大広間の惨状が片付けられたのは、ヌンドゥが絶命してすぐであった。
その惨状にフリーズしていた監督生や教師陣が協力して、ぶちまけられた血肉をエバネスコ、スコージファイなどを駆使して掃除を終わらせたのだ。
ただ、その惨状を片付けるまでに監督生を含めた多くの生徒が吐き気を催して目を背けてしまった。
原型をギリギリ残している半ミンチ状態のヌンドゥを中心に滴る血肉。ヌンドゥの頭から引きずり出されたらしい脳髄、引きちぎられた眼球、叩き折られて剥き出しになっている骨など────グロテスクすぎたから、当然ではある。この惨状を変えたらさっさとマダム・ポンフリーのところで忘却処理を行ってもらおうと誰もが誓っていた。ちなみに七年生以下の生徒のほとんどがグロテスクなオブジェによって気絶している。
さて、そんな地獄のような惨状を生み出した張本人である我らが酒カスドラゴンことファヴニル・モルトキュールは何をしているのか────
「つまらん。あのヌンドゥはメスだった」
何事もなかったかのようにヴィヴィアが座っている席の隣に座ってミントティーに舌鼓を打っていた。後処理でてんやわんやしている教師と生徒を眺めながら、この行動。倫理観がクソである。
「……色々と言いたいことはあるが、まずなぜメスじゃつまらないんだ」
「メスは酒の材料になる部位が一つもない。オスなら睾丸を焼酎に漬け込むのだが」
「…………なぜヌンドゥに挑んだんだ。ダンブルドアもいた、この大広間で」
「それをお前が聞くのか、アドワーズ。仮に俺が出なければ、飛び出したのはお前だろうに」
ファヴニルのどこか見透かすようで、楽しそうな輝きを宿した瞳にヴィヴィアは黙り込んでしまう。
あの時、ファヴニルが動かなければヴィヴィアが真っ先に飛び出していただろう。逃げ惑う生徒全員を守るため、なんてことを考えていたわけではない。ヌンドゥの近くに倒れてしまったクィレルをどうにか助けるためにだ。名前を知らない誰を助けるために動けるほど、ヴィヴィアはお人よしではなかった。
「あの程度の獣相手なら、お前と俺とで戦っても問題はなかったな」
「ヌンドゥの吐息には毒があるが」
「クハッ、俺を殺したいのならジークフリートやシグルドでも呼んでくるんだな」
ふと、冗談めいた声音でそう言ったファヴニルに近付く影があった。いつもと同じ、穏やかな表情を浮かべているホグワーツ魔法学校校長、ダンブルドアだ。
「談笑しているところ悪いんじゃが、少し良いかのう、ファヴニルや」
「……ええ、構いませんよ、ダンブルドア」
「すまんのう。長々と話すつもりはないが、校長室に行こうかの」
そう言ったダンブルドアが杖を振るうと、ファヴニルとヴィヴィアの見ていた景色が一瞬で切り替わる。
所狭しとものが置かれ、ホグワーツの校長だったのであろう者達が描かれた肖像画が飾り付けられている、執務室のような部屋は、ダンブルドアが話した通り校長室だ。しかし、その校長室に訪れた時に使った魔法に、ヴィヴィアは疑問を抱く。
「ホグワーツでは姿現しが使えないのでは?」
「ほっほっほ。よく調べておる。レイブンクローに五点。実を言うとな、校長のみが裏道のようなものを使って姿現しを行えるのじゃよ」
「ふむ……それで、話というのは?」
ファヴニルがダンブルドアに本題を話してほしいと促すと、ダンブルドアは微笑みを湛えつつもう一度杖を振るう。そこに現れたのは、果実が漬けられた琥珀色の液体。魔法の道具なのか、壺の形をしているのに、陶器ではなく透明な────それでいて冷気を放っている。壺の隙間から香る匂いを嗅いだ瞬間、ファヴニルはその液体が何なのかを察した。
「チェリー酒……それもブランデーで漬けているものか」
「うむ。これを寝る前に数滴紅茶に入れるのが好きでな。小さい器に注いで一気に飲むのも捨てがたい」
「炭酸水で割るといい。ハイボールはいい酒の飲み方ですよ」
「ほう! ならば今度試してみるかの。いやはや、年を重ねようと、まだまだ発見があるものじゃ」
「なんなら今から試してみますか? 強い炭酸を作るメーカーが非魔法界にはありましてね」
「なんと。実に興味深い」
嬉しそうに笑うダンブルドアと、酒のことになった瞬間目を輝かせながらあれこれと口から話が飛び出してくるファヴニル。そしてそれに置いていかれているヴィヴィア。
状況が混沌とし始めている中、置いてきぼりを喰らっているヴィヴィアが斬り込んだ。
「ダンブルドア。なぜ私達をここに連れてきたのですか?」
「おお、そうじゃった。嬉しい発見に危うく忘れるところじゃった」
朗らかに笑ったダンブルドアが用意した椅子にファヴニルとヴィヴィアが座ると、鷹揚に頷いたダンブルドアが今回二人をこの場に連れてきた理由を口にする。
「今回二人をここに呼んだのはな、ファヴニル、先程のおぬしの行動にある……のもあるが」
「ふむ」
「おぬしの出自についても、聞きたいと思ってのことじゃ」
「アドワーズを連れてきたのは?」
「おぬしが最も親しくしている者は、ヴィヴィアじゃろう。ホグワーツの中で、彼女が最もおぬしのことを知る権利がある」
「なるほど、道理だ」
ダンブルドアの言葉にファヴニルが頷くと、ヴィヴィアが再び疑問符を浮かべる。
出自。ファヴニル・モルトキュールの出自。確かに気になるところではある。友人であり、何も考えることなくスリザリン行きだろうと考えていた自分に、別の道を示してくれた恩人。よく話をするし、聞いてくれるファヴニルの故郷の話は何度も聞いていたが、どうにも信じられない話ばかりだった。
曰く、故郷の人々全員がとんでもない趣味人であり、もれなく全員が趣味に生きている者で、ファヴニルもまたその類であるという。曰く、友人達もとんでもない趣味人。死なないと慢心しているやつはサンドバッグに丁度良いと考えている蛮族。
嘘だと言いたいような話しか出てこなかったが、それでもホグワーツで過ごす中でファヴニルが嘘を吐くような人間ではないことをヴィヴィアは良く知っていた。そして、彼のことをもっと知りたいとも考えていた。
「もちろん、ヴィヴィア……おぬしが彼の出自について知らなくても良いと言うのであれば、レイブンクロー寮の談話室に送るが────」
「いいえ、ダンブルドア。私は、ファヴニル・モルトキュールの友人として、彼のことを知りたいと考えています」
「うむ。そう言ってくれると思っておったよ」
ヴィヴィアの答えに満足そうに笑ったダンブルドアは、ファヴニルに目を向けて口を開く。
「ファヴニル。偉大なる創設者達と契約を交わした偉大なる竜の末裔よ、おぬしの話を聞かせてくれるかのう?」
「無論だ。ホグワーツ校長の命ともなれば、答えぬわけにはいかないでしょう」
そう言ってファヴニルが指を鳴らすと、バキリッ、と何かが砕ける音が響く。その後すぐに、ファヴニルの姿に異変が起こる。
瞳孔が蛇のように裂け、頬から首────胸にもだが────にかけて黒く、美しく鋭い鱗が生え、頭には禍々しい捻じれ角が生えてきた。ファヴニルの姿の変化はそれだけでは止まらない。服を突き破るように夜の帳に星が瞬くような艶やかな輝きを湛えた翼が現れ、強靭で、しかし細くしなやかな黒い尾も生えた。
「ド、ドラ────!?」
ドラゴン。誰がどう見てもドラゴンの各パーツが、人間の姿のファヴニルにくっ付いている。
「ふむ。やはりこっちの方が楽だな」
「儂も遠い昔に少しだけ見たが、何度見ても驚く。素晴らしい変身術じゃ」
「まぁ、人間の血が混ざっているからこその芸当ですがね」
これが純ドラゴンではそうはいかない。そう言ってダンブルドアが用意した酒を一口含んだファヴニルは、開いた口が塞がらないでいるヴィヴィアの方を見て笑った。
「そこまで驚いてもらえるとは、光栄なことだ、アドワーズ」
「いや、待て……それ、本物なのか? 魔法でちょっと誤魔化しているとか、そういうものではなく?」
「クハッ。そんな器用な真似ができるくらい、俺は魔法に精通していない。本を集めている友人ならあるいはできるだろうが」
まぁ、そいつも竜だがな。
ファヴニルが笑うと、ヴィヴィアは頭が痛そうに顔をしかめる。頭痛がこの状況を現実であると認めさせてくる。現実なのだ。目の前にいる黒い鱗のドラクルも、自分の手に微かに触れたひんやりとしていて、肌触りの良い鱗の感触も全て。
「さて、俺の出自……と言っても、そこまで大それたものでもない」
そう言って、ファヴニルは自分の出自を軽く話していく。
「遠い昔の話だ。ある竜がいた。その竜は孤独だった。生まれた時、脆弱であるとして親竜の愛情を受けることができず、己の力のみで生きてきた」
「竜は強かった。他の竜の縄張りを奪い取ることだってできた。脆弱とは思えぬほどに」
「だが、竜は他の竜に────縄張りを奪われた竜達の報復を受けた」
当たり前だ。ドラゴンとは、気高い存在。縄張りを奪われたとなれば、それは間違いなく屈辱だろう。その屈辱を晴らすために、ドラゴン達は、その竜への報復を行い────ドラゴン達が勝った。
ヴィヴィアも、ダンブルドアも真剣な表情でファヴニルの言葉に耳を傾けている。
「竜は傷付き、誰も知らぬ場所へと逃げた。逃げた先で────神獣として崇められた」
「崇め、恐れ、敬い────生贄を捧げた」
「だが竜は生贄を拒んだ。だが生贄は竜に捧げられることを望んだ。生贄は、その地で忌み子とされていたからな」
「孤独な竜と、孤独な生贄は、互いに共感し、共鳴し────恋をした」
クハッ、と笑ったファヴニルは紡ぐ。
「どちらも愛を知りたかったのだろうな。誰も、自分を愛してくれなかったから」
「お互い、愛を欲した者……二人は結ばれ、竜と生贄はその場を去り、新天地で小さな家を作った」
「その頃には人間の姿になることも学んでいたらしい竜は生贄だった少女と同じ人間の姿で愛を育み。子を成した」
「……まぁ、そんな竜と少女の子供が俺の先祖だ」
「その先祖のあれこれを見ていたからなのか、その子供も人と恋をして結ばれて、その子供は竜と恋をして……」
そこでファヴニルは言葉を区切り、酒を口に含んで笑った。
「そうやって紡がれてきた竜と人の間に生まれた家系、その一番下の子供が俺というわけだ」
「…………………………それを書き綴っただけでギルデロイ・ロックハートの著書を超える名作になるぞ……?」
(ギルデ……ああ、昔友人に粉をかけて歯を半数以上折られたやつか)
その時あの男は何をしようとしたのだったか。そう思ったが、ファヴニルは興味のないことを即刻忘れるタイプである。何も覚えていなかった。なお、魔法は喰らっていない。喰らっていたとしても数分程度記憶が飛ぶ程度で済んだだろう。
「まあ、俺の出自はそんなところだ。それで、ヌンドゥについてだが……まぁ、憂さ晴らしもあったが。誰もすぐに対応できてなかった。だから動いた。それだけだ」
「うむ。その行動によって、生徒全員が助かった。……じゃが、もっと穏便にはできんかったか?」
「魔法を使ってもあれくらいになるでしょうに」
「……まあのう」
下手に捕獲しようとすれば、大きな被害が出る。殺処分が一番早かった。恐らくダンブルドアも躊躇うことなく許されざる呪文を使ってでもヌンドゥを止めただろう。そうでもしなければ、多くの生徒に被害が及ぶ。それはダンブルドアの本意ではなかった。
「それに、ありえないことではあるが、俺の友人が傷付く可能性が僅かにあるのなら、例え闇の帝王とやらでも叩き潰すつもりだ」
この時ファヴニルが浮かべた表情を見て、ダンブルドアも、ヴィヴィアもドラゴンの宝に手を出すことの恐ろしさを心底理解できただろう。ヴィヴィアはどこか恥ずかしそうにしていたが。
「ところで、ダンブルドア」
「うん?」
暗い話はもうまっぴらだと言わんばかりに、ファヴニルがニヤリと口元を歪めた。
「炭酸水、試してみますか?」
「────ほっほっほ。そうじゃのう、実はさっきから気になって仕方が無かったのじゃ」
朗らかに笑ったダンブルドアは、魔法でキンキンに冷えたグラスと氷を用意して、そこにチェリー酒を注ぐ。そこにファヴニルが氷になるべく当たらないように炭酸水を注ぎ込み────チェリー酒の炭酸割りが完成した。それも三杯。ダンブルドア、ファヴニル、ヴィヴィアの分だ。
「そら、乾杯じゃ」
「あの、ダンブルドア。私はお酒は……」
「ならばチェリーシロップの炭酸割りを飲むといい、アドワーズ」
「いつの間に取り出した……?」
「今さっきだ」
グラスに注がれたチェリーシロップの炭酸割りを用意されたヴィヴィアは苦笑を浮かべながらも、そのグラスを受け取り、三人で乾杯して一気にグラスを傾け────その強い炭酸にダンブルドアもヴィヴィアも驚いて目を見開くことになった。
「これはこれは……なんとも強い炭酸じゃ」
「こ、これは強いな……どこのメーカーだ?」
「日本のメーカーだ。ウィルキンソンと言ってな……昔は仁王印、なんて呼ばれていたものだ。まぁ、本来は英国で誕生したものだが…アサヒというメーカーが作っているからな」
その後、その軽快な飲み口を気に入り調子に乗ってたくさん飲んだダンブルドアが、マダム・ポンフリーから酔い覚ましの薬を貰いに行くのは別の話。ドラゴンと飲む時は自分のペースを保つのが大事である。