現世のとある場所で荒れ狂っていた炎は、その激しさを失い、今は灰と煙だけが大地に沈殿していた。
戦場と化したそこには、無数の骸が横たわっている。生者の大半は息絶え、僅かに残った生者もまた、彼らと同じ運命を辿ろうとしていた。
そして死者が行き着く先でもまた、骸が山となって積み上げられていた。
始めは次々と送られていた魂魄も、今はその勢いを失い徐々に数を減らしつつある。
戦いの終わりが近いようであった。
そして此度の戦い────決して裁かれることない罪ごと瀞霊廷を飲み込もうとするかのように、それは鎮座していた。
真央地下大監獄。
罪無き者以外、決して足を踏み入れることのない場所。だが、本来その入り口に鎮座しているはずの番人の姿は、今はどこにも見当たらない。
まるで訪れる者を歓迎するかのように、重々しい扉が存在感を放っていた。
そしてその扉の先、最下層に存在する、第八監獄「無間」。
外界とは切り離されたその空間に、二つの声が響く。
「どこへ行くのかと思ったら、無間とは。全く、総隊長の居ぬ間に忍び込むなんて、悪い子だね」
「だって行くには今しかないでしょう?それに、禁じられた場所ってなんかワクワクするじゃん」
「……まあ、否定はしないがね」
二人は無間の入り口に立っていた。霊圧を絶ったことにより、誰にも気付かれることなく侵入することは容易であった。
闇の中へと足を踏み入れる。深く、重く、絡みつくような闇が二人を迎え入れた。
音も光もない無明の中を、霊圧知覚だけを頼りに進んでゆく。
「まるで異界のようだね」
外界に存在する霊圧の輪郭が、まるで薄い膜を通したかのようにぼやけて感じられた。
そして外界にいたときには薄くしか感じ取れなかった特異な霊圧の存在が、今ははっきりと知覚できる。
先へと迷いなく進む妹に連れ添いながら、藍染惣右介は問いかけた。
「一体どこまで行くつもりだい?」
すると、冗談めかすような返事が返ってくる。
「どこまでも」
「やれやれ……」と呆れた様子で返す。声と共に吐き出された小さな息からは、まるで一切を受け入れたかのような傍観と、それでいて決して無関心でもないような温度が感じられた。
無限に等しく広がる闇の中を、互いの存在だけを頼りに進んでいく。
時折、囚人のものであろう、いくつかの霊圧を感じたが、目もくれずに通り過りすぎていった。
ただ、ひたすらに奥へ、奥へ───。
無限に等しく広がる闇。
進むにつれ、その濃度はまるで意識を侵食するかのように深まっていく。
この、何も感じられない無明の中では、自身の輪郭すら曖昧になり、まるで世界に自分ひとりだけが取り残されたかのような錯覚に陥る。
だが、彼にとってはなんてことないことだ。
それは、この世界に生まれ落ちた時から、ずっと付き纏っていた感覚。
自身が周囲とは隔絶した存在であるという自覚が彼にはあった。
流魂街でも、霊術院でも、御廷十三隊の中であっても、それは変わらない。
───孤独、か。
妹の霊圧が消失した時のことを思い起こして、自嘲気味に笑う。よもや私にも、そのような感傷があったなど。
闇の中で表情を見られることはないが、妹のことだ、僅かに生じた霊圧の揺らぎで察するだろう。
強者とは、孤高なものだ。
それが当然だった。そうあるべきだった。
……だが、そうではないのだと。
彼自身、並び立つ存在へ、どこか情憬の念を抱いていたのだと、気付かされた。
“憧れは、理解から最も遠い感情だ”
自身が抱えていた矛盾に、胸の中に広がる感覚が、苦笑を誘う。彼にとって、これは敗北──否、それ以上にタチの悪いものに思えた。
だが、それすらも飲み下し、糧とする。
これもまた、有意義な体験だったと首肯する。
それが藍染惣右介という男だった。
彼はこれまで、己の力のみで真実を見通してきた。
それ故に、隠されたものを見通し、真実に辿り着くことのできるものだけが、己の理解者たり得ると考えていた。
ありのままを示し歩み寄るなど、取るに足らない存在の行いだと思っていた。
だが───もし、独善的な大義だけでは理想を成し得ないのだとしたら?
それこそが、人が“対話”という手段をとる理由なのだとしたら?
全く、皮肉なものだ。彼は思う。
忌み嫌っていた行いこそが、理に適っていたなどとは。
そして彼は辿り着いた。
ならばこそ。
この歪んだ世界が──花を見ることなく、
自ら求めていたものがこんなにも身近にあったとは。妹への心緒が胸の内に積もる。
紺屋の白袴とは、このことを言うのだろう。
───仮に。
考える。
仮に、真に独りだったならば。
その時、私は───
「兄上」
歩き続けていた足を止め、妹が話しかける。
「明かりちょうだい」
目前には、異質な霊圧の群れが存在していた。
鬼道の使えない妹に代わって赤火砲で明かりを灯す。
「破道の三十一『赤火砲』」
「……!」
炎が照らし出したのは、異様な光景だった。
人型の黒。
無数のそれが目前に立ち並び、不気味な荘厳さを漂わせている。
その人型は、まるで闇に染められたかのように全身が黒一色に覆われていた。そして、その胴体には白地で刻まれた文字が浮かび上がっている。
それは、大筆で書かれた、荒々しい筆跡の字だった。
【人柱】
それを見た瞬間、理解した。
これもまた、世界を支える要素の一つなのだと。
そして、存在を塗り替え、意思すら奪い、ただ“役割”を強いる、理を超えた力を。
目の前の奇妙な造形物を見上げながら、微かに眉をひそめ、静かに呟く。
「……実に醜悪だな。
世界に都合の良い形に押し潰され、支え続けることを強いられ、崩れることさえ許されない。───ただの呪いだよ。過去の過ちを塗り固め、己の安寧のために作り上げた悪趣味な偶像だ」
不意に、妹が人柱へと手を伸ばす。
その動きは、迷いないものだった。
触れたところから異様な霊圧が吸い寄せられ、跡形もなく消えた。
「何をする気だい?」
問いかけると、妹はちらりと横目で見やり、静かに言葉を紡ぐ。
「理不尽で不当な力。それが絶対の法のように存在しているなんて、度し難いと思わない?
……私なら、今すぐに
人柱の表面をなぞる妹の指先は、ひどく滑らかで、慈しむようにすら見えた。
しかし、その瞳に宿る光はどこか冷ややかだ。
己の利ではなく、常に不条理な現実を打ち砕くために動く。
それが、妹という存在だった。
「……止すんだ」
穏やかでありながら、有無を言わせぬ声色で語る。
妹はその声にわずかに眉をひそめ、静かに問い返した。
「どうして?どのみち、この世界ごと解き放つことになるのなら、別に“今”でも構わないでしょう?」
「それに何かあれば、術者に存在を知らせることになる。私たちが為すべきことはもっと大局にあるはずだよ」
諭すように言うと、数秒の沈黙の後、妹が渋々と手を引く。
「……わかった。浅慮だったね、ごめん」
人柱の集合は、さらに奥へ広がりを見せていた。そしてその先に、霊圧の感じない空間が存在している。
「まだ、先があるみたいだね。行こうか」
人柱の胸からは鎖が伸び、奥へと続いていた。その鎖は他の鎖と絡み合いながら、より強靭な一本となり、闇の中へと延びている。
鎖を辿りながら、人柱の間を縫うように歩を進めた。明かりに照らされ、闇の中から次々に人影が浮かび上がり、背後へ流れ去ってゆく。
やがて、ふと視界が開ける。
少し先では足元の地面が途切れ、崖のようになっていた。
いや、これは崖ではない。
巨大な大穴。
どこまでも深く、底の見えない奈落が黒々と口を開けていた。
人柱から伸びる鎖は、途切れることなく穴の中へと続いている。
妹がその光景を一瞥し、試すように問いかける。
「どうする?」
その問いに意味はない。
答えなどすでに、わかっているだろうに。
「わかりきったことを聞く。───行こうか」
そう言って、静かに手を差し出す。
妹は手を取ろうとして──ふと、動きを止めた。
注視しなければわからぬ程度に顰められた眉から、微かな躊躇が感じ取れる。
「今更なんだけどさ。霊圧って無くなって平気なものなの?」
彼女の斬魄刀──
まるで自身の棘のせいで寄り添えない
死神の手。
無差別なその剥奪の力は、敵味方関係なく悉くを蝕み、奪い去る。
「構わないよ。霊圧など、所詮私を構成する要素の一つでしかない」
いつものように、不遜な態度で己の主張を示す。
「触れられただけで致命となるような脆弱な者と、私を一緒にしないでもらいたいね」
その言葉には、確固たる自信が滲んでいた。
事実、霊圧を失ってなお泰然としていられるのは、彼が卓越した存在である証左でもあった。
「他者に影響を及ぼすのは強者の常だろう。その力を歓迎こそすれ、疎むようなことはないよ」
───美代。
君が。君だけが私に並び立つと言うのなら。
「私からも言わせてもらおう。私だけだ。──私だけが、君と同じ高みに立つ事ができる」
妹の手を取る。
霊圧が急速に消え去ってゆくが、所詮はその程度だ。彼の本質が揺らぐことはない。
「さあ、行こうか。禁忌の果てへ────」
妹は何も言葉を発しなかった。
ただ、黙って彼の手を強く握り返す。
底の見えない闇の奥に何があるのかはわからない。どこまで続いてるのかも、まるで未知数。
だが、迷いも恐怖もなかった。
一片の躊躇もなく、二人で深淵へと飛び込んだ。
**********
最下層・第八監獄「無間」。
底なしの闇。
その果ての奥底に『 』はいた。
体は真っ黒に染められ、鎖に囚われた異形。そしてその身には白い染料でこう刻まれている。
【
『
『
これからも、悠久の時の中を永遠に存在し続けるのだろう。
────不意に、誰も訪れるはずのないその場所へ、足音が響く。音はどこにも反響することなく、闇の中へ呑まれて消えていった。
「楔は天と地に、二つ存在していたのか。全く、この世界は本当に度し難い」
誰も訪れる筈のない空間に、声が響く。
『
だがそれも、来訪者の言葉によって呼び起こされることとなる。
「
虚空を揺蕩うだけであった意識が急速に浮上する。
─────そうだ。私の名は『◼️◼️』。
名と共に封じられた意思と記憶が濁流のように押し寄せる。そして記憶と共に失われた感情が───溢れんばかりの怨恨が蘇った。
『◼️◼️』は憎悪した。
己を貶め、このような場所に縛り続けた者を。
己の犠牲で成り立つこの世界を。
声にならない慟哭が響く。それに同調するかのように、周囲の闇が蠢いた。
静寂が戻ると、再び声が闇を震わせる。
「どうか、あなたのことを教えてくれませんか?」
『◼️◼️』は名を取り戻させた存在へと、その時初めて意識を向けた。浮かんだのは、少しの関心と、感謝の念。
長き時の中で風化しかけていた意思疎通の方法を思い起こす。そして、ゆっくりと語りかけた。
────わたしは、『
────ありし日の世界。その、残滓さ。
ヨン様 の 素直さ が ほんの少し上がった! ▼
ワーヤッタネ!
滅却師殲滅戦編はここで一旦一区切りになります。
ここからあと何個かイベントを消費して、暗躍編(仮)に入る予定です。
稚作をここまで読んでくださり、ありがとうございました。
まあ誰も読まんだろ、くらいの気持ちで、思いつきで描き始めた稚作ですが、読んでくださる方がいることに、驚きと感謝の気持ちでいっぱいです。
お気に入り、評価、感想、誤字報告など、大変励みになります。ありがとうございます。
これからも面白い文章が書けるよう、精進して参りますので、引き続きよろしくお願いします。