後回しにしたところで問題が無くなったりしないことを痛感している点では私と聆のシンクロ率は高い気がしました。
「……何者や」
戦の最中、魏陣片隅の小さく薄暗い天幕に私は居た。身を隠し、樽や箱に収まって運ばれては時折こうして人目のないところで身体を伸ばす。少々の考え事と共に、嘘のように静かに時間が過ぎて行った。
しかし、不意にそれを壊す者が現れた。いや、元からそこに居たか……?麦の俵の向こうに、じっと立ったまま動かないヤツが居る。人畜無害な一般兵士じゃない。
「それを言いたいのはこっちなんだがな」
気配の主の籠った声が返って来た。知らない、というのは妙な話だな。或いは、もっと本質的な話をしているのか。
「なるほど。んだら互いに知らんまま話そうやないか」
ワザワザ、この奇妙な相手が知らないこと……この場で私に有る数少ない利を捨てる道理は無い。
「無駄だな」
「無駄か?」
「ああ。無駄だ」
今、こうしてここまでやって来られる人物が、どれほど居るだろう。そうなると、相手の正体は自ずと知れる。
「じゃあ帰るか?」
「そうさせてもらう」
意外な答え。私が予想する相手なら、ここでできるだけ食い下がるはずだが。
「そんなあっさり帰るんか。ここ来るんに手間も有るやろ?」
「招かれれば造作も無い」
『招かれた』……?
「その上何をするワケでもないしな。そっちはどうなんだ」
「さぁ、とりあえず、自分で来たワケやない」
しばしの沈黙。計りかねる。
「……今一番の話題と言えば天下の行く末か」
「行く末も何も有るものか。魏が勝つ」
「さぁ、もし私が急に離反したら」
「それでも魏が勝つだろう」
「その道のりは変わる」
「………」
「無意味か?」
「悪趣味だ」
「私は面白いと思う」
会話にまた少し空白が。
「もし」
「………」
「魏が勝って終わりやとすれば」
「魏が勝ち、終わりだ」
「お前はどないしたい」
「その質問は無意味だ」
「……へぇ」
「お前はどうなんだ。終わりだとすれば」
「終わってほしないなぁ」
応えの代わりに、ガサリと天幕の外で足音がした。端の作業員に化けた華琳の側近だろう。私の所在は極秘。情報の伝達は極めて内々の人員で行われている。
さっきのヤツの気配はもうどこにも無い。せっかくのチャンスを、腹の探り合いのうちに終えてしまった。不用意に踏み込んで、せっかく穏やかに接触してきた相手を挑発したくなかったのだ。今となってはどちらが良かったか知りようも無い。
「会戦はこちらの勝利で終わりました。間もなく野営地の施設に移ります」
「ああ。……戦も、次で終わりか」
結局、コトここに至って、一刀消失の秘密に迫りきれなかった。もう、皆が揃って太平の世を迎えることを祈るしかない。……あ、
「……この戦に参加した敵方の将は、情報有る?」
「呉の主要な将は全て。それに、途中で蜀軍が参加して、……厳顔、魏延、馬岱、それに、後方には趙雲や関羽も居たようです」
「……公孫瓚について、華琳さんの方で何か情報掴んどらん?」
「……無いですね」
たしか、ハムソンってこの辺の戦いに参加してたはずのようなそうでもないようなそんな気がするんだが……。
「何故急に公孫瓚を?」
「今の私もそうやけど、消息不明やな、って」
そして、もしこのままなら私の目標に唯一欠けたピースとなるだろうから。
「……もし、その行く末を知っている者が居るなら、それは貴女であるべきだと思いますけれど」
「………」
ここに来て妙なカルマが襲ってきている気がする。コイツもタダモノじゃないのか……?
「……っ!」
周囲が騒めきだす。戦場から兵士たちが戻り、報告通り、野営地設営の作業が始まろうとしている。声の主が去ろうとする。
今度は、逃がさない。
立ち上がると同時に、天幕ごと巻き込んで駆け出す。輸送員たちの驚愕の声を背に、林の中に飛び込んだ。