ファヴニルとヴィヴィアの戦闘実習があった日から特に代り映えのしない時が経過し、ハロウィンの時期がやってきた頃。ヴィヴィアに招待される形でレイブンクローの談話室にいたファヴニルは、日本の娯楽である百人一首を並べてレイブンクロー生と共に娯楽に興じていた。
「秋の田のかりほの庵の────」
「これ────うわぁっ!?」
バンッ、と下の句が綴られた札を叩いたレイブンクロー生だったが、魔法がかけられている百人一首の札が彼の手を弾き飛ばしてしまう。
「これね」
「正解だ」
手を弾かれた生徒の正面にいたレイブンクロー生、チョウ・チャンが正解の札を取る。天智天皇が詠んだとされる句であり、上の句は『秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ』、下の句が『わが衣手は 露にぬれつつ』となっている。これを全て暗記している百人一首の名人達の頭脳はどうなっているのだろうか。
「決まったな。勝者はチョウ・チャン。おめでとう」
「ありがとう。でも本当にぎりぎりだったわ」
「僅差でしたね」
「私としては、どうして君がこんな古風なものを持ってるのか気になるところだけど」
「友人からのプレゼントで貰っただけですが」
札を回収しながらファヴニルはこれを贈ってきた友人のことを思い出す。この友人ももちろん偏屈なやつで、世界のありとあらゆる書物や文献をかき集め、全てを読み漁っては悦に浸るという行為を繰り返している存在だ。つまるところファヴニルとは同じ穴の狢である。蒐集家が渡してきた百人一首をやろうにもハッフルパフの生徒達はこういった娯楽よりもチェスに夢中で、グリフィンドールの生徒達はそんなことをやるよりも体を動かしたいという人間が多く、スリザリンの知り合いはおらず。結局ヴィヴィアがいるレイブンクローで、百人一首を行うことになったのである。
ちなみにちょっとした頭の体操になるレイブンクローの謎かけは、ほぼノータイムで回答して正解した。問題は『見られることを拒む者が好む宝石を答えろ三つのうちから選べ』という謎かけ。色はタイガーアイ、エメラルド、ピンククォーツ。答えはピンククォーツ。
「ふぅん。……あ、そうだ。君ってハッフルパフだったよね?」
「ええ」
「じゃあこれ、セドリックに渡してくれないかな」
東洋人の血を引く少女チョウから渡されたのは、丁寧に包装された手紙のようだ。人間とはかけ離れた嗅覚をしているファヴニルはその手紙から僅かに香る香水の匂いと、チョウ自身の心音から、この手紙が何なのかを何となく理解する。
「……ふむ。まぁ、渡すだけであれば。しかし、こういったものは自分で渡すのが良いものでは?」
「色々あるのよ、女の子にはね」
女心とはかくいうものか。ファヴニルは女心が分からないし、分かろうとするつもりもない。ただ酒を飲めれば問題ない。そんな考えが後々面倒事を起こすが、これはまた別の話。
ファヴニルは約束を守る。チョウがこの手紙を渡してほしいというのであれば、確実にハッフルパフの人気者であるセドリック・ディゴリーへと渡す。ドラゴンが伝書鳩の役割を果たすとは何とも滑稽な話ではあるが、不満はない。酒を造るのには何かと金が必要だったため、郵便配達の仕事をしていたこともあったのだ。おおよそ九十年前の話である。
「そういえばモルトキュール、噂は本当なのかい?」
「噂?」
「スリザリンの連中の顔面を叩き潰したって噂だよ」
「誰だそんな噂を流したのは」
確かに討論もしたし、魔法の実験もしたが、顔面を叩き潰した記憶はない。そんなことをしたらスリザリンの生徒の脳漿をぶちまけてしまう。
「そんな蛮族めいた思想は俺の友人しかせん」
(((友達はやるんだ……)))
「モルト、それは件の友人か?」
「そうだな。あれは蛮族の中の蛮族、頭のいい蛮族だ。だが、まぁ……俺の誇るべき友人だよ」
どんなやつだろうと殴り続ければ死ぬと言わんばかりの鍛え方をしている友人の笑顔を思い出して、ファヴニルは笑う。どんな宝物よりも美しい黄金の瞳を細め、誇らしげに笑う彼の顔は男女問わず一瞬息を忘れるほどのインパクトを有していた。
そもそもファヴニル自身、結構な美形なのだ。うなじにかかる程度の長さの黒髪、鋭くも穏やかな黄金の瞳、線が細いがどこか野性味を感じさせる顔立ちは誰もがカッコいいと口にするだろう。普段はそこまで笑うこともなく、笑ったとしても苦笑や牙を見せる獣のような笑みを浮かべることが多いファヴニルだからこそ、この場にいる者達に大きな衝撃を与えてみせた。その衝撃を受けなかったのは、それこそ常に共にいるヴィヴィアくらいだろう。
「……っと、もうこんな時間か。そろそろ食事の時間だな」
「今日はなんだろうな」
「屋敷しもべ妖精曰く、かぼちゃがメインだそうだぞ」
人目がなければワインと共に楽しんでいるところだ、と心の中で呟いたファヴニルは百人一首が入った革製のケースを懐に仕舞ってレイブンクローの談話室を出る。
特にやることもなかったヴィヴィアもファヴニルと共に大広間へと向かう途中、ファヴニルはホグワーツ内では嗅いだことのない臭いを感じ取った。
「……」
「モルト?」
立ち止まったファヴニルにヴィヴィアは首をかしげる。ヴィヴィアの怪訝そうな表情も気にすることなく、ファヴニルは小さく呟く。
「……まぁ、害はないか。何かするようであれば漬けるが」
「何かあったのか?」
「いいや、特には。酒の材料が思い付いただけだ」
トイレがあるだけの場所を見てそう言ったファヴニルに、ヴィヴィアは疑問符を浮かべながらも追及することでもないだろうと結論付ける。
この酒カスドラゴン、ピーブスにいたずらされそうになった際、ゴーストやポルターガイストであっても酒に漬けることはできると言って、禍々しい気配を放つ瓢箪を取り出したことがあった。それを見たピーブスは絶叫し、遠巻きに見ていたゴースト達も恐れ慄いて逃げ出した。恐らくピーブスが遠くから見ていたのだろうとヴィヴィアは納得し、ファヴニルの隣を歩く。
「それにしてもパンプキンディナーか……」
ふと、ヴィヴィアが悩まし気に呟いた。
「甘いものは苦手だったか?」
「いや、比較的好きな方だが……甘いものばかりだと、正直くどいと感じてしまうな」
「ああ、そういうことか」
かぼちゃパイにかぼちゃジュースなど、かぼちゃを使った料理は甘さを強調させたものが多い。甘いものが好きだと言っても、そこまで甘いものばかりとなれば、飽きが来てしまうというものだ。
「ヘルガ・ハッフルパフが対策していないわけがないと思うがな」
「まぁ、そうなんだが……」
本当に甘いものばかりだったらどうしたものか、と頭を悩ませるヴィヴィアを尻目に、ファヴニルは大広間へ足を踏み入れる。
かぼちゃパイ、かぼちゃジュース、かぼちゃプリン────変わり種のかぼちゃゼリーなんてものも取り揃えられているハロウィンの晩餐。やはり甘いものが多いが、その中で塩気のある香りが混ざっている。ジュウジュウと焼き立てであることを主張する音も聞こえるそれは、黄金の輝きを纏っていた。
一口サイズに切り分けられたかぼちゃと、肉厚なサーモンが散りばめられた、チーズの香ばしい香りを放つそれは────グラタンである。
「おお……!」
「なるほど。かぼちゃとサーモンのグラタンか」
これは予想外だったと考えながら席に着いたファヴニルとヴィヴィアは、もう食べ始めている多くの生徒達と共にハロウィンのご馳走に手を付ける。
「さて、どんなものか……っと、ペンネが入っているな」
「ほう。……ふむ、素晴らしいな」
熱々のグラタンを大きく切り分けて口にしたファヴニルは、グラタンのクオリティの高さに頷く。火入れもそうだが、チーズの香りも際立っている。しかし癖がない。誰でも美味しく食べることができる万人受けする味わいは、名家の生まれの者であっても感嘆の念を禁じ得ないだろう。
続いて手を付けたのは、実際どうなのだと思わなくもないかぼちゃジュース。甘ったるい飲み物かと考えながら飲んでみれば、意外にも甘さは控えめであった。牛乳を使っているのか、塩を混ぜて加熱すればポタージュとして出せるくらいのものだ。甘さや脂っこさをこれで流せ、ということだろうかと思いつつ、ファヴニルはかぼちゃジュースを飲み干して次の料理に手を出そうとしたその時であった。
「……ん?」
バァンッ!! と勢いよく大広間の扉が開け放たれ、闇の魔術に対する防衛術を担当しているクィリナス・クィレル
が飛び込んできた。
「ト、トロールが、ホグワーツにっ……! お伝えしなければと……!」
飛び込んできたクィレルはそれだけ言って倒れてしまった。
(前から思っていたが……妙な臭いを放ってるな。死臭に近いが……やつは生きている)
ざわつく大広間の中で、クィレルの臭いに違和感を感じているファヴニルは、ダンブルドアの一声すら耳にせずにジッとターバンを巻いた彼を見る。
「モルト、避難するそうだ」
「……クハッ。そんな暇はなさそうだぞ?」
「何を────」
ヴィヴィアが何かを言い切る前に、ファヴニルは手に持っていたフォークを大広間の出口へと投擲する。
銀の軌跡を描くフォークは真っ直ぐ、凄まじい速度で飛んでいき────
「ギャアッ!?」
ヒョウのような姿をした魔法生物の右目に突き刺さった。その姿を見た大広間の生徒達や、一部教師陣も戦慄を隠せなかった。
喉や首回りを鋭い棘で覆った黒い毛皮のそれは、幻の動物とその生息地を開けばすぐに現れる魔法生物の一角。その巨体からは想像ができないほどの忍び足で獲物へと襲い掛かり、鋭い牙や爪、村一つを滅ぼすほどの劇毒の息を使って獲物を仕留める────ヌンドゥである。
熟練した魔法使いが百人以上で束になってかからなければ、鎮圧できたためしがないとされる恐るべき獣が、大広間に現れたのだ。
「馬鹿な……ヌンドゥだと!?」
突き刺さったフォークによってのたうち回っているヌンドゥを見て、大広間は大混乱。教師達の制止も聞かずに我先にと逃げ出す生徒達がヌンドゥに狙われなかったのは間違いなく幸運であっただろう。その幸運をもたらしたのは、何を隠そうファヴニルだ。
先程投擲したフォークはファヴニルが使っていたため、彼の臭いが染み付いている。唾液も多少は付着しているだろうそれはファヴニルの気配を強く宿していた。だからこそヌンドゥはのたうち回りながらもファヴニルの臭いを感じ取り、自分に攻撃した者に強い怒りを感じている。痛みに耐えながら立ち上がったヌンドゥの左目からは凄まじい怒りが発せられていた。
「ふむ……まぁいい。アドワーズ、少し出る」
「モルト、君は何をしようと────────は?」
ファヴニルがゆらりと立ち上がり、パキパキと指の関節という関節を鳴らしながらヌンドゥに近付いていく。自殺行為にも等しいその行動を、生徒の統率のために出ていった何名かの教師以外の教師が止めるが、ファヴニルの足は止まらない。
ゆっくりと歩いてくるファヴニルを見て、ヌンドゥは怒りに満ちた表情を浮かべていた。
こいつだ。こいつが自分の右目を潰した矮小な存在だ。生意気なやつだ。
怒りと慢心が込められている威嚇を行うヌンドゥにファヴニルは全く怯まない。そんな生意気で矮小な存在を己の自慢である牙と爪で引き裂いてやろうと動こうとした直後、ヌンドゥの舌に何かが突き刺さった。
「ギャアアアアアアアアアッッ!!?」
「痛むか? ああ、そうだろうな。ナイフに少しズルをさせてもらった」
ナイフが突き刺さった部分が熱を帯びたように熱く、そしてジリジリと沁みる。
ナイフに魔法で大量に纏わりついていた液体が原因である。それは、96度という世界最高峰の純度を誇るアルコール飲料。ポーランドを原産とするウォッカであり、七十回以上の蒸留を行うという狂気の産物。
名を、【スピリタス】。精製アルコールの名を冠する酒である。
恐ろしい酒を纏ったナイフが突き刺さったヌンドゥは右目を潰された時よりも凄まじい絶叫を上げて、たたらを踏んで後ずさる。
そんなヌンドゥにファヴニルは、獣のような笑みを浮かべて迫っていく。穏やかな眠りを妨げられたドラゴンのような気配を纏い、黒い髪を揺らしたファヴニルはヌンドゥの左目に鋭い爪を突き立て、眼球を握り潰すようにしながら引き抜いた。
この世のものとは思えない絶叫を上げて、ヌンドゥは暴れる。暗闇の中で敵を探すように怒りと痛みを訴える咆哮を上げるが、敵であるファヴニルは全く動じない。
飛び散る血を浴びながら、ファヴニルは笑っていた。凄惨な笑みを浮かべていたのは、幸いなことに誰も見えていない。だが、ヌンドゥは優れた聴覚で聞き取っていた。感じ取っていた。笑っている。笑って、自分を痛めつけている!
生意気で矮小な存在のくせに! 成す術もなく殺されるようなただの餌のくせに!
ヌンドゥは抵抗しようとした。しようとしたが、体が動かないどころか大きく仰け反った。攻撃しようとした瞬間に、ファヴニルがその鼻っ面を殴り飛ばしたのだ。
起き上がり、殴られる。起き上がり、蹴り飛ばされる。起き上がり、殴られる。起き上がらなくとも殴られ、蹴り飛ばされる。顔を、足を、腹を、首を、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も殴られ、蹴られた。人間の姿ではあるが、ドラゴンの系譜であるファヴニルの膂力の前に、ヌンドゥは何もできない。
お前を殺すのに技など必要ないと言わんばかりの野蛮な攻撃に晒され続けたヌンドゥは、もはや限界であった。声も出せず、脳天を突き抜けていく激痛と恐怖に支配され、ヌンドゥは屈した。
「つまらん。この程度なら、アドワーズと共に戦っても問題はなかったな」
死に際の力を振り絞って逃げようとしたヌンドゥが最後に聞いたのは、そんな失望が混ざった声だった。
凄まじい激痛も、恐怖も、何も感じなくなり、冷たくなっていく中でヌンドゥはようやく解放されたと、冷たさに身を委ね────絶命した。