている刀の素晴らしさを確信した。
刀剣の扱いや目利きはアドワーズ家で一通り学んだが、これほど美しく素晴らしい武器を見るだけではなく、自分の手で握ることができるなんて。両親や祖父母、曾祖父母、使用人達も中々できない経験を今していることに、ヴィヴィアは喜びを露わにしていた。
「しかし、総司も光もどうして俺にこの刀を預けたのやら。俺は刀をあまり使わないというのに」
「────うん? 君の刀じゃないのか?」
軽く素振りをした後、少しだけ名残惜しさを感じつつ刀を鞘に納めたヴィヴィアは、返された刀を受け取るファヴニルの言葉に首をかしげる。
「いいや、俺の友人の刀だ。だが、まぁ……持ち主はもういない」
「……そんなものを、私が触っても良かったのか?」
少しだけ寂し気に、しかし懐かしんで笑うファヴニルに対し、ヴィヴィアは素晴らしい刀を見て、触れたことの喜びよりも形見であろうそれを自分が使ってよかったのかという疑問と申し訳なさが上回り始めていた。
アドワーズ家にいる者は全員存命ではあるが、過去の戦争で命を落とした戦友の品を大事にしている者は少なくない。アドワーズ家の蔵にはそういった戦友の遺品を保管する場所もあるくらいだ。物心ついたヴィヴィアが彼らが大事にしている品々について聞いた時、誰もが悲しそうにしていて、聞いてはいけないことだと思っていたし、今もそう思って聞いていない。
顔を曇らせるヴィヴィアを見て、ファヴニルは少しだけ不思議そうな表情を浮かべてから、いつものように笑みを浮かべる。
「ああ、もちろん。その方が総司も喜ぶだろう。武器は使われてこそだ」
「それは……そうなのだろうが、もっとこう……抵抗とかはないのか?」
「抵抗? なぜする必要がある。俺の友人が友人の武器を素晴らしいものであると認めてくれた。俺はそれが嬉しい」
ファヴニルの目から、言葉から、それが全く嘘でないことが分かる。ファヴニルにとって、形見は自分だけの思い出に浸るためのものという認識ではないのだ。嬉しかったこと、悲しかったこと────様々な思い出を思い返し、誰かと共有するためのものという認識の方が強いのである。
「他にも使ってみるか? これもいい武器だぞ。俺の友人のものではないが、俺の従姉弟の一人が譲り受けたものだ」
「……凄まじい神秘を纏っているように見えるのは気のせいか?」
「だろうな。青龍偃月刀……確か、関羽という中国の英雄の武器だったはずだ。何年前だったか……」
「一つ聞くが、君の家はいつから存在しているんだ……?」
「エリドゥという都市が生まれた頃には始祖シルシュが生まれていたぞ」
だからまぁ千年以上は昔からある家だ、と笑いつつ、ファヴニルは様々な武具を取り出してはこれは凄くいい武器だ、この武器を使っていたやつはどんなやつだった、これを預かった時はこうだったなど、楽しそうに笑って話していた。
「そしてこれは────む」
ふと、ファヴニルが外を見て目を細めた。何かあったのだろうかとヴィヴィアもファヴニルが見ている方向を見ようとした瞬間、部屋全体がひっくり返ったのではないかと思うような大地震が発生する。人間は立っていることすらできない揺れでヴィヴィアは、体勢を崩して近くにあった柔らかいクッションに座り込む。
「な、何が……!?」
「いつものことだ。ピュートーン兄さんの仕業だな。ほら、見てみろ」
揺れが収まり、どうにか立ち上がったヴィヴィアがファヴニルに促されて窓から外を見ると、さっきまであったはずの建物が消えて、そこから凄まじい速度で建物が建築されていく光景が見えた。それを行っているのは、背が低く、しかし筋骨隆々な豊かな髭の者、明らかに人間の姿ではない者、巨大な体躯を持つ者達と、とても背が高い筋骨隆々なニシキヘビのような柄の翼と尻尾を持った半人半竜だ。
積み木で遊んでいるのではないかと思える速度で建築が進んでいく光景は壮観の一言だが、その建築物の規模も圧巻である。ノートルダム大聖堂とウェストミンスター宮殿を組み合わせたようなデザインの建物が、どんどん完成していくではないか。
「親方ァ! ステンドグラスのデザイン変えてやりたいんですが、構いやせんね!!」
「せっかくの記念パーティーと、ヨルガンドの結婚式だ! 派手に造ろうじゃねぇか!!」
「そう言ってくれると信じてもう作ってんだ! てめぇら気張れよぉ!! モビーとエイハブとイシュメル嬢のパーティーってだけじゃねぇ、ヨル坊の門出だ! 豪華なもん作らにゃドワーフの名折れだ!!」
「俺ドヴェルグなんすけど」
「私はノームだねぇ!」
「レプラコーンですどうも」
「ちくわ大明神」
「誰だ今の」
「おらは一本だたら」
「吾輩ゴブリン」
「儂はキュクロプス」
「オイラはバロール」
「物作りの名人には変わりねぇよ!」
「「「そりゃそうだ!!」」」
「頑張ったやつにはあとで俺がニールから酒を貰ってきてやる!!」
「「「やる気出てきちまったなァ!!」」」
窓を開けなくても聞こえてくる活気に満ちていて、やかましい声。楽し気で、どこか狂気すら感じる物作りの名人達の建築風景を見て、ヴィヴィアは引き攣った表情を浮かべることしかできなかった。
「パーティーで嫌でも会うことになるが、あちらにいるのが建築狂いの兄、ピュートーン・モルトキュールとその愉快極まりない仲間達だ」
「……ここは、ドラゴンに関係する者しかいないんじゃなかったのか?」
「ここにいるのは竜か、竜の眷族だぞ。あそこにいるのは全員ピュートーン兄さんの眷族だな」
ドラゴンか、ドラゴンの力を与えられたことで永遠に近い時間を過ごすことになった者だけが住む竜の楽園。ここに住んでいるドラゴン以外の者は、大体がファヴニル達ドラゴンから血を与えられたことで眷族と化している。そんなことをせずとも寿命が長い種族もこの大陸に住んでいるものの、大陸に住む知性ある者はほぼ竜の眷族と言っていいだろう。
「……眷族というのは、人狼や吸血鬼と似ているもの、ということでいいのか?」
「あれらと違って、互いの了承が無ければ眷族とはならん。……まぁ、ティフォン姉さんの眷族は……その、うん。まぁ、例外はあるにはある」
ドロドロのぐちゃぐちゃにされて何も考えられなくなった後にティフォンの眷族と化した者を知っているファヴニルは、若干遠い目をした。まぁ、その眷族も特に不満を持っているわけではないので、問題はないだろう。あるとすれば洗濯物の量がティフォンの分だけとんでもない量であることくらいだろうか。毎日のように眷族と行為に耽る────わけではないものの、一週間に四回はベッドシーツの替えが無くなる。英雄色を好むならぬ、ドラゴン色を好むである。
とにかく、ティフォンが行った眷族化を含める両者の同意がなくても眷族にする方法は、例外中の例外。なので気にする必要はない。
「君にも眷族はいるのか?」
「俺か? 俺はいない。提案すらしなかったしな」
眷族化することを提案したことがないのはきっと、死ぬ間際まで輝き続ける人間の姿を美しいと感じてしまったからだろう。自分が友人を眷族にしてしまったら、その輝きが失われてしまうと考えてしまった。友人が死ぬことと、その輝きを失うことを天秤にかけて、輝きを取ってしまった。輝きが消えた時、自分が彼らに失望してしまうのではないかと恐れたのだ。
その考えを愚かなことだと、今のファヴニルは考えている。その程度で友人達の輝きが損なわれることなどなかったはずなのに。
「まあ、それを人並みには後悔している。その後悔がみぞの鏡に映った光景に繋がっているんだろう」
「……君、後悔することもあるんだな」
「ああ、もちろんあるとも。あの時飲んでおけばよかったと思う酒がいくつもあるしな」
「どうして酒の方向に話が行ってしまうんだ」
「俺の生きがいだからな」
カラカラと笑うファヴニルは、懐から飲みかけのブランデーの酒瓶を取り出して口を付ける。ボトルに刻まれている文字を見て、ふとヴィヴィアは疑問を口にする。
「前に両親が飲んでいたものを見て思っていたんだが……そのボトルに刻まれているアルファベットは何なんだ?」
「ああ、これか?」
ファヴニルは飲んでいたブランデーを一度テーブルに置き、懐から新たに数本のブランデーを取り出した。ヴィヴィアから見て、右から順にVO、VSO、VSOP、XOと刻まれている。
「つまるところ略称だ。
「古い……ということは、基準は熟成期間というやつか?」
「ああ。VOは11年から15年、VSOは16年から20年、VSOPは20年から30年……と、まぁ熟成期間によってグレードが上がる。最大のXOは70年以上だな」
「気が遠くなる熟成期間だな……」
「しかもあれこれ定義が多くてな……これがまた面倒なところではある」
面白い所でもあるがな、と笑ったファヴニルは続ける。
「グレードの話から外れるが、ブランデー……と一言で言っても、種類が多くある」
「種類? ブランデーというのは……あれだろう? ワインの蒸留酒だろう?」
「ああ。だが、ブドウを原材料にしているか、それ以外を原材料にしているかで名前が変わるのだ」
ブランデーのボトルを仕舞ったファヴニルが次に取り出したのは、少々小柄でお洒落な形状のボトル各種。コニャック、アルマニャック、カルヴァドスなど……様々な名前が刻まれているようだった。
「コニャック、アルマニャック……この二つはブドウを主原料にしている。フランス産のブランデーの代表格だな」
「この、カルヴァドスというのは?」
「そっちはリンゴが主原料のブランデーだな。ノルマンディー地方で作られたもののみが名乗ることを許されている」
酒のことになると、いつも以上に饒舌で楽しそうに笑うファヴニルにヴィヴィアは苦笑する。
本当にこの男は酒が好きなのだなと実感していると、ファヴニルの部屋のドアがノックされると共に開かれる。
「ニール、そろそろパーティーが始まるから酒蔵を開けてほしいのですが……おや? そちらの方は誰でしょうか?」
入ってきたのは、気品に満ちた性別不明の存在だった。顔立ちはどちらかと言えば男性だが、体つきはどちらかと言うと女性である。肌は水に触れたのかと思う程湿っており、目が複数存在しているのか涙袋のあるところにも切り込みがあり、時折開いて黒い瞳を覗かせていた。服の袖から見えた肌は鎧のような黒い鱗に包まれている。
圧倒的な中性の、本当にどちらの性別なのか分からない────そう思った矢先に姿が若干変化する。顔立ちが女性のものになり、体つきが若干男性に近付いた。髪色も、金色から黒に変化する。
「七変化……か? だが……ううん?」
「いや、眷族化した際に与えられた血が多かった結果だ。俺の父はそういうドラゴンだからな」
「父……? ということは、そちらの方はもしかして……」
「……銀髪と、淡雪のように白い肌と絵画のように整った顔立ちや体つき……確かに、宝石のような女の子……あなたがヴィヴィア・アドワーズですね?」
湿った尻尾を揺らした美女────美男────何度も何度も体つきと顔立ちが切り替わる、本来女性固定だったはずの、黒いドレスを着た者が品よく口元を押さえて微笑む。
「初めまして、私はミラディラウス・モルトキュール。ニールの母親です」
「ヴィヴィア・アドワーズ、です。ニールとは、仲良くさせてもらっています」
「ええ、存じていますよ。ニールがここに友人を招いたのは、これが初めてですから」
ミラディラウスの所作の一つ一つは丁寧で、美しい。どこかの王族ではないかと思うほどに洗練された所作は、誰もが見惚れてしまうほどだ。
ファヴニルの礼儀作法が丁寧なのはこの母親の教育が素晴らしいものだったからだろうと確信を得たヴィヴィアは、ミラディラウスが口にしたことについて問いかけた。
「あの、さっき言っていた、宝石のような、というのは……?」
「ニールの手紙にあった、あなたを表す表現ですよ。この子は意外と詩的な表現が得意なのですよ」
バッ、と少しだけ頬を赤く染めたヴィヴィアがファヴニルの方を見ると、何か文句でもあるのかと言わんばかりの表情を浮かべたファヴニルの姿がある。
「お前が綺麗なのは誰もが知っている事実だろうに。何だ、容姿を褒められるのは苦手────いや、苦手と言っていたな、そういえば」
「い、いや、まぁ……おべっかとか、上辺だけを見ているような称賛は苦手だが」
「次回は気を付ける」
「いや、そうじゃなくて……ううん……」
上辺だけではなく、内面も見て、本気でそう思ってくれているのは嬉しいが、それが気恥ずかしい。ヴィヴィア・アドワーズは難しい年頃であった。
「それで、母さん。パーティーの時間はまだ先だったと思うんだが……」
「それがですね。ピュートーン達が予定より早く建ててしまったでしょう? それに合わせてシルキー達が張り切って料理を作ってしまって……モビーとエイハブ、イシュメルがもう食事を始めてしまっているんですよ」
「…………相変わらずだな」
「ニードヘッグも一緒になって食べ始めていますよ」
「……ニド姉さん」
苦笑しつつ、ファヴニルは行動を開始する。その手には少々特殊な形状をしている鍵が数本握られていた。
「────さて、酒蔵のどれを取り出すか……スノーカック酒でも出すか? いやしかし、あれは日光を浴びただけで爆発するからな……」
ぶつぶつと考え事を口にしながら出て行ってしまったファヴニルを引き留めることができなかったヴィヴィアは、ミラディラウスと二人きりで取り残されてしまう。何か話すべきなのか、それとも持ってきたドレスに着替えを始めるべきなのか悩んでいると、ミラディラウスが口を開く。
「ごめんなさいね? 趣味のことになると誰もが止まらなくなるんです」
「あ、いえ……それはニールから聞いていたので、特に気にしてません」
「そうですか? それならいいのですが……」
一挙手一投足に気品を感じさせる性別がどんどん切り替わるミラディラウスは、コロコロと笑って嬉しそうに目を細める。
「あの子のことを理解しようとして、歩み寄ってくれる友達ができているなんて……本当に嬉しいことです」
「……ニールは、結構友人が多かったと聞いていますが」
「ええ、もちろん。私の自慢の子供ですから。……でも、あの子は寂しがりで、怖がりで……」
「寂しがりで、怖がり……ですか?」
自分が知っているファヴニルの姿と、ミラディラウスの知っているファヴニルの姿に差異がある。
大人びていて、飄々としていて、誰にでも分け隔てなく────と言っても差別する者に対しては嘲笑で返すが────接している、酒と友達が大好きなドラゴンというのが、ヴィヴィアが知っているファヴニルだ。
「そうですよ。あの子、兄と姉にべったりで……」
「……?」
「暗闇が怖くて、ニードヘッグやティフォンと一緒に寝ることが多かったですね。……というか、あの二人のどちらかがいないと眠れないくらいでしたよ」
ピュートーンのところに行くといつも建築の音がしてうるさかったみたいで、行きませんでした。
懐かしい思い出に微笑みを浮かべるミラディラウスの口から飛び出した、ファヴニルの姿は全く想像がつかなかった。あんなに酒に目が無い、どこかつかみどころがないファヴニルが姉の部屋に行って一緒に寝てもらえるようにお願いしに行くなんて、想像もできない。想像して、思わず吹き出してしまいそうになる。
「ヴィヴィアさん、これからもニールと仲良くしてあげてくださいね?」
「え、あ、はい。それは、もちろん」
「そう言ってもらえると嬉しいです。……あなたみたいな娘がいてもいいですね」
「ぇ」
「ふふっ、すみません。長生きしているとどうにも早とちりしていけませんね」
じゃあ私はこれで。そう言って去っていったミラディラウスを見送り、誰もいなくなった部屋でヴィヴィアは立ち尽くし────
「……着替えるか」
考えることを止めて切り替えた。ファヴニル達と付き合っていくにはこの切り替えの早さが間違いなく必須である。
竜の楽園
時間の流れが現世と違う。
ミラディラウス・モルトキュール
ファヴニルの母。
趣味:裁縫
ピュートーン・モルトキュール
ファヴニルの兄
趣味:建築、大工
ニードヘッグ・モルトキュール
ファヴニルの姉
趣味:???
ファヴニルは末っ子。死ぬほど可愛がられてる。内臓をぐちゃぐちゃにかき回されたあとに啜られるのだって愛情表現。愛し方が穿っているのは誤差。