セイウンスカイ、23歳   作:十六夜みやこ

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第1話

 冬の寒さへの対処も板についてきたと感じたのは、早朝のゴミ出しの最中だった。こたつに入らなくなってから十年近く経つが、なければないでどうにかなるものだ。ヒートテックを着る。暖房を高めにつける。外出時にはダウンジャケットを羽織る。東京の冬ならこれだけで十分乗り切れた。部屋が狭いため、こたつやヒーターなんかはもっての外だ。昔の自分はずいぶんと贅沢をしていたものだと失笑する。

 軽量鉄骨、二階、角部屋。六畳一間のアパートで、私は生活している。表札は出さない。というか、この建物の住人は誰も出していない。すれ違いざまの挨拶こそあれど、それ以上踏み込むような真似はしない。そんな暗黙の相互不可侵条約が、私には妙に心地よかった。

「ただいまー……っと」

 部屋に帰ってきた私は、ジャケットを脱いで手を洗い、居間の座椅子に座り込む。机の上のノートパソコンを開くと、仕事用のメールボックスに通知が二桁ほど溜まっていることに気がつく。もちろん依頼のメールとかではなくて、いつ登録したのかもわからないような求職サイトからよくわからない仕事をおすすめされているだけなのだけれど、わかっていてもなんだか憂鬱な気持ちになる。

「はー、やめやめっ」

 蓋をするようにそっとパソコンを閉じる。バイトの時間までネットサーフィンでもして暇をつぶそうかと思っていたが、そんな気分でもなくなってしまった。

 私は座椅子を横に避けて、両手を後頭部に組んでから畳へと寝転がる。仕事内容を選り好みできる立場でないのは重々承知しているけれども、これだけ猛プッシュされるような求人ってそういうことでしょ、とため息をつく。だから私は、23歳になってもフリーターのままなのだ。でも今は、これでいいと思う自分のほうが強かったりする。比較的ラクだし、少なくとも今現在はなんとかやっていけているからだ。

「暇になっちゃったなー」

自転車で片道20分ほどの場所にあるバイト先の周辺には、時間を潰せるようなカフェや雑貨店もなかった。

「ま、ちょっと早いけど行きますかぁ」

 起き上がり、ぐっと背伸びをする。先ほどハンガーに掛けたばかりのジャケットとマフラーを身に着け、財布やら夕飯の残りやらを詰め込んだ弁当箱をトートバッグに入れてから、私はドアノブに手を置いた。今日は歩いていこうと思う。どうせ、時間は腐るほど余っているのだから。

 

 

 タイムカードを切ってから店を出ると、辺りはすでに暗闇へと遷移していた。冬の日照時間の短さに辟易しながら、マフラーをもう一巻して口元を覆う。そのまま無心で歩き続けていると、目的の場所にたどり着いた。

「じゃじゃーん、コンビニでーす」

 何の変哲もないチェーン店のコンビニ。敷地面積も商品も、ごくごく一般的な規模。強いて特別なものがあるとすれば、昔トレーナーさんと一緒にお弁当を買った思い出くらい。

 そんな小さな思い出の集積こそが、私がこの街にしがみつく理由──だと、思う。

「そもそも東京なんて、私には似合わないのにねぇ」

 トレセン学園を中途退学した私は、一度実家に帰った。

 それからずっと、じいちゃんの知り合いが経営している釣具屋で働いていた。何ひとつ不満はなかった。なかったはずなのだが、5年前の夏、居ても立っても居られなくなった私は大した額でもない貯金だけを頼りに家を飛び出し、この街の安アパートへと引っ越してきた。柄にもなく週5で働いている今の私を見たら、きっとトレーナーさんは驚くだろう。

「トレーナーさん、元気にしてるかなあ」

 買い物かごに酒缶やら弁当やら菓子パンやらを放り込みながらふと考える。彼にはもう何年も会っていない。なんなら私がこの街に引っ越してきたことすらも知らないだろう。それは私自身が、彼に会えるだけのご身分を持ち合わせていないから。少なくとも私はそう思っている。いやまあ、彼はそんな心が狭い人じゃないから、結局は照れ隠しの言い訳なのかもしれないけどさ。

 会計を済ませ、コンビニを出る。店内との寒暖差に肌がぶるりと震える。右手にぶら下がるレジ袋の中のおでんのぬくもりだけが、凍える私を励ましてくれているようだった。

 まっすぐ前を見て帰路をたどる。下を見ていると気持ちが暗くなるので嫌いだ。あの日見た流星群よりもきれいな空が見られないことはわかっているので、夜空を見上げることもない。だから私は、いつも目の前だけを見るようにしているし、ここ数年はそういう生き方をしてきたつもりだ。前だけを見ながら、まっすぐ、まっすぐ。

 

 

「ただいま」

 本日二度目の挨拶も、相変わらず虚しくこだまするだけだった。

「ま、いいんだけどね」

 今日はこれがあるから。なんて、両手にぶら下げたコンビニ袋を誰に見せるでもなく掲げる。週に一度……いや、今週は二度目だっけ。ともかく、毎週恒例のひとり打ち上げを行って自分を労るのが、いつの間にか習慣になっていた。

 手洗いうがいを済ませ、鼻歌交じりに買ってきたものを机に並べる。昔、間違ってトレーナーさんのを飲んでしまったときには何が美味しいのかもわからなかった缶ビールは、今や私のマストアイテムだ。それからおでん、弁当、ついでにレジ前で買ったお菓子なんかを順に並べていく。再び座椅子に浅く腰掛けて、私は両手を合わせる。

「いただきます」

 トレセンの食堂ってコスパ良かったんだなぁ。そう食事の度に考えてしまう最近の自分はどうしたのだろうか。思春期はだいぶ昔に終わったと思っていたけど、まだまだセンチメンタルなお年頃? でもあの頃とは違って、私はひとりで感情を紛らわせる術を知っている。でも、これが大人になるということなのかと思うと、やはり夢がないように感じる。私があのとき憧れていた大人は、もっとこう──。

「……お酒、足りないや」

 運よく冷蔵庫に眠っていたチューハイを発掘した私は、何かを忘れるようにぐいとアルコールを喉奥に流し込む。ああ、少し気持ちよくなってきた。いいじゃないか。夜も夜で、それなりに楽しいよ。昔の私に、そう教えてあげたい気分だ。眩しすぎるくらいの青空しか愛せなかった、あのときの私に。

「そうだ、忘れてた」

 私はコンビニ袋の底から、二切れのショートケーキを取り出す。毎週この時間に買いに行くと半額になっているのだ。

「なんで毎回、二切れも買っちゃうのかねぇ」

 一切れだと物足りなくて、二切れだと多すぎる。なんと巧妙な売り方だろう。おかげで毎回二切れも買っては、軽い胃もたれとともに食事を終えている。しかしなぜだか、このもたれた感覚も嫌いじゃない私がいた。なんだか、足りないよりはずっといい気がするのだ。

 ぱくり。一切れ目にフォークを入れて口に運ぶ。おいしい。二口目、三口目と食べ進めると、やはり一個目はすぐになくなる。いつもならここで間を置かず二個目に取り掛かるのだが、先ほど追加した缶チューハイのせいだろうか。今日はどうにも開ける手が重かった。

「明日の朝でもいいかな」

 そう言ってもう一度、ピーチ味の缶チューハイへと手を伸ばす。

 ああ、また思い出した。昔はケーキといえばホールケーキで、友達やトレーナーさんと一緒に食べきっていたっけ。青春だったな、と振り返る度に思う。青い春。青も春もどこかに消えてしまった私には眩しい響きだ。私にも確かにあって、その残滓に縋り付いているからこの街に移住までして、冴えない生活を送っているんだとも思う。

 なんだろう、自分がわからないや。

「トレーナーさん」

 350ml缶を口から離し、彼の名前を呼ぶ。

「会いたいよ」

 今電話をすれば、彼は出てくれるだろうか。

 彼にメッセージで連絡すれば、遊びに行く許可をもらえるだろうか。

 でも、そうやって懇願する私は、あの人にとってのセイウンスカイなのだろうか。

 もしそうだとしたら、それを壊したくはなかった。

「わかんないよ、トレーナーさん」

 机上の一切れのケーキは、電灯の光を燦々と浴びていた。

 まるで、偽物の光しか愛せなくなった今の私を照らし出すように。

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