風呂敷を広げすぎて畳めなくなるのはよくあることですね。
数分の無風状態の後、風向きが逆転した。
黄蓋隊の船が俄にざわつき、そして、方々に火矢が一斉に放たれる。それは他の位置でも起こったらしく、魏の船団のあちらこちらからどよめきが聞こえてきた。遠方から、敵の本隊らしき船の影も近づいて来る。私の乗っている船にも何本かの火矢が届き、火の手が上がり始めた。だが、私は焦らない。全て予定通り。やることは決まっている。
「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!」
鑑惺隊式情報伝達『大声』発動。黄蓋隊の船に向かっていくつかの煙玉が放たれる。もちろんただの煙ではない。お馴染みの唐辛子粉末と、軽い麻酔薬を混ぜたものだ。
「くっ……小癪な!!」
「!……伏せろ!!」
黄蓋の放った三本の矢が、帆柱を圧し折り、船主を割り、私の頬を掠め飛ぶ。黄蓋はピンピンしているらしい。やはり、風向きを考慮して薬量を抑えたのが原因か。疎らになったが火矢もまだ健在だ。
「アレの相手は私がする!お前らは手筈通りに」
私にも遠距離攻撃の手段は有る!
「オラァッッ!!!」
ズト゛ッッ
「ぐぅッ!?」
全身をフルに撓らせることによる加速で、黒いデカいアレを超高速で投げつけた。黄蓋には躱されたが、何人かの敵兵を葬り去って船室を叩き壊す。それに呼応するように、私の頭上を大量の矢が超えていく。今日のために真桜に発注していた毒矢だ。鑑惺隊は弓の扱いに不慣れだが、前に飛びさえすればいいと乱射している。マップ兵器だ。
「このっ……貴様ら………!!」
「………退避!」
毒矢を撃ち終わり、ダメ押しに煙玉を投げた隊員は隣の船へ板を渡して即座に撤退する。
「ハッッ!!」
赤黒い煙に包まれた船から跳びかかる影が一つ。言わずもがな黄蓋だ。
「あの毒喰ろぉてまだその動きができるか」
「生憎、儂はアレを吸っておらんのでな」
「氣か……」
「ご明察」
氣で周囲の気流を操ったか。……そんなんチートや!
「やはりおぬしは蛇らしい」
「まぁそう怒らんと。こっちもあんな毒効く思てなかったし。お前らは私らを騙そうとして、私はお前を手ぇ抜いて倒そうとした。お相子や。それに……」
ガシャン という重々しい金属音が響く。
「な!?鎖が………!」
「こっからは正真正銘正々堂々一対一や。来いや黄蓋。武器なんか捨ててかかって来い!」
「いや、武器は使わせてもらうが……。その前に、訊きたいことがある」
「手短に頼むで。そっちの本隊も迫っとるし」
「どうやってこの策に気付いた?私が裏切ると予想するだけならまだしも……助言通りに船を繋いだと見せかける工作に加え、同じ鎧を着た兵になんの躊躇いも無く弓を引くなど………」
「細かいとこは機密やけど。……奇策っちゅーんは相手の死角から忍び寄って手の廻らんとこを突く技や。やったら、目と手を増やせば良え」
「国力で策を捩じ伏せるか……」
「納得したか?」
「理解はした」
「そう。……んだら始めよ、か」
その言葉と同時に、無数の投具が黄蓋に殺到した。
――――――――――――――――――――――――――――
帆柱の牙門旗がバサりと翻る。さっきまで川上から吹いていたはずの風が、川下からに変わったみたいだ。
「風向きが……」
「昨日桂花たちから報告は受けてたけど……実際に、こうまで急に変わるものなのね」
「華琳!」
「霞、黄蓋の一党が火を放ったわね?」
「おう!沙和らが怪しい言うた連中が、予想通りの動きをしおったで。火が上がったんは三ヶ所や」
「あら、予想より一ヶ所少ないわね?」
「弓引いた瞬間春蘭と秋蘭が消したらしいわ。他は今みんなが消火と迎撃に廻っとる!」
「……ってことはやっぱり聆が黄蓋の相手をすることになるのか……?」
たしか、聆は黄蓋のすぐ後ろに控えてたはずだ。当然黄蓋と最初に戦うことになる。
聆はすごく強い。何度も稽古をつけてもらってる俺が言うんだたから間違いない。でも、黄蓋も信じられないくらい強い。あの霞に素手でボロ勝ちした時は目を疑った。
「心配しなくても大丈夫よ。あの娘は引き際のわかる娘。それに……どうせまた何かしら仕込んでいるでしょうよ」
「そうか……そうだな」
それで納得できてしまうのが聆のすごいところだ。
「ついでに、呉蜀の船団も近付いて来とる。明かりが無かったから気付くんが遅れたって。左翼から季衣と流琉、右翼から春蘭と秋蘭が迎撃に出た」
「そう。皆予定通りにことが運んでいるようね。……私達も隊を動かすわよ。戦場を押し上げる」
「分かった!」
「了解や!」
「せぇぇぇいっ!!」
「ぐぅっっ!」
「くそっ!事前に目印をつけていたか……!!」
「ふふふっ。みなさ〜ん、腕に黄色い布をつけてない人は敵で〜っす!じゃんじゃんやっつけちゃってくださ〜い」
「あ〜あ、ウチとしてはあんましええ思い出ないねんけどなぁ。黄巾」
「でもその分みんなの印象に残ってるじゃん。アタイは分かりやすくて良いと思うぜ」
「ぐぬぬぬぬ………!!くっ、だが、火計さえ成功すれば………」
「お嬢様、そこの出っ張り押してください♪」
「うむ。これかの?………ポチッとな」
「なぁっ!?鎖が!!」
「んっふっふー。ドヤ?ウチの自信作。(………桂花め……強度を保ちつつすぐ外れる仕掛けなんて無茶振りしおってからに………)」
「ぐおおおおおおっっ!!こうなりゃヤケだっっ!!!」
「うぇ〜、自分の船に火を付けてるぅ………」
「こ、こっちに向かってくるのじゃ!」
「孫呉バンザァァァァァイッッ!!!」
「斬山刀……斬山斬ッ!!!」
「モタモタするななのーー!!燃えてる船はさっさと切り離して外に押し出すの!」
「サー、イェッサー!!」
「さ、サー!間に合いません!サー!」
「凪ちゃん!」
「任せろ。……ハッ!!」
「ほぅ……船ごと破壊するか。なかなか豪快だな」
「よくこの方法で街の火事を消してるのー」
「……それは………住人が困らないか?」
「も、もちろんいつもは最小の破壊で済むように調整しています!」
「サー!こ、この船の側面が燃えて居ます!サー!!」
「凪ちゃん――」
「ダメだ……あそこを破壊するとこの船が沈んでしまう!」
「なら私の出番だな」
「華雄殿……何をするつもりですか?」
「まぁ、少し離れておけ。……………―――――」
「な、なんか肌寒いの……」
「!?」
「サー!火が消えました!!サー!」
「一体どうやって……」
「私にも分からん。心を静める鍛錬をしていたら近くに置いていた水筒が凍ったことがあったのでな。試してみたのだ」
「出来るか分からないのに自信満々だったのー……?」
「ともあれ、これで恐れるものは何も無い。早くこの場を収めて前線の援護に向かおう」
――――――――――――――――――――――――――――
「だめ………全然火の手が拡がってない…………」
同じ頃、鳳統は岸の拠点から戦場を見ていた。戦力にならず、軍師としても信用できない彼女は、補給部隊や予備戦力と伴にここに配置されたのだった。
(ごめんね朱里ちゃん……せっかくの策だったのに………)
鳳統にはどうしようもない要素が組み合わさった結果なのだが、それでもやはり、自分がもっと上手くやっていれば……という思いは拭い切れない。
(黄蓋さん……無事に撤退できるかな………)
無理なのは分かっているが。あの人は、戦場で死ぬ、そういう覚悟を持った目をしていた。呉の兵は船の扱いに長けているから、逃げようと思えば逃げられるだろうが……。
(援軍が早く着けば……)
ここまで失敗してしまうともはや勝ち負けは問題にならず、『どう逃げるか』の話になる。理想としては、援軍が高い士気をもって追撃隊に当たり、敵を怯ませることが望まれるのだが。
(これからどうなるんだろう……)
蜀軍の活躍は期待できないだろう。他国の防衛のために遠い東の地までやってきて負けたとなれば、士気の大暴落は避けられない。嫌でも一度は退くことになる。追い詰められた呉がどれほどの力を発揮できるかが今後の最も大きな争点になる。むしろそれによって大陸の未来が決まるように思える。
(………その前に私はどうなるんだろう)
鳳統は言わば大胆な手法の間者。武人の誇りによってある意味で護られている武将と違い、間諜やら暗殺者に対する処罰は容赦が無い。
(きっと乱暴されちゃうんだ……艶本みたいに。本国に連れて行かれて、分からないけどきっと地下室みたいなところでされちゃうんだ……)
曹操は根っからのいじめっ子という印象だった。知っていることを全部話しても許してもらえないだろう。虐めるのが趣味だから。それに、女好きとしてもその名を轟かせている。
(きっと……きっと、人間をやめさせられちゃうんだろうな………)
それが『人間としての権利を投げ出す』なのか、『人間として必要な能力が失われる』なのかは分からないが、とにかく、そう遠くない未来に雛里という人間は終了するだろう。
(怖すぎて気持ち悪くなってきた……。そ、そうだ!こっそり逃げれば助かるかな……?私って小さいし……)
できなかった後悔よりやった後悔。鳳統は静かに深呼吸をする。
「よ、よし!厠に行くふりをs
「ここに居たか鳳雛」
「あわわわわばばばばばばばばば」
氣の力って言えばなんでも許される気がします。
……閃いた。