ファヴニルがスリザリンのクィディッチ選手に拳骨を叩き込んだ事件から時が経ち、ハロウィンの日がやってきた。ファヴニルはヴィヴィアと共に鍋をつついていた。大広間には訪れていないが、屋敷しもべ妖精達にあとでいくつか料理を取りに行く約束をしている。
「ううん、美味いな」
「白菜とは言いつつ、噛み噛み白菜はキャベツに近いからな。この水炊きによく合う」
さて、今回二人が食べているのは、日本で愛され続けている水炊き鍋。具材は骨付きの鶏肉、噛み噛み白菜、シイタケ、水菜、ネギ、豆腐というシンプルな構成。しかしながら出汁が染み出ており、食べ進めていくごとに鍋のスープに旨味が蓄積されていくのだ。ヴィヴィアもアドワーズ家の花嫁修業の一環で料理は一通り作れるが、まだまだファヴニルの技量に到達していない。そもそも、ファヴニルは酒造りの一環で様々な場所に紛れ込んでいたため、料理の腕も高水準に達している。倫理観と腐っていない性根以外を持ち合わせている酒カスドラゴンだ。
「牡蠣もいいんだがな……」
「牡蠣?」
「食べたことがないか?」
「見たことはあるが、食べたことはないな」
「そうだったか。……確かに、ホグワーツの食事にも出たことはなかったか」
精々がオイスターソースか、と呟いたファヴニルはポーチからオリーブオイルと唐辛子、そして大振りの牡蠣が詰め込まれたガラス瓶を取り出して開封する。
「オイル煮だ。食ってみろ。癖はあるが、美味いぞ」
「ああ。………………これは、バゲットに乗せてもいいな」
濃厚な牡蠣の旨味に頬を緩ませるヴィヴィアに目を細めつつ、ファヴニルは温めた徳利で熱燗を嗜む。吹き抜けていく酒の香りを堪能し、旨味の暴力を振るう水炊き鍋をかき込めば、幸せが待っている。美味い料理、美味い酒。これだけで人とはここまで満たされるのだ。
「ふむ……俺は酒を合わせるが、それもいいかもしれん」
「ニール、その透明な液体も酒……なのだろうが……ウォッカというやつか?」
「いや、これは日本酒だ。原材料は米。今回飲んでいるのは大吟醸だ」
「だい……?」
聞き馴染みのない言葉に思わず首をかしげたヴィヴィアに対し、ファヴニルは懐から酒のことが書き連ねられた例の分厚い書物を取り出した。
「日本酒には吟醸酒、大吟醸酒というのがあるが、この吟醸というのは『吟味して醸す』という意味だな。丁寧に厳選して造るわけだが、精米歩合というのが吟醸、大吟醸を分け────」
「待ってくれ。そもそも日本酒自体もよく知らないんだが」
「ああ、そうだったな。日本酒というのは、日本で造られた、アルコール度数22度未満の米、米麹、水を原料として発酵させて、濾したものを示す酒だ」
とく、とく、と徳利からお猪口に注がれる透明な液体────日本酒をヴィヴィアに見せながら、ファヴニルは続ける。
「見た目は透明だが……作り方はワインに近い」
「米……というのはあれだろう? アジアの方で主食として食べられている……」
「ああ、その米だ。その米を精米────酒を造るにあたり、邪魔となる不純物を取り除き、洗って水を吸わせ、蒸し、麹を作り……ああ、麹というのはこれのことだな」
「……白いな」
懐から取り出された、厳重に保管されているらしい透明な瓶の中に入っている白い物体。米に花を咲かせるとも言われる米麹の香りを嗅いだヴィヴィアは、何とも独特な匂いがすると感じた。
「ここから酵母を育てるための酒母を造り、仕込みタンクに酒母を入れ、蒸し米、麹、水を入れて醪というものを造る。三回に分けて入れることが多いな。三段仕込み、というやつだ」
「どれくらいかけるんだ、その方法だと」
「大体一ヶ月くらいだな」
「結構時間がかかるんだな、他の酒もそうだが」
「ああ。……そして、アルコール発酵が進んだ醪を、酒と酒粕に分ける『搾り』という作業を行い……滓の除去、度数の調整、火入れなどの工程を経て、日本酒は完成する」
「長い時間がかかるな…………それで、吟醸と大吟醸というのは、どの工程で決まるんだ?」
「精米時にどれだけ削ったかで決まるな。玄米────米を脱穀したばかりの状態のものだな。それをどれだけ削って造るかで決まる」
そう言ってファヴニルが次に取り出したのは、徳利の中身が入っていた酒瓶だ。その裏には日本語で何かが書かれているが、日本語を読み取ることができないでいるヴィヴィアは、見せられたところで疑問符を浮かべるのみであった。
「この酒は精米歩合40%……つまり、玄米を60%削って、残った40%を酒造りに使っていることを示している」
「…………もったいないように感じるのは私だけか?」
「削らねば雑味が出る。もっとも、雑味も悪いものではないんだが」
ガリッ、といつの間に取り出したのか分からないカセットコンロと揚げ物鍋で揚げていた骨を噛み砕き、熱燗を飲み干したファヴニルは、次はぬる燗だと呟いて別の徳利を取り出して酒を飲み始めた。隣には薬水の他にも普通の水が入ったグラスも用意している。あり得ないが二日酔い、悪酔い対策である。
「どれだけ削ったから良い、というものでもないからな。酒とは全く奥が深いものだ」
「うーむ……武器もゴブリン製が至高ではない、というところに通ずるのか……?」
「ゴブリン製……ああ、グリフィンドールの剣とかか」
「なぜゴブリン製だと知っているんだ」
「父が組み分け帽子から引きずり出して見聞したことがあるそうだ」
ホグワーツの秘密であろうことがサラッとファヴニルの口から飛び出した。ちなみにファヴニルの父親はグリフィンドール所属だったため、抜けてもおかしくはない。
「ただ、ダーインスレイヴやバルムンクを見ている父さんからすれば、いい武器止まりだったようだが」
「……追及していなかったんだが、あの時使ったダーインスレイヴは、本物なのか?」
「ああ。借り物だが」
ほら、と何かを気負うこともなく懐から取り出された、鞘に納まったままであっても禍々しい気配を抑えられていない赤黒い魔剣。アドワーズ家の蔵に保管されているどの武具よりも強い神秘を宿している魔剣を前にして、ヴィヴィアは思わず息を呑んだ。
「ドヴェルグの遺産と言うだけあって、いい剣なんだがな。いかんせん癖が強い」
「血を吸わねば納まらない、という呪いか」
「それだ。無理矢理納刀したことがあったが、代償に肩から腰にかけてまで切り裂かれたな。あれは中々の経験だった」
「リスクが大きすぎやしないか」
「その後すぐに再生したが。ドラゴンを殺したいなら竜殺しの力を宿した武器でないとな」
カラカラと笑いながら鍋の野菜をかき込むファヴニルに、ヴィヴィアは呆れたような笑みを浮かべることしかできなかった。
そうしてしばらく談笑しながら鍋をつつき、〆の雑炊を食べ終えて一息ついていると、ファヴニルも飲んでいた酒が無くなったのか、薬水と水を口にし始める。
「…………なぁ、ニール」
ふと、ヴィヴィアがどこか物憂げな表情を浮かべてファヴニルを呼ぶ。
「なんだ。デザートか? 晩酌用のチーズケーキしかないぞ。ほら、一ピースやろう」
「ああ、ありがとう。────いや、そうではなく」
「なら何だ。酒か? 酒の初心者にはカシスオレンジなどがいいと思うぞ。飲むか?」
「いや、飲まないんだが。……ちょっと、相談したいことがあってな」
そう言われて、ヴィヴィアの話を聞く気になったファヴニルは、三種類のチーズを絶妙な割合で作ったミラディラウス謹製のチーズケーキを口にしつつヴィヴィアの言葉に耳をかたむける。
「最近、妙な声が聞えることがあってな」
「ふむ? それはホグワーツだけでか?」
「ああ。ホグワーツに来てからだ」
チーズケーキに口元を綻ばせつつ、ヴィヴィアは続ける。
「継承者、騎士、部屋……途切れ途切れなんだが、君と一緒にいない時に言葉が聞えるんだ。シュー、シュー、という音と共に」
「…………ほう。それで、それが不安だと?」
「それも、なんだが……私はその……パーセルマウスだから、ホグワーツに蛇がいるのではと思ってな……」
昔から、蛇はあまり得意じゃないんだ。
そう言いながら苦い顔を浮かべるヴィヴィアに対し、ファヴニルはパーセルマウスとは何ぞや、という状態であった。魔法界の言葉には疎いのである。
「その、パーセルマウスというのはなんだ?」
「蛇と会話ができる人間のことを示す言葉だ。パーセルタング……蛇語を話せる口、という意味でパーセルマウスだ」
「ああ、蛇語か。となるとヴィヴィア、お前は爬虫類語を使えるのか? 両生類語は? 鳥類語はどうだ?」
「いや、蛇限定だ。というか、他の生物にも言語があるのか」
「それはそうだろう。俺達が普段意識していないだけで、あいつらは賢い。で、その言語とやらがどうした?」
「君と一緒にいないとよく聞こえてきて、正直怖いんだ。蛇、苦手だし。それに……パーセルマウスは、サラザール・スリザリンと同じでな」
ヴィヴィアの先祖はサラザール・スリザリンに仕えていたのだから、蛇の言葉を言語として学んでいたとしてもおかしくはないだろう。それがどうした、と言わんばかりにチーズケーキを口にするファヴニルを見て、ヴィヴィアはちょっとだけおかしくなって微笑む。
「まぁ、この際サラザール・スリザリンはどうでもいい。このご時世、パーセルマウスはあまりいい素質とは言われていないんだ」
「なぜだ?」
「闇の帝王……ヴォルデモート卿がそうだったからな。闇の魔法使いに属する人間だと言われてもおかしくはない」
「ふむ……なら、俺もそうか? 」
ファヴニルの口から飛び出した言葉に目を見開いたヴィヴィア。蛇語だ。ファヴニルの口から蛇語が飛び出したのだ。
「き、君もパーセルマウスだったのか……!?」
「俺の家庭教師はティフォン姉さんの眷族のゴルゴーン三姉妹だぞ。ギリシャ語と蛇語が話せずに彼女らとどう話せと」
ギリシャのとある島に閉じこもっていたゴルゴーン三姉妹。彼女らを快楽堕ちさせて女神から竜の眷族にしてみせたティフォンの色ボケぶりには、幼いファヴニルも呆れていたが三姉妹全員が幸せそうに過ごしているので、何もツッコまなかった。幼い頃から案外空気は読めていた。読まずに突き抜けていくことが多々あるが。
流暢に人間の言葉と蛇の言葉を切り替えて話をするファヴニルを見て、ヴィヴィアは思わず引き攣った表情を浮かべた。
「そもそも、竜の楽園には世界中から色んな連中が集まっているんだ。どんな言語でも話せないと話にならん」
「つまり……君にとっては、パーセルマウスは珍しいものでもなんでもない、ということか?」
「ああ。正直お前が蛇語以外話せないと聞いた時、ちょっと落胆したぞ。蛇がいけるんだから爬虫類語もいけるだろうに……」
「そもそもパーセルマウス自体、本当に少ないんだ。ゴーント家も断絶して久しい……動物との会話だって、普通は人間の言葉でやるだろう?」
「ふむ……なら、俺が教えてやろうか? 蛇語が話せるなら、他言語もすぐだろう」
パーセルマウスについて相談したら、言語を教えてやろうかと言われ、ヴィヴィアは驚きつつもレイブンクロー生らしく新たな知識の扉を前に目を輝かせる。不安に心を苛ませるよりも、興味のあることに熱中した方が余程建設的だ。
「そも、蛇語自体古風な言い回しが多いからな。あれが話せるし聞こえるなら、他の言語は死ぬほど簡単だ。で、どうする?」
「教えてくれるなら、ぜひとも」
「よし。なら、最初はどうしたものか……やはり爬虫類語か? それとも鳥類語か?」
「なぜ鳥?」
「蛇語に近い言語だからだ。両生類語も近いが、鳥類の言語の方が使い勝手もいい」
ふくろう便を使うなら特にだろう。アドワーズ家のフクロウと話をした時、賢者然とした賢い老フクロウであったことを思い出しつつ、ファヴニルはヴィヴィアを見る。
「結局はお前の興味が赴くままに学ぶのがいい。その方が伸びるからな。どうする?」
「ううん…………じゃあ、鳥類語を最初に教えてくれるかい?」
「了解した。と言っても、鳥類語の発音を少し教えた後は会話をし続けるだけなん────」
「────────殺してやる」
不意に、遠くで微かな声が聞えた。
「……この、声は」
「…………口実ができたと喜ぶべきなのか否か、迷いどころだな」
「殺してやる……! 殺してやるぞ!!」
強い殺意を持った言葉が、風鳴りのような音と共に聞こえてくる。間違いなく、蛇の言葉だ。シュー、シュー、という音が微かに聞こえる。しかし、ファヴニルとヴィヴィアがいる場所からは離れているようで、遠くから叫んでいるような声だ。ファヴニルに近付きたくないのか、それともファヴニルもヴィヴィアもターゲットではないというだけなのか。
森で蛇に噛まれたことがトラウマとなって蛇が苦手なヴィヴィアが青褪める中、ファヴニルはその声がどこから聞こえてきているのかを確かめつつ、ヴィヴィアの後ろに移動して座った彼は、耳を両手で塞ぐ。
「ニール……っ?」
「しばらく耳を塞ぐ。声が聞えなくなったら離す────といっても聞こえているか分からんが」
防音魔法もかけてはいるが、念には念をと言わんばかりにヴィヴィアの耳を塞ぐファヴニルは聴覚を尖らせて、友人を不安にさせる下手人ならぬ下手蛇がどこにいるのか探す。何かを這いずる音と、シュー、シュー、という音はほぼ同じ場所から聞こえてくる。
(ホグワーツがどういう配線をしているのか知らんが……パイプを移動しているのか? パイプ……下水道か? いや、しかし……この城にそんなものがあるのか? 魔法であれこれやってる可能性があるこの城に?)
ホグワーツの近くに流れる川も、湖も全く汚れていない。下水処理はどうやっているのかと考えれば、魔法で消失させているとしか考えられないため、汚れた水などをどこかに溜め込んでいるのか、それとも下水が発生した時点でホグワーツ城が消し去っている可能性がある。
(しかし、さっきから別の声も聞こえるな……これは、蜘蛛か? やかましいな……なんだ、蜘蛛は蛇嫌いか? そんなことあるか……? ヨルの嫁は蜘蛛だぞ。そんなことあってたまるか)
場所を特定しようにも、それ以上にやかましい蜘蛛の叫び声が邪魔をして、場所を特定できずにいるファヴニル。蜘蛛の叫びがノイズとなって、ついに下手蛇の居場所を特定することができずに気配や声も消えてしまった。次があったらすぐに特定して酒に漬けてやろうと決意しつつ、ファヴニルはヴィヴィアから手を離した。
「どこかに消えてしまったようだ。悪かったな、ヴィヴィア。急に触れて」
「あ、ああ……うん、大丈夫だ。だが……次があったら先に何をするか言ってくれ。びっくりするからな」
「善処しよう」
あ、これ全く反省していない。何となく察したヴィヴィアは少しだけ火照っている頬を冷ましながら、残りのチーズケーキを頬張る。濃厚な甘さが心を落ち着かせてくれる。これ程素晴らしいチーズケーキを食べたのはいつ以来だろう。
ホグワーツ二年目のハロウィンから、また色々と騒動が始まりそうだ。そう思いながら、ファヴニルは薬水を口に含み、ヴィヴィアはチーズケーキを食べ進めた。
パーセルマウスアドワーズ