ハロウィンの地獄絵図からしばらく。忘却術などで表面的には平穏を取り戻したように見えるホグワーツで、ファヴニルは相も変わらずヴィヴィアと共にホグワーツの探索に勤しんでいた。
「クリスマス、帰らなくても良かったのか?」
「この学期が終わってから帰ってこいとのお達しだ。お前こそ良かったのか?」
「ああ。君のことを手紙に書いたら、是非とも来てほしいとのことだった」
「そうか」
ファヴニルは冬休みに故郷に帰ることはせず、ヴィヴィアの家に訪れることにしていた。もちろんヴィヴィアの家がそれを許せば、という条件付きではあったが、問題なかったらしい。
二人の関係性は、ハロウィンの時から少しも変わっていない。信頼できる友人同士であることは全く変わっていなかった。ヌンドゥの亡骸を見ても少し気分を害する程度で済んだヴィヴィアもどこかネジが外れているのかもしれない。
「ところで、あのヌンドゥ……なぜホグワーツの中に現れたんだろうな」
「ホグワーツの結界があるのにもかかわらず……か」
「ああ。どう思う?」
「大方、俺の血筋が関係しているだろうよ。……憶測だがな」
ファヴニルの血筋は遥か昔、創設者達と契約を結んでいる。それが理由だろうと話したファヴニルは、懐から鮭を乾燥させた酒の肴を取り出して齧る。ホグワーツの守護者になった覚えはないが、約束を守るのがドラゴンである。
「ふと思ったんだが、君と私が知る一般的なドラゴンは何が違うんだ?」
「ああ、簡単なことだ。野生に生きている竜と退屈を凌ぐ術を手に入れた竜がいた。それだけの違いだ」
「……つまり、趣味の有無が、君のようなドラゴンと、一般的なドラゴンの違いだと?」
「まぁ、もっと色々あるんだが……正直興味が無かったから忘れた」
「君は時折大雑把になるな」
「興味のないものをずっと覚えているなど、つまらないだけだろう」
脳のリソースをほぼ全て酒に費やしているファヴニルがそう言うと、ヴィヴィアは苦笑を浮かべた。
そうやって話をしながら廊下を歩いていると、少しひらけた場所に出る。何もない踊り場の中心には────ポツンと大きな鏡が置いてあった。
「……なんだこれは」
「ふむ…………うん? ああ、これは……」
鏡の上に彫られた文字を見て、ファヴニルはその鏡が何なのかを察する。彫られている字は、『すつうを みぞの のろここ のたなあ くなはで おかのたなあ はしたわ』。意味の分からない言葉の羅列の様に見えるが、逆から読めば何と言っているのかが分かる。
「まぁ、面白い鏡だ」
「そうなのか?」
「私はあなたの顔ではなく、あなたの心の望みを写す。願望など、星の数だけあるだろうに」
つまらなそうな表情で言葉を吐き出すファヴニルの隣で首をかしげていたヴィヴィアは、ほんの少しだけ興味が出て、その大きな鏡の前に立ってみる。
「……ん?」
「何が見えた」
「私が写っているのはそうなんだが……家族もいるな。使用人の皆も。皆、笑っている」
今でも変わらない光景が写っているというヴィヴィアの言葉に、ファヴニルは笑う。この厭らしく悪辣な鏡が映し出したのは、ヴィヴィアがずっと見てきて、今でも変わっていない家族達の姿だったのだ。望みが純粋であればあるほど魅入られてしまうという『みぞの鏡』を前にして、ヴィヴィアは首をかしげている。みぞの鏡に意志があったら、ファヴニルは思いっきり煽り散らかしただろう。精神が腐っている。
「モルトは何が見えるんだ?」
「俺か? …………ふむ」
ファヴニルを写し出した鏡は、ファヴニルの心の中の願望を引き出し────写し出したのは、ホグワーツの大広間よりも広いかもしれない広間で、知り合い全員が思い思いの酒や料理を堪能して笑っている光景だった。誰もが笑って、その光景を見ているファヴニルに向けてグラスを掲げて笑っていた。
「クハッ……そうか。お前達もいるのか」
そう言ったファヴニルの横顔を見て、ヴィヴィアは驚愕した。
ファヴニルの顔に浮かんでいたのは……懐かしむような、寂しがるような、しかし間違いなく誇らしげな笑みだったから。
「何が見えているんだ?」
「何……昔、会ったことがある人間も含めて、大宴会という光景だ」
ファヴニルが鏡を撫でる。ヴィヴィアが見たその表情はまさしく郷愁の念のように見えた。
「竜馬、龍、総司、歳三……クハッ、フランチェスコにギュスターヴ。全く、懐かしいことだ」
鏡の中に出てきてはファヴニルにグラスや木のジョッキを掲げてから消えていく人々の名を、一人一人、口にする。酒を飲み交わした者、いきなり切りかかってきたから返り討ちにしたら気に入られた者、いきなり絵を描かせてくれと言ってきた者……非魔法世界で歴史に名を残した者だけではなく、その時代を懸命に生き抜き、人間の輝きを見せてくれた者達と、ファヴニル自身の友人や家族達の姿。
鏡の中にいるファヴニルはホグワーツの制服を着ておらず、いつも通りの服を着て、楽しそうに酒や料理を食べている者達を眺めている。
(だがな、人はいつか死ぬ。だからこそ、美しい……)
竜の力を得たことで、番となった者と永遠に近い時間を生き続けると決めた人間の覚悟もまた、美しいものではあるが、ファヴニルは今この瞬間を懸命に生き続ける者達の輝きもまた美しいと考えていた。人間とは外見だけではない。心の在り方もまた、宝か否かを決める大事な要素であると。
「アドワーズ、この鏡に多くの者が魅了され、破滅した。それはなぜだと思う」
「……心が、弱かったから、だろうか?」
「いいや。心が強かったからこそ、暖かな世界に酷く惹かれてしまったのだ」
どれだけ冷たい世界であっても、生きていける強さを持っていたからこそ、孤独に弱くなってしまった。暖かい場所、日の当たる場所が恋しくなり、その望みが見える鏡に魅入られ、破滅したのだとファヴニルは言う。
「どれだけ失っても歩いていける強さを持つというのは、それだけ出会いと別れを経験してきたということだ。……それに耐えることができる者は、そう多くない」
「それは……君もか?」
「ああ。例え化け物であっても、孤独に耐えうるものなどいない」
ファヴニルの先祖が愛を欲したように、誰かと繋がっていたい、関わっていたいと望んでしまうのだ。
「孤独を好む者もいるかもしれんが、人間は孤独に耐えられる生き物ではない」
「この鏡は、そんな者を魅了する……?」
「ああ。だが、結局偽物だ。遊び道具としては丁度いいが……この鏡に己の望みを見出すのは、なんともつまらないことだと、俺は思う」
見た者の望みが叶った姿を写す鏡と言えば聞こえはいいが、その正体はまさしく呪いの品だ。人の心の弱さに付け込み魅了し、破滅へと導くなど呪いの品以外の何と呼べばいいのか。
ファヴニルは鮭とばをもう一本齧り、禍々しい気配を放つ瓢箪に入った酒を飲む。大分昔に中国で知り合った者から貰ったものだが、ファヴニルはこの瓢箪の酒の味が意外と好きだった。ちなみにこれを取り出すとピーブスが絶叫を上げて逃げ出すので重宝している。
「……ふむ、冷えてきたな。どこか暖炉のある場所で少し休みたい」
「やっぱりドラゴンは寒いのが苦手なのか?」
「いや? 俺の親戚には南極の深海でバカンスを楽しんでいるやつもいる。寒がりは……まぁ、人による、と言ったところか」
「……ちなみに、その親戚の名前を聞いてみてもいいか?」
「ああ、もちろん。エイハブとモビーディックだ。ちなみにその子供はイシュメル」
「…………まさかとは思うが、あの白鯨というマグルの小説は……」
「まぁ、当時の人間が書いたものがフィクションとして発展したものだろうな」
あれを見た時の三人の顔は痛快だった、と笑うファヴニルに頭痛を感じるヴィヴィア。もしかしなくても、とんでもないやつの故郷に遊びに行く約束をしてしまったのではと思いつつ、友人の故郷を見に行くのが楽しみな自分もいることもまた事実。危険なものに惹かれてしまうのもまた、人の本質の一つなのだろうか。
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「おかえりなさいませ、お嬢様」
「ああ、ただいま」
冬休み。魔法界でも有数の大きさを誇る庭園がある豪華な家────ヴィヴィア・アドワーズの実家に招待されたファヴニルは、各方向から監視されていることに気付いていた。当然と言えば当然だろう。アドワーズ家で蝶よ花よと可愛がられてきた一人娘が、まさか男を連れてくるなんて、と思う者がいないわけがないのだ。
アドワーズ家は純血の家系だが、純血主義を掲げてはいない。だというのに、ウィーズリー家のようにあれこれ言われていないのは、偏にアドワーズ家がホグワーツの創設者達に仕え、彼らを象徴する動物の家紋を掲げることを許されていることと、ヴィヴィアの曾祖父の功績が大きいのだろう。簡単に言えば、怖がられているのである。獅子と蛇と穴熊と鷲の怒りなど、考えたくもないだろう。
「それで……そちらの方が?」
「ファヴニル・モルトキュールと申します」
恭しい礼をしてみせたファヴニルを見て、アドワーズ家に仕えて六十年を超えた執事の男はファヴニルが非力な魔法使いではないことを瞬時に見抜いた。恐らく使用人全員が命を捨てて戦ったとしても、遊ばれる程度には強いだろうと。
(よく鍛え上げられているな。杖だけではなく……レイピアか? いや、ショートソードも使うようだな。だが……あれこれ使えるように鍛えていると見た。さすがは騎士の家系……使用人もまた武人か)
執事が観察している時、ファヴニルもまた執事を観察していた。このレベルの人間が束になって挑んできた場合、遊ぶことなどせず本気で叩き潰すことも視野に入れなければ痛い目を見る。ファヴニルの見解はこんな感じであった。超高評価である。
「ご丁寧にありがとうございます。ようこそ、アドワーズ家へ。お荷物をお預かりいたします」
「ありがとう、よろしく頼むよ」
「ありがとうございます」
お互いに観察している素振りも見せず挨拶を交わし、ファヴニルはヴィヴィアと共に執事へと荷物を渡す。
「それではモルトキュール様、お部屋への案内を────」
「ああ、大丈夫だ。私がする」
「お嬢様、私共の仕事を御取りになるので?」
「友人に家や家族を自慢したいと考えるのは悪いことかな?」
「……お変わりないようでとても安心しております」
どこか照れくさそうな執事に笑みを浮かべるヴィヴィアを見て、ファヴニルはアドワーズ家が本当に素晴らしい家であることを理解した。使用人達は主君や主君の家族を本当の家族の様に愛し、主君や主君の家族もまた、使用人達を本物の家族の様に愛しているのだ。
(だが────)
「くっ……執事長め……お嬢様への挨拶を一番に……」
「ああ、お嬢様……写真で見る姿よりもさらに美しくなられて……」
「あの美しさを絵にしなくては」
「お嬢様を一目見れただけで私は満足でございます────いや、もっとよく見たい」
「あれがお嬢様のご友人……確かにただ者ではなさそうだ……お嬢様の視線を奪っているのが許しがたい……いやしかしあの方は間違いなくお嬢様のご友人……」
(俺も人のことは言えんが、独特な人間が多いようだな)
間違いなく退屈はしないだろう。そんな確信があった。