もしヨン様に理解者がいたら   作:肩パルト

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曇天

 

 

 監視蟲からの報せが届いたのは、ほんの数刻前だった。

 藍染惣右介が屋敷を訪れた。

 それを知ると、綱彌代時灘はすぐに帰路へついた。

 

 上級の貴族たちが住まう居住区域。

 道行き交う者たちの視線が、時灘の姿を度々捉えた。畏怖や媚びた眼差しを身に受けながら、時灘はたおやかに歩を進める。

 

 綱彌代家の当主になってからは、そういった振る舞いをされることが増えていた。

 

 くだらぬな、と内心で吐き捨てる。

 

 時灘は元々、綱彌代家分家の末席の人間である。だが、元より権力には興味はなく、野心を抱くこともなかった。ただ、己のささやかな嗜虐心を満たすことにだけ関心があった。

 

 そんな彼を変えたのが、綱彌代家、ひいては尸魂界(ソウル・ソサエティ)の罪を知ったことである。それを知った時、彼は確信した。

 

 自身の悪意が、正当であると証明された、と。

 

 喜ばしいことだった。

 その日を境に、彼の悪意は指向性を持つに至る。

 そしてその悪意の矛先は、自身の家にさえ向いた。

 それが、過去に行った一族を滅ぼす謀略だ。

 

 滅びゆく綱彌代家の中で、彼はただ愉悦に身を震わせた。

 悪業を背負った一族が、その血によって滅ぼされる。なんとも因果深く、愉快じゃないか。

 

 

 

 

 そして次の矛先は、偶然手に入れた玩具。

 

 藍染惣右介。

 

 聡明で、正義感の強い青年。

 

 時灘が与えた知識へと貪欲に食らいつき、自身の行いが正しいと信じて疑わぬ、真っ直ぐな精神の持ち主。

 

 何と、愚かで。

 何と、愛おしいことか。

 

 その端正な顔が絶望と憎しみで歪む時を、想像する。それは、きっと───。

 

 

 

 

 実験区域へ行くと、案の定、彼が研究に没頭していた。細やかな手つきで器具を取り扱う背を見やる。

 

 こちらの気配を察したのか、藍染惣右介は手を止め振り返ると、時灘が声をかけるよりも早く、淡々と成果を報告した。

 

 「先日の戦いで死神と滅却師(クインシー)の魂魄が手に入ったことは幸いでした。あと少し調整が必要ですが、完成は近いかと思います」

 

 (ホロウ)の魂魄と、綱彌代家に保管されていたいくつかの霊王の欠片。そこへ、先日の戦いで得た魂魄が加えられたことより、霊王(実験体)はほとんど人と変わらぬ形を成していた。

 

 「そうか、流石だな」

 

 藍染惣右介と霊王(実験体)に目を向けながら、時灘は柔らかく微笑んだ。

 

 「君の力を借りることが出来たことが、私にとっての最大の幸運だな」

 

 どこかで頓挫するであろうと思っていた研究は予想に反して、着実に成果をあげていた。

 それはこの藍染惣右介という男が、時灘の想定以上に傑出していたからに他ならない。

 

 それを何処か冷めた心持ちで見つながら、内心で呟く。

 

 ───そろそろだろうか。

 

 霊王(実験体)が完成したその先を見るのもまた愉快だろう。だが、それよりもこの優秀な青年が取り乱す様を早く見たかった。

 

 ───そろそろ、彼を罪人として告発して(裏切って)しまおうか。

 

 『かつて引き取った子供が、私の知らぬところで禁忌研究に手を出していました』

 

 口上はこんなところだろうか。

 その時に彼がどんな反応をするのかを想像して、愉悦が沸き起こる。

 時灘は内心の昂りを隠し、表情を崩さぬように努めた。

 

 この部屋にも監視蟲を配置してある。

 研究の証拠はいくらでも残っているし、そもそも四十六室は綱彌代家の言いなりだ。

 まともな証拠がなくとも、時灘の証言ひとつで藍染惣右介を断罪することは可能だった。

 

 早速、明日にでも動き出したいところだ。しかし、時灘にはそれよりも先にするべきことがあった。

 

 ───だがまずは、身内のことを片付けねばな。

 

 綱彌代家の生き残りへの対処だ。

 かつて一族を滅ぼした際、唯一逃れた者たちがいた。

 

 映像庁で、半ば偶然に当時の生存者を見つけたのがきっかけだった。

 それ以来、見つけ次第生存者は始末していたが、後一人──しぶとくも追跡から逃れ続けている者がいた。その者の居場所を先刻ようやく特定したのであった。

 

 こういうものは、一人でも生き残りがいれば遺恨が残る。

 害虫の駆除と同じだ。一度始めたならば、徹底的に潰さねばならない。

 

 ───用が済んだら、すぐにでも愉しんでやろう。

 

 「その調子で、これからも頼むよ」

 

 心内を悟られぬよう、穏やかに語りかける。

 藍染惣右介は「ええ」と短く返事をして再び手を動かし始めた。

 

 ───それまで、尸魂界(ソウル・ソサエティ)の自由な空気を謳歌していると良い。

 

 「少し用事があってね。私はこれで失礼するよ」

 

 最後にそう声をかけ、時灘は部屋を後にした。

 

 時灘の姿が消えるまでの間、その背中を藍染惣右介はじっと見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……やれやれ、美代の疑念が早くも現実になってしまったね」

 

 藍染惣右介は、無人となった部屋で独り言のように呟いた。

 

 完成を目前にして、時灘の反応が僅かに変わったことから、裏切りの予感は察知していた。

 

 これも、想定内だ。

 

 時灘を証拠もなく消す手段など、いくらでもある。だが、それよりも今の関係を続ける方が利益は大きかった。

 彼にはまだ、乗り気でいてもらわなければならない。

 

 ……では、そのために何が必要か。

 

 答えは簡単だ。

 新しい玩具を与えてやれば良い。

 

 この実験体を──産絹彦禰を完成させれば、また暫くは時灘の関心を繋ぎ止めておける。

 

 時灘はまだ時間がかかると見込んでいるようだが、既にいつでも動かせる段階だった。

 まだ不完全ではあるが、細部の調整は()()を入れてからでも十分に行える。

 

 時灘が部屋にいた時に起動していた監視蟲は、今は監視対象が不在かのように、動きを止めていた。

 それが、突然起動を再開する。

 

 監視蟲の複眼が、じっと観察する。

 見る。

 記録する。

 

 藍染惣右介の、一挙手一投足を。

 

 

 

 藍染惣右介が、どこからか“それ”を取り出した。

 藍染惣右介は、取り出した“それ”を、ゆっくりと、しかし確かな手つきで実験体に込めた。

 藍染惣右介が、機器の数値を確認してから、実験体に繋がれた器具を一つずつ外した。

 実験体が、ゆっくりとその目を開いた。

 

 

 

 そこで一旦、記録は途絶える。

 

 監視蟲は、藍染惣右介が実験体に“それ”──()()()()()を埋め込む瞬間を、確かに記録した。

 

 

 

 

 

**********

 

 

 

 

 

 

 外に出ると、既に日が沈んでいた。蒸した空気が全身を覆う。

 時灘は、纏わりつく湿気の不快さを振り払うかのように、夜道を足早に進んだ。人の出入りは少なく、辺りには閑散とした雰囲気が漂っていた。

 

 月明かりに照らされた路地は、薄く淡い影を落としている。

 遠くで鈴虫の音が微かに響き、風のない夜の空気を一層重く感じさせた。

 そんな中、不意に彼を呼び止める声がする。

 

 「あなた」

 

 足を止めた先に、彼の妻──歌匡が、夜空を背負うようにして立っていた。

 一瞬、彼の胸中にざわつくものが生まれる。

 それが何なのかを考えるよりも先に、苛立ちが込み上げてきた。

 そしてその苛立ちを隠すことなく、冷たく応じる。

 

 「……歌匡か。何の用だ」

 

 彼女は、変わらぬ落ち着いた声で答えた。

 

 「流魂街の友人とね、会ってきたの」

 

 それ以降、会話は続くことなく、沈黙が二人を包み込む。

 互いの間に広がる空白が、余計に時灘の心を波立たせた。

 

 彼女と顔を合わせるのは、随分と久しぶりだった。過去に彼女に全てを明かした時から、時灘は彼女を避け続けていた。

 

 夜の静寂の中、時灘は知らず知らずのうちに拳を握りしめる。

 

 

 

 一族を滅ぼす時、なぜ歌匡にだけは手を出さなかったのか。

 

 本当は他の者たちと同じように、彼女のことも消すつもりだったのだ。

 

 時灘が歌匡を娶ったのは、本家の指示によるものだった。

 霊王の欠片を綱彌代家に取り込むこと。

 それが本家の目的だ。

 

 貴族も平民も、等しく人生を愉しむための玩具としか思っていない時灘にとって、流魂街の女を娶ることには何の感情も抱かなかったが、家の者が蔑む流魂街の者と、本家の指示によって結婚することは気に入らなかった。

 

 だがそれ以上に、彼の悪辣な嗜虐心が興味を抱いたのだ。

 

 幸福の絶頂にいる女性が、奈落の底に突き落とされる瞬間。

 その時、一体どんな顔をするのかと。

 

 だから、本家の言いなりになって、彼女に近づいた。偽りの優しさを、惜しみなく与えた。

 

 そうして心を掴まれた歌匡は、時灘の掌の上で平穏な日々を謳歌していた。

 

 かのように、思えた。

 

 ……全てを明かし、自身の本心を吐き捨てた時、彼女が見せたのは驚愕でも絶望でもなかった。

 歌匡は、全てを悟っていたのである。

 

 全て知った上で、時灘と結婚したのだと。

 そう語った彼女が示したのは、純朴な慈愛と受容だった。

 

 理解できなかった。

 胸の奥に生じる、戸惑いと苛立ち。

 そして、彼女に自身を侵食されるかのような焦り。

 

 それらの感情に責め立てられるように、一族と共に彼女をも葬ろうとした。

 

 だが結局、それをしなかった。

 理由はある。

 

 当主となった今、いつでも殺せるのだから、今殺す必要はないと思った。 

 

 一家を滅ぼした自身の行いを知らしめてやろうと思った。

 お前の夫はただの外道なのだと。

 妻に今度こそ絶望を与えてやりたかった。

 

 しかしその思惑に反して、何も告げぬままに、今日まで彼女を生かし続けていた。

 

 何故なのか。

 自身への疑念が浮かび上がる。

 彼女を生かす理由は本当にそれだけなのだろうか?

 

 綱彌代家は、彼女の中の霊王の欠片を手にするために、彼女を招き入れた。

 もしかして本当は、彼女を助けるために一族を滅ぼしたんじゃないのか?

 彼女を蔑む一族が許せなかったのではないか?

 

 ───違う!

 

 奥底から這い上がる思考を、必死で否定する。

 もしかしたら既に、彼女に心を侵されているのかもしれなかった。

 

 その思考から逃れるように歩き出す。

 その後を追うように、歌匡も静かに歩き出した。

 

 「見て、星が綺麗よ」

 「またそれか。夜道で天を仰ぎながら歩くなど馬鹿馬鹿しい」

 

 時灘は空を見上げることなく、前だけを向いて歩き続ける。しかし、その半歩後ろを着いてくる足音へ無意識に耳を傾けていることに、時灘は気づいていなかった。

 

 再び胸の奥底に沈めたはずの疑念が鎌首をもたげる。

 

 なぜ、彼女に冷たくする?

 恐れているのか?

 彼女にすべてをさらけ出しても、また“知っていた”と受け入れられることを?

 

 それが耐えられないのか?

 だから距離を置くのか?

 

 ───違う!

 

 「……なぜ、付いてくる。屋敷は逆方向だろう」

 

 一刻も早く、妻から離れたかった。

 

 「ごめんなさい。……あなたと、ただ歩いてみたくて」

 

 振り返ると、真っ直ぐにこちらを見つめる瞳と目が合う。

 思わず、視線を逸らした。

 

 もはや彼女へどう接すれば良いかわからなくなっていた。

 

 

 その時、不意に違和感が走る。

 暗殺者の気配だ。

 

 ───あのしぶとい生き残りの差金か。

 

 限界まで薄く研ぎ澄まされた殺意を感じたことにより、目の前の歌匡の存在は思考から追いやられる。

 自身を殺そうとする愚か者にどう対処するか、それだけに意識が向かっていた。

 

 ───直前まで気づかぬフリをして、それから返り討ちにしてやろう。

 

 自分が優位に立っていると思い込んでいる者を突き落とすのは痛快だ。

 その瞬間に浮かぶであろう絶望の表情を思い描き、胸の奥が愉悦で満たされるのを感じた。

 

 だが次の瞬間、別の考えがよぎる。

 波が引くようにすっと別の感情が胸中を支配した。

 

 ───良い機会だ、歌匡。君に見せてやろう。殺し、殺されるこの世界の醜さをな。

 

 死角から暗殺者が襲いかかる。

 

 時灘は手練れだ。

 一介の暗殺者ごときの動きなど、その霊圧の流れから手に取るようにわかる。

 

 刃が首筋に迫る。

 その刃が届くより先に、切り伏せてやろう。

 暗殺の顔を思い浮かべながら背後へ振り返った───その瞬間。

 

 

 目があった。

 

 

 歌匡と。

 

 

 

 肉を断つ湿った音。

 鮮血が地面に飛び散る。

 歌匡が膝から崩れ落ちる。

 

 

 「……は?」

 

 

 なぜ庇った?

 この程度で、私が殺されるとでも?

 なんだ、その目は。

 何が、何を、何で───

 

 

 「……は、はは、くははははは」

 

 

 気付くと、時灘は笑っていた。

 理解できない、処理しきれない感情が、慣れ親しんだ笑みとして発露される。

 だがそこにいつもの愉悦や嘲りは存在しない。

 ただ、喉が乾いた声を震わせるのみ。

 

 暗殺者は一瞬の動揺を見せたが、直ちに時灘に刃を向ける。暗殺者にとって任務の失敗とは、死と同義であった。

 

 向かってきた暗殺者を、時灘はあしらうように容易く切り捨てた。

 断面から鮮やかに血が吹き出し、暗殺者は失意を顔に滲ませながら膝から崩れ落ちる。

 

 いつものように嘲ることなく、その様子をただ無表情に見下ろした。

 顔に降りかかった血が、頬の輪郭をたどり、涙のように肌を伝う。

 

 そのまましばらく呆然と立ち尽くしていた。

 

 どのくらいそうしていたのだろうか。

 やがて思い出したかのように死体を踏み越え、横たわる歌匡へと歩み寄る。

 血溜まりの中に沈む艶やかな黒髪が、妙に鮮やかに映った。

 

 歌匡は既に、息絶えていた。

 

 最後の瞬間を思い起こす。

 時灘が全てを明かしたあの時と、同じ瞳を。

 

 「……ッ」

 

 フラフラとした足取りで、その場から離れる。

 怯えるように。逃げるように。

 

 どこへ向かっているのか、今自分が何をしているのかを、時灘自身よくわかっていなかった。

 ただ体は、予定されていた動きを勝手に遂行する。

 当初の目的通り、生き残りを始末しに。

 

 湿った空気が血の匂いと混ざり、重苦しく流れゆく。夜風が体温を奪い、指先を冷たくした。

 

 

 いつの間にか夜空は雲で覆われていて、もう星は見えなかった。

 






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