官庁街──
四十六室が居を構えるこの地は、
高く堅牢な壁に囲まれたこの地は、外界と隔絶され、冷ややかな威厳をまとっていた。
そしてそこに響いたのは──嘆願の声。
門前では、数人の門番に取り押さえられながらも、ひとりの青年が必死に声を張り上げていた。
「四十六室にお目通りを!どうか!」
流魂街から来たと思しき青年の瞳は白く濁り、光が届いていない。
青年は盲いていた。
にもかかわらず、いや、だからこそ。
真実を見通す強い意志を青年は持っていた。
その真実を伝えるため、全霊で訴えかける。
「裁かれた男は無実です!下手人は別の者のはず!私はそのことを証言できる!」
だがその声は、ただ虚しく虚空に響く。
守衛達に遮られ、司法へ届くことはない。
それでも青年は諦めなかった。
親友がいた。
誰よりも清く美しく生きたかけがえのない人。
その親友が、ある日、理不尽に命を奪われた。
下手人として捕えられたのは、流魂街の男。
しかし、その男が無実であるという確信が青年にはあった。
誰よりも正しくあろうとした親友の死から始まった審判。それが、誤った判決に帰結しようとしている。青年にとって、それは到底看過できることではなかった。
故に、青年は声を上げ続ける。
罪は正しく裁かれるべきだと。
正義を執行するべきだと。
「どうか!……どうかお目通りを!」
繰り返し訴えかけた何度目かで、ついに門番の苛立ちが限界を迎える。
門番の一人が青年に向かって歩き出した。
目は見えずとも、音や振動、空気の動きから、青年はそれを認識した。
「貴様、いい加減に……!」
吐き出された言葉からは、疎ましい存在を排斥せんとする感情がありありと伝わってくる。
瞬間、青年は悟る。
これから訪れる暴力を。
だが、臆することはなかった。
身命を賭す覚悟でこの場所に来たのだから。
塵芥を振り払うかの如く、無抵抗の青年へ武器が振り下ろされる。
だがその刹那──打ち合うような音が鳴り響く。
振り下ろされた一撃が、何かによって弾かれた音だった。
「物騒な真似はよしてくれ。まだ歌匡さんの喪中だ」
「あ、貴方は……」
「彼は私が説得しよう。君たちは仕事に戻るといい」
「は、はい……!」
突然のことに体が強張る。
それは突然起こった事態によるものではなく、現れた人物が口にした言葉によるものであった。
歌匡。
かけがえのない親友の名。
ここに来た理由。
男は、穏やかな声音で語りかける。
「君のことは知っているよ。確か、歌匡さんの葬儀に来ていたね」
「……あの人を、知っているのですか」
「同僚というやつさ、私も死神だよ。……君が、東仙要君だね」
神妙な声色で語る男が、そっと手を掴む。
「ここで話すのもなんだ。少し、移動しようか」
青年──東仙要は、男に手を引かれて歩き出した。
自分を暴力から救ってくれた親友の知人。男を拒む理由を東仙は持たなかった。
「君は何故、四十六室への目通りを?」
緩やかな歩調のまま、男が問いかける。
その声音に責めるような色はなく、ただ純粋な興味だけが滲んでいた。
「彼女は殺されたと聞きました。……ですが私には、あの男が手を下したとは思えないのです。四十六室は、裁く相手を間違えているのではないか、と……」
東仙の声には、確信に満ちた、真っ直ぐな想いが込められていた。
その芯の強さに、男はふと口を閉ざし、思案するような沈黙を一拍だけ置く。
「……どうして、そう思うのかを聞いても?」
東仙は一呼吸してから、過去を思い出すように語り出す。
「彼女が殺された日、私は彼女と会っていました。帰りに瀞霊門の近くまで彼女を見送りましたが、そこから瀞霊廷に入るまでに襲われたとは考えづらい。……それに、流魂街の人間に彼女を殺す理由はないはずです」
言葉を吐き出すたび、東仙の中で過去の断片が鮮明になっていく。
「またね」と言って彼女が掴んだ手の温もり。
遠ざかっていく足音。
それが最後の記憶となることなど、誰が想像しただろう。
ふと、男の歩みが止まった。それに合わせて東仙も立ち止まる。
どこか思案げに男が口を開いた。
「……なるほど。確か君は、歌匡さんの親友だったと聞いている。……君になら、話しても良いかもしれないな」
「……ッ、どういうこと、でしょうか。やはり、彼女を殺めたのは……!?」
今にも飛びかかりそうな気迫で問いかける。
そんな東仙を宥めるように、男は落ち着いた声色で問いかけた。
「君は、五大貴族という言葉を知っているかい?」
「具体的な家名は知りませんが……確か、瀞霊廷の貴族の中でも最高位の家柄だと……」
たとえ貴族とは縁遠い流魂街の住人であっても、五大貴族の呼び名のことは知っていた。
「歌匡さんが嫁いだ先というのが、その五大貴族なんだ」
まさか、彼女が。
東仙は言葉を失った。
彼女の結婚相手は死神だと聞いていたが、そんな名家だったとは。
「そしてその五大貴族──綱彌代家の醜い身内争いに巻き込まれて、彼女は命を落としたのだ」
「ではやはり、裁かれた男は……!」
「君の考え通りだ。歌匡さんの死とは関係のない者だよ」
───やはり、あれは誤審だったのか。
裁かれるべき者が自由を謳歌し、罪なき者が不条理に断罪される。
それは紛うことなき悪だ。
そんなことはあってはならない。
───思った通り、自分の行いは正しかったのだ。
己の行動が、決して独りよがりではなかったのだという確信に、どこか奮い立つ心地がした。
だが、男から発せられた次の言葉によって、その熱は一瞬で引いていくことになる。
「だが君は、一つ勘違いをしているようだ。
……四十六室室は、捕らわれた男が下手人でないことなど、最初から分かった上で判決を下している」
「……え?」
その言葉の意味を、すぐには理解できなかった。
これまでずっと信じてきたものが、足元から揺らぐような感覚。
常に公平であり、正義の象徴でもある──そうあるべき四十六室が、不正を行っている?
「貴族の……それも大貴族の者ともあれば、罪をある程度自在に操ることが可能だ。彼らにとって大切なのは変化をもたらす“真実”ではなく、維持し続けるための“欺瞞”なんだよ」
「そんな……馬鹿なことが……」
聞かされた事実は、東仙の許容を超えていた。
突如として世界の認識が塗り替わる。
東仙が信じていた正義は──初めから、この世界に存在してなどいなかった。
「死神とは、護廷十三隊とは尸魂界と現世の平穏を守る集団ではなかったのですか!四十六室とは世界の理を体現する方々ではなかったのですか!」
「平穏を守ったのさ。貴族も世界の一部だからね。彼らの平穏を守ったんだ。そして、まさに今の四十六室はそうした理不尽な世界の象徴という事だよ」
叫ぶようにぶつけたその言葉は、激情の渦そのものだった。
だがその時、東仙の中で湧き上がっていた感情は──怒りでも、憎悪でも、怨嗟でもない。
純真なる正義。
不条理を認めず、公明を是とする思い。
歪みを正さんとする、清廉な意志。
彼女を殺したのはきっと、死神でも、綱彌代でもない。
それは心の底から沸き起こった確信だった。
彼女は、欺瞞に満ちたこの世界に殺されたのだ。
「君の気持ちは痛いほど解る」
男は静かに、それでいて力強く言葉を継いだ。
「私も本来彼女を殺した男が裁かれぬことなど、どう考えてもおかしいと思っている。しかし、それが
男の言葉が東仙の胸を打つ。
この男も、東仙と同じ思いだったからこそ官庁街を訪れたのだろうか。
そう考えたその時、不意に東仙の中で疑問が浮かび上がる。
───彼は何故、このようなことを知っている?
一介の死神が、こうも大貴族や四十六室の内情を知っているものなのだろうか。
その考えに突き動かされるまま、男の素性について尋ねようとしたが、それよりも先に紡がれた発言によって東仙の言葉は遮られる。
「だが、それを全て踏まえた上で、敢えて私は、彼女の親友である君に聞きたい」
「………?」
開きかけた口を閉じ、男の言葉に耳を傾けた。
「もしも復讐に足る力を私や君が持つとして、それを我々は成すべきだろうか?」
復讐。
彼女を死へと追いやった元凶への報い。
東仙の中で、答えはすでに固まっていた。
「私は……彼女を死へと追いやった綱彌代に復讐をするつもりはありません」
静かな決意を込めて言い放ったその言葉に、男が息を呑む気配が伝わってくる。
「強いていうならば……この世界の欺瞞を暴くことこそが、復讐になるのでしょう。私は彼女の意思を継いで、この世界をあるべき姿に正したい」
彼女の言葉が鮮やかに蘇る。
『夜空の光を覆い隠そうとする雲。
私はね、要。その雲を、取り払う人になりたいの。
光が一つだって消えてしまわないように。
わたしは雲を払うのよ、要』
彼女は東仙にとって、まさに星だった。
見たことはなくても、星はきっと彼女のような存在なのだろうと、そう思っていた。
彼女の言葉は東仙の中で芽吹き、根を張り、彼の中の揺るぎない正義へと成長する。
───目は見えずとも、私は星を見失わない。彼女の言葉通り、世界を覆う雲があるならば、私がそれを払う存在になろう。
男が、入念に確認するかのように問いかける。
「彼女を死に追いやった元凶が目の前にいたとしても、何もしない、と?」
「はい。彼女もそのようなことは望まないと思います」
嘘偽りない心からの言葉で、その問いに答える──その時、男の心の呟きが、ポツリと口から溢れでた。
「また、その目か」
刹那、男の雰囲気が豹変する。
「……はい?」
東仙が一瞬動揺した隙に、男が胸ぐらを掴かむ。
壁に押し当てられ、圧迫された首元から微かに呻き声が漏れ出た。
「何故だ……!何故、悪を目の前にして憎まずにいられる?何故、正しさを信じ続けることができる!何故───」
突然のことに驚き、戸惑う。だが、不思議と怒りや恐怖は湧かなかった。
東仙には、この男が苦しみの中で踠いているような、どこか憐れな存在に思えた。
東仙が男を落ち着かせようと手を伸ばした、その時。
「ッ!君、は……」
男が取り乱して、東仙から手を離す。
その様子はまるで、男には
男は改めて東仙のことを確認すると、少し落ち着きを取り戻した声色で話しかける。
「……すまない、少し取り乱してしまった」
その声音には、まだかすかに動揺が残っていた。
東仙はそれを気にかけ、優しく問いかる。
「いえ……あの。大丈夫、でしょうか?」
「……ッ、ああ、問題ない。話を聞かせてくれて感謝する。……私はこれで失礼するよ」
その言葉を最後に、引き留める間もなく足音が響く。
音はそのまま遠ざかっていった。
彼は一体、何者だったのだろうか。
ついに尋ねることのできなかったことを思い、逡巡する。
そして一体、彼に何があったのだろうか。
不意に、遠ざかる男の気配と入れ違うように、別の気配が近づいてくるのを感じた。
やがて気配は東仙の前で立ち止まると、東仙へ語りかける。
「君の考えていることを当ててみようか。あの男は一体何者だったのか。何故、ああも取り乱していたのか。───もし君が望むなら、真実を教えてあげよう」
聞こえてきたのは、低くて耳触りの良い声。
それは穏やかな口調でありながらも、どこか他者を圧倒するような自信や力を感じさせた。
───今度は一体……?
東仙は二度目の邂逅に身構えながらも、先程の男とは異なるその声の主が誰であるのかを、まずは確かめようとした。
「あなたは……?」
「私の名は、藍染惣右介。あの男の……知り合いだよ」
藍染惣右介と名乗った男は冷静に言葉を続けた。
「君の貫こうとする正義に興味があってね。少し、話を聞いてはもらえないだろうか」
突然のことに戸惑いながらも、あの男の正体への関心が東仙を頷かせた。
藍染惣右介は東仙の反応にどこか満足そうに微笑むと、静かに真実を語り始める。
「四十六室の判決については、心配する必要はない」
「それは、どういう……?」
「捕まった男は、元々無実ではない。綱彌代に歪められずとも、別の殺人罪で裁かれていた。──そして本来の下手人も、その雇い主もすでに死んでいる」
無実の罪を負う者が存在しなかったことに僅かに安堵する。だがその一方で、やはり貴族の犯罪が四十六室によって隠蔽されたのだという事実に失望を抱く。
「あの男の名は──綱彌代時灘。君の親友の夫だよ」
その言葉が、東仙の心に重く響いた。
そうか。あの男が、彼女の夫だったのか。
……ならば、彼は彼女の死にどれほど関わっていたのだろうか。
彼女のことをどう思っていたのだろうか。
そんな東仙の心を読んだかのように、ゆっくりと落ち着いた口調でその答えが語られる。
「君の親友は、確かに綱彌代家の策略に巻き込まれて命を落としたが、それは彼の指示によるものではない。別の綱彌代家の指示によるものだ」
その真実を聞いて、あの時の時灘の態度が妙に腑に落ちた。
彼は東仙と違い、忌んでいたのだ。
彼女の死の原因である綱彌代、あるいはその綱彌代の一族である自分自身、そしてあるいは──この世界そのものを。
藍染惣右介は一息の間の後、どこか含みのある口調で最後に一言付け加えた。
「尤も、彼の作り出した因果によって、という意味合いにおいては、彼が殺したとも言えるのだろうね」
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歌匡が息を引き取った夜。
あれから、時灘は我を忘れたように闇の中を彷徨い続けていた。
目に映る景色には、まるで現実感がない。
ただ足の向くままに、感情の伴わぬ歩みを重ねていた。
どのくらいの時が過ぎたのだろうか。
ふと気がつくと、時灘の目の前にはひとりの男が立っていた。
綱彌代家の血を引く、貴族の生き残り。
「貴様は……!」
男が何かを喚き立てる。
「一族の反逆者が、何をしに来た……!」
男が無礼な侵入者への怒りで顔を赤くする。いかにも貴族らしい傲慢な態度。
時灘が何も言わないのを良いことに、一方的に言葉を捲し立てる。
男からは柱の影に隠れて、時灘の顔はよく見えていなかった。
「貴様のような本家の威厳も知らぬ末席の異端者が──」
だが、時灘の身体を濡らす血の新しさに気づくと、男の顔色が今度はさっと青ざめる。
先程から密かに呼び出していた護衛の暗殺者は、いつまで立っても現れることはなかった。
「待て、わかった。お前が当主だ。認めよう」
男は、引き続き何の反応も示さない時灘に僅かな苛立ちを覚えながらも、懸命に言葉を続けた。
「お前の行いも、きっと何かの間違いだったんだろう?……そうだ、あの醜女だ。下民風情が貴族になれると夢を見た。お前はただ、あの醜女に唆され──」
その言葉の終わりを、男は口にすることができなかった。
斬魄刀が、音もなく男の胸を貫いていた。
喉の奥から泡混じりの血が吹き出し、男の口元にくぐもった呻きが漏れる。
そして眼球が、ゆっくりと上を向いて裏返った。
刀を引き抜く。
支えを失った男の体が、どさりと崩れ落ちた。
その音に、時灘は漸く我に帰る。
しばし黙然と動かぬ男の姿を見下ろしていたが、突如として胸の奥から湧き上がった感情に突き動かされるように、男の胴を思いきり蹴り飛ばした。
「なぜ勝手に死んだのだ、歌匡……!君を殺して良いのはこの私だけの筈………!」
頭の奥で声が蘇る。
『貴方はまだ、星を見たことがないだけよ』
「違う!!!間違っているのは君だ!!!」
声の主に、言うことがなかった想いが、口を突いて溢れ出す。
「私は悪だ!悪業を背負った一族によって正当化された、唾棄すべき悪意こそが私だ!そして罪の上に築かれたこの世界も───また同様に悪なのだ!」
男の体を蹴り付けながら、叫ぶように声を絞り出す。
「それを君は否定した!それなのに……君はその正しさを実証することなく死ぬというのか!!」
乱れた呼吸が肩を波打たせ、蹴りつけていた足がふと止まる。時灘はその場に立ち尽くしたまま、両の掌で顔を覆った。
背中を丸め、うずくまるその姿は、どこか──今にも殻を破って這い出ようとする醜悪な幼蟲を思わせた。
それは変化の予兆。その身に巣食う何かが、滲み出ようとしているかのような悍ましき造形。
次第に、顔面を覆う両手に力が籠もり、指が肌に食い込んでいく。指先は皮膚を引き攣らせながら、歪んだ表情を形作った。
それは皮肉にも──普段、時灘が浮かべている嘲笑によく似ていた。
やがて、肩が小刻みに震え始める。
喉の奥からクツクツと乾いた笑い声が漏れ出した。
「……いいだろう。ならば、君の間違いを私が証明してやる。この世界の過ちを、己の悪辣さを!」
かつて藍染惣右介が語ったことが脳裏に蘇る。
崩玉。
死神の
王鍵。
そして、完成間際の
そこから、一つの脚本を思い描く。
“悪行の一族である綱彌代が、その罪を精算するという大義の下、世界に反逆する”
───なんと因縁深く、滑稽なことか!!!
それまで空っぽだった時灘の胸に、突如として喜悦が満ちてゆく。時灘はいつもよりも深く濁ったその衝動に、ただ身を任せた。今の時灘には、それしか縋るものがなかった。
「綱彌代の悪辣さを、理の不条理を私が体現しよう。そのために私は数多の犠牲を踏み越え、悪行を積み重ねよう!」
正義など、所詮誰かの都合だ。
ある者にとっての救済は、別の誰かにとっての破滅となることもある。
───ならば私はその両方を踏みにじり、綱彌代の悪を世界に刻もう!
理想のためではない。
正義のためでもない。
ただ悪を成すために悪を成す──目的という名の正当性すら排した、純然たる悪の証明。
「霊王の存在すら、私の悪行に利用してやろう。
指先が興奮で震える。
空虚だった心が、今や確かな目的で満たされていく。時灘にとってこれは、彼自身の存在証明でもあった。
これから彼が歩む道。
その中で───
一体、どれほどの悪意を積み重ねるのか。
……あるいは、どこかで踏みとどまるのか。
───それで以て答え合わせといこうじゃないか、歌匡。
その時、悪が明確な目的を持つ。
保身を顧みず、自らすらも巻き込んだ、大義の皮を纏った巨大な破壊行為。
果たしてその行き着く先は、一体何処か──。
「藍染惣右介。……君とは、長い付き合いになりそうだ。これからも、色々と手伝ってもらわねばな」
少なくとも、かつての藍染惣右介が進もうとした道を歩もうとしていることだけは確かであった。
茫然自失の只中にあった足取りに、再び意思が宿る。
外に出ると、雲に覆われた夜空の裂け目から、淡い月明かりがこぼれていた。
その鈍く輝く光を頼りに、時灘は夜の街道を静かに歩き出す。
静かに光る三日月だけが、夜空の高みから、彼の姿を見下ろしていた。
**********
血に濡れた綱彌代時灘が、貴族の屋敷を後にする。
そこで、映像は途切れた。
「進化には時に恐怖が必要だ。このままでは滅び消え失せてしまうというという恐怖が。
───安寧の中、微睡むの者たちの目を覚ますのに、彼の存在は実に理想的だと思わないかい?」
そこは、映像庁のとある一室。
本来の主が不在のその空間で、三人の人影が映像の残響を見つめていた。
「毒も使いようによっては薬にもなる、か。
……にしても、随分と大迷惑な目覚ましだね」
「彼が自ら選び、歩むと決めた道だ。止める権利など、誰にもないよ。このまま彼の行く末を見届けようじゃないか」
兄妹のやり取りを静かに聞きながら、東仙の心には、綱彌代時灘が発した言葉が深く沈み込んでいた。
───きっと彼は、これから様々なものを犠牲にしながら目的を果たそうとするのだろう。……それは本来であれば、止めるべきことのはず。
しかし、東仙の脳裏に浮かぶのは、先ほど藍染惣右介によって語られた世界の真実。
この世界の成り立ち。
その上に築かれた、歪みと欺瞞に満ちた社会構造。
彼は言った。
世界を今のまま維持することこそ、永劫に続く犠牲の連鎖から目を背ける悪徳だ、と。
ならば──
覚悟を決めたその瞬間、藍染惣右介が静かに振り返る。
「───さて、事情は先程話した通りだ。それでも、君の正義が揺るがぬのなら───私たちの道筋に正義を見出してくれるというのなら───
……ついてくるといい」
東仙の心は、すでに決まっていた。
死神に巣食う欺瞞の根源が、この世界の仕組みそのものなのであるとすれば──
きっと、彼らの歩みこそが正義だなのだろう。
ならば、私はその道を開く刀となろう。
「……お供させていただきます」
真実を知りながら世界の在り方に疑問を持たず、安寧のうちに生きながらえることは───悪だ。
たとえ今の世界が掲げる正義と相反していようとも、私は私の正義を貫こう。
彼女が信じ、愛したその輝きを──再びこの世界に取り戻すために。
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